1 ①末日聖徒イエス・キリスト教会の②起こりと発展に関して、たちが悪く腹黒い人々によって、多くのうわさが広められてきた。これらすべてのうわさは、その扇動者たちがこの教会の教会としての名声と世における発展とを損なおうと企てたものである。そのために、わたしはこの歴史を書くに至った。それは、世間の考えを正すためであり、また、真相を知ろうとするすべての人に、わたしが事実を知っている範囲で、わたし自身と教会の両方に関してその事実を起こったとおりに知らせるためである。
2 この歴史の中で、わたしは、真実かつ公正にこの教会に関する様々な出来事を、それらが起こったとおりに、あるいは現在あるとおりに述べよう。今や、この教会が①組織されて八年目〔千八百三十八年〕である。
3 ①わたしは主の千八百五年十二月二十三日に、バーモント州ウィンザー郡シャロンの町で生まれた。……わたしの父②ジョセフ・スミス・シニアはバーモント州を去って、ニューヨーク州オンタリオ郡(現在のウェイン郡)パルマイラに移り住んだ。当時、わたしは十歳くらいであった。父はパルマイラに着いてから約四年たって、家族とともに、同じオンタリオ郡内のマンチェスターに移った。
4 家族は十一人から成っていた。それは、父①ジョセフ・スミス、母②ルーシー・スミス(母の結婚前の姓はマックといい、ソロモン・マックの娘であった)、兄弟たち、すなわち③アルビン(千八百二十三年十一月十九日、二十五歳で死去)、④ハイラム、わたし自身、⑤サミュエル・ハリソン、ウィリアム、ドン・カーロス、それに姉妹たち、すなわちソフロニア、キャサリン、およびルーシーであった。
5 マンチェスターに移り住んでから二年目のあるとき、わたしたちが住んでいた地域に宗教に関する異常な騒ぎがあった。それはメソジスト教徒から始まったが、間もなく広くその地域内のすべての教派に及んだ。 実に、その地方全体がそれに影響されたようであった。そして、大勢の群衆が様々な教派に加わり、それが人々の間にただならぬ騒ぎと分裂を引き起こした。「①見よ、ここだ」と叫ぶ人がいれば、「見よ、そこだ」と叫ぶ人もいた。ある人はメソジスト派の教えを、ある人は長老派の教えを、またある人はバプテスト派の教えを擁護して論争していた。
6 これら様々な教派に転じた改宗者たちは、改宗のときに深い愛を表明し、また、この尋常でない宗教的感情の場面を引き起こし助長するのに深くかかわった牧師たちは、すべての人を改心させるために、どこでも自分の好む教派に加わりなさいと言って、大いなる熱意を表した。にもかかわらず、改宗者たちのある人々はある教派、またある人々は別の教派というように所属が定まり始めると、牧師たちと改宗者たちの好ましく見えた感情は、真実ではなく偽りであるように思われた。牧師が牧師と、改宗者が改宗者と言い争うひどい混乱と悪感情の場面がこれに続き、その結果、すべてお互いの好感情は、もしかつて幾らかでもそのようなものがあったとしても、今は言葉の①争いと見解についての論争ですっかり失われてしまったからである。
7 わたしは当時十四歳であった。父の家族は長老派の教えを受け入れ、そのうちの四人、すなわち母のルーシー、兄弟のハイラムとサミュエル・ハリソン、および姉のソフロニアがその教会に加入した。
8 このひどい騒ぎの間、わたしは心の中で深く考えさせられ、大きな不安を感じないではいられなかった。しかし、わたしの気持ちに深く、またしばしば痛烈に感じるものがあったにもかかわらず、なおわたしはこれらすべての教派から遠ざかっていた。それでも、機会があるごとに、彼らのいろいろな集まりには出席した。そうするうちに、わたしの心はややメソジスト派に傾き、彼らに加わりたいとかなり望むようになった。しかし、様々な教派間の混乱と争いが非常に激しかったので、わたしのように若く、世間のことを知らない者にとって、だれが正しく、だれが間違っているか、確かな結論を出すことは不可能であった。
9 わたしの心は時々ひどくかき乱され、叫び声と騒ぎの渦は熾烈なもので絶えることがなかった。長老派の人々は、バプテスト派の人々とメソジスト派の人々に断固反対し、あらんかぎりの理屈と詭弁の力を用いて彼らの誤りを立証しよう、あるいは少なくとも彼らは誤っていると人々に思わせようとした。他方、バプテスト派の人々とメソジスト派の人々は、彼らは彼らで、同じくらい熱心に、彼ら自身の教義を確立して他がことごとく誤っていることを立証しようと努めた。
10 この言葉の争いと見解の騒動の渦のただ中にあって、わたしはしばしば心に問うた。「何をしなければならないのだろうか。これらすべての教派のうちのどれが①正しいのだろうか。それとも、ことごとく間違っているのだろうか。もし彼らのうちのどれかが正しいとすれば、それはどれで、どうすればそれが分かるのだろうか。」
11 これら宗教家たちの論争によって引き起こされた、極度に難しい事情の下で苦しんでいたある日のこと、わたしは、ヤコブの手紙第一章五節を読んでいた。「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」
12 この聖句が、このとき、かつて人の心に力を与えたいかなる聖句にも勝って、わたしの心に力強く迫って来たのであった。それはわたしの心の隅々に大きな力で入り込んで来るように思われた。もしだれか神からの知恵を必要とする者がいるとすれば、それは自分であることを悟って、わたしはこの言葉を再三再四思い巡らした。なぜならば、わたしはどうしてよいか分からず、また自分がそのときに持っていた知恵よりも深い知恵を得られなければ、どのように行うべきかまったく分からなかったからである。それというのも、様々な教派の教師たちは同じ聖句を異なって①解釈し、その結果、『②聖書』に訴えて疑問を解決することへの信頼をすべて打ち砕いてしまっていたからである。
