歴代大管長の教え
第2章


「第2章:救助の手を差し伸べる」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』

「第2章」『教え—トーマス・S・モンソン』

第2章

救助の手を差し伸べる

「わたしたちが教会に来ていない会員を救助し,イエス・キリストの福音の喜びを再び味わってもらいたいという願いを持てますように,そして活発に集うことから得られるすべての祝福にともにあずかれますようにお祈りします。」

トーマス・S・モンソンの生涯から

トーマス・S・モンソン大管長は若いビショップとして奉仕していたとき,霊的および物質的な必要を抱えたワードの会員に常に手を差し伸べた。教会に再び活発に集うようにワードのある若い男性を招いた経験について,モンソン大管長は次のように述べている。

「ある日曜日の朝,祭司の一人でめったに出席しないリチャードがまた神権会にいないことに気づきました。わたしはアドバイザーの助けを得て神権会を抜け出し,リチャードの家へ向かいました。リチャードの母親は,息子は地元の自動車修理工場で働いていると言いました。そこでリチャードを尋ねて車で修理工場へ向かい,あちこち探しましたが見つけることができませんでした。突然,建物のわきにある古めかしいオイルピットの中を見てみるように,という霊感を受けました。暗闇に二つの輝く目が見えました。リチャードの声が聞こえました。『ビショップに見つかっちゃった!今,上に行くよ。』リチャードと話している間,わたしは彼がいなくてみんながどれほど寂しく思っているか,またどれほど彼のことを必要としているか伝えました。彼は教会の集会に出席することを約束してくれました。

リチャードは驚くほど活発になりました。彼と家族はそのうち引っ越して行きましたが,2年後,彼は伝道に召され,わたしは彼が伝道に出る前に彼のワードで話をするよう招待されました。その日リチャードは話の中で,彼の人生の転機は,ビショップがオイルピットの中に隠れている自分を見つけ,教会に再び活発に集えるよう助けてくれたことだと言いました。」1

教導の業に携わった期間を通じて,モンソン大管長は人々に愛の手を差し伸べるよう絶えず末日聖徒に呼びかけた。次のように教えている。「救い主はいつも人を教え,証し,救うことに熱心であられました。それが現在〔の〕わたしたち個人の義務です。」2

画像
子羊を抱かれるキリスト

主イエス・キリストは,「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい」(教義と聖約18:10)と言われた。

トーマス・S・モンソンの教え

1

救助の必要性は不変の重要性を持っている。

現代は戦争の時代です。政治に基づく争いもあれば,経済を理由とする争いもあります。しかし最大の戦いは,人類の救いのための戦いです。

わたしたちの司令官,主イエス・キリストはこう宣言されました。

「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。」〔教義と聖約18:103

何らかの理由で教会から離れてしまった兄弟姉妹を救助する必要性は,末日聖徒にとって不変の重要性を持っています。そのような人たちのことを御存じですか。かつては福音に従って生活していた人たちです。もし御存じなら,そのような人たちを救助するために,わたしたちにはどのような責任があるでしょうか。

高齢者,夫に先立たれた人や,病人の中にいる,迷える人々のことを考えてください。このような人々が孤独という,乾き切ったわびしい荒れ野にいる姿を,わたしたちは度々目にしています。若さが失われ,健康が損なわれ,気力が衰え,希望の光がぼんやりとして消えかかるとき,助けを与える手と思いやりを知る心によって救われ,支えられるのです。

もちろん,救助を必要とする人はほかにもいます。罪に苦しむ人,恐怖心や無気力,無知のためにさまよう人もいます。理由は何であれ,そのような人々は教会から離れて孤立しています。教会に活発に集っているわたしたちの心の中に,救助したいという願いがわき起こらないかぎり,彼らが道に迷ったままでいることは確かだと言えるでしょう。4

2

わたしたちには手を差し伸べ,救助する責任がある。

人生の旅路を歩んでいくうちに,道をそれる人々がいます。永遠の命を示す道路標識を無視して別の道を選び,結局は袋小路に迷い込んでしまう人もいます。無関心,不注意,利己心,罪,これはすべて,生活に多大な損失を招くものです。何かの理由で誤った道に足を踏み入れ,気がついたときには悲しみと苦しみしか残らない生き方をしているという人がいます。5

少し前にわたしは,教会から離れた人から1通の手紙を受け取りました。その手紙には,あまりにも多くの教会員が抱く気持ちが典型的に表れています。その男性は教会から遠のいた経緯を説明した後,こう書いています。

