歴代大管長の教え
第24章


「第24章:クリスマスの季節に感じる御霊」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』

「第24章」『教え—トーマス・S・モンソン』

第24章

クリスマスの季節に感じる御霊

「キリストの御霊がわたしたちの生活に入ってくるのは,得ることではなく,与えることを通してです。」

トーマス・S・モンソンの生涯から

子供時代にクリスマス劇に出演したときの経験は,モンソン大管長に大切な印象を残した。大管長は後に次のように説明している。

「我が家の片隅に,握り部分に銀メッキを施した小さな黒い杖が置いてあります。かつては遠い親戚が使っていたものです。70年以上もの間,なぜこの杖を取ってあると思いますか。それには特別な理由があります。

幼いころ,わたしはワードのクリスマス劇に出演しました。光栄にも,3人の博士の一人を演じました。頭にはスカーフを巻き,母のピアノの椅子カバーを肩にかけ,あの黒い杖を持って,せりふを言いました。

『ユダヤ人の王としてお生れになったかたは,どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので,そのかたを拝みにきました。』(マタイ2:2

その劇でのせりふをすべて覚えているわけではありませんが,そのときの気持ちは今でも鮮明に思い出せます。3人の『博士』になったわたしたちは,星を見上げ,舞台の端から端まで旅をして,マリヤと幼子イエスを見つけ,伏してイエスを拝し,宝の箱を開けて,黄金,乳香,没薬の贈り物をささげたのです。

物語で特に好きだったのは,博士たちが邪悪なヘロデのところへ戻って幼いイエスを裏切るようなまねはせず,神の指示に従って別の道を帰って行ったところです。

時は瞬く間に過ぎ去り,慌ただしい日々の出来事は特別な思い出として神聖な部屋にしまわれています。しかしあのクリスマスの杖は今も我が家の特別な場所に置かれていて,わたしの心にはキリストへの忠誠心があるのです。」1

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博士たちとラクダ

「エルサレムに旅をしてやって来た博士たちは言いました。『ユダヤ人の王としてお生れになったかたは,どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので,そのかたを拝みにきました。』」(マタイ2:2)

トーマス・S・モンソンの教え

1

天の御父はわたしたちに御子イエス・キリストという贈り物を与えてくださった。

ベツレヘムでの幼子の誕生とともに,大いなる贈り物,どんな武器よりも力強いもの,カイザルの貨幣よりも長く存続する富がもたらされました。この幼子は王の王,主の主,約束のメシヤになられる御方,すなわち神の御子イエス・キリストだったのです。2

主の降誕の夕べに,主の声がニーファイに聞こえて言われました。「頭を上げて,元気を出しなさい。見よ,時は近い。今夜,しるしが示され,明日,わたしは世に来る。そしてわたしは,聖なる預言者たちの口を通して語ってきたすべてのことを成就することを,世の人々に示す。」〔3ニーファイ1:13

いにしえの聖なる預言者たちは何を告げたのでしょうか。キリストの降誕の700年以上も前に,イザヤは預言しました。「それゆえ,主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ,おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。」〔イザヤ7:14

アメリカ大陸で,ベニヤミン王は述べました。「見よ,……全能の主が,力をもって……土の幕屋に宿〔ら〕れる時が来る。しかもそれは遠い先のことではない。……この御方は数々の試練に耐え,肉体の苦痛……に耐えられる……。そしてこの御方は,イエス・キリスト,神の御子,天地の父,時の初めからの万物の創造主と呼ばれ,母はマリヤと呼ばれる。」〔モーサヤ3:5,7-8

そして,羊飼いたちが野にいたときに,最も大切なその夜が訪れ,主の天使が彼らに現れてこう宣言しました。「恐れるな。見よ,……大きな喜びを,あなたがたに伝える。……きょうダビデの町に,あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」〔ルカ2:10-11

