聖文
教義と聖約132


第132章

千八百四十三ねんがつ十二にちろくされた、イリノイしゅうノーブーにおいてげんしゃジョセフ・スミスをとおしてあたえられたけいけっこんせいやくえいえんせいさいけっこんげんそくふくむ、あたらしくかつえいえんせいやくかんするもの。このけいろくされたのは千八百四十三ねんであるが、げんしゃがこのけいふくまれているげんそくいちについてそれぜんにすでにっていたことは、しょうからあきらかである。こうしきせんげんさんしょう

1-6しょうえいは、あたらしくかつえいえんせいやくによってられる。7-14そのせいやくじょうけんあきらかにされる。15-20さかえのけっこんぞくそんぞくによって、ひとかみになることができる。21-25せまくてほそみちえいえんいのちいたる。26-27せいれいたいするぼうとくかんしてりっぽうあたえられる。28-39あらゆるだいげんしゃたちとせいたちに、えいえんぞうしょうえいやくそくあたえられる。40-47じょうでもてんでもつなぎ、むすちからが、ジョセフ・スミスにあたえられる。48-50しゅかれしょうえいむすかためられる。51-57エマ・スミスはちゅうじつせいじつであるようにかんこくされる。58-66さいけっこんかんするりっぽうあきらかにされる。

1まことに、しゅはあなた、すなわちわたしのしもべジョセフにこのようにう。おおくのつまとそばめをつことのげんそくきょうについて、しゅなるわたしがわたしのしもべたちアブラハムと、イサクと、ヤコブ、またわたしのしもべたちモーセと、ダビデと、ソロモンをどのようなてんとしたのかをり、かつかいするために、あなたはわたしにたずねたので、

2よ、よ、わたしはしゅなるあなたのかみであり、このけんについてあなたにこたえよう。

3それゆえ、これからあなたにあたえるれて、これにしたがうために、こころそなをしなさい。このりっぽうしめされたものみな、これにしたがわなければならないからである。

4よ、わたしはあなたがたに一つのあたらしくかつえいえんせいやくしめす。もしそのせいやくしたがわなければ、あなたがたはばつさだける。だれもこのせいやくこばながら、わたしのえいこうはいるのをゆるされることはありないからである。

5わたしからしゅくふくけたいとおもものみな、そのしゅくふくのためにさだめられたりっぽうとそのじょうけんしたがわなければならない。そのりっぽうとそのじょうけんは、そうせいまえからさだめられたものである。

6このあたらしくかつえいえんせいやくについてであるが、これはわたしのかんぜんえいこうのためにさだめられたものであって、このかんぜんえいこうけるものはそのりっぽうしたがわなければならない。そうしなければばつさだめをける、としゅなるかみう。

7まことに、わたしはあなたがたにう。このりっぽうじょうけんつぎのとおりである。すなわち、すべてのせいやくけいやく、きずな、せいせいごんこうかんけいこうさいたいがなされ、またわされるとき、これらがあぶらそそがれたものなかちによるけいいましめによって、もっとせいなるほうほうで、このにおいてもえいえんにわたっても、このちからつようにわたしがじょうにんじたあぶらそそがれたものによって、やくそくせいなるたまによりむすかためられなければ、これらはしゃなかからのふっかつときも、そののちも、まったくこうけんこうのうこうりょくがない。(わたしは、わりのときにこのちからつように、わたしのしもべジョセフにめいじた。そして、このちからとこのしんけんかぎさずけられるものは、じょうにおいてどうにただ一人ひとりしかいない。)このもくてきむすばないけいやくはすべて、ひとぬとわるからである。

8よ、わたしのいえちつじょいえであり、こんらんいえではない、としゅなるかみう。

9しゅう。わたしのによってなされないささげものを、わたしがれるであろうか。

10わたしがめいじなかったものを、あなたがたのからるであろうか。

11また、かいそんざいするまえにわたしとちちがあなたがたのためにさだめたように、りっぽうによることなしに、わたしがあなたがたにめいじるであろうか、としゅう。

12わたしはしゅなるあなたのかみである。そして、わたしはあなたにこのいましめをあたえる。すなわち、だれもわたしによらずに、あるいはわたしのりっぽうであるわたしのことによらずにちちのもとにてはならない、としゅう。