「わたしは以前,非常に多くのものを持っていましたが,今持っているものはほとんどありません。今のわたしは不幸で,何もかも失敗に終わっているように思えます。福音はわたしの生活からなくなってしまいましたが,わたしの心からは決して離れていません。どうか祈っていただきたいのです。

わたしたちのように教会から離れ,迷っている末日聖徒をどうぞ忘れないでください。教会がどこにあるかは知っています。でも時々,わたしに道を示し,励まし,恐れを取り去り,証を述べてくれる人が必要だと思うこともあるのです。」

わたしはこの手紙を読みながら,有名なビクトリア・アルバート美術館を訪れたときのことを思い出しました。イギリスのロンドンにある世界有数の美術館です。そこには,ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが1831年に描いた傑作が,すばらしい額縁に収められていました。その絵画には,重々しく立ち込めた黒雲と荒れ狂う海の猛威が描かれ,危険と死の前触れを表していました。座礁した船の明かりが遠くを照らし,前景には大型の救命艇が,押し寄せる荒波に高く揺れていました。嵐に向かって突進する救命艇に乗った男たちは全力でオールをこいでいます。岸辺では,夫人と二人の子供が雨にぬれ,風に打たれながら立ち,心配そうに海を見詰めていました。わたしは心の中で,この絵画のタイトルを自分なりに短くまとめ,『救助に向かう』と名付けました。6

人生の困難の中には危険が潜んでいます。男女を問わず人は自分が窮地に陥り,破滅の危険にさらされていることに気づきます。心地よい家庭や家族を後に残し,救命艇に乗って救助に向かうのはだれでしょうか。

わたしたちの責務は達成不可能なものではありません。わたしたちは主の用向きを受けているのです。ですから,主から助けていただく資格があるのです。

主は人々を教え導いておられたとき,ガリラヤで漁師たちを召し,網を捨てて御自分に従うように求め,こう明言されました。「あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう。」〔マタイ4:19〕わたしたちが人をとる漁師の救援隊に加わり,できるかぎりの助けを与えられるよう祈っています。……

まさしく現実的な意味で,ターナーの絵に描かれている嵐の海にもまれている人々は,教会に活発に集っていない多くの会員に似ています。救命艇で向かう人たちが救助してくれるのを待っているのです。彼らの心は助けを求めています。母親や父親は,息子や娘のために祈っています。妻は,夫に助けの手が差し伸べられるように祈っています。子供が親のために祈っていることもあります。

わたしたちが教会に来ていない会員を救助し,イエス・キリストの福音の喜びを再び味わってもらいたいという願いを持てますように,そして活発に集うことから得られるすべての祝福にともにあずかれますようにお祈りします。7

画像
難破船救助の絵

「人生の困難の中には危険が潜んでいます。男女を問わず人は自分が窮地に陥り,破滅の危険にさらされていることに気づきます。……救助に向かうのはだれでしょうか。」

わたしたちには責任があります。それは,影響を与えるために召されたすべての人に手を差し伸べるという厳粛な義務です。わたしたちの義務は,神の日の栄えの王国に彼らを導くことです。指導者の外套は,それをまとう者を慰める快適な衣ではなく,むしろ責任の衣であるということを覚えることができますように。助けと愛が必要な人々を救うために,わたしたちが手を差し伸べることができますように。〔教義と聖約84:106参照〕

女性や男性,あるいは少女や少年を教会に活発に集うよう呼び戻すとき,それはつまり妻や姉,妹,あるいは母親の熱意ある祈りにこたえ,夫や兄,弟,あるいは父親の切なる願いを実現するのを助けているのです。また,愛ある御父の指示を尊重し,従順な御子の模範に従っているのです(ヨハネ12:26教義と聖約59:5参照)。そしてわたしたちの名前はわたしたちが手を差し伸べる人々によって永遠にたたえられることでしょう。8

3

救助には愛と忍耐が必要である。

教会へ戻り,態度や習慣,行動を変える重要かつ根本的な理由は二つあります。教会に戻る第1の理由は,自分の持っている永遠の可能性をだれかが示してくれて,その可能性を達成しようと決意するのを助けてくれたからです。……

教会に戻る第2の理由は,愛する者や「聖徒たちと同じ国籍の者」が救い主の勧告に従い,自分を愛するように隣人を愛してきたからであり,ほかの人の夢や理想を実現するのを助けてきたからです〔エペソ2:19マタイ22:39参照〕。