その羊飼いたちは,主なるキリストに敬意を表するために,急いで飼い葉おけの所へ行きました。後に,東方からエルサレムに旅をしてやって来た博士たちは言いました。「『ユダヤ人の王としてお生れになったかたは,どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので,そのかたを拝みにきました。』……彼らはその星を見て,非常な喜びにあふれた。そして,家にはいって,母マリヤのそばにいる幼な子に会い,ひれ伏して拝み,また,宝の箱をあけて,黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。」〔マタイ2:2,10-11

クリスマスを祝うときに贈り物をする精神が一人一人のクリスチャンの心の中に宿るようになったのは,この夜の出来事がきっかけです。天の御父はわたしたちに御子イエス・キリストを与えてくださいました。その貴い御子はわたしたちに,御自分の命と,贖罪と,墓に対する勝利とを与えてくださったのです。3

2

イエスは,御自分が与えたすべてを記念してわたしたちが自分をささげるよう求めておられる。

「神はこの大切な季節に,御自身あるいは人々への贈り物として何をささげるようわたしに望んでおられるだろうか」と自問することは,現代を生きるわたしたちにどんな良い結果をもたらしてくれるでしょうか。

わたしはこの問いへの答えとして,厳粛さの限りを尽くして宣言したいと思います。天の御父は,御自分の子供たち一人一人が従順という贈り物をささげ,すべての人が心を尽くし,思いを尽くし,力を尽くし,主なるわたしたちの神をほんとうに愛することを望んでおられます。そして,御父はわたしたちが自分を愛するように隣人を愛することを期待しておられると,わたしは確信しています。

もし主が今日ここにおられたなら,わたしたちが自らを惜しみなくささげ,利己的にも欲張りにもならず,争いも短気も起こさないようにと教えられたとしても,わたしは驚きません。4

馬屋で生まれ,飼葉おけに寝かされた〔イエス・キリスト〕は,死すべき人として地上で生活し,神の王国を確立するために,天から降って来られました。主の栄えある福音により,世の人々の考え方は変わりました。主はわたしたちのために生き,そして亡くなられました。そのお返しとして,わたしたちは主に何をささげることができるでしょうか。

わたしはイギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティが書いた次の詩が大好きです。

主に何をささげられるだろう,

わたしのように貧しい者が

もしわたしが羊飼いだったら,

子羊を贈るのに

もしわたしが博士だったら,

自分の役目を果たすのに

それでもわたしにもささげられるものがある,

わたしの心をささげよう。

〔In Jack M. Lyon and others, eds., Best-Loved Poems of the LDS People (1996), 166–67〕……

わたしたちも救い主がささげられたようにささげることができますように。自分をささげることは,聖なる贈り物です。わたしたちは救い主がささげられたすべてを記念してささげます。いつの日か壊れ,忘れ去られる贈り物だけでなく,永遠に価値のある贈り物をすることができますように。わたしたちが皆,理解と思いやり,奉仕と友情,そして優しさと穏やかさという贈り物をすることができたとしたら,この世界はどれほど良いものとなることでしょうか。5

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マリヤ,ヨセフ,幼子イエス

「馬屋で生まれ,飼葉おけに寝かされた〔イエス・キリスト〕は,……天から降って来られました。……主はわたしたちのために生き,そして亡くなられました。そのお返しとして,わたしたちは主に何をささげることができるでしょうか。」

「金銭を与える人は多くを与え,時間を与える人はさらに多くを与える。しかし,自分自身を与える人はすべてを与えるのである。」この言葉が似つかわしいクリスマスの贈り物をしようではありませんか。6

わたしたちは今年のクリスマスにどんな贈り物をしたらよいでしょう。主の教えに従った生活をし,主の足跡に従うことによって,主なる救い主に感謝の贈り物をしようではありませんか。主は「よい働きをしながら……巡回され〔た〕」〔使徒10:38〕と言われています。わたしたちも同じように行うとき,クリスマスの精神を身につけることができるでしょう。7

3

得ることではなく与えることがクリスマスの精神をもたらす。

「クリスマスに何をもらった?」1年中で最も盛大に祝われる休日の次の日には,世界中の子供たちがこの同じ質問をします。……クリスマスの質問は,一言言葉を入れ替えるだけで,結果が随分違ったものになります。「クリスマスに何をあげた?」8