13 とうとうわたしは、暗闇と混乱の中にとどまるか、それともヤコブが指示しているとおりに行うか、すなわち神に願い求めるか、どちらかにしなければならないという結論を出すに至った。わたしはついに「①神に願い求め」ようと決意した。もし神が知恵に不足している者に知恵を与え、しかもとがめもせずに惜しみなく与えてくださるならば、思い切って願い求めてみるべきだと結論づけたのである。
14 そこで、神に願い求めるというこの決心に従って、わたしはこれを実行するために人目を避けて森に入って行った。それは千八百二十年の早春、美しい晴れた日の朝のことであった。わたしがこのようなことを行おうとしたのは、生涯で初めてであった。わたしは不安のまっただ中にあっても、声に出して①祈ろうとしたことはまだ一度もなかったからである。
15 わたしは前もって決めておいた場所に人目を避けて行き、辺りを見回し、自分一人であることを確かめると、ひざまずいて、心の願いを神に告げ始めた。わたしがそうし始めるやいなや、すぐにわたしは何かの力に捕らえられた。その力は完全にわたしを圧倒し、わたしの舌をしびれさせるほどの驚くべき力を振るったので、わたしは物を言うこともできなかった。深い闇がわたしの周囲に集まり、一時はあたかも突然の滅びを宣告されたかのように思われた。
16 しかし、わたしは自分を捕らえたこの敵の力から救い出してくださるようにと、あらんかぎりの力を尽くして神に①呼び求めた。すると、わたしが今にも絶望し、破滅に身を任せようとしたその瞬間、すなわち想像上の破滅ではなく、目に見えない世界から来た実在する何者かの力、わたしがこれまでいかなる者にも一度も感じたことのないほどの驚くべき力を持った者の力に身を任せようとした瞬間、この非常な恐怖の瞬間に、わたしは自分の真上に、②太陽の輝きにも勝って輝いている③光の柱を見た。そして、その光の柱は次第に降りて来て、光はついにわたしに降り注いだ。
17 それが現れるやいなや、わたしはわが身を縛った敵から救い出されたのに気づいた。そして、その光がわたしの上にとどまったとき、わたしは筆紙に尽くし難い輝きと①栄光を持つ②二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを③見た。すると、そのうちの御一方がわたしに語りかけ、わたしの名を呼び、別の御方を指して、「これはわたしの④愛する⑤子である。彼に聞きなさい」と言われた。
18 わたしが主に①お伺いしようとした目的は、自分が加わるべき教派を知るために、すべての教派のうちのどれが正しいかを知ることであった。そこで、わたしは我に返って物を言えるようになるやいなや、わたしの真上で光の中に立っておられた方々に、すべての教派のうちのどれが正しいか(当時は、すべての教派が間違っているということなど、わたしの心に思い浮かびもしなかったからである)、また自分はどれに加わるべきかを伺った。
19 すると、それらのどれにも加わってはならない、すべて①間違っているからである、とのお答えであった。また、わたしに話しかけられた御方は、彼らの信条はことごとくその目に忌まわしいものであり、信仰を告白するそれらの者たちはすべて腐敗しており、「彼らは唇をもってわたしに②近づくが、その③心はわたしから遠く離れている。彼らは人の④戒めを教義として教え、⑤神を敬うさまをするけれども神の力を否定している」と言われた。
20 その御方は再びわたしに、それらのどれにも加わることを禁じられた。また、ほかにも多くのことをわたしに言われたが、今はそれを書くことができない。わたしは再び我に返ると、自分が天を見上げて仰向けに横たわっているのに気づいた。光が去った後、わたしには力がなかった。しかし、間もなくある程度力を取り戻したので、家に帰った。そして、暖炉に寄りかかっていると、母がどうしたのかと尋ねた。そこでわたしは、「何でもありません。大丈夫です。元気です」と答えた。それから、わたしは母に、「長老派の教えは真実でないことが自分で分かりました」と言った。①敵対する者が、わたしの生涯のきわめて早い時期に、わたしが彼の王国を妨げ悩ます者になると定められていたことに気づいたかのように思われる。そうでなければ、どうして闇の力がわたしに敵対して連合したのであろうか。どうしてわたしがまだ幼いときに、わたしに対して②反対と迫害が起こったのか。
21 わたしはこの①示現を受けてから数日後、前に述べた宗教上の騒ぎの中で盛んに活動をしていたメソジスト派の説教者の一人とたまたま一緒になった。そして、宗教のことについて彼と語るうちに、わたしは、その機会をとらえて、自分の受けた示現の話をした。ところが、わたしは彼の振る舞いにひどく驚いた。彼はわたしの話を軽くあしらっただけでなく、ひどく軽蔑した調子で、それはすべて悪魔から出たものであって、この時代に②示現や③啓示のようなものはなく、そのようなものはすべて使徒たちで終わっており、今後決してそのようなものはない、と言った。
