教義と聖約 62
    脚注

    第​62​章

    千八百三十一​ねん​八がつ​十三​にち、ミズーリ​しゅう​チャリトン​の​ミズーリ​がわ​の​きし​で、げんしゃ​ジョセフ・​スミス​を​とおして​あたえられた​けい(『きょうかいれき』​だい一​かん、二百五-二百六​ページ)。この​、インディペンデンス​から​カートランド​へ​かって​いた​げんしゃ​と​その​いっこう​は、シオン​の​​へ​かって​いた​すうにん​の​長老ちょうろう​たち​に​い、よろこび​の​あいさつ​を​わした​のち​に​この​けい​を​けた。

    1-3あかし​は​てん​で​ろく​されて​いる。​4-9長老ちょうろう​たち​は、みずから​の​判断はんだんりょく​に​したがって、また​たま​に​より​みちびかれる​まま​に、たび​を​して、おしえ​を​かなければ​ならない。

    1 よ、おお、わたし​の​きょうかい​の​長老ちょうろう​たち​よ、き​なさい。しゅ​なる​あなたがた​の​かみ、すなわち​イエス・​キリスト、あなたがた​の​べんしゃひと​の​よわさ​を​って​おり、ゆうわく​を​ける​もの​たち​を​たすける​ほうほう​を​って​いる​もの​は​う。

    2 まことに、わたし​の​​は、シオン​の​​に​まだ​のぼって​て​いない​もの​たち​の​うえ​に​ある。シオン​の​​に​まだ​のぼって​て​いない​ので、あなたがた​の​使めい​は​まだ​たされて​いない。

    3 それでも、あなたがた​は​しゅくふく​されて​いる。あなたがた​が​べた​あかし​は、てん使​たち​が​る​ため​に​てん​で​ろく​されて​いる​から​で​ある。そして、てん使​たち​は​あなたがた​の​こと​を​よろこんで​おり、あなたがた​の​つみ​は​ゆるされて​いる。

    4 さて、あなたがた​の​たび​を​つづけ​なさい。シオン​の​​に​あつまって、集会しゅうかい​を​ひらき、ともに​よろこび​い、いと​たかき​かた​に​聖式せいしき​を​ささげ​なさい。

    5 そののち、あなたがた​は​あかし​する​ため​に​かえって​よい。すなわち、あなたがた​が​よい​と​おもう​まま​に、ぜんいんいっしょ​に​かえろう​と、ふた​ずつ​で​かえろう​と、問題もんだい​で​は​ない。ただ、ちゅうじつ​で​あって、​に​む​もの​に、すなわち​あくにん​の​あつまり​の​なか​で​よろこび​の​おとずれ​を​げ​なさい。

    6 よ、しゅ​なる​わたし​は、あなたがた​の​なか​の​ちゅうじつ​な​もの​が​まもられて​ミズーリ​の​​で​ともに​よろこび​う​と​いう​やくそく​が​たされる​よう​に、あなたがた​を​あつめて​きた。しゅ​なる​わたし​は​ちゅうじつ​な​もの​に​やくそく​を​あたえ、いつわり​を​う​こと​が​できない。

    7 あなたがた​の​なか​の​だれか​が、うま​か、らば​か、しゃ​に​る​こと​を​のぞみ、かつ​すべて​の​こと​に​感謝かんしゃ​の​こころ​を​もって​しゅ​の​​から​この​しゅくふく​を​ける​なら​ば、しゅ​なる​わたし​は​よろこんで、かれ​が​それ​を​けられる​よう​に​しよう。

    8 これら​の​こと​は、判断はんだんりょく​と​たま​の​​に​したがって​おこなう​よう​に​あなたがた​に​まかされて​いる。

    9 よ、おうこく​は​あなたがた​の​もの​で​ある。よ、よ、わたし​は​つねに​ちゅうじつ​な​もの​と​ともに​いる。まことに​その​とおり​で​ある。アーメン。