「第13章:誘惑を拒むために目を覚ましている」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』
「第13章」『教え—トーマス・S・モンソン』
第13章
誘惑を拒むために目を覚ましている
「わたしたちはどのような誘惑も退ける力があり,行くべき道を決め,進むべき方向を選択することができます。」
トーマス・S・モンソンの生涯から
トーマス・S・モンソン大管長はしばしば,サタンの誘惑について警告の声を上げた。このテーマについて教える際に,トンガの島々を訪れたときの話を時折している。滞在中,教会の学校に行ったときに,ある教師がマカフェケと呼ばれる釣り用のルアーを生徒に見せていた。
「わたしは子供たちが地元の教師に熱い視線を送っていることに気づきました」とモンソン大管長は述べている。「教師も生徒も教科書は机の上に閉じたままです。教師の手には,丸い石と大きな貝殻でできた,奇妙な形の釣り用のルアーがありました。これはマカフェケといって,タコを捕まえるルアーだとのことでした。トンガではタコはごちそうなのです。
その教師はトンガの漁師について教えてくれました。彼らは片手でアウトリガーカヌーをこぎながらサンゴ礁の上を進み,もう片方の手でマカフェケを海にぶら下げます。するとタコが岩場の隠れ家から飛び出し,ルアーを好物と勘違いして巻き付くのです。タコの力強い吸引力と,貴重なえさをあきらめようとしない本能のために,漁師はタコを簡単にカヌーに釣り上げることができます。
目を輝かせて熱心に聞き入る青少年にとって,この話は分かりやすい導入でした。悪しき者,すなわちサタンは,いわゆるマカフェケに身を包み,疑うことを知らない人々を陥れ,行く末に待っている受け継ぎをはぎ取るのです。」
この教師による人生訓から話を発展させて,モンソン大管長は次のように続けている。
「今日,わたしたちは悪しき者が仕掛けたマカフェケに取り巻かれています。悪しき者はそれで人を誘い,わなに掛けようとするのです。一度わなに掛かれば,それを手放すのは難しく,ほぼ不可能だと言えることさえあります。危険から身を守るには,何が危険かを認識し,それを何としても避けるという揺るぎない決意をする必要があります。」1
トーマス・S・モンソンの教え
1
神はどのような誘惑も退ける力をわたしたちに与えてくださっている。
人生に誘惑は付き物であり,現世を生きるすべての旅人は何らかの形でこれを経験します。しかし,使徒パウロはこの事実を認めたうえで,わたしたちに次のような保証を与えています。「あなたがたの会った試錬で,世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか,試錬と同時に,それに耐えられるように,のがれる道も備えて下さるのである。」〔1コリント10:13〕2
人を義の道からそらせる,悪しき者の仕掛ける〔わな〕は……たくさんあります。しかし,天の御父はわたしたちに命をお授けになり,考え,判断し,愛する力を与えてくださいました。わたしたちはどのような誘惑も退ける力があり,行くべき道を決め,進むべき方向を選択することができます。わたしたちの目標は神の日の栄えの王国です。そのために,日の栄えの王国へと続く道を,それることなく進んで行くのです。
人生という道を歩むすべての人に対して,天の御父は,回り道や落とし穴,わなに気をつけるように警告を下さっています。……だまされてはいけません。時間を取って祈ってください。静かな細い声に耳を傾けましょう。その声はわたしたちの心の奥底に,「わたしに従ってきなさい」〔ルカ18:22〕という主の優しい招きを語りかけてくれます。主に従うことによって,破壊や死から逃れ,幸福と永遠に続く命を手に入れることができます。3
2
天の御父はわたしたちが誘惑に立ち向かうのを助ける手段を備えてくださっている。
〔誘惑に直面するとき,〕皆さんの助けとなるものはいろいろなところにあります。その一つは,祝福師の祝福です。祝福師の祝福には,皆さんの永遠の可能性について書かれた書物からの様々な部分が載っているのです。自分の祝福文を頻繁に読んでください。注意深く研究してください。そこに書かれている注意に従ってください。その約束にふさわしく生活してください。4