22 しかし、それから間もなく、わたしがその話をしたことが、信仰を告白する人々の間にわたしに対する大きな偏見を引き起こし、ひどい①迫害の原因となったことを、わたしは知った。そして、迫害は増し続けた。わたしはたかが十四、五歳の名もない少年であり、生活の状況からいっても世の人々の中で②取るに足りない少年であったにもかかわらず、地位のある人々はわたしに目を留めて、一般の人々の心をわたしに敵対するようにあおり、激しい迫害を引き起こそうとしたのである。これはすべての教派に共通したことで、すべてが連合してわたしを迫害したのであった。
23 当時、真剣に考えさせられ、またそれ以来しばしば考えさせられてきたことであるが、十四歳を少し超えたばかりの名もない少年、それも日々の労働によってわずかな生活費を得なければならない定めに置かれた少年が、当時最も評判の良い教派に属する偉い方々の注意を引き、最も激しい迫害と悪口雑言を浴びせようとする思いを彼らの心中に起こすほどの重要人物と思われようとは、何とも不思議なことである。しかし、不思議であろうとなかろうと、それは事実であり、しばしばわたし自身にとってひどい悲しみの種となった。
24 しかしながら、それでもわたしが示現を見たことは事実であった。わたしはそれ以来、自分は①パウロによく似た心境であると思ってきた。彼はアグリッパ王の前で②弁明し、自分が示現を受けて光を見、声を聞いたことを話した。それでもなお、彼を信じた者はほとんどなかった。ある者たちは彼は不正直だと言い、ほかの者たちは彼は気が狂っていると言った。そして、彼はあざけられ、ののしられた。しかし、すべてこのことも、彼が示現を受けたという事実を損なうことはなかった。彼は示現を見た。彼はそのことを知っており、天の下のあらゆる迫害も、その事実を変えることはできなかった。たとえ迫害されて死に至ろうとも、それでも彼は、自分が光を見、自分に語りかける声を聞いたことを知っていたのであり、最後の一息まで知っていたことだろう。全世界も、彼にそうでないと考えさせ、信じさせることはできなかった。
25 わたしについても同じであった。わたしは実際に光を見た。その光の中に二人の①御方を見た。そして、その方々が実際にわたしに語りかけられたのである。たとえ示現を見たと言ったことで憎まれ、迫害されたとしても、それは真実であった。そして、そのように言ったことで、人々がわたしを迫害し、わたしをののしり、わたしに対して不当にあらゆる悪口を浴びせているとき、わたしはこのように心の中で言うようになった。「真実を告げたことで、なぜわたしを迫害するのか。わたしは実際に示現を見た。どうしてわたしは神に逆らえようか。なぜ世の人々はわたしが実際に見たものを否定させようとするのか。」わたしは示現を見た。わたしはそれを知っていた。神がそれを御存じであるのを、わたしは知っていた。わたしはそれを②否定できず、またそうする勇気もなかった。少なくともわたしは、そのようにすれば自分が神に対して罪を犯し、罪の宣告を受けるということを知っていた。
26 教派社会に関するかぎり、わたしは今や心に満足を得ていた。すなわち、それらのどれにも加わる義務はなく、次の指示があるまでそのままでいればよかったのである。わたしは①ヤコブの証が真実であることを知った。すなわち、知恵に不足している者は神に願い求めることができ、そうすればとがめを受けることなく知恵を得られる、と。
27 わたしは千八百二十三年九月二十一日まで、この世の普通の仕事に従事していた。その間ずっと、宗教心のある人か宗教心のない人かを問わず、あらゆる階級の人々から容赦のない迫害を受けていた。わたしが示現を見たことを断言し続けたからである。
28 示現を受けたときから千八百二十三年までの間、わたしは当時のどの教派にも加わることを禁じられており、非常に未熟な年齢でもあって、本来ならばわたしの友となり、わたしを優しく扱い、もしもわたしが惑わされていると思ったならば、適切な愛情に満ちた方法でわたしを改心させるように努めて当然であった人々によって迫害されたため、わたしはあらゆる①誘惑を受けるに任された。また、わたしはいろいろな人々と交わって、しばしば多くの愚かな誤りを犯し、若者としての弱さと人間性の至らなさを示した。遺憾ながら、このために神の目にかなわない様々な誘惑に誘い込まれた。この告白をしたからといって、わたしが何か大きな罪、すなわち憎むべき罪を犯したと思うには及ばない。このような罪を犯す性質など、決してわたしにはなかった。しかし、わたしは軽率な行動をし、時には陽気な仲間と交わるなどして、わたしのように神から②召された者が当然保つべき性格に一致しない行動をした。しかし、わたしの若いころを思い出し、わたしの生来の陽気な気質を知っている人には、このことはそれほど不思議には思われないであろう。
29 これらのことの結果、わたしはしばしば自分の弱さと不完全さのゆえにとがめを感じた。そして、前に述べた九月二十一日の夜のことである。わたしはその夜、床に就いた後、全能の神に、わたしのすべての罪と愚かな行いを赦してくださるように、また神の前における自分の状態と立場を知るために示しを下さるように、①祈って嘆願した。以前に受けたように、神の示しを頂けるという十分な確信があったからである。
30 わたしはこのように神に呼び求めていたとき、室内に光が現れたのに気づいた。その光は次第に明るさを増し、ついにその部屋は真昼の時よりも明るくなった。すると、すぐに①一人の方がわたしの寝台の傍らに現れ、空中に立たれた。というのは、その足が床から離れていたからである。
