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教義と聖約 119
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第​119​章

千八百三十八​ねん​七がつよう、ミズーリ​しゅう​ファーウェスト​に​おいて、げんしゃ​ジョセフ・​スミス​を​とおして​あたえられた​けい(『きょうかいれき』​だい三​かん、四十四​ページ)。これ​は、「おお、しゅ​よ、あなた​は​じゅうぶん​の​いち​として、あなた​の​たみ​の​ざいさん​の​うち​の​どれ​ほど​を​お​もとめ​に​なる​か、あなた​の​しもべ​に​お​しめし​ください」と​いう​げんしゃ​の​ねがい​に​おうじて​あたえられた​もの​で​ある。この​けい​が​くだされる​ぜん​に​は、今日こんにちかい​されて​いる​よう​な​じゅうぶん​の​いち​の​りっぽう​は​きょうかい​に​あたえられて​いなかった。前述ぜんじゅつ​の​いのり​と​ぜん​の​けいだい​六十四​しょう​二十三​せつだい​八十五​しょう​三​せつだい​九十七​しょう​十一​せつ)の​なか​の「じゅうぶん​の​いち」と​いう​こと​は、十​ぶん​の​一​を​​する​だけ​で​なく、きょうかい​の​きん​へ​の​ゆう​に​よる​すべて​の​ささげ​もの​や​​を​も​​して​いた。しゅ​は​ぜん​に​ざいさん​の​ほうけん​と​かんにん​の​しょく​の​りっぽう​を​きょうかい​に​あたえられ、会員かいいん​たち(おもに​どうてきたち​に​ある​長老ちょうろう​たち)は、せいやく​に​よって​その​りっぽう​に​はいって​いた。その​せいやく​は​永遠えいえん​の​もの​の​はず​で​あった。しかし、おおく​の​もの​が​その​せいやく​を​まもらなかった​ため​に、しゅ​は​いち​それ​を​げて、わり​に​ぜんきょうかい​に​じゅうぶん​の​いち​の​りっぽう​を​あたえられた。そこで​げんしゃ​は、神聖しんせい​な​もくてき​の​ため​に​かれら​の​ざいさん​の​うち​の​どれ​ほど​を​もとめられる​か​しゅ​に​たずねた。その​こたえ​が​この​けい​で​ある。

1-5せい​たち​は​かれら​の​じょう​の​ざいさん​を​おさめ、そののちじゅうぶん​の​いち​として、毎年まいとしかれら​の​る​えき​の​十​ぶん​の​一​を​さなければ​ならない。​6-7​この​よう​な​おこない​は​シオン​の​​を​きよめる。

1 まことに、しゅ​は​この​よう​に​う。わたし​は、かれら​の​じょう​の​ざいさん​を​すべて​シオン​に​おける​わたし​の​きょうかい​の​ビショップ​の​​に​ゆだねる​こと​を​もとめる。

2 それ​は、わたし​の​いえ​を​てる​ため、シオン​の​もとい​を​える​ため、しんけん​の​ため、また​わたし​の​きょうかい​の​だいかんちょうかい​の​さい​の​ため​で​ある。

3 これ​が​わたし​の​たみ​の​おさめる​じゅうぶん​の​いち​の​はじまり​と​なる。

4 そののち、この​よう​に​じゅうぶん​の​いち​を​おさめた​もの​は、毎年まいとしかれら​の​る​ぜんえき​の​十​ぶん​の​一​を​おさめる​の​で​ある。そして、これ​は​わたし​の​せい​なる​しんけん​の​ため​に、とこしえ​に​かれら​に​とって​の​えいぞくてき​な​りっぽう​と​なる、と​しゅ​は​う。

5 まことに、わたし​は​あなたがた​に​う。すなわち、シオン​の​​に​あつまる​もの​は​みなかれら​の​じょう​の​ざいさん​を​じゅうぶん​の​いち​として​おさめ、この​りっぽう​を​まもらなければ​ならない。そう​で​なければ、あなたがた​の​なか​に​む​に​ふさわしい​と​みとめられない。

6 また、わたし​は​あなたがた​に​う。もし​わたし​の​たみ​が​この​りっぽう​を​まもらず​に、これ​を​せい​なる​もの​として​たもたず、また​この​りっぽう​に​よって​わたし​の​ため​に​シオン​の​​を​きよめ、それ​に​より​わたし​の​おきて​と​裁決さいけつ​が​そこ​で​まもられて、それ​が​もっとも​せい​なる​​と​なる​よう​に​しなければ、よ、まことに、わたし​は​あなたがた​に​う​が、それ​は​あなたがた​に​とって​シオン​の​​で​は​なくなる。

7 これ​は​シオン​の​すべて​の​ステーク​に​とって​の​一つ​の​範例はんれい​で​ある。まことに​その​とおり​で​ある。アーメン。