聖文
教義と聖約123


第123章

ミズーリ州しゅうリバティーの監かん獄ごくにおいて、囚とらわれの身みであった預よ言げん者しゃジョセフ・スミスが書かいた迫はく害がいする者ものに関かんする聖せい徒とたちの義ぎ務む。この章しょうは、千八百三十九年ねん三月がつ二十二日にちごろに書かかれた、教きょう会かいにあてた手て紙がみからの抜ばっ粋すいである(第だい百二十二章しょうの前まえ書がきを参さん照しょう)。

1-6聖せい徒とたちは、受うけた苦く難なんと迫はく害がいの記き録ろくを集あつめて出しゅっ版ぱんしなければならない。7-10偽いつわりの信しん条じょうを確かく立りつした霊れいが、聖せい徒とたちの迫はく害がいを誘さそう。11-17すべての教きょう派はの中なかの多おおくの者ものが、やがて真しん理りを受うけ入いれるであろう。

1さらにまた、わたしたちは、次つぎのことを考かんがえるようにあなたがたに勧すすめたい。すなわち、すべての聖せい徒とが、この州しゅうの人ひと々びとから加くわえられた苦く難なんと虐ぎゃく待たいに関かんする一いっ切さいの事じ実じつについて、情じょう報ほうを集あつめることは正せい当とうである。

2また、聖せい徒とたちが損そん害がいを被こうむったすべての財ざい産さんと損そん害がい額がくを、不ふ動どう産さんだけでなく、人じん格かくならびに身しん体たいへの侵しん害がいについても情じょう報ほうを集あつめること、

3また、彼かれらが入にゅう手しゅし、見みつけ出だせるかぎり、その暴ぼう虐ぎゃくに加か担たんしたすべての人ひとの名な前まえの情じょう報ほうを集あつめることについても同どう様ようである。

4委い員いん会かいを設もうけて、これらのことを調しらべ出だし、申もうし立たて書しょと宣せん誓せい供きょう述じゅつ書しょを取とり、流る布ふされている中ちゅう傷しょう的てきな刊かん行こう物ぶつを集あつめ、

5雑ざっ誌しや百ひゃっ科か事じ典てんの中なかにあるすべてのもの、またすでに出しゅっ版ぱんされた、あるいは現げん在ざい執しっ筆ぴつ中ちゅうのすべての中ちゅう傷しょう的てきな歴れき史し、およびそれがだれによるものかについての情じょう報ほうも集あつめ、この民たみに対たいして行おこなわれた極ごく悪あくな所しょ業ぎょうと非ひ道どうかつ残ざん忍にんな詐さ欺ぎ行こう為いの全ぜん体たいのつながりを明あきらかにすることもできるであろう。

6それは、わたしたちがそれらを全ぜん世せ界かいに向むけて出しゅっ版ぱんするだけでなく、政せい府ふの指し導どう者しゃたちにそれらを暗くらい地じ獄ごくのような状じょう態たいのままで明あきらかにするためでもある。それは、わたしたちの天てんの御おん父ちちにその隠かくれ場ばから出でて来きていただくという約やく束そくを果はたすように求もとめる権けん利りを、わたしたちが十じゅう分ぶんかつ申もうし分ぶんなく主しゅ張ちょうするに先さき立だって、天てんの御おん父ちちからわたしたちに命めいじられている最さい後ごの努ど力りょくである。さらにまた、それは、天てんの御おん父ちちがその強つよい御み腕うでの力ちからを下くだされる前まえに、全ぜん国こく民みんが弁べん解かいの余よ地ちのないようにするためである。

7これは、わたしたちが神かみに対たいして、またわたしたちがともに立たたされる天てん使したちに対たいして、また殺さつ害がいや圧あっ制せいや暴ぼう虐ぎゃくの最もっとも忌いまわしい手ての下したで嘆なげき、悲かなしみ、不ふ安あんでくじかれたわたしたち自じ身しんと妻さい子しに対たいして負おっている、ぜひとも果はたすべき義ぎ務むである。その殺さつ害がいや圧あっ制せいや暴ぼう虐ぎゃくの最もっとも忌いまわしい手ては、偽いつわりを受うけ継ついだ先せん祖ぞの信しん条じょうを子し孫そんの心こころにしっかりと打うち込こみ、世よを混こん乱らんで満みたし、ますます勢せい力りょくを増まし、今いまやすべての背はい徳とくの源みなもとそのものとなっている、あの霊れいの影えい響きょう力りょくによって支し援えんされ、促うながされ、支ささえられている。そして、全ぜん地ちはその罪ざい悪あくの重おもさの下したでうめいている。

8これは鉄てつのくびきであり、強つよい縄なわである。それらはまさに地じ獄ごくの手て錠じょう、鎖くさり、手てかせ、足あしかせである。

9したがって、これは、わたしたちが自じ分ぶんたちの妻さい子しに対たいしてだけでなく、その鉄てつの手てによって夫おっとや父ちち親おやを殺ころされた、やもめや父ちちのいない子こ供どもに対たいしても負おっている、ぜひとも果はたすべき義ぎ務むである。

10そのような暗くらい、暗あん黒こくを招まねく行こう為いは、地じ獄ごくをさえ震ふるえおののかせ、恐おそれて顔かお色いろを失うしなわせ、あの悪あく魔まの手てをも震ふるわせ、まひさせるのに十じゅう分ぶんである。

11これはまた、わたしたちが次つぎの世せ代だいに対たいして、またすべての心こころの清きよい者ものに対たいして負おっている、ぜひとも果はたすべき義ぎ務むである。

12地ち上じょうのすべての教きょう派はや宗しゅう派は、門もん派ぱの中なかには、欺あざむこうと待まち伏ぶせる人ひと々びとの狡こう猾かつな悪わる巧だくみによって目めをくらまされ、見みいだす場ば所しょを知しらないということだけで真しん理りを得えられずにいる多おおくの人ひとがいる。

13したがって、わたしたちは、わたしたちの知しるかぎりにおいて、闇やみの中なかの隠かくされたことをすべて明あかるみに出だすために、生しょう涯がいをなげうって尽つくさなければならず、これらはまことに天てんから示しめされるのである。

14したがって、これらのことに大おおいに真しん剣けんに取とり組くまなければならない。

15だれにも、これらのことをささいなことと思おもわせてはならない。聖せい徒とたちに関かんして将しょう来らい起おこる多おおくのことは、これらのことにかかっているからである。

16兄きょう弟だいたちよ、あなたがたの知しっているように、非ひ常じょうに大おおきな船ふねも、嵐あらしのときにはごく小ちいさな舵かじに大おおいに助たすけられ、風かぜと波なみに対たいして進しん路ろを保たもつことができる。

17したがって、親しん愛あいなる兄きょう弟だいたちよ、わたしたちの力ちからの限かぎりすべてのことを喜よろこんで行おこなおう。そして願ねがわくは、その後のち、わたしたちがこの上うえない確かく信しんをもって待まち受うけて、神かみの救すくいを目めにし、また神かみの腕うでが現あらわされるのを見みることができるように。