31 その方はこの上なく美しい①白さの、ゆったりとした衣を着ておられた。それは、わたしがこれまで見たこの世のいかなるものにも勝る白さであった。この世のいかなるものも、これほど白く輝いて見えるようにすることはできないと思う。その方の手はあらわで、衣の袖は手首の少し上までで、その足もあらわで、衣の裾は足首の少し上までしかなかった。その頭と首も覆われていなかった。その方の胸が見えるほど衣がゆったりとしていたので、わたしはその方がその衣のほか何も着ておられないのに気づいた。
32 その衣が非常に白かっただけでなく、その全身も筆紙に尽くし難い①輝きに満ち、その顔はまことに②稲妻のようであった。部屋は非常に明るかったが、その方のすぐ周りほど明るくはなかった。わたしは最初にその方を見たときに③恐れたが、その恐れはすぐに去った。
33 その方はわたしの①名を呼び、自分は神の前から遣わされた使者であること、その名はモロナイであること、神がわたしのなすべき業を備えておられること、またわたしの名が良くも悪くもすべての国民、部族、国語の民の中で覚えられること、すなわち、良くも悪くもすべての民の中で語られることをわたしに告げられた。
34 その方はまた、この大陸の先住民の話と彼らの起源を伝える、①金版に記された②書が隠されていることも告げられた。また、それには救い主がその昔の住民に述べられたままに③完全な永遠の福音が載っていることも告げられた。
35 また、銀のつるにはめた二つの石も版とともに隠されていること――これらの石は①胸当てに付けてあって、②ウリムとトンミムと呼ばれるものを成す――これらの石を所有して使った者が昔すなわち前の時代の③「聖見者」となったこと、ならびにその書を翻訳するために神がそれらを備えてくださったことを、その方は告げられた。
36 その方はこれらのことをわたしに告げられた後、①『旧約聖書』の預言を引用し始められた。最初に②マラキ書の第三章の一部を引用し、またわたしたちの『聖書』に言われているのとは少し異なるが、同じ預言の第四章、すなわち最後の章も引用された。わたしたちの『聖書』にあるとおりに第一節を引用する代わりに、次のように引用された。
37 「見よ、炉のように①燃える②日が来る。すべて高ぶる者と悪を行う者は、③わらのように燃える。やがて来る者たちが彼らを焼き尽くして、根も枝も残さない、と万軍の主は 言う。」
38 さらにまた、その方は第五節を次のように引用された。「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者①エリヤの手によってあなたがたに②神権を現そう。」
39 また、その次の節を言葉を違えて引用された。「彼は先祖に与えられた①約束を子孫の心に植え、子孫の心はその先祖に②向かうであろう。そうでなければ、主の来臨の時に、全地はことごとく荒廃するであろう。」
40 これらに加えて、その方はイザヤ書の第十一章を引用し、それはまさに成就しようとしていると言われた。また、使徒行伝第三章二十二、二十三節も、まさにわたしたちの『新約聖書』にあるとおりに引用された。その方は、その①預言者とはキリストのことである、しかし、「彼の声を聞こうとしない者は民の中から②絶たれるであろう」というその日はまだ来ていないが、間もなく来る、と言われた。
41 その方はまた、①ヨエル書の第二章も第二十八節から最後まで引用された。そして、これはまだ成就していないが、間もなく成就する、と言われた。さらに、②異邦人が満ちみちる恵みにあずかる時代が間もなく来ることを告げられた。その方はほかにも多くの聖句を引用し、多くの説き明かしをされたが、ここで述べることはできない。
42 さらに、わたしがその方の語ったその版を受け取るとき――というのは、それを手に入れる時はまだ来ていなかったからである――その版や、ウリムとトンミムの付いた胸当てを、それらを見せるように命じられた人々のほかにはだれにも見せてはならない、もしも見せたならば滅ぼされる、とその方はわたしに告げられた。その方が版についてわたしと語っておられる間に、わたしの①心に示現が開かれ、わたしはその版の隠されている場所を見ることができた。そして、それは非常に明瞭ではっきりとしていたので、そこを訪れたときにはその場所が分かった。
43 この指示を受けた後、わたしが見ると、室内の光はたちまち、わたしに語っておられたその方の周りに集まり始めた。そして、光は集まり続け、その方のすぐ周りを除いてついにその部屋は再び暗くなった。その途端に、わたしが見ると、あたかも一筋の道が天に向かってまっすぐに開いたかのようで、その方は昇って行かれ、ついにその姿がまったく見えなくなった。そして、その部屋は、この天の光が現れる前の状態に戻った。
44 わたしはその奇異な有様をつくづくと考え、またこの常ならぬ使者によって告げられたことを不思議に思いながら横になっていた。このように①思いにふけっている最中に、わたしは、突然部屋が再び明るくなり始めたのに気づいた。そして、あたかも突然であるかのように、同じ天の使者が再びわたしの寝台の傍らにおられた。
45 その方は語り始め、最初に訪れたときに述べたこととまったく同じことを少しも変えずに再び述べられた。それを述べた後、飢饉と戦争と疫病によるひどい荒廃を伴って地上に来ようとしている大きな裁きについてわたしに告げ、またこれらの厳しい裁きがこの時代に地上に来ることを告げられた。これらのことを述べた後、その方は再び前と同じように昇って行かれた。