皆さんはこの教会の会員として確認の儀式を受けたときに,聖霊を伴侶とする権利を得ました。聖霊は正しい選択ができるように皆さんを助けてくださいます。難しい問題や誘惑にぶつかっても,それを自分だけの力で解決しなければならないと考える必要はありません。祈りを通して霊的な力が得られることを忘れないようにしましょう。5
世にあって世のものとならないためには,祈りを通して天の御父と話す必要があります。御父は祈るようわたしたちに望んでおられます。御父は祈りにこたえてくださいます。第三ニーファイ第18章の記録によれば,救い主はこう説かれました。「あなたがたは誘惑に陥らないように,常に目を覚ましていて祈らなければならない。サタンはあなたがたを……ふるいにかけることを願っているからである。だからあなたがたは,わたしの名によって常に父に祈らなければならない。」〔3ニーファイ18:18-19〕6
祈りは誘惑に対する防御です。心からの真剣な祈りを通して,必要な祝福と助けを受け,困難やチャレンジの多いこの現世の旅路を進むことができるのです。7
自分の中に大いなる力強い信仰を築き上げる選択ができますように。それは敵対する者の計画に対する最も効果的な防御手段となる信仰,わたしたちを支え,正しい選択をする望みを強めてくれるような本物の信仰です。8
わたしたちを引きずり落とすような事柄に取り囲まれることがしばしばあります。神の宮を訪れるとき,そこで交わした聖約を思い起こすとき,あらゆる試練に耐え,誘惑を克服する力を得ます。神殿は平安を見いだす聖なる場所です。わたしたちは更新され,抵抗力をつけます。9
思いを真理で満た〔してください〕。誤りにとどまっていたら,真理を見いだすことはできません。真理を見いだすには啓示された神の御言葉を調べ,研究し,それに従って生活することが必要です。誤ったことに取り囲まれているといつしかそれを受け入れるようになってしまいます。一方,真理に触れていれば,真理について学ぶことができます。
世の救い主はこのように命じておられます。「最良の書物から知恵の言葉を探し求め,研究によって,また信仰によって学問を求めなさい。」〔教義と聖約88:118〕そして,こう付け加えられました。「聖文を調べなさい。……この聖文は,わたしについてあかしをするものである。」〔ヨハネ5:39〕
主はまた,わたしたち一人一人にこのように勧めておられます。「わたしに学び,わたしの言葉を聴きなさい。わたしの御霊の柔和な道を歩みなさい。そうすれば,あなたはわたしによって平安を得るであろう。」〔教義と聖約19:23〕10
3
聖文には,誘惑に立ち向かった人々の模範が記されている。
ヨブは「全く,かつ正し〔い〕」人で,「神を恐れ,悪に遠ざか」っていました〔ヨブ1:1〕。信心深く,裕福であったヨブは,どのような人にも耐えられないような試練に遭います。財産を奪われ,友からあざけられ,苦痛を味わい,家族を失って心が打ち砕かれたヨブは,「神をのろって死になさい」と言われます〔ヨブ2:9〕。しかしこの誘惑を退け,ヨブは気高い心の奥底からこう宣言します。「見よ,今でもわたしの証人は天にある。わたしのために保証してくれる者は高い所にある。」〔ヨブ16:19〕「わたしは知る,わたしをあがなう者は生きておられる。」〔ヨブ19:25〕11
ヨブは「財産を奪われ,友からあざけられ,苦痛を味わい,家族を失って心が打ち砕かれた」が,忠実であり続けた。
預言者ジョセフ・スミスは誘惑に直面しました。示現を見たと宣言したときに彼が繰り返し受けたあざけりやさげすみ,嘲笑を想像できるでしょうか。少年には耐え難いようなものだったと思います。示現を見たという言葉を撤回して,ただ平凡に暮らしていく方が楽だということはジョセフにもはっきりと分かっていたはずです。しかし,ジョセフは屈しませんでした。彼の言葉はこうです。「わたしは実際に光を見た。その光の中に二人の御方を見た。そして,その方々が実際にわたしに語りかけられたのである。たとえ示現を見たと言ったことで憎まれ,迫害されたとしても,それは真実であった。……わたしは示現を見た。わたしはそれを知っていた。神がそれを御存じであるのを,わたしは知っていた。わたしはそれを否定でき……なかった。」〔ジョセフ・スミス—歴史1:25〕ジョセフ・スミスは……誘惑に遭っても,それに耐えたのです。12
