1 さて、さばきつかさの統治第四十三年には、ニーファイの民の中にまったく争いがなかった。ただ教会員の中に少し高慢があり、それが民の中に多少の不和を引き起こしたが、第四十三年の終わりにはその問題は解決した。
2 また、第四十四年には民の中にまったく争いがなく、第四十五年にもひどい争いはなかった。
3 さて、第四十六年には、ひどい争いと多くの離反があった。そのために、ゼラヘムラの地を去り、①北方の地へ行ってそこに住もうとした者が非常に大勢いた。
4 彼らは非常に遠くまで旅をし、幾つもの①大きな湖沼と多くの川のある所に着いた。
5 そして、彼らはその地の全域に広がった。以前にその地に住んでいた多くの者のために荒らされておらず、樹木もなくなっていない方々の地方に広がった。
6 その地はどこも樹木のほかは少しも荒れていなかった。しかし、前にその地に住んでいた人々の①滅亡がひどかったので、②荒れ果てた地と呼ばれた。
7 その地の面には樹木がほとんどなかったので、そこへやって来た人々はセメントの工事が非常に上手になった。そこで彼らは、セメント造りの家を建てて住んだ。
8 そして彼らは増え、広がり、南方の地から北方の地へ移り、広がったので、南の海から北の海まで、①西の海から東の海まで、全地の面を覆い始めた。
9 北方の地にいた人々は天幕やセメント造りの家に住んでいた。そして彼らは、その地の面に生える木はどんなものでも育てるようにして、将来材木を得て自分たちの家を建てられるように、まことに自分たちの町を築き、自分たちの神殿や会堂、聖堂、そのほかあらゆる建物を建てられるようにした。
10 そして、北方の地には材木が非常に乏しかったので、南方の地の人々は①船で多くの材木を送った。
11 このようにして、彼らは北方の地の人々が、多くの町を木とセメントの両方で建設できるようにした。
12 そして、生まれがレーマン人であった①アンモンの民も、多くの者がこの地に移った。
13 ところで、この民の多くの者がこの民の行ってきたことを書き続けてたくさんの記録を残しており、その記録は詳細で非常に大部である。
14 しかし見よ、この民が行ってきたことの百分の一も、本書に載せることができない。すなわち、レーマン人についての話とニーファイ人についての話、彼らの戦争と争いと不和、宣教と預言、海運と船の建造、①神殿と会堂と聖堂の建設、義と悪、殺人と強盗と略奪、あらゆる忌まわしい行いとみだらな行い、これらについての話の百分の一も載せることはできない。
15 しかし見よ、多くの書とあらゆる多くの記録がある。これらはおもにニーファイ人が書き記してきたものである。
16 そして、ニーファイ人が戒めに背き、殺され、略奪され、狩り出され、追い出され、虐殺され、地の面に散らされ、レーマン人と交じってもはやニーファイ人と①呼ばれなくなり、邪悪で野蛮で残忍になり、まことにレーマン人になってしまうまで、これらはニーファイ人によって代々②伝えられてきた。
17 さて、わたしの話に戻ろう。わたしがこれまで述べてきたことは、ニーファイの民の中にひどい争い、騒動、内戦、不和があった後に起こったことである。
18 さばきつかさの統治第四十六年が終わった。
19 そして、この地にはなお、第四十七年にも、第四十八年にもひどい争いがあった。
20 それでもヒラマンは、公正と公平をもってさばきつかさの職を務めた。まことに彼は、神の掟と裁決と戒めを守るように努めた。そして、引き続き神の目から見て正しいことを行った。また彼は、自分の父の道を歩んだので、この地で栄えた。
21 さて、彼には二人の息子がおり、兄に①ニーファイという名を付け、弟に②リーハイという名を付けた。そして、二人は成長して主の役に立つようになった。
22 そして、ニーファイの民のさばきつかさの統治第四十八年の末には、ニーファイ人の民の中の内戦と争いは多少収まり始めた。
23 さて、さばきつかさの統治第四十九年には、秘密結社を別にして、国内は引き続き平和が確立されていた。強盗の①ガデアントンは、人々が住んでいる地域の大半ですでにこの秘密結社を設けていたが、当時この秘密結社は、政府の指導的な立場にある人々には知られていなかったので、この国から駆逐されていなかった。
24 そして、この同じ年に、教会は非常に大きな発展を遂げ、数千人が教会に加わって悔い改めのためのバプテスマを受けた。
25 教会の発展は著しく、また人々に注がれた祝福はとても多く、大祭司たちや教師たちでさえ非常に驚いたほどであった。
26 そして、主の業は発展し、バプテスマを受けて神の教会に加わった人は多く、まことに数万人に及んだ。
27 これによって分かるように、主は、真心から主の聖なる名を呼ぼうとするすべての人に憐れみをかけられる。
28 まことに、これによって分かるように、①天の門は②すべての人に、言い換えれば、神の御子イエス・キリストの名を信じようとする人々に開かれているのである。
29 まことに、望む者はだれでも、①神の言葉を手に入れることができるということも、わたしたちに分かるのである。この神の言葉は②生きていて力があり、悪魔の悪知恵とわなと策略をことごとく断つ。また、悪人をのみ込むために備えられている、あの不幸の永遠の③淵を横切る細くて④狭い道にあって、キリストの人を導き、
30 また彼らを、まことに彼らの不滅の霊を天の王国におられる神の①右に至らせ、もはや外に出されることなく、アブラハム、イサク、ヤコブ、およびわたしたちのすべての聖なる先祖とともに座に着かせるものである。
31 この年には、ゼラヘムラの地と周辺のすべての地方、まことにニーファイ人が所有していた全地に引き続き喜びがあった。
32 そして、第四十九年の残りの期間は平和であり、非常に大きな喜びがあった。また、さばきつかさの統治第五十年も引き続き平和であり、大きな喜びがあった。
33 さばきつかさの統治第五十一年も、教会の中に入り込んできた高慢を別にすれば、平和であった。教会の中に入り込んできたと言ったが、神の教会の中ではなく、神の教会に属していると公言する人々の心の中に入り込んできたのである。
34 そして彼らは①高慢になり、多くの兄弟たちを迫害するようになった。これは大きな悪であり、このために彼らよりも謙遜な人々はひどい迫害を受け、多くの苦難を踏み越えなければならなかった。
35 それでも彼らは、しばしば①断食して②祈り、ますます③謙遜になり、ますますキリストを信じる信仰を確固としたものにしたので、喜びと慰めで満たされ、まことに④清められ、心の⑤聖めを受けた。この聖めは、彼らが心を神に⑥従わせたために受けたのである。
36 そして、第五十二年も平穏に終わったが、民の心の中には大変にひどい高慢が入り込んでいた。それは彼らが非常に豊かに①富み、その地で栄えていたためであり、それは日に日に募ってきた。
37 さて、さばきつかさの統治第五十三年にヒラマンが死んで、彼の長男ニーファイが彼に代わって治め始めた。彼は公正と公平をもってさばきつかさの職を務め、まことに、神の戒めを守り、自分の父の道を歩んだ。