13またしゅう。わたしによらずに、あるいはわたしのことによらずにさだめられる、にあるすべてのものは、それがひとによろうと、またおうしゅけんちからなんでものあるものによろうと、それはたおされて、ひとふっかつときにもそののちにものこることはない、としゅなるあなたのかみう。

14のこるものはなんであろうとわたしによるのであり、またわたしによらないものはなんであろうと、るがされ、ほろぼされる。

15それゆえ、もしあるおとこがこのにおいてつまめとるのに、かれがわたしによらずに、あるいはわたしのことによらずにめとるならば、かれがこのにいるかぎりかのじょちかい、かのじょかれちかうとしても、かれらのちかいとけっこんは、かれらがぬと、そしてこのそとると、こうりょくがない。それゆえ、かれらはこのそとでは、いかなるりっぽうによってもむすばれないのである。

16それゆえ、かれらはこのそとると、めとることも、とつこともなく、てんにおいててん使にんじられる。そのてん使たちは、はるかにすぐれた、なみはずれた、えいえんおもみのあるえいこうにふさわしいものたちにつかえるほうしもべである。

17これらのてん使たちは、わたしのりっぽうしたがわなかったからである。それゆえ、かれらはくわえられることがなく、えいえんにわたって、しょうえいすることなく、すくわれたじょうたいにあって、それぞれひとりのままでいることになる。それからのちかれらはかみがみではなく、とこしえにいつまでもかみてん使である。

18さらにまた、まことに、わたしはあなたがたにう。たとえあるおとこつまをめとり、このにおいてもえいえんにわたってもかのじょちかうとしても、もしもそのちかいがわたしによらず、あるいはわたしのりっぽうであるわたしのことによらず、またわたしがあぶらそそいでこのちからつようににんじたものつうじて、やくそくせいなるたまによりむすかためられなければ、かれらはわたしによっても、わたしのことによってもむすばれないので、このそとると、それはゆうこうではなく、こうりょくがない、としゅう。かれらがこのそとると、そこではそれはれられない。てん使たちとかみがみがそこでにんじられていて、かれらはそのそばをとおぎることができないからである。それゆえ、かれらはわたしのえいこうぐことができない。わたしのいえちつじょいえだからである、としゅなるかみう。

19さらにまた、まことに、わたしはあなたがたにう。もしあるおとこがわたしのりっぽうであるわたしのことによって、またあたらしくかつえいえんせいやくによってつまをめとり、そしてそれが、わたしからこのちからとこのしんけんかぎとをあたえられたあぶらそそがれたものによって、やくそくせいなるたまによりかれらにむすかためられ、またかれらに、「あなたがたはだい一のふっかつるであろう。もしもだい一のふっかつのちならば、つぎふっかつるであろう。そして、おうおうこくこうこく、およびちからしゅけん、すべてのたかところふかところぐであろう」とわれるならば、またさつじんおかしてつみのないものながしてはならないとひつじいのちしょしるされているので、あなたがたがわたしのせいやくなかにとどまり、さつじんおかしてつみのないものながすことがなければ、わたしのしもべかれらにさずけたすべてのことがらなんであろうと、このにおいてもえいえんにわたっても、かれらにおこなわれ、かれらがこのそとるときにもかんぜんこうりょくがあるであろう。そして、かれらはそこにかれるてん使たちとかみがみのそばをとおぎ、かれらのこうべむすかためられたように、すべてのことがらについてしょうえいえいこうけるであろう。そのえいこうとは、とこしえにいつまでもそんちてつづくことである。

20それで、かれらはかみがみとなる。かれらにはわりがないからである。それゆえ、かれらはつづくのでえいえんからえいえんいたり、すべてのものがかれらにしたがうので、かれらはすべてのもののうえにあるであろう。それで、かれらはかみがみとなる。かれらはいっさいけんち、てん使たちがかれらにしたがうからである。

21まことに、まことに、わたしはあなたがたにう。あなたがたはわたしのりっぽうしたがわなければ、このえいこうたっすることができない。

22しょうえいいのちそんぞくいたもんせま、そのみちほそい。そして、それをいだすものすくない。あなたがたがこのでわたしをれず、わたしをらないからである。

23しかし、もしあなたがたがこのでわたしをれるならば、あなたがたはわたしをり、しょうえいけるであろう。わたしがいるところに、あなたがたもいるためである。

24えいえんいのちとは、ゆいいつの、あるまことのかみと、かみつかわされたイエス・キリストとをることである。わたしがそのものである。それゆえ、あなたがたはわたしのりっぽうれなさい。