46 このときには、心に受けた印象が非常に深かったので、わたしは目がさえて眠れなくなっており、見たり聞いたりしたことへの驚きに圧倒されて横になっていた。ところが何とも驚いたことに、わたしはまたもや寝台の傍らに同じ使者を見、その方が前と同じことをわたしに詳しく語られるのを、すなわち、再び繰り返し語られるのを聞いたのである。そして、その方はわたしに一つの警告を加え、(父の家族は貧しい暮らしをしていたので)金持ちになるために版を手に入れるように、①サタンがわたしを②誘惑しようとするであろうと告げられた。そしてその方は、このようなことのないようにわたしに命じ、版を手に入れるに当たっては神の栄光を現す以外の目的を心に抱いてはならないこと、また神の王国を築こうとする③動機以外のいかなる動機にも左右されてはならないこと、そうでなければそれを手に入れることはできないことを告げられた。
47 この三度目の訪れの後、その方は前のようにまた天に昇って行かれた。そして、わたしはたった今経験したことの不思議さをまた深く考え続けた。その天の使者が三度目にわたしを離れて昇って行かれたのとほとんど同時に、鶏が鳴いたので、わたしは夜明けの近いことを知った。したがって、わたしは一晩中その使者と会見していたことになる。
48 わたしはその後間もなく起きて、いつものように、その日にしなければならない仕事に出かけた。しかし、わたしは普段のように働こうとしたが、まったく働けないほど疲れ果てているのを知った。わたしと一緒に働いていた父は、わたしの具合が悪いのに気づき、家に帰るように言った。そこで、わたしは家に帰ろうとして出かけた。しかし、囲いを越えて畑から出ようとしたときに、すっかり力を失ってぐったりと地に倒れ、しばらくの間まったく意識を失っていた。
49 わたしが思い出せる最初のことは、わたしの名を呼んで、わたしに語りかける声があったことである。見上げると、あの同じ使者が前のように光に包まれて、頭上に立っておられるのが見えた。それからその方は、前夜わたしに話したすべてのことを再びわたしに話し、①父のところへ行って、わたしが受けた示現と命令のことを告げるようにと命じられた。
50 わたしはそれに従い、畑にいた父のところへ戻って、父にすべてのことを詳しく告げた。すると、父はわたしに、それは神から出ていると答え、その使者から命じられたとおりにするように告げた。わたしは畑を去って、版が隠されていると使者から告げられた場所へ行った。すると、それに関して受けていた示現が明瞭であったので、そこに着くとすぐにその場所が分かった。
51 ニューヨーク州オンタリオ郡マンチェスターの村の近くに、かなりの大きさの①丘が一つある。そこはその界わい切っての高い丘である。この丘の頂上から遠くない西側の所にかなりの大きさの石があって、その石の下にあった石の箱の中に版が置かれていた。この石は厚みがあって、上部の中央が丸みを帯びており、へりに行くに従って薄くなっていたので、その中央部は地上に見えていたが、へりはすべて土に覆われていた。
52 わたしは土を取り除いて、てこを一本手に入れ、それをその石のへりの下に差し込んで、わずかな力でそれを持ち上げた。中をのぞき込むと、あの使者から言われたように、実際にそこに、①版と、②ウリムとトンミムと、③胸当てが見えた。それらが納められていた箱は、ある種のセメントの中に石を置いて造ったものである。箱の底には、横向きに二個の石が置かれ、その石の上に版とその他の物が一緒に載せられていた。
53 わたしはそれらを取り出そうとしたが、あの使者に止められた。そして、それらを出す時はまだ来ていないことを再び知らされた。また、そのときから四年たたないと、その時は来ないとのことであった。その方はわたしに、そのときからちょうど一年目にその場所に来るように、そうすれば彼がわたしに会ってくださること、また版を手に入れる時が来るまでわたしはそれを続けなければならないことを告げられた。
54 それで、わたしは命じられたとおりに、一年ごとにそこへ行き、その度にあの使者にお会いした。そして、お会いする度に、主が何を行おうとしておられるか、また終わりの時に主の①王国がどのように指導されるべきかに関して、その方から指示と知らせとを受けた。
55 わたしの父の暮らし向きは非常に窮屈であったので、わたしたちは必要に迫られて自分の手で働き、機会あるごとに日雇いの仕事やその他で雇われて働いた。わたしたちはあるときは家で働き、またあるときは外で働き、絶え間なく働くことで不自由のない生活をすることができた。
56 千八百二十三年に、父の家族は、わたしの長兄①アルビンの死によってひどい苦難に遭った。千八百二十五年十月に、わたしはニューヨーク州シェナンゴ郡に住むジョサイア・ストールという名の老紳士に雇われた。彼はペンシルベニア州サスケハナ郡ハーモニーでスペイン人によって開かれた銀山のことを聞き、わたしを雇い入れるに先立って、できればその銀山を発見しようとして試掘を行っていた。わたしが行って彼とともに生活するようになってから、彼はほかの使用人たちとともにわたしを伴って、その銀山を探す試掘に当たらせた。わたしはそこで一か月ほど働き続けたが、わたしたちの仕事はうまくいかなかった。それでついにわたしは、その老紳士を説き伏せてその試掘をやめさせた。このことから、わたしが山師であったという話が広く言われるようになったのである。
