聖文
教義と聖約22


第22章

千八百三十ねんがつ十六にち、ニューヨークしゅうマンチェスターにおいて、げんしゃジョセフ・スミスをとおしてあたえられたけい。このけいは、まえにバプテスマをけたあるひとびとふたたびバプテスマをけることなしにきょうかいにゅうしたいとのぞんだことから、きょうかいあたえられたものである。

1バプテスマは、一つのあたらしくかつえいえんせいやくである。2-4けんのうによってしっこうされるバプテスマがひつようとされる。

1よ、わたしはあなたがたにう。わたしはこのことによって、すべてのふるせいやくはいされるようにした。これは一つのあたらしくかつえいえんせいやく、すなわちはじめからあったものである。

2それゆえ、たとえひとが百バプテスマをけたとしても、それはそのひとにとってなんやくにもたない。あなたがたはモーセのりっぽうによっても、あなたがたのんだおこなによっても、せまもんからはいることはできないからである。

3わたしが、むかしおこなったようにわたしのためにこのさいせいやくてさせ、このきょうかいきずげさせたのは、あなたがたのんだおこないのゆえである。

4それゆえ、わたしがめいじたようにもんからはいりなさい。そして、あなたがたのかみちゅうこくしようとしてはならない。アーメン。