わたしたちが最もよく覚えているクリスマスはたいてい,この世的な物とはほとんど関係がなく,家族,愛,思いやりや気遣いと大いに関係しています。9

クリスマスを祝うとき,わたしたちは救い主が教えらえた無私の愛を示す必要があります。得ることではなく,与えることによって,クリスマスの精神が花開きます。互いに思いやる気持ちが増します。あまり恵まれていない人々を助けるために,愛をもって手を差し伸べます。わたしたちの心は和らぎます。敵を赦し,友を思い起こし,神に従います。クリスマスの精神は,心の窓から見える景色に光をともします。この世の慌ただしい生活の中にあっても,物ではなく,人にもっと関心を寄せるようになります。「クリスマスの精神」のほんとうの意味を知るには,最後の音節を取るだけでよく,そうすると「キリストの御霊」になります〔訳注—英語で「クリスマスの精神」を意味するthe spirit of Christmasから最後の音節masを取ると,the Spirit of Christで「キリストの御霊」の意になる〕。10

何年か前に,心の優しい歯科医から匿名の手紙を頂きました。それには兄弟愛と善意が表れていました。皆さんに分かち合いたいと思います。

「愛するモンソン管長,

もっと早くお礼状を差し上げなければならないところですが,筆無精をしてしまいました。昨年の12月,クリスマスディボーショナルでのあなたのお話をお聞きしました。あなたは,最近自動車を購入したものの登録料を支払う余裕がなくなった一人の老婦人のことを話されました。みんなが彼女を助けるようになって,援助に参加したすべての人が感動の体験をしたというお話でした。

わたしは歯科医ですが,そのディボーショナルから程なくして,診療所の受付係から彼女の知人が診療に来ることを聞きました。治療しなければならない歯が2本あるというのです。受付係によれば,その女性はたくさんの重荷を抱えている人のようでした。営んでいた稼業はうまくいかず,家賃の支払いが3か月ほど滞っていました。子供が5人おり,その多くは成人していましたが,個人的に難しい問題があり,全員が家に戻って来ていました。以来彼女は,何とか踏ん張りながら家族を全員養ってきていたのです。そして今,2本の歯がだめになっていました。

診療所に来た彼女は,歯の状態を説明しました。そして,治療費の支払いを先に延ばせないかと聞いてきたのです。家族に経済的に難しい問題が幾つかあって,最近やっとたまっていた請求書への支払いができるようになったとのことでした。

わたしは彼女に,お金は後でもかまわないと言いました。すると彼女は,今日は折れた2本の歯のうち1本だけを治療してほしいと言いました。わたしは了承して治療を始めました。

そのときわたしは時間があったので,片方ではなく両方の歯を治療しました。彼女はとても感謝してくれました。治療を終えたわたしは,あなたのお話を思い出しながら彼女にこう言ったのです。『もしお気を悪くなさらなければ,今日の歯の治療をクリスマスプレゼントにしたいのですが。治療費は結構です。』彼女は驚きました。このささやかで何でもない思いやりの行為に対して,彼女は我を忘れて感謝の涙を流しました。わたしはそれを見て,彼女の負っていたストレスと心身の疲労の大きさを感じ取ったのです。その女性はこれまで何年もの間,あまり人から親切にされたことがなかったのでしょう。彼女は何も言葉にできないまま,帰って行きました。

わたしのアシスタントと受付係は彼女の反応に深く感動し,二人とも涙を流し,言葉もありませんでした。他方,わたしは二重の喜びを得ました。一つは,そのようなささやかな行為がほかの人にかくも幸せな結果をもたらすのを目にしたことです。そしてもう一つは,わたしの診療所に,わたしの生涯で一度だけ,痛みのためではなく喜びのために泣いた患者がいたことです。