57 わたしはこのように雇われていた間、その地のアイザック・ヘイルという人の家に下宿していた。わたしが(ヘイル氏の娘である)わたしの妻①エマ・ヘイルに初めて会ったのは、そこでのことであった。千八百二十七年一月十八日、わたしがまだストール氏に雇われて働いていたときに、わたしたちは結婚した。
58 わたしが示現を見たと主張し続けたので、わたしに対する①迫害はなおも続き、妻の父の家族は、わたしたちが結婚することにひどく反対した。したがって、わたしは彼女をどこかよそに連れて行くほかなかった。それでわたしたちは出かけて行き、ニューヨーク州シェナンゴ郡サウスベインブリッジのタービル治安判事の家で結婚した。わたしは結婚後すぐに、ストール氏のもとを去り、わたしの父の家に帰って、その季節は父とともに農業に従事した。
59 ついに、版と、ウリムとトンミムと、胸当てを手に入れる時がやって来た。千八百二十七年九月二十二日、わたしがいつものように満一年目に、それらが隠されている所へ行くと、あの同じ天の使者が、それらを次の責任とともにわたしに渡してくださった。すなわち、わたしはそれらに対して責任を持たなければならない、もしわたしが不注意や自分の①怠慢でそれらを失うならば、わたしは絶たれるであろう、しかしその方、つまりその使者がそれらを取りに来られるまで、わたしがそれらを②保存するためあらゆる努力を尽くすならば、それらは守られる、というのであった。
60 わたしは間もなく、なぜそれらを安全に保つためにそのような厳しい責任を課せられたのか、またわたしが自分に求められたことを成し遂げたときにそれらを取りに来るとなぜ使者が言われたのか、その理由が分かった。わたしがそれらを持っていることが知れるやいなや、わたしからそれらを奪おうとするあらんかぎりの努力が払われたからである。そのために思いつくかぎりのあらゆる策略が実行に移された。迫害は以前にも増して激しく、容赦のないものとなり、大勢の人が、できればわたしからそれらを奪おうと絶えず機会をうかがった。しかし、わたしが求められたことをそれらによって成し遂げるまで、それらは神の知恵によって、わたしの手の中で無事であった。そして、前もって定められたとおり、使者がそれらを取りに来られたとき、わたしはそれらを使者に引き渡したのである。そして、千八百三十八年五月二日の今日まで、その使者がそれらを管理しておられる。
61 しかしながら、騒ぎはなおも続き、父の家族について、またわたし自身について偽りを言い広めるために、常におびただしいうわさが流された。もしわたしがその千分の一を述べたとしても、何冊もの本になるであろう。しかし、迫害が耐えられないほどになったので、わたしはやむを得ずマンチェスターを離れて、妻とともにペンシルベニア州サスケハナ郡へ行くことにした。わたしたちは非常に貧しく、迫害がひどいために貧しさから抜け出せず、苦難のただ中で出発の準備をしていたとき、①マーティン・ハリスという名の紳士と親しくなった。彼はわたしのところに来ると、わたしたちの旅の助けになるようにと五十ドルくれた。ハリス氏はニューヨーク州ウェイン郡パルマイラ町に住んでいる人で、社会的地位のある農場主であった。
62 この時宜にかなった援助によって、わたしはペンシルベニアの目的地に着くことができた。そしてそこに着くとすぐに、わたしは版から文字を写し取ることを始めた。わたしはかなりの文字を写し取り、①ウリムとトンミムによってそれらの多くを翻訳した。これを行ったのは、十二月に妻の父の家に着いてから翌年の二月までの間のことであった。
63 この二月のあるとき、前に述べたマーティン・ハリス氏がわたしたちのところにやって来て、わたしが版から書き取っておいた文字を取り、それを持ってニューヨーク市へ向かった。彼とその文字に関して起こった出来事については、彼が帰って来てわたしに語った彼自身の言葉をお伝えする。それは次のとおりであった。
64 「わたしはニューヨーク市へ行き、翻訳された文字をその翻訳とともに、文学上の学識があることで広く知られている一紳士、チャールズ・アンソン教授に披露した。するとアンソン教授は、この翻訳は正確であり、エジプト語から翻訳されたものでこれほど正確なのを見たことがないと述べた。その後、わたしがまだ翻訳されていないものを彼に見せたところ、彼は、それらはエジプト語、カルデア語、アッシリア語、およびアラビア語であると言った。また、それらはほんとうの文字であると言った。そして、それらが本当の文字であることと、それから翻訳されたものの翻訳も正確であることをパルマイラの人々に証明する証明書をわたしにくれた。そこで、わたしはその証明書を取ってポケットに入れ、まさにその家を去ろうとしたとき、アンソン氏はわたしを呼び返して、どうしてその青年は金版を見つけた場所にその金版のあることが分かったのかと尋ねた。そこでわたしは、神の天使が彼にそれを明らかにしたと答えた。
65 すると彼は、『その証明書を見せてください』とわたしに言った。それでわたしがポケットからそれを取り出して彼に渡すと、彼はそれを取って細かく破って、今どき①天使の働きのようなものなどないと言い、また、その版を持って来れば翻訳してあげようと言った。そこでわたしは、版の一部は②封じられており、持って来ることを禁じられていると告げた。すると彼は、『わたしは封じられた書を読むことはできない』と答えた。わたしは彼のもとを去り、ミッチェル博士のところへ行ったが、彼も文字と翻訳の両方に関してアンソン教授が言ったことを認めた。」