25いたもんおおきく、そのみちひろい。そして、そこからはいってものおおい。かれらがわたしをれず、わたしのりっぽうなかにとどまらないからである。

26まことに、まことに、わたしはあなたがたにう。もしあるおとこがわたしのことしたがってつまをめとり、かれらがわたしのさだめたことにしたがってやくそくせいなるたまによりむすかためられるならば、かれまたはかのじょがいかなるつみあたらしくかつえいえんせいやくたいするそむき、またあらゆるぼうとくおかしても、もしもかれらがさつじんおかしてつみのないものながすことがなければ、かれらはだい一のふっかつて、しょうえいはいるであろう。しかし、かれらはにくたいにあってほろぼされ、あがないのまでサタンわたされてたれる、としゅなるかみう。

27このでもこのそとでもゆるされることのないせいれいたいするぼうとくとは、あなたがたがわたしのあたらしくかつえいえんせいやくれたのちに、さつじんおかすことである、それによってつみのないものながし、またわたしのどうするのである、としゅなるかみう。このりっぽうしたがわないものは、けっしてわたしのえいこうはいることができず、ばつさだける、としゅう。

28わたしはしゅなるあなたのかみである。わたしは、かいそんざいするまえにわたしとちちさだめたように、わたしのせいなるしんけんりっぽうをあなたにあたえよう。

29しゅう。アブラハムは、けいいましめによって、すなわちわたしのことによって、かれけたすべてのものをけ、そしてしょうえいはいってそのおういている。

30アブラハムは、そのそんとそのこしからものについてやくそくけた。—あなた、すなわちわたしのしもべジョセフは、そのこしからものである—すなわち、かれらはこのにいるかぎりつづくということである。アブラハムとそのそんについてであるが、かれらはこのそとでもつづくであろう。このでもこのそとでも、かれらはほしのようにかずかぎりなくつづく。すなわち、たとえうみすなかぞえたとしても、かれらをかぞくすことはできないであろう。

31このやくそくはあなたがたにあたえられたものでもある。あなたがたはアブラハムからており、このやくそくはアブラハムにあたえられたものだからである。このりっぽうによってわたしのちちわざつづいており、このわざによってちちえいこうけられるのである。

32それゆえ、あなたがたはって、アブラハムのわざおこないなさい。あなたがたはわたしのりっぽうはいりなさい。そうすれば、すくわれるであろう。

33しかし、もしわたしのりっぽうはいらなければ、あなたがたは、わたしのちちがアブラハムにあたえられたやくそくけることはできない。

34かみがアブラハムにめいじられたので、サラはアブラハムにハガルあたえてつまとした。かのじょはなぜそうしたのであろうか。これがりっぽうであったからである。そして、ハガルからおおくのひとた。それゆえ、ほかのかずかずことがらとともに、これはやくそくじょうじゅするものであった。

35それで、アブラハムはつみせんこくけたであろうか。まことに、わたしはあなたがたにう。「けなかった。」しゅなるわたしがそれをめいじたからである。

36アブラハムは息子むすこイサクをささげるようにめいじられた。それにもかかわらず、「あなたころしてはならない」としるされていた。しかし、アブラハムはこばまなかった。そして、それによってかれみとめられた。

37アブラハムはそばめたちけ、そしてかのじょたちはかれのためにどもをもうけた。そして、それによってかれみとめられた。かのじょたちはかれあたえられ、そしてかれはわたしのりっぽうなかにとどまったからである。イサクもヤコブも、めいじられたことのほかになにおこなわなかった。そして、かれらはめいじられたことのほかになにおこなわなかったので、やくそくのとおりにしょうえいはいり、おういている。かれらはてん使ではなく、かみがみなのである。

38ダビデおおくのつまとそばめをけた。わたしのしもべたちソロモンとモーセも、またそうぞうはじめからげんざいいたるまでの、ほかのおおくのわたしのしもべたちもどうようである。かれらはわたしからけなかったものをのぞいては、どのようなことについてもつみおかさなかった。

39ダビデのつまたちとそばめたちは、わたしのしもべナタンと、このちからかぎっていたほかのげんしゃたちによって、わたしからかれあたえられたのである。そして、これらのことのどれにおいても、ウリヤとそのつまあいのぞけば、かれはわたしにたいしてつみおかさなかった。しかしかれらのことで、かれしょうえいからちて、かれぶんけた。このそとでは、かれかのじょたちをぐことはない。わたしはかのじょたちをべつものあたえたからである、としゅう。

