聖文
教義と聖約131


第131章

千八百四十三ねんがつ十六、十七にち、イリノイしゅうレイマスにおいてあたえられた、げんしゃジョセフ・スミスによるおしえ。

1-4さかえのけっこんは、さいこうてんにおけるしょうえいけつである。5-6えいえんいのちむすかためられるほうほうせつめいされる。7-8すべてのれいぶっしつである。

1さかえいこうには、三つのてん、すなわち三つのかいきゅうがある。

2そのさいこうかいきゅうるためには、ひとはこのしんけんくらい(すなわち、けっこんあたらしくかつえいえんせいやく)にはいらなければならない。

3そうしなければ、そのひとはそれをることができない。

4そのひとかいきゅうはいることはできるが、それはかれおうこくわりであって、そのひとくわえることができないのである。

5(千八百四十三ねんがつ十七にち)いっそうかくじつげんこととは、ひとせいなるしんけんちからによってえいえんいのちむすかためられたことを、けいげんれいによってることである。

6ひとすくわれることはのうである。

7じったいのないぶっしつというものはそんざいしない。れいはすべてぶっしつであるが、もっとさいすなわちじゅんすいであり、よりきよによってのみけることができるものである。

8わたしたちはそれをることができない。しかし、からだきよめられるとき、それがすべてぶっしつであることがかるであろう。