御霊によって荒れ野に導かれたとき,〔イエス〕は断食のために弱っておられました。サタンは最も魅力的なものを持ち出して誘惑してきました。まず,空腹を含め,救い主の肉体的な必要を満足させようとしました。これに対して救い主は次のように答えられました。「『人はパンだけで生きるものではなく,神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある。」〔マタイ4:4。申命8:3も参照〕
次にサタンは権力を与えると申し出てきました。救い主は答えて言われました。「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある。」〔マタイ4:7。申命6:16も参照〕
最後に救い主は富とこの世の栄光による試みをお受けになりました。主はこう答えられました。「サタンよ,退け。『主なるあなたの神を拝し,ただ神にのみ仕えよ』と書いてある。」〔マタイ4:10。申命6:13も参照〕13
4
良い友人を選ぶことは誘惑を避ける助けとなる。
皆さんが人生で成功を収め,幸福になるために欠かすことのできない助言は,「友達を慎重に選びなさい」です。わたしたちは自分のあこがれる人のようになっていく傾向がありますが,あこがれる人は,たいてい友達です。当座の都合で計画を立てたり,どうでもいいようなことを目標にしたり,本筋でないことに情熱を燃やしたりするような人ではなく,わたしたち教会員のように最も重要なことを大切にし,永遠の目標を内に抱いている人とつきあうようにするべきです。14
数年前,わたしはある〔若い女性〕のアドバイザーと話をしました。彼女はクラスのある若い女性について話してくれました。この若い女性は,真実の正しい道からそれて,罪という回り道に踏み込むよう何度も誘惑されました。学校の友人たちから誘われ続け,彼女はついにそのような回り道をついて行くことに同意しました。計画が立てられ,両親には若い女性の夜の活動に行くと告げました。でも,夜の活動には,友人たちとデート相手の少年たちが車で迎えに来るまでしか参加しないつもりでした。彼らが来たら,そこを出てパーティーに行くのです。パーティーは,皆がアルコールを飲み,彼女が正しいと知っている行動の基準を完全に破るものでした。
彼女の教師は自分のクラスの少女全員,特に福音に対する決意がとても揺れているように見えるその若い女性のために,霊感を求めて祈っていました。教師はその夜,若い女性の活動の際に霊感を受け,事前に用意したメッセージの代わりに,道徳的な清さを保つことについて話しました。教師が自分の思いと気持ちを話し始めると,その若い女性は友達との約束に遅れないように何度も時計を確認しました。
でも,話し合いが進むうちに,心が動かされ,良心が目覚め,新たな決意が生まれました。約束の時間が来て,友達が自動車のクラクションを何度も鳴らして呼びましたが,彼女は無視しました。その晩,彼女は教師とほかの少女たちと一緒にクラスに残りました。神が認められた道からそれるようにと誘う誘惑を退けることができたのです。サタンのもくろみは失敗に終わりました。その若い女性は,ほかの少女たちが帰るのを待ち,教師に感謝し,その日のレッスンのおかげで悲劇に陥らずに済んだことを伝えました。教師の祈りがこたえられたのです。
わたしは後で知ったのですが,学校でいちばん人気のあるグループと出かけることをあの晩断ったために,この若い女性は仲間外れにされ,それから何か月も学校でだれからも相手にされませんでした。学校の友人たちは,自分がしていることを彼女がしなかったという事実を受け入れることができませんでした。彼女にとって,とてもつらく寂しい日々が続きましたが,強さを保ち,やがて同じ標準を持つ友達を得ることができました。あれから何年もたった今,神殿で結婚した彼女には4人のすばらしい子供がいます。彼女の人生はまったく異なったものになっていたかもしれません。わたしたちの決断が,わたしたちの行く末を決めるのです。15
