1 わたしが自分の居所を立ち去る前に、時々手紙を書いて多くの事項についてあなたがたに情報を提供すると述べたように、わたしは今、死者のための①バプテスマの件を再び採り上げます。敵に追われてからこのかた、この事項がわたしの心を占め、わたしの気持ちに最も重くのしかかっているように思われるからです。
2 わたしは記録者について、幾つか啓示の言葉をあなたがたに書きました。また、この件に関してさらに幾つかの見解を持つようになりましたので、それを今明らかにしましょう。すなわち、前の手紙で述べたとおり、主の御前に正確に記録を残すために、見証者となり、その耳で聞く①記録者がいなければなりません。
3 さて、この件に関しては、一人の記録者がいつも立ち会って、すべての事務を行うことは非常に難しいでしょう。この難しさを取り除くために、正確な記録を取るのに十分な資格のある記録者を、市の各区に一人ずつ任命することができます。その記録者は、きわめて詳細かつ正確にすべての手続きの記録を取り、その目で見、その耳で聞いたことをその記録の中で証明し、日付や名前など、また行われたすべての事柄の経過をも記すようにします。さらに、二人または三人の①証人の口によってすべての言葉が確定されるように、だれか立ち会う人がいれば、その事柄を証明するよう求められるときにいつでもそれができる三人ほどの名前も記します。
4 次に、彼らの作成した記録が真実であることを証明する彼ら自身が署名した証明書とともに、これらの記録を手渡すことのできる、中央記録者がいなければなりません。次に、中央教会記録者は、この記録を、もろもろの証明書ならびに立ち会っていたすべての証人名とともに、また、それらの記録者の大体の性格を知っていることと彼らが教会によって任命されているという事実からその声明と記録が真実であると確信しているという自らの声明書とともに、一般教会記録簿に入れることができます。これが一般教会記録簿に加えられると、あたかも彼がその目で見、その耳で聞き、一般教会記録簿にそれを記録したと同じように、この記録は神聖なものとなり、その儀式を有効とするのです。
5 あなたがたはこの手順をとても細かいと思うかもしれません。しかし、あなたがたに申し上げます。これは、①福音を知らずに死ぬ者の②救いのために、主が創世の前に定めかつ備えられた儀式と備えに従うことによって、ひたすら神の御心に応じるためなのです。
6 さらにまた、黙示者ヨハネが黙示録第二十章十二節にあるとおりに述べたとき、彼は死者に関してまさにこの件を考えていたということを、あなたがたは覚えておいてほしいのです。「またわたしは、死者が小さな者も大いなる者も、神の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれ、またもう一つの書物も開かれた。それは命の書である。そして、死者はこれらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。」
7 この引用文に見るとおり、数々の書物が開かれ、またもう一つの書物も開かれました。それは①命の書でした。しかし、死者は数々の書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれました。したがって、ここで言われている数々の書物とは、彼らの行いの記録が載せられている書物のはずであり、地上で記される②記録を指すに違いないのです。また、命の書であるとされた書は、天で記される記録です。この原則は、わたしが自分の居所を立ち去る前にあなたがたに書いた手紙に載せられている啓示の中であなたがたに命じられた教義にかなっています。あなたがたの記録するすべてのことについて、それが天でも記録されるためなのです。
8 さて、この儀式の本質は、イエス・キリストの啓示による①神権の力にあります。これによって、あなたがたが地上で②つなぐことは何でも天でつながれ、あなたがたが地上で解くことは何でも天で解かれるということが認められるのです。言い換えれば、この翻訳について別の見方をすると、あなたがたが地上で記録することは何でも天で記録され、またあなたがたが地上で記録しないことは天でも記録されないということです。それは、あなたがたの死者が、数々の書物に基づき、彼ら自身の行いに応じて裁かれるからです。すなわち、彼らが自らその③儀式を受けようと、あるいは代理人の仲立ちによって、神が創世の前から彼らの④救いのために備えられた儀式に従って、その死者に関して記された記録のとおりにその儀式を受けようと、それに応じて裁かれるのです。