あなたに心からの感謝を申し上げます。

敬具

福音における兄弟より。」11

いみじくもこう言った人がいます。「わたしたちは得るものによって生計を立てるが,与えるものによって人生を築く。」キリストの御霊がわたしたちの生活に入ってくるのは,得ることではなく,与えることを通してです。12

4

神から与えられた贈り物は朽ちることがない。

神から与えられた,朽ちることのない贈り物に思いを向けましょう。神が下さったたくさんの贈り物の中から,わたしは次の4つを採り上げることにします。

  1. 誕生という贈り物

  2. 平安という贈り物

  3. 愛という贈り物

  4. 永遠の命という贈り物

初めに,誕生という贈り物について話しましょう。これは地上のすべての人に授けられるものです。誕生は神聖な特権です。誕生により,わたしたちは天の家を離れて肉体という幕屋に宿ります。そして,天の御父と愛する人々の待つ日の栄えという王国に戻るふさわしさを,地上の生活を通して証明するのです。このすばらしい贈り物は,母親と父親から受けました。わたしたちは,この贈り物に対する感謝を,日々の行いによって示す責任があります。……

二つ目は,平安という贈り物です。わたしたちが生活するこの世は喧噪を極め,世界を悩ます諸問題はもとより,車の騒音,テレビやラジオのやかましいコマーシャル,慌ただしい毎日のスケジュールだけを取っても,頭痛や心痛の種になり,立ち向かう気力がうせます。病気という重荷を負い,愛する人の死に打ちひしがれるとき,わたしたちは天の助けを求めてひざまずきます。はるか昔の人々と同じように,こう問うかもしれません。「ギレアデに乳香はないのでしょうか」〔エレミヤ8:22〕と。……

けれども,悲しみの人であり,病を知っておられた主は,悩めるすべての人に語りかけ,平安という贈り物を与えてくださいます。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは,世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな,またおじけるな。」〔ヨハネ14:27

主は,全世界で働く宣教師の口を通して,平和のよきおとずれである福音を告げておられます。……主からの贈り物は一人一人に授けられます。「見よ,わたしは戸の外に立って,たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら,わたしはその中にはい〔る〕であろう」〔黙示3:20〕と主は約束しておられるのです。

平安に通じる道は,祈りです。無意味な言葉の繰り返しではなく,へりくだって心の内を話すなら,求めている平安が得られるでしょう。……

3つ目は,愛という贈り物です。「先生,律法の中で,どのいましめがいちばん大切なのですか」という律法学者の問いに対して,主は速やかにこう答えられました。

「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ。』

これがいちばん大切な,第一のいましめである。

第二もこれと同様である,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』」〔マタイ22:36-39

主はまた,「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は,わたしを愛する者である」〔ヨハネ14:21〕ともお教えになりました。聖文は,愛の大切さと愛が人生に及ぼす影響についての教えで満ちています。モルモン書の中では,慈愛はキリストの純粋な愛であると教えられています〔モロナイ7:47〕。主は自ら,見習うべき理想的な模範を示してくださいました。……

4つ目は,命,すなわち永遠の命という贈り物です。天の御父の救いの計画は,真実の愛の究極の姿です。御父とその御子,主イエス・キリストがおいでにならなかったとしたら,家族,友達,幸福,知識,証など,わたしたちにとって尊く,大いなる価値を持つすべてが消えうせてしまうことでしょう。次に読む神の言葉は多くの人に愛され,慈しまれてきた真理です。「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。」〔ヨハネ3:16〕……

神がわたしたちに豊かに与えてくださったように,わたしたちも惜しみなく神にささげることができますように。天の御父と御子が忍耐強く教えてくださったように生き,人を愛することがわたしたちから主への贈り物なのです。13

5

クリスマスの真の喜びは,この季節を救い主を中心としたものにするときに見いだされる。

自らのイエスの探求を成功させ〔るには〕,まず第一に,主のための時間を生活の中に設け,主にいていただく余地を心の中に用意しなければなりません。忙しい現代にあって,ゴルフやショッピング,仕事や遊びのためには時間を割いても,キリストのためには時間を取れない人が大勢います。……