このような過程を促進する力は,これまでも,そしてこれからも,愛の原則にほかならないのです。9

〔人々が教会に活発になるのを助けるために〕忍耐という神聖な徳を求められることがしばしばあります。ビショップを務めていた時代のある日,わたしは一人の男性を訪問するよう促しを受けました。奥さんはある程度活発で,子供たちも同様でした。しかし,この人はわたしたちの働きかけに対し,まったく反応を示しませんでした。夏の暑い日でした。わたしは,ハロルド・G・ギャラチャー家のドアの網戸をノックしました。ギャラチャー兄弟が椅子に座って新聞を読んでいるのが見えました。彼は目を上げようともせずに「どなた」と尋ねました。

「ビショップです」と答えました。「皆さんとお話しして,ぜひとも家族で教会にいらっしゃるようお勧めに参りました。」

「忙しいからお断りします」とそっけない対応でした。まだ新聞から目を離しません。耳を傾けてくれたことにお礼を言って,玄関を後にしました。

それから間もなく,ギャラチャー家はカリフォルニアへ引っ越してしまいました。年月が過ぎました。十二使徒定員会の会員として執務室で仕事をしていたある日,秘書の声が聞こえてきました。「ギャラチャー兄弟という方がお話ししたいとおっしゃっています。モンソン長老のワードに昔住んでいらっしゃったそうです。今,ここにおられますが。」

わたしはこう返事しました。「その人に聞いてください。ハロルド・G・ギャラチャーという名……〔の〕人かどうか。」

秘書は「ええ,その方です」と言いました。

執務室にお通しするように言いました。彼の家族について楽しく語らいました。ギャラチャー兄弟はこう話してくれました。「昔,あの夏の日に,わたしは椅子から立ち上がろうともせず,あなたをドアの所で立たせたままにしていたことをおわびしに来ました。」教会に活発に集っているかどうかを尋ねました。すると彼は,ほほえみを浮かべながらこう答えました。「今,ワードでビショップリック第二顧問をしています。教会に招いてくださったのに,不愉快な態度を執ってしまったことが,度々心に浮かんでいたものですから,何か行動に移そうと決心したのです。」

それからハロルドが亡くなるまで,わたしたちの間には何度も行き来がありました。ギャラチャー夫妻と子供たちは教会で多くの召しを立派に果たしました。10

4

ワードとステークの会員は救助のためにともに働くことができる。

わたしたちには真実の教義と,教会のプログラムが与えられています。人もいますし,力もあります。わたしたちの使命は,単に集会に出席する以上のものです。人を救うために奉仕するのです。11

〔若いビショップだったころの〕ある朝,かかってきた電話を取ると,次のように語る声が聞こえてきました。「スペンサー・W・キンボール長老です。お願いしたいことがあって電話しました。あなたのワードで,第5南通りに面した大きなビルの裏に,小さな目立たないトレーラーハウス〔訳注—車で引く移動住宅〕があります。そこにナバホ族の,夫を亡くしたマーガレット・バード夫人がいます。バード夫人は,自分が役に立たないつまらない者であると思って,気力を失っています。扶助協会の会長会と一緒にバード夫人を訪問し,友情の手を差し伸べ,特別に彼女に温かい言葉をかけてあげてくださいませんか。」わたしたちはそのとおりに実行しました。

やがて奇跡が起こりました。マーガレット・バード夫人は,新たに見いだした環境の中で生気を取り戻し,見違えるように明るくなったのです。失意は消え去りました。夫を亡くして苦悩の中にあった夫人は訪問を受けました。失われた羊が見いだされたのです。このシンプルなドラマに参加した一人一人が成長することができました。12

わたしは長年にわたって全世界の多くのステークを訪問してきました。その中に,必要に迫られて,あるいは義務を果たすために,不安を抱くことをやめ,腕まくりをし,そして主の助けによって行動を起こしたワードとステークの指導者がいます。大切な兄弟たちがメルキゼデク神権を受けられるように助け,さらにその妻子とともに,エンダウメントと結び固めを受けるため聖なる神殿に参入するよう導いたのです。

〔二つ〕の例を手短に紹介したいと思います。

何年か前に,ソルトレーク・シティーのミルクリークステークを訪問したとき,大神権を受けるべき状態にあった100人以上の兄弟たちが,その前の年に長老に聖任されたことを知りました。ジェームズ・クレッグ会長に成功の秘訣を尋ねました。クレッグ会長は非常に控えめな方で,その誉れを受けようとしませんでしたが,顧問の一人が明かしてくれました。当時の状況をチャレンジと受け止めたクレッグ会長は,対象となる長老見込み会員一人一人に電話をし,会う約束を取りつけました。クレッグ会長はその面談の中で,主の神殿と神殿で強調されている救いの儀式と聖約について話し,最後にこのような質問をしました。「あなたの愛する奥さんと大切なお子さんたちを主の宮へ連れて行って,永遠の家族になりたいと思いませんか。」彼らは,「はい」と答えました。それから再活発化への働きかけが行われ,目標が達成されました。