「最も重要なことを大切にし,永遠の目標を内に抱いている」友達を選ぶべきである。
5
わたしたちは誘惑を拒むために目を覚ましていなければならない。
わたしたちはそれぞれ,天の御父と御子イエス・キリストのもとで永遠に生きることを最終的な目標として持っていると,わたしは確信しています。ですから,生涯にわたってこの大きな目標につながるような選びをすることが欠かせません。しかし,サタンはわたしたちを失敗させようと躍起になっています。サタンとその僕たちは,わたしたちの義にかなった望みを打ち砕こうと情け容赦なく働きかけてきます。わたしたちが永遠の目標の達成に向けて真剣に決意し努力しないかぎり,彼らはわたしたちの救いを絶えず本腰を入れて脅かしてきます。使徒ペテロはこう警告しています。「目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が,ほえたけるししのように,食いつくすべきものを求めて歩き回っている。」〔1ペテロ5:8〕
……友達として受け入れられようと,周りに合わせて標準を落とすように誘惑されるかもしれません。どうぞ強くあってください。皆さんから永遠の祝福を奪うようないかなる事柄にも警戒してください。この世での選びは,今も永遠にわたっても重要です。……
戒めをないがしろにすることは,わたしが今日の疫病と考える事柄を蔓延させる原因となりました。放縦,ポルノグラフィー,麻薬,性的な不道徳,堕胎などの疫病はそのほんの一部です。聖文はサタンが「すべてこれらのものの創設者」であると教えています〔2ニーファイ26:22〕。また「あらゆる偽りの父であ〔り〕……人々を欺き,惑わ〔す〕」ことも知っています〔モーセ4:4〕。
皆さんに切にお願いします。この現世と永遠の来世における幸福を皆さんから奪ってしまうようなものは何であれ避けてください。皆さんがそれを許すなら,サタンは欺きと偽りを使って,破滅へと続く滑りやすい坂道へと皆さんをいざない,もう止まれないと気づく前に引きずり落とします。巧みに誘うサタンの次のようなささやきを聞いたことがあるでしょう。この1回だけなら大丈夫。みんなやっていることさ。時代遅れなことを言ってないで。時代は変わったんだ。だれも傷つけないさ。君の人生なんだから生きたいように生きようよ。サタンはわたしたちのことをよく知っており,わたしたちが拒みにくい誘惑は何かを知っています。そのようなうそや誘惑に屈することのないよう,常に自分を守ることはどれほど大切なことでしょうか。16
今日世の中に蔓延しているのは自由奔放な生き方です。映画に出てくるアイドル,スポーツ界のヒーローなど,多くの若者たちの目標にしたがる人々が,神の律法を軽んじ,罪深い行いを正当化して,何の悪い結果も生じないかのように見せているのをあちこちで目にします。信じてはいけません。その報いを受ける時は来ます。清算する時が来るのです。……準備はできていますか。自分の成し遂げたことに満足しているでしょうか。17
天の御父はわたしたちに,「どのようなことでも,徳高いこと,好ましいこと,あるいは誉れあることや称賛に値すること」〔信仰箇条1:13〕を求めるように勧告しておられます。皆さんが見たり,聞いたり,読んだりするものは,すべて皆さんに影響を与えます。
ポルノグラフィーは特に危険です。習慣性があります。好奇心に引かれて手を出しただけでも,やがてそれが習慣となり,もっと下品な物に手を染め,性的な罪悪に陥ることがあります。……
天の御父の定められた標準に添わないものであれば,ためらうことなく映画館から外に出てください。テレビを消してください。ほかのラジオ局に変えてください。簡単に言えば,映画,本など,どのような形の娯楽であれ,疑わしいと思ったら,見たり,読んだり,関係したりしないことです。18
行く場所に気をつけ,誘惑に遭わない,良い環境を選ぶようにしてください。19
世界各地を訪れるとき,……教会員たちに度々こう尋ねられます。「教会が直面している最大の問題は何だと思いますか。」
たいてい,わたしはこう答えます。「わたしたち教会員にとっての大きな課題は,世にあって世のものとならないようにすることです。」