……次のような情景を思い浮かべて,恥じ入りはしないでしょうか。「初子を産み,布にくるんで,飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。」(ルカ2:7)余地がない。余地がない。余地がない。いつもそうです。

……昔の羊飼いたちが探したのは幼子イエスでした。しかしわたしたちが求めるのはキリスト・イエスであり,わたしたちの長兄,御父との間の仲保者,贖い主,救いの源〔ヘブル5:9参照〕,初めに御父とともにおられた御方,世の罪を負われた御方,わたしたちが永遠に生きられるように進んで命をささげられた御方です。それがわたしたちの求めるイエスなのです。14

この季節に,わたしたちは物事を「過度」にしてしまいがちです。持てる時間と活力以上のことをしようとすることがあります。買わなければならないと感じるものを買うには,恐らくどれだけお金があっても足りないでしょう。クリスマスの季節に張り切りすぎた結果,大きなストレスを感じ,疲れ果ててしまうことがよくあります。しかしクリスマスは本来,ベツレヘムで御子が降誕したことを祝う素朴な喜びを味わうべき時なのです。15

クリスマスがキリストに関することからどんどん離れていき,マーケティングやセールス,パーティーやプレゼントのことばかりが話題になるのを見ると悲しくなります。それでも,クリスマスはわたしたちの心がけ次第で良いものになります。注意をそらそうとするものがあふれていますが,それでもわたしたちはキリストをお祝いの中心とするよう心を配ることができます。もしまだそうしていなければ,クリスマスの精神をしっかり捉え,保つ助けとなるようなクリスマスの伝統を,自分自身や家族のために築くことができます。16

〔クリスマスの〕真の喜びは,この季節を救い主を中心としたものにするときに見いだされます。救い主がわたしたちにこの地上で行うよう望んでおられることを行うときに,思いや生活の中に主にとどまっていただくことができるのです。特にこの季節に,同胞を愛し,同胞に仕えて,主の模範に従いましょう。……

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キリスト降誕の場面を作る家族

「クリスマスの精神をしっかり捉え,保つ助けとなるようなクリスマスの伝統を,自分自身や家族のために築くことができます。」

真のクリスマスを祝いましょう。クリスマスはキラキラした飾りやリボンではなく,生活そのものです。クリスマスとは受けることを期待せずに与える精神です。……愛は与えれば与えるほど深まっていくものだということを,この時季ほど深く理解する時はありません。……

クリスマスの季節がそのすべての栄光でわたしたちを包み込むとき,博士たちのように輝く星を見つけ,その星に導かれて隣人に奉仕するクリスマスの機会を持てますように。わたしたちが皆,救い主への贈り物として思いやりと愛にあふれる心を携え,あのベツレヘムへと続く道のりを旅することができますように。17

今,このクリスマスの季節以上に,自分自身をイエス・キリストが教えられた原則に再び献身させるよい時はありません。子供たちの瞳を輝かせ,唇に笑みをもたらす時としましょう。寂しく暮らす人たちを励ます時としましょう。近くにいても,その場にはいなくても,家族同士が親密さを感じられるように,家族を呼び集める時としましょう。

平和と自由の原則が保たれるよう,遠くにいる人たちが守られるよう祈る時としましょう。自分を忘れて人のために時間を使う時としましょう。無意味なものを捨て,真に価値のあるものを大切にする時としましょう。この季節を平和の時としましょう。なぜなら,わたしたちは主の教えに平和を見いだしているからです。

何よりも,わたしたちが天使の歌声と,羊飼いの喜びの声と,博士たちの礼拝をともにし,救い主イエス・キリストの誕生を覚える時としましょう。18

研究とレッスンのための提案

質問

  • モンソン大管長は,御子という天の御父の贈り物を,「大いなる贈り物」(第1項)と表現しています。御子という贈り物に対して,わたしたちは天の御父にどのように感謝を示すことができるでしょうか。