40わたしはしゅなるあなたのかみである。そして、わたしはあなた、すなわちわたしのしもべジョセフに一つのつとめをあたえ、ばんもとどおりにする。あなたのほっすることをもとめなさい。そうすれば、わたしのことのとおりに、それはあたえられるであろう。

41あなたがかんいんについてたずねたので、まことに、まことに、わたしはあなたにう。もしあるおとこあたらしくかつえいえんせいやくによってつまむかえ、そしてもしかのじょべつおとことともにいて、しかもわたしがせいなるあぶらそそぎによってかれかのじょあたえたのでなければ、かのじょかんいんをしたのであり、ほろぼされるであろう。

42たとえかのじょあたらしくかつえいえんせいやくはいっていなくても、べつおとことともにいるならば、かのじょかんいんをしたのである。

43また、もしおっとべつおんなとともにいて、かれちかてていたのであれば、かれはそのちかいをやぶったのであり、かんいんをしたのである。

44また、もしそのつまかんいんをしておらず、つみがなく、ぶんちかいをやぶっておらず、しかもかのじょがそのことをっており、わたしがあなた、すなわちわたしのしもべジョセフにそれをしめすならば、あなたはわたしのせいなるしんけんちからによって、かのじょって、かんいんしたことのないちゅうじつものかのじょあたえるちからつ。かれおおくをおさめるものとされるからである。

45わたしはあなたにしんけんかぎちからさずけており、それによって、ばんもとどおりにし、しかるべきときにすべてのことをあなたにらせる。

46まことに、まことに、わたしはあなたにう。あなたがじょうむすことはなんでもてんむすばれ、またわたしのによって、またわたしのことによって、あなたがじょうでつなぐことはなんでもてんえいえんにつながれる、としゅう。また、あなたがじょうゆるつみは、だれのつみでもえいえんてんゆるされ、またあなたがじょうゆるさずにおくつみは、だれのつみでもてんでそのままのこるのである。

47さらにまた、まことに、わたしはう。だれでもあなたがしゅくふくするものをわたしはしゅくふくし、だれでもあなたがのろうものをわたしはのろう、としゅう。しゅなるわたしはあなたのかみだからである。

48さらにまた、まことに、わたしはあなた、すなわちわたしのしもべジョセフにう。わたしのことによって、またわたしのりっぽうによって、あなたがじょうなにあたえようと、またあなたがだれにだれをあたえようと、それはのろいではなくしゅくふくをもたらし、わたしのちからともない、そしてじょうでもてんでもつみさだめられることはない、としゅう。

49わたしはしゅなるあなたのかみであり、わりまで、またえいえんにわたってあなたとともにいる。まことに、わたしはあなたにしょうえいむすかた、わたしのちちおうこくに、あなたのためにせんアブラハムとともにするおうようしている。

50よ、わたしはあなたのせいてきた。そして、あなたのすべてのつみゆるす。わたしがげたことにしたがうあなたのせいを、わたしはてきた。それゆえ、きなさい。わたしは、息子むすこイサクをささげようとしたアブラハムのこうれたように、あなたののがれるみちそなえよう。

51まことに、わたしはあなたにう。わたしは、あなたにつまとしてあたえたわたしのはしためエマ・スミスに、一つのいましめをあたえる。エマ・スミスはぶんしんおさえて、わたしがエマにあたえるようにとあなたにめいじたことにあずかってはならない。わたしはアブラハムにおこなったようにあなたがた二人ふたりためすために、またせいやくせいによりあなたがたからささげものもとめるために、それをおこなったのである、としゅう。

52わたしのはしためエマ・スミスは、わたしのしもべジョセフにあたえられた、わたしのまえていしゅくきよらかなものをすべてれなさい。きよらかでないのにぶんきよらかであったとものほろぼされる、としゅなるかみう。

53わたしはしゅなるあなたのかみであり、あなたがたはわたしのこえしたがわなければならないからである。わたしは、わたしのしもべジョセフがおおくのものをおさめるものとなることをゆるす。かれはわずかなものにちゅうじつであったからである。これからのち、わたしはかれつよくしよう。

