1 さて、アルマと同僚たちは出て行って、ゾーラム人の会堂や彼らの家に入り、人々に神の言葉を宣べ伝え始めた。彼らはまた、通りでも御言葉を宣べ伝えた。
2 そして、人々の中で多くの労苦を重ねた末、彼らは①貧しい階層の人々の中で成功を収め始めた。見よ、これらの人々は、衣服が粗末であるために会堂から追い出されていたからである。
3 これらの人々は衣服が粗末なため汚れた者と見なされ、会堂に入って神を礼拝することを許されていなかった。彼らは貧しく、同胞からかすのように見なされていたので、この世のものに関して①貧しく、心が謙遜であった。
4 さて、アルマがオナイダの丘で人々に教え、語っていたときに、今述べた人々、すなわちこの世のものに関して貧しいために心が①謙遜になっている人々が、大きな群れを成してアルマのもとにやって来た。
5 そして、彼らはアルマのもとにやって来ると、その群衆の中心になっている一人の人がアルマに言った。「まことに、ここにいるわたしの仲間は、①どうすればよいのでしょうか。この人々は、貧乏であるためにすべての人から見下されています。とりわけ祭司たちに嫌われています。祭司たちは、わたしたちが自分の手を使って大いに働いて建てた会堂から、わたしたちを②追い出しました。わたしたちがひどく貧乏だからということで、わたしたちを追い出したのです。わたしたちには神を礼拝する場所がどこにもありません。③どうすればよいでしょうか。」
6 アルマはこれを聞くと、振り返って彼の方に面と向かい、非常に喜びながらじっと彼を見詰めた。彼らが多くの①苦しみを受けて心が②へりくだっており、御言葉を聞く③用意のできていることが、アルマに分かったからである。
7 そこでアルマは、もうほかの群衆にそれ以上語るのをやめ、しかし、目の前にいる、心から悔い改めている彼らに向かって手を伸ばして大声で言った。
8 「わたしの見るところ、今あなたがたの心は①へりくだっている。もしそうならば、あなたがたは幸いである。
9 見よ、あなたがたの仲間の一人は、『どうすればよいでしょうか。わたしたちは会堂から追い出され、自分たちの神を礼拝できません』と言った。
10 見よ、あなたがたに尋ねたい。あなたがたは自分たちの会堂でしか神を①礼拝することができないと思っているのか。
11 そして、さらに尋ねたい。あなたがたは週に一度しか神を礼拝してはならないと思っているのか。
12 あなたがたに言う。会堂から追い出されていることは、あなたがたが謙遜になれるので、また①知恵を得られるのでよいことである。あなたがたが知恵を得ることは必要だからである。あなたがたが今へりくだった心でいるのは、追い出されているためであり、また非常に②貧しいために同胞から見下されているためである。あなたがたは、やむを得ずへりくだっている。
13 さて、やむを得ずへりくだっているので、あなたがたは幸いである。人は時々、やむを得ずへりくだっていても悔い改めようとするからである。そして、悔い改める人はだれでも、必ず憐れみを受ける。そして、憐れみを受けて最後まで①堪え忍ぶ人は救われる。
14 わたしは、あなたがたがやむを得ずへりくだっているので幸いであると言ったが、御言葉のために自ら進んで心からへりくだる人々は、なおさら幸いであると思わないか。
15 まことに、自ら進んで心からへりくだり、罪を悔い改め、最後まで堪え忍ぶ人は祝福を受ける。まことにこのような人は、非常に貧しいためにやむを得ずへりくだっている人々よりも、なおさら祝福を受ける。
16 したがって、やむを得ず①へりくだるのではなく、自らへりくだる人々は幸いである。いや、心をかたくなにすることなく、また御言葉を知るように仕向けられたり、知るように強いられたりして初めて信じるというのではなく、進んで神の御言葉を信じ、バプテスマを受ける人は幸いである。
17 まことに、もし天から①しるしを見せてくれれば、それが確かなことが分かるから信じようと言う人々が大勢いる。
18 さて、わたしは尋ねる。これは信仰であろうか。見よ、わたしはそうではないと答える。もし人がある物事を知っているならば、それを①信じる理由はない。すでに知っているからである。
19 さて、神の御心を①知っていながらそれを行わない人は、ただ信じているだけで、あるいは信じる理由があるだけで背いてしまうよりも、どれほどひどいのろいを受けることであろう。
20 このことについて、あなたがたは判断しなければならない。見よ、わたしはあなたがたに言う。両者はそれぞれ同様に裁かれ、人は皆、各々の行いに応じて報われるのである。
21 さて、信仰についてわたしがすでに語ったように、①信仰とは物事を完全に知ることではない。したがって、もし信仰があれば、あなたがたはまだ②見ていない真実のことを③待ち望むのである。
22 さて見よ、あなたがたに言う。このことを覚えておいてほしい。それは、神は御自分の御名を信じるすべての人に憐れみをかけられるということである。したがって、神はまず初めに、あなたがたが、まことに神の御言葉を信じることを望んでおられる。
23 さて、神は天使によって、人々に、まことに①男ばかりでなく女にも御自分の御言葉を伝えられる。それだけではない。知者や学者を辱める御言葉が、これまで何度も②幼い子供に与えられてきた。
24 さて、わたしの愛する同胞よ、あなたがたは今、苦しめられ、追い出されているので、どうすればよいかわたしから聞いて知りたいと望んでいる。ところで、わたしは事実によってだけあなたがたのことを判断しようとしていると思われたくない。