わたしが強調したいのは,わたしたちが生きているこの時代には,不道徳,無責任,不正直の洪水が,わたしたちの生活の拠り所である停泊地にまで押し寄せているということです。もしこの停泊地を守らないなら,もしそのような影響の浸食に耐えられる揺るぎない土台がないなら,わたしたちは困難に陥ることでしょう。20
霊的なものから遠く隔たったこの世にあって,わたしたちは注意しなければなりません。教会の標準に合わないものは,いかなるものも拒むことがきわめて大切です。そうすることによって,神の王国で永遠の命を授かるという最大の望みを捨てることを拒否するのです。それでも嵐が戸を打ちたたくことがあるでしょう。この世でそれを避けて通ることはできません。しかし,福音を基とした生活をし,救い主への愛を心に満たしていれば,それに対処し,そこから学び,それを克服する備えが十分にできます。預言者イザヤはこう言いました。「正義は平和を生じ,正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である。」〔イザヤ32:17〕21
わたしたちの今日の選びが,最後まで義をもって真理にかなって主に仕えることであるよう祈っています。わたしが証する御方である,わたしたちの救い主,仲保者,主イエス・キリストが,わたしたちの生涯を通じて,また永遠にわたって,わたしたちのそばにいて,導いてくださいますように。22
研究とレッスンのための提案
質問
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モンソン大管長は,「わたしたちはどのような誘惑も退ける力があ〔る〕」(第1項)と強調しています。あなたにとってこの真理はどのような助けになるでしょうか。
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第2項で概説されている,誘惑を退ける助けとして天の御父が与えてくださっている様々なものについて考えてください。聖霊はあなたが誘惑を退けるのをこれまでどのように助けてくださいましたか。祈りによって誘惑を退ける力がどのように強められてきましたか。真理,特に聖文の言葉で思いを満たすことで,誘惑からどのように守られてきましたか。
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ヨブ,ジョセフ・スミス,イエス・キリストの模範に関するモンソン大管長の教えを読んでください(第3項参照)。これらの話から,誘惑を退ける助けとしてどのようなことを学べるでしょうか。
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モンソン大管長は,良い友人を選ぶことは誘惑を避ける助けになると教えています(第4項参照)。良い友人は,あなたが誘惑を退けるのをこれまでどのように助けてくれましたか。
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モンソン大管長は,「サタンはわたしたちを失敗させようと躍起になっています」と警告しています(第5項)。わたしたちを誘惑するサタンの手口にはどのようなものがあるでしょうか。それらを認識して退けられるよう目を覚ましているには,どうすればよいでしょうか。小さな誘惑に屈することがどのように大きな誘惑につながっていくのを目にしたことがありますか。どうすれば「世にあって世のものとならない」でいることができるでしょうか。
関連聖句
マタイ6:9-13;ヤコブの手紙1:1-16;1ニーファイ15:23-25;2ニーファイ28:20-22;アルマ13:28;ヒラマン5:12;教義と聖約29:39-43;モーセ1:12-22
教える際のヒント
「啓示はしばしば,一度にではなく『教えに教え』を加えて与えられます(2ニーファイ28:30)。ですから,レッスンの準備は少なくとも1週間前に始めるのが理想的です。教えようとしている福音の原則がクラスの生徒にどのような祝福をもたらすかについて深く考えるなら,仕事場に向かうとき,家事をしているとき,家族や友達と交わっているときなど,日々の生活を通して様々なアイデアや印象が思い浮かぶでしょう。」(『救い主の方法で教える』12)