聖文
教義と聖約110


第110章

千八百三十六ねんがつみっ、オハイオしゅうカートランドのしん殿でんで、げんしゃジョセフ・スミスとオリバー・カウドリにあたえられたげん。このげんあたえられたのは、ふっかつさいにちようあんそくにちしゅうかいおこなっていたときのことである。ジョセフ・スミスのれきにはつぎのようにべられている。「、わたしは、このせいたくでのつとめをたすとっけんあたえられたじゅう使からしゅばんさんけたのちかんちょうたちを手伝てつだって、それをきょうかいいんくばった。わたしはきょうだいたちのためにこのつとめをなしえたのち、オリバー・カウドリとともにきょうだん退しりぞいて、まくろし、をかがめてげんしゅくごんいのりをささげた。そして、いのりをえてがると、わたしたち二人ふたりつぎげんひらかれた。」

1-10しゅなるエホバがえいこうなかあらわれて、カートランドしん殿でんしゅみやとしてれられる。11-12モーセとエライアスがそれぞれあらわれて、かれらのかぎしんけんだいとをゆだねる。13-16エリヤがもどってて、マラキによりやくそくされたようにかれしんけんだいかぎをゆだねる。

1わたしたちのこころからまくられ、かいひらかれた。

2わたしたちは、しゅがわたしたちにめんしてきょうだんきょうへきうえっておられるのをた。そのあししたには、こはくのようないろじゅんきんゆかがあった。

3そのえるほのおのようであり、そのとうはつきよらかなゆきのようにしろく、そのかおたいようかがやきにまさってひかかがやいていた。また、そのこえ、すなわちエホバこえおおみずほんりゅうのとどろきのようで、このようにわれた。

4「わたしはさいしょであり、さいである。わたしはきているものであり、ころされたものである。わたしはちちたいするあなたがたのべんしゃである。

5よ、あなたがたのつみゆるされており、あなたがたはわたしのまえきよい。それゆえ、あたまげてよろこびなさい。

6あなたがたのきょうだいたちのこころよろこばせ、わたしのすべてのたみこころよろこばせなさい。かれらはちからくしてわたしののためにこのいえてたひとびとである。

7よ、わたしはこのいえれた。そして、わたしのはここにあるであろう。わたしはあわれみをもってこのいえでわたしのたみにわたししんあらわすであろう。

8まことに、わたしのたみがわたしのいましめをまもり、このせいなるいえけがさなければ、わたしはしもべたちにあらわれて、わたししんこえをもってかれらにかたるであろう。

9まことに、いくせんいくまんひとこころが、そそがれるかずかずしゅくふくと、このいえしもべたちにさずけられるエンダウメントのゆえに、おおいによろこぶであろう。

10そして、このいえめいせいしょがいこくひろまるであろう。これはわたしのたみこうべそそがれるしゅくふくはじめである。まことにそのとおりである。アーメン。」

11このげんじたのちてんふたたびわたしたちにひらかれた。そして、モーセがわたしたちのまえあらわれ、ほうからのイスラエルしゅうごうきたからのじゅうぞくみちびきのかぎをわたしたちにゆだねた。

12こののちエライアスあらわれ、わたしたちとそんによってわたしたちののちだいのすべてのものしゅくふくけるであろうとべて、アブラハムふくいんしんけんだいをゆだねた。

13このげんじたのち、もう一つのおおいなるえあるげんとつじょわたしたちにひらかれた。あじわうことなくてんられたげんしゃエリヤが、わたしたちのまえってった。

14よ、マラキのくちとおしてかたられたときがまさにた。」マラキとは、しゅおおいなるおそるべきまえかれ〔エリヤ〕がつかわされ、

15せんこころそんに、そんこころせんけさせぜんがのろいをもってたれることのないようにする、とあかししたひとである。

16「それゆえ、このしんけんだいかぎはあなたがたのにゆだねられている。これによってあなたがたは、しゅおおいなるおそるべきちかく、まさにぐちにあるのをることができる。」