25 つまり、あなたがた全員がやむを得ずへりくだっているのではないということである。どのような境遇にあっても進んでへりくだろうとする人々が、あなたがたの中に何人もいることを、わたしは確かに信じているからである。
26 さて、信仰についてわたしが言ったように、信仰とは完全に知ることではない。わたしの言葉についてもそのとおりである。信仰が完全に知ることではないのと同じように、あなたがたはわたしの言葉が確かであることも最初から完全に知ることはできない。
27 しかし見よ、もしあなたがたが目を覚まし、能力を尽くしてわたしの言葉を試し、ごくわずかな信仰でも働かせようとするならば、たとえ①信じようとする望みを持つだけでもよい。わたしの言葉の一部分でも受け入れることができるほどの信仰になるまで、その望みを育ててゆけ。
28 さて、御言葉を一つの①種にたとえてみよう。さて、もしあなたがたが②心の中に場所を設けて、③種をそこに植えるようにするならば、見よ、それがほんとうの種、すなわち良い種であり、またあなたがたが主の御霊に逆らおうとする④不信仰によってそれを捨てるようなことがなければ、見よ、その種はあなたがたの心の中でふくらみ始めるであろう。そして、あなたがたは種がふくらみつつあるのを感じると、心の中で次のように思うであろう。『これは良い種、すなわち御言葉は良いものに違いない。これはわたしの心を広げ、わたしの⑤理解力に光を注ぎ、まことに、それはわたしに良い気持ちを与え始めている。』
29 さて見よ、これによってあなたがたの信仰は増さないであろうか。わたしはあなたがたに言う。信仰は増す、と。にもかかわらず、まだ完全に知るというところまでは行かない。
30 しかし見よ、その種がふくらんで芽を出し、生長し始めると、あなたがたはその種を良いものであると思うに違いない。見よ、それがふくらんで芽を出し、生長しているからである。さて見よ、これはあなたがたの信仰を強めないであろうか。まことに、それはあなたがたの信仰を強めるであろう。あなたがたは、『これは良い種であることが分かる』と言う。見よ、それが芽を出し、生長し始めているからである。
31 ところで見よ、あなたがたはこれが良い種であると確信しているであろうか。確信していると、わたしはあなたがたに言う。種はその種独自の①形を生じるからである。
32 したがって、もし種が芽を出して生長するならば、それは良い種である。しかし、芽を出さなければ、見よ、それは良い種ではないので捨てられる。
33 さて見よ、あなたがたはすでに試して種を植え、その種がふくらんで芽を出し、生長し始めているので、その種が良いものであることを知るに違いない。
34 さて見よ、あなたがたの①知識は完全であろうか。そのとおり、あなたがたの知識はそのことに関しては完全であるが、あなたがたの②信仰は眠ったままである。この理由はあなたがたが知っている。というのは、あなたがたは、御言葉があなたがたの心を高めたのを知っており、またあなたがたは、それがすでに芽を出し、あなたがたの理解力に光が注がれ、あなたがたの③心が広がり始めているのを知っているからである。
35 おお、それならば、このことはほんとうではないだろうか。わたしはあなたがたに言う。確かにほんとうである、と。なぜなら、それは①光だからである。光は何であろうと善である。というのは、そのように見分けがつくからであり、こうしてあなたがたは、それが善であることを必ず知るようになる。さて見よ、この光を経験した後、あなたがたの知識は完全であろうか。
36 見よ、そうでないとあなたがたに言おう。あなたがたは自分の信仰を捨ててはならない。あなたがたは、種が良いものかどうかを知ろうとして、ただ信仰を働かせてその種を植えてみただけだからである。
37 そして見よ、木が生長し始めると、あなたがたは、『この木が根付き、生長し、わたしたちのために実を結ぶように、十分に注意して養いを与えよう』と言うであろう。さて見よ、あなたがたが十分に注意して養いを与えれば、それは根付き、生長し、実を結ぶであろう。
38 しかし、もしあなたがたがその木に①構わず、養い育てることに心を配らなければ、見よ、それが根付くことはないであろう。そして、太陽の暑さが及んでその木を熱すると、その木はまったく根がないので枯れてしまうであろう。そこであなたがたは、その木を抜いて捨てる。
39 さてこれは、種が良くなかったからでもなければ、実が好ましいものでなかったからでもない。ただ、あなたがたの①土地がやせているためである。あなたがたがその木に養いを与えようとしないので、実を得ることができないのである。
40 このように、もし信仰の目をもって実を期待しながら御言葉を養おうとしなければ、あなたがたは決して①命の木の実を得ることができない。
41 しかし、あなたがたが御言葉に養いを与えようとすれば、つまり、その木が生長を始めるときに、非常な熱意と、①忍耐を伴う信仰を働かせてその実を期待しながら養いを与えようとすれば、それは根付くであろう。そして見よ、それは②生長して永遠の命をもたらす木になるであろう。
42 あなたがたは、御言葉が自分の中に根付くように、①熱意と信仰と忍耐をもってそれを養うので、見よ、やがてその②実を得るであろう。その実は最も価値があり、どんな甘いものよりも甘く、どんな白いものよりも白く、どんな清いものよりも清い。また、あなたがたは満ち足りるまでその実を食べて、もう飢えることも、渇くこともないであろう。
43 それで、わたしの同胞よ、そのときにあなたがたは、その木があなたがたのために実を結ぶのを待ちながら示した、あなたがたの信仰と熱意と忍耐と寛容の報いを刈り入れるのである。」