· · · · · · ·
66 千八百二十九年四月五日に、①オリバー・カウドリがわたしの家にやって来たが、わたしはそのときまで一度も彼に会ったことがなかった。彼はわたしの父が住んでいた所の近くの学校で教えており、わたしの父も子供をその学校に通わせていたので、一時期父の家に下宿していて、その間に家族から、わたしが版を受け取ったことについての詳しい事情を告げられ、それでわたしに尋ねるためにやって来たと言った。
67 カウドリ氏が到着して二日後(四月七日)に、わたしは『モルモン書』の翻訳に取りかかり、彼はわたしのために筆記し始めた。
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68 わたしたちはなおも翻訳の仕事を続けていたが、その翌月(千八百二十九年五月)のある日、わたしたちは、版の翻訳の中に述べられているのを見つけた①罪の赦しのための②バプテスマに関して主に祈って伺うために、森の中に入って行った。わたしたちがこのようにして祈って、主に呼び求めていたとき、天からの③使者が光の④雲の中を降って来られた。そして、その使者はわたしたちの上に⑤手を置き、次のように言ってわたしたちを⑥聖任された。
69 「わたしと同じ僕であるあなたがたに、メシヤの御名によって、わたしは①アロンの神権を授ける。これは天使の働きの鍵と、悔い改めの福音の鍵と、罪の赦しのために水に沈めるバプテスマの鍵を持つ。また、②レビの子らが再び義をもってささげ物を主にささげるまで、これは決して再び地上から取り去られることはないであろう。」
70 その方は、このアロン神権には①聖霊の賜物を授けるための按手をする力はないが、これは将来わたしたちに授けられると言われた。またその方は、行ってバプテスマを受けるようにわたしたちに命じ、わたしがオリバー・カウドリにバプテスマを施し、その後彼がわたしにバプテスマを施すようにと指示された。
71 それでわたしたちは行ってバプテスマを受けた。わたしがまず彼にバプテスマを施し、その後、彼がわたしにバプテスマを施した。それから、わたしが彼の頭に手を置いて、彼をアロン神権に聖任し、その後、彼がわたしに手を置いて、わたしを同じ神権に聖任した。そのようにわたしたちは命じられたからである。✽
72 このときわたしたちを訪れて、わたしたちにこの神権を授けてくださった使者は、自分の名はヨハネといい、『新約聖書』の中で①バプテスマのヨハネと呼ばれている者で、自分は②メルキゼデクの神権の③鍵を持つ④ペテロと⑤ヤコブと⑥ヨハネの指示の下に働いていると言われた。また、ふさわしいときにメルキゼデクの神権もわたしたちに授けられ、わたしは教会の第一の⑦長老と呼ばれ、彼(オリバー・カウドリ)は第二の長老と呼ばれる、と言われた。わたしたちがこの使者の手によって聖任され、バプテスマを受けたのは、千八百二十九年五月十五日のことであった。
73 わたしたちはバプテスマを受けて水から上がるとすぐに、天の御父からの大いなる栄光ある祝福を受けた。わたしがオリバー・カウドリにバプテスマを施すやいなや、①聖霊が彼に降られ、彼は立ち上がって、間もなく起こるはずの多くのことについて②預言した。さらにまた、わたしも彼によってバプテスマを受けるとすぐに、預言の霊を受けて立ち上がり、この教会の起こりと、教会に関連のあるその他の多くのことと、この時代の人の子らについて預言した。わたしたちは聖霊に満たされ、わたしたちの救いの神を喜びたたえた。
74 今やわたしたちの心に光が注がれ、わたしたちは聖文をはっきりと①理解できるようになってきた。より不明瞭な聖句の②正確な意味と意図が、以前に一度も経験することのできなかった方法で、あるいは以前に考えもしなかった方法でわたしたちに明らかにされたのである。しかし、すでに周りの地方に迫害の気運が現れていたので、しばらくの間、わたしたちは神権を受け、バプテスマを受けた事情を秘密にせざるを得なかった。
75 わたしたちは時々、暴徒に襲われるという脅威を加えられた。しかも、これが信仰を告白する人々によってであった。そして、わたしたちに暴行を加えようとする彼らの企ては、(神の摂理により)妻の父の家族の影響力によって何とかとどめられていた。妻の父の家族はわたしに好意的になっていて、暴徒に対抗し、わたしが何の妨げもなしに翻訳の仕事を続けられるようにすることをいとわなかった。それで彼らは、すべての不法行為から可能なかぎりわたしたちを守ると申し出て、それを約束してくれたのである。
オリバー・カウドリは、これらの出来事を次のように述べている。「これらの日々は、決して忘れられないものであった。天の霊感によって語られた声、この胸にこの上ない感謝の念を呼び起こした声の下に座していたのである。彼が『モルモン書』と呼ばれる歴史すなわち記録を、ウリムとトンミム、すなわちニーファイ人が『解訳器』と呼んだものを用いて翻訳するままに、わたしは、来る日も来る日も、彼の口から出る言葉を絶え間なく書き続けた。
モルモンとその忠実な息子モロナイが述べた、かつて天からの愛と恵みを受けた民についての興味深い話をわずか数語でもここに採り上げるのは、わたしが現在意図していることではない。したがって、これは将来に譲ることにして、わたしが序論の中で述べたように、この教会の起こりに直接に関係のある若干の出来事に直ちに移ることにしよう。偏屈者たちの渋面と偽善者たちの中傷のまっただ中を進み出て、キリストの福音を心から受け入れた幾千もの人々にとって、これらの出来事は快いことだろう。