  • モンソン大管長は,「自分をささげることは,聖なる贈り物です」(第2項)と教えています。モンソン大管長が勧めている,自分をささげる贈り物について読んでください。あなたはこれまでどのようなときに,そのような贈り物を受けたことがありますか。神は今年のクリスマスにあなたが神やほかの人々にどのような贈り物をすることを望んでおられると思いますか。

  • モンソン大管長に届いた手紙を読んでください(第3項参照)。惜しみなく与える行為は,与える人と受ける人にクリスマスの精神をどのようにもたらすでしょうか。あなた自身の生活の中で,どのような「ささやか〔な〕思いやりの行為」を見たことがありますか。自分が具体的にどのような時間や才能や手段の贈り物をすることができるかを深く考えてください。例えば,良い聞き手になったり,助けの必要な人に思いやりを示したりするなどの簡単なことかもしれません。

  • 朽ちることのない贈り物に関するモンソン大管長の教えには,「愛という贈り物」(第4項)が含まれています。愛という贈り物を,あなたはどのような方法で贈りますか。ほかの人がどのような方法でこの贈り物を贈るのを見たことがありますか。わたしたちが隣人を愛することは,天の御父にとってなぜ大切なことなのでしょうか。

  • モンソン大管長は,クリスマスの真の喜びは「この季節を救い主を中心としたものにするとき」(第5項)に見いだされると教えています。あなたはどのようにして,クリスマスの時期に救い主に心を向けるようにしていますか。モンソン大管長はまた,「愛は与えれば与えるほど深まっていく」(第5項)と教えています。人を愛することであなたの愛する力が増すのを,これまでどのような形で経験したことがありますか。

関連聖句

マタイ1-2章ルカ2章ヨハネ1:1-14ガラテヤ4:4-51ニーファイ11:13-232ニーファイ17:14-16アルマ7:10-12教義と聖約76:40-43モーセ6:57-62

学ぶ際のヒント

「教えを受ける準備をするとき,わたしたちはよく祈って聖霊からの霊感と確認を求めます。深く考えます。祈ります。福音の教えを実践します。また,わたしたちに対する御父の御心を求めます。」(トーマス・S・モンソン「わたしに学びなさい『リアホナ』2016年3月号,6)

  1. The Christmas Cane,” Friend, Dec. 2010, 2.

  2. クリスマスの贈り物『リアホナ』2003年12月号,2参照

  3. クリスマスとは?『聖徒の道』1998年12月号,6参照

  4. The Spirit of Christmas,” New Era, Dec. 1974, 16.

  5. クリスマスの真の喜び」(大管長会クリスマスディボーショナル,2013年12月8日)ChurchofJesusChrist.org/study/broadcasts/article/christmas-devotional/2013/12/the-real-joy-of-christmas参照

  6. クリスマスの贈り物『リアホナ』2003年12月号,5参照

  7. クリスマスとは?」6参照

  8. クリスマスの贈り物,クリスマスの祝福『聖徒の道』1995年12月号,3

  9. The Spirit We Feel at Christmastime,” New Era, Dec. 2010, 3.

  10. The Real Joy of Christmas.”

  11. クリスマスとは?」4-6参照

  12. A Gift Remembered,” 6.

  13. 大切な贈り物『リアホナ』2006年12月号,4-5,6,7-8

  14. イエスの探求『聖徒の道』1991年6月号,5参照

  15. The Spirit of the Season” (First Presidency Christmas devotional, Dec. 6, 2009), ChurchofJesusChrist.org/broadcasts/article/christmas-devotional/2009/12/the-spirit-of-the-season.

  16. Because He Came” (First Presidency Christmas devotional, Dec. 4, 2011), ChurchofJesusChrist.org/broadcasts/article/christmas-devotional/2011/12/because-he-came.

  17. Christmas Is Love” (First Presidency Christmas devotional, Dec. 2, 2012), ChurchofJesusChrist.org/broadcasts/article/christmas-devotional/2012/12/christmas-is-love.

  18. A Bright Shining Star” (First Presidency Christmas devotional, Dec. 5, 2010), ChurchofJesusChrist.org/broadcasts/article/christmas-devotional/2010/12/a-bright-shining-star.