1イザヤ書第十一章一、二、三、四、五節の中で述べられている、エッサイの株とはだれのことか。
2まことに、主はこのように言われる。「それはキリストである。」
3イザヤ書第十一章一節の中で述べられている、エッサイの株から出るはずの芽とは何か。
4見よ、主はこのように言われる。「それはキリストの手の中の一人の僕であって、幾分はエフライムの子孫、すなわちヨセフの家の子孫であるだけでなく、幾分はエッサイの子孫でもあり、大きな力を授けられる者である。」
5第十一章十節の中で述べられている、エッサイの根とは何か。
6見よ、主はこのように言われる。「それはエッサイの子孫であり、ヨセフの子孫でもあって、終わりの時に、旗となるために、またわたしの民を集めるために、神権と王国の鍵とを正当に所有する者である。」
7エライアス・ヒグビーからの質問。イザヤ書第五十二章一節の中の、「シオンよ、力を着よ」という命令はどういう意味か。また、イザヤはどの民を指して述べたのか。
8彼は、神が終わりの時に召される者たち、すなわちシオンを元に戻し、イスラエルを贖う神権の力を持つ者たちを指して述べた。力を着るとは、神権の権能をまとうことであり、シオンはそれを血統によって受ける権利を持っている。また、シオンが失ったその力に復することでもある。
9第二節の、シオンがその首の縄を解き捨てるということによって、わたしたちは何を理解すべきか。
10わたしたちは次のように理解すべきである。すなわち、散らされた残りの者は、かつて主のもとから落ちたが、その主に立ち返るように勧められている。彼らがそうするならば、主は彼らに語る、すなわち彼らに啓示を与えると約束しておられる。第六、七、八節を参照。シオンの首の縄とは、シオンに下された神ののろい、すなわち、イスラエルの残りの者が異邦人の間に散らされた状態にあるということである。