54また、わたしは、わたしのはしためエマ・スミスに、とどまって、わたしのしもべジョセフとむすい、そののものとむすうことのないようにとめいじる。しかし、もしもこのいましめにしたがおうとしなければ、かのじょほろぼされる、としゅう。わたしはしゅなるあなたのかみであり、かのじょがわたしのりっぽうなかにとどまらなければ、かのじょほろぼすであろう。

55もしもかのじょがこのいましめにしたがおうとしなければ、わたしのしもべジョセフは、かれったとおりにすべてのことをかのじょにしなければならない。そうすれば、わたしはかれしゅくふくし、やし、このちちははきょうだいまいいえつまどもについてかればいさずけ、えいえんではえいえんいのちかんむりさずけよう。

56さらにまた、まことに、わたしはう。わたしのはしためは、わたしのしもべジョセフのあやまちをゆるなさい。そうすれば、かのじょはわたしにたいしておかしたあやまちをゆるされるであろう。そして、しゅなるあなたのかみであるわたしは、かのじょしゅくふくし、やし、かのじょこころよろこばせるであろう。

57さらにまた、わたしはう。わたしのしもべジョセフは、てきほろぼすことのないために、ぶんざいさんばなさないようにしなさい。サタンがほろぼそうとするからである。わたしはしゅなるあなたのかみであり、ジョセフはわたしのしもべである。よ、よ、わたしはあなたのせんアブラハムとともにいたように、しょうえいえいこういたるまでジョセフとともにいる。

58さて、しんけんりっぽうについては、それにかんしておおくのことがある。

59まことに、もしあるおとこアロンのように、わたししんこえによって、またわたしをつかわされたちちこえによってちちからされ、そしてわたしがこのしんけんちからかぎかれさずけたならば、かれがわたしのによって、またわたしのりっぽうによって、またわたしのことによってなにおこなおうと、かれつみおかすことはない。そして、わたしはかれとする。

60それゆえ、だれもわたしのしもべジョセフをなんしてはならない。わたしはかれとするからである。わたしがかれそむきにたいしてそのもとめるせいかれはささげるからである、としゅなるあなたがたのかみう。

61さらにまた、しんけんりっぽうについてであるが、もしあるおとこ一人ひとりおとめをめとり、さらにべつ一人ひとりをめとりたいとのぞんで、さいしょものしょうだくあたえるならば、そしてもしかれが二ばんものをめとり、二人ふたりともおとめであってほかのおとこちかいをてたことがなければ、かれとされる。かのじょたちはかれあたえられたので、かれかんいんをすることはありない。かれが、ほかのだれにもぞくさずにぶんだけにぞくするものかんいんをすることはありないからである。

62もしこのりっぽうによって十にんのおとめをあたえられたとしても、かれかんいんをすることはありない。かのじょたちはかれぞくするものであり、かれあたえられているからである。それゆえ、かれとされる。

63しかし、もし十にんのおとめのなか一人ひとり、あるいはだれかが、とついだのちべつおとことともにいるとすれば、かのじょかんいんおこなったのであり、ほろぼされるであろう。かのじょたちはわたしのいましめのとおりにえてたすために、またそうせいまえちちによってあたえられたやくそくじょうじゅするために、またえいえんしょうえいひとびとれいをもうけるために、かれあたえられているのである。これによって、わたしのちちわざつづけられて、ちちえいこうをおけになるのである。

64さらにまた、まことに、まことに、わたしはあなたがたにう。もしだれかこのちからかぎおとこ一人ひとりつまち、これらのことにかんするわたしのしんけんりっぽうかのじょおしえるならば、かのじょしんじてかれくさなければならない。そうでなければ、かのじょほろぼされる、としゅなるあなたがたのかみう。わたしはかのじょほろぼすからである。わたしは、わたしのりっぽうれてそのなかにとどまるすべてのもののうえに、わたしのたかめるからである。

65それゆえ、もしかのじょがこのりっぽうれなければ、しゅなるかみであるわたしがさずけるすべてのものをかれけるのは、わたしのりっぽうにかなうことである。かのじょがわたしのことのとおりにしんじてかれくさなかったためである。そのときに、かのじょいましめにそむものとなる。そして、かれはサラのりっぽうめんじょされる。サラは、わたしがアブラハムにハガルをつまとするようにめいじたとき、りっぽうしたがってアブラハムにくしたものである。

66さて、このりっぽうについて、まことに、まことに、わたしはあなたにう。わたしはのちにあなたにもっとしめすので、いまのところはこれでまんぞくしなさい。よ、わたしはアルパでありオメガである。アーメン。