9 わたしたちが語っていること、すなわち地上で記録し、すなわちつなぎ、かつ天でもつなぐ力があるということは、ある人々には、非常に大胆な教義であると思われるかもしれません。しかしながら、世のあらゆる時代において、主がある人に、あるいはある人々の集団に、実際の啓示によって①神権の施しを授けられたときはいつでも、この力が常に授けられてきたのです。したがって、何事であろうと、それらの人が②権能によって、主の御名によってなし、正しくかつ忠実に行い、それについての適切かつ正確な記録を記したことは、大いなる③エホバの定めによって地上でも天でも一つの律法となり、取り消せないものとなったのです。これは確かな言葉です。だれがそれを聞くことができるでしょうか。
10 さらにまた、その先例として、マタイによる福音書第十六章十八、十九節があります。「そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。地獄の門もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天の王国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは何でも天でつながれ、あなたが地上で解くことは何でも天で解かれるであろう。」
11 さて、この事柄全体の偉大かつ重要な真義と、わたしたちの前にある事項全体の最高善は、聖なる神権の力を得ることにあるのです。これらの①鍵を授けられる者にとって、人の子らの②救い、すなわち死者と生者の両方の救いに関して、数々の事実を知ることは少しも難しいことではありません。
12 ここに、すなわち水によるバプテスマの儀式、すなわち死者の有様に応じるために①水に沈められることに、②栄光と③誉れ、および④不死不滅と永遠の命があります。死者の有様にそって水中に沈められるのは、一つの原則が他の原則に一致するためです。水中に沈められ、そして水から出て来ることは、墓から出て来る死者の復活に似ています。したがって、この儀式は、死者の有様に似ているので、死者のためのバプテスマの儀式と関連するように制定されたのです。
13 その結果、①バプテスマフォントは墓に②似たものとして設けられ、生者がいつも集まる場所の下にあるようにと命じられました。それによって、生者と死者を表すため、またすべてのことに類似するものがあるようにするため、またそれらが互いに一致するため、すなわちコリント人への第一の手紙第十五章四十六、四十七、四十八節でパウロが述べているように、地に属するものが天に属するものに一致するためなのです。
14 「最初にあったのは、霊のものではなく、肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る主である。土に属する人々は、土に属する人のようであり、天に属する人々は、天に属する人のようである。」そして、天の記録は、正しく作られるあなたがたの死者に関する地上の記録に似ています。したがって、これは①結び固め、かつ、つなぐ力であり、ある意味では、②知識の鍵から成る王国の③鍵なのです。
15 さて、わたしの親愛なる兄弟姉妹たち、わたしはあなたがたに断言します。これらは死者と生者に関する原則であり、わたしたちの救いに関して軽々しく見過ごすことのできないものです。彼らの①救いはわたしたちの救いにとって必要であり、不可欠だからです。それは、パウロが先祖について、わたしたちなしには彼らが②完全な者とされることはないと言っているように、わたしたちの死者なしには、わたしたちも完全な者とされることはないのです。
16 さて、死者のためのバプテスマに関して、わたしはパウロのもう一つの言葉、すなわちコリント人への第一の手紙第十五章二十九節を引用しましょう。「もし死者が決してよみがえらないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、何をするのだろうか。なぜ死者のためにバプテスマを受けるのか。」
17 さらにまた、この引用文に関連して、一人の預言者の言葉を引用しましょう。彼は神権の①回復と、終わりの時に示される栄光と、また特に永遠の福音に属するすべての事項の中で最も栄光あるこの事柄、すなわち死者のためのバプテスマにその目を注いでいました。マラキは、その書の最後の章の第五節と六節で言っています。「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者②エリヤをあなたがたに遣わす。彼は先祖の心を子孫に、子孫の心をその先祖に向けさせる。これは、わたしが来て、のろいをもって地を打つことのないようにするためである。」