『イエス・キリストの復活による明らかな良心』をもって申し開きをするために水の墓の中に葬られることによって、進んで物事に取り組む心を示したいと望むことなしには、だれも冷静な状態で、人が救い主の教会を築き上げる具体的な方法について救い主の口からニーファイ人に与えられた数々の指示を翻訳して書き記すことはできなかったであろう。腐敗が人々の間に見られるあらゆる形式と制度のうえに不確実性を広げている場合は、特にそうである。
この大陸におけるヤコブの子孫の残りの者に対する救い主の働きについて述べられた話をわたしが記した後、預言者がそのようになるであろうと言ったとおりに、暗闇が地を覆い、深い闇が人々の心を覆っているのを認めるのは容易なことであった。さらに深く考えると、宗教に関するひどい争いと騒ぎのまっただ中で、だれも福音の儀式を執行する神からの権能を持っていなかったことを認めるのも同じく容易であった。キリストの証が預言の霊にほかならず、キリストに従う民が地上にいたあらゆる時代に、キリストの宗教が直接の啓示によって基を置かれ、築かれ、支えられてきたことを考えると、啓示を否定する人々がキリストの名によって御業をつかさどる権能を持っているのだろうかと、疑問が起こるであろう。一度人々の前に現れることを許されるとその悪知恵が危険である人々によって、これらの事実が埋められ、注意深く隠されたとしても、これらがわたしたちに隠されることはもはやなかった。そしてわたしたちは、『立ってバプテスマを受けなさい』という命令が与えられるのをただ待っていたのである。
これは望んで間もなく実現した。憐れみに富んでおられ、へりくだった者の絶え間ない祈りにいつも快くこたえてくださる主は、わたしたちが人々の住まいから離れて熱烈に主に呼び求めたところ、わたしたちに御心を示してくださった。突如、永遠のただ中から来たかのように、贖い主の声がわたしたちに平安を告げられた。それと同時に、とばりが分けられ、神の天使が栄光をまとって降って来て、わたしたちが切に待ちこがれていた知らせを告げ、悔い改めの福音の鍵を渡してくださったのである。何という喜びであろう。何という驚異であろう。何という驚きであろう。世の人々が苦しみ、当惑していたときに――幾百万の人々が目の不自由な人のように壁を手探りしていたときに、また万人が一団となって不確実な状態にとどまっていたときに、『白昼の光』の中にいるように、まことにそれ以上に、そのとき自然界にその輝きを放っていた五月の陽光にも勝って、わたしたちの目は見、わたしたちの耳は聞いたのである。そのとき、その声は、優しいながらも心の底まで貫いた。そして、『わたしはあなたがたと同じ僕である』というその言葉は、すべての恐れを吹き飛ばした。わたしたちは耳を傾け、わたしたちは目を注ぎ、わたしたちは感嘆した。それは栄光からの天使の声であり、またそれはいと高き御方からの御告げであった。そして、わたしたちはそれを聞いて喜んだ。同時に、いと高き御方の愛はわたしたちの心に火をつけ、わたしたちは全能者の示現に包まれた。疑いの余地がどこにあろうか。どこにもない。不確実は消えうせ、疑いは没してもう姿を現すことはなかった。同時に、虚構と欺きも永久に消えうせたのである。
しかし、愛する兄弟よ、考えてみてほしい。さらにしばし考えてみてほしい。彼が、『わたしと同じ僕であるあなたがたに、メシヤの御名によって、わたしはこの神権とこの権能を授ける。これらは、レビの子らがやがて義をもってささげ物を主にささげるためにこの世にそのままあるであろう』と言われ、その手によってわたしたちが聖なる神権を受けたとき、どれほどの喜びがわたしたちの心を満たし、またどれほど驚いてわたしたちがひれ伏したかを。(このような祝福を受けてひざまずかない者がいるだろうか。)
わたしはこの心の感情や、このときにわたしたちを取り囲んだ荘厳な美と栄光を、あなたがたにありのまま描写しようとは思わない。しかし、地球や人は、時の雄弁さをもってしても、この聖なる方のように言葉を魅力的で荘厳な表現にできそうもない、とわたしが言えば、あなたがたは信じるであろう。そのようなことはできないのである。また、この地球には、喜びを与える力も、平安を授ける力も、聖なる御霊の力によって告げられたそれぞれの言葉に含まれる知恵を理解する力もないのである。人間は同じ人間を欺き、欺きは欺きに伴い、悪い者の子らは愚かで無知な者を従わせる力を持つかもしれない。こうして、ついに虚構だけが多くの人を養い、偽りの実は軽薄な者をその流れに乗せて墓場へと運ぶ。しかし、彼の愛の指に一度触れれば、まことに天界から一条の栄光があれば、あるいは救い主の口から、永遠の懐からの一言があれば、それはすべて取るに足りないものとなり、それは記憶から永久に消し去られてしまうのである。自分たちが天使の前にいるという確信、自分たちがイエスの声を聞いたという確実さ、ならびに神の御心によって語られた清い方から流れ出たままの汚れない真理は、わたしにとって筆紙に尽くし難い。そこでわたしは、この世にとどまることを許されている間は、この救い主の慈しみの表れをいつも驚嘆と感謝の念をもって見るであろう。完全さがあって罪が決して来ることのないあの住まいにおいて、わたしは決して終わりのないその日に神をあがめたいと思うのである。」――『メッセンジャー・アンド・アドボケイト』(Messenger and Advocate)第一巻(千八百三十四年十月)、十四―十六ページ。