18 わたしはこれをもっと①分かりやすく翻訳することもできましたが、このままでも十分に分かりやすく、わたしの目的にかないます。この場合、先祖と子孫の間にある事項について固い②つながりがなければ、地はのろいをもって打たれるということを知るだけで十分です。さて、その事項とは何でしょうか。それは③死者のためのバプテスマです。彼らなしにはわたしたちが完全な者とされることはなく、またわたしたちなしには彼らが完全な者とされることはないのです。また、福音にあって死んだ者なしには、彼らもわたしたちも完全な者とされることはありません。今や訪れようとしている時満ちる④神権時代の到来に当たって、アダムの時代から現在に至るまでの、神権時代と鍵と力と栄光のすべての、ことごとくの、完全な和合と結合が起こり、示されることが必要だからです。またこれだけではなく、⑤世の初めからまだ一度も示されておらず、知恵のある者や賢い者から隠されてきた数々の事柄も、この時満ちる神権時代には、⑥みどりごや乳飲み子に示されることでしょう。
19 さて、わたしたちの受けた福音について、何を聞くでしょうか。喜びの声です。天からの憐れみの声、地からの①真理の声、死者のための喜びのおとずれ、生者と死者のための喜びの声、胸躍る②大いなる喜びのおとずれ。善の喜びのおとずれを伝え、シオンに向かって、「見よ、あなたの神が治めておられる」と言う者の③足は、山の上にあって何と麗しいことでしょう。カルメルの④露のように、神の知識が彼らに下ることでしょう。
20 さらにまた、わたしたちは何を聞くでしょうか。①クモラからの喜びのおとずれです。預言者たちの預言の成就と、明らかにされる②書について宣言する、天からの天使③モロナイ。その書について④証するように三人の証人に告げられた、セネカ郡⑤フェイエットの荒れ野における主の声。悪魔が⑥光の天使として現れたときにそれを暴いた、サスケハナ川の岸辺における⑦ミカエルの声。王国の⑧鍵と時満ちる神権時代の鍵を持っていると自ら宣言した、サスケハナ川沿いのサスケハナ郡ハーモニーとブルーム郡コールズビルの間の荒れ野における⑨ペテロとヤコブとヨハネの声。
21 さらにまた、セネカ郡フェイエットの①ホイットマー翁の部屋における、またこの末日聖徒イエス・キリスト教会のすべての旅と艱難を通じて、様々な時の、様々な場所における神の声。また、それぞれの②神権時代と権利、鍵、誉れ、尊厳と栄光、神権の力について宣言し、またここにも少し、そこにも少しと、教えに教え、③訓戒に訓戒を与え、また来るべき事柄を宣言することによってわたしたちに慰めを与え、わたしたちの④希望を確かなものとした、天使長ミカエルの声、⑤ガブリエルと、⑥ラファエルと、ミカエルすなわち⑦アダムから現在に至るまでの様々な⑧天使たちの声。
22 兄弟たちよ、わたしたちはこのような偉大な大義において前進しようではありませんか。退かずに前に進んでください。兄弟たちよ、勇気を出してください。勝利に向かって進み、進んでください。心を喜び楽しませ、大いに喜んでください。地は声を放って①歌いなさい。死者は、王なる②インマヌエルに向かって永遠の賛美の歌を語り出しなさい。王なるインマヌエルは、わたしたちが死者を③獄から④贖えるようにする方法を、世界が存在する前に定められました。獄にいる者たちは解放されるのです。
23 ①山々は喜び呼ばわりなさい。すべての谷よ、声高らかに叫びなさい。すべての海と乾いた地よ、あなたがたの永遠の王の驚異を告げなさい。川よ、小川よ、せせらぎよ、喜びをもって流れ下りなさい。森と、野のすべての木々は、主をほめたたえなさい。硬い②岩よ、喜びの涙を流しなさい。太陽と月と③夜明けの星は、ともに歌いなさい。神の子らは皆、喜び呼ばわりなさい。永遠の創造物は、とこしえにいつまでも神の御名をたたえなさい。さらにまた、わたしは申します。栄光と、救いと、誉れと、④不死不滅と、⑤永遠の命と、また王国と公国と力をわたしたちの耳に宣言する天から聞こえる声は、何と栄えあることでしょう。
24 まことに、主の大いなる①日は近づいています。主の来られる日には、だれが②堪えられるでしょう。主が御姿を現されるときに、だれが立っていられるでしょう。主は③精錬する者の火のようであり、布さらしの灰汁のようです。主は銀を④精錬し清める者として座に着き、⑤レビの子らを清め、金銀のように彼らを清めて、彼らが義をもって⑥ささげ物を主にささげられるようにされます。したがって、わたしたちは教会として、また民として、また末日聖徒として、義をもってささげ物を主にささげましょう。また、主の聖なる神殿が完成するとき、わたしたちの死者の⑦記録を載せた、そのまま受け入れるに値する書をそこにささげましょう。
25 兄弟たちよ、わたしはこの件についてたくさんのことをあなたがたに申し上げたいと思いますが、今のところはこれで終わり、別の折にこの件を続けることにします。いつものように、わたしはあなたがたの卑しい僕であり、決して離れることのない友人です。