1952年に,ローズパーク第3ワードのほとんどの家族で,父親あるいは夫が持っていたのはメルキゼデク神権ではなくアロン神権でした。そんなとき,L・ブレント・ゴーテス兄弟がビショップに召されました。ゴーテスビショップはあまり活発でなかった一人の兄弟,アーネスト・スキナーに,ワードでアロン神権の教師の職にある29人の兄弟を活発にして,家族とともに神殿へ連れて行くのを手伝ってほしいと言いました。自分もそれほど活発でなかったスキナー兄弟は,初めは気が進みませんでしたが,ついに,できるだけのことをやってみます,と言いました。こうして,スキナー兄弟は,あまり活発でない成人の教師たちを一人一人訪問して,家庭における神権指導者として,家族にとっての夫,父親として,果たすべき役割を理解できるように助けました。じきに,同じようにあまり活発でない兄弟たちに,その責任への協力を求めました。一人また一人と再び活発になって,家族を神殿へ連れて行きました。13

画像
抱き合い,握手をする人々

「あなたがたが同胞のために務めるのは,とりもなおさず,あなたがたの神のために務めるのである。」(モーサヤ2:17)

5

わたしたちはキリストの純粋な愛をもってすべての人に手を差し伸べる。

だれでもより良い自分に変わることができます。わたしたちは長年にわたって,教会に活発に集っていない人,傷ついたと感じている人,批判的な人,背罪を犯した人に戻って来るよう,こう呼びかけてきました。「戻って来てください。そして主が備えられた食卓に着き,聖徒の交わりという甘く,心を満たしてくれる木の実を再び味わってください。」〔First Presidency statement, in Ensign, Mar. 1986, 88〕

人は良心という自分だけの聖域すなわち悪からの避け所を持っており,それは古い自分を捨てて,自分の持っている可能性を追求するよう駆り立ててくれます。この考えに基づいて,わたしたちは再び心から申します。戻って来てください。わたしたちはキリストの純粋な愛をもって手を差し伸べています。そして,皆さんの力になり,この交わりに歓迎したいと願っています。心が傷ついている人,悩み恐れている人に申します。わたしたちに,あなたを立ち上がらせ,元気づけ,恐れを鎮めさせてください。主の招きを文字どおりに受け入れてください。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。」〔マタイ11:28-3014

研究とレッスンのための提案

質問

  • モンソン大管長は,救助が必要であることを示す種々の問題を挙げています(第1項参照)。人々を救助するために手を差し伸べることが大切なのはなぜでしょうか。「救助したい」という願いをわたしたちの中に「わき起こ」させるには,どうすればよいでしょうか。

  • ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの絵に関するモンソン大管長の話を読んでください(第2項参照)。どうすれば人生の嵐にもまれている人たちを救助できるでしょうか。教会に再び活発に集うことがもたらす喜びを,あなたはいつ経験しましたか,または目にしましたか。

  • 救助の取り組みにおいて,愛と忍耐が不可欠なのはなぜでしょうか(第3項参照)。愛が助けとなってだれかが教会に再び活発になったのを見たことがありますか。ハロルド・ギャラチャーの話から,どのようなことを学べますか。

  • 第4項の話は,わたしたちにどのようなことを教えているでしょうか。

  • 会員にとって教会に再び活発になるのは容易でないことがあるのはなぜでしょうか。「心が傷ついている」人をどのように助けることができるでしょうか(第5項)。恐れている人の「恐れを鎮め〔る〕」のをどのように助けることができるでしょうか。

関連聖句

エゼキエル34:16マタイ25:35-46ルカ15章ヨハネ10:1-16モロナイ6:4-5教義と聖約81:584:106

学ぶ際のヒント

「福音を理解することによって喜びを感じると,学んだことを応用したいと思うようになります。理解していることと一致した生活をするよう努力してください。そうすることによって,あなたの信仰と知識と証は強められることでしょう。」(『わたしの福音を宣べ伝えなさい』19

  1. テンサイと人の価値『リアホナ』2009年7月号,4-5この若い男性が40年後にモンソン大管長にあてて書いた手紙の抜粋は,10ページ参照。

  2. 熱心に携わる『リアホナ』2004年11月号,56

  3. 召しの義務『聖徒の道』1996年7月号,51

  4. 救助の責任『リアホナ』2013年10月号,4

  5. 天の家—永遠の家族『リアホナ』2006年6月号,70

  6. 絵画の完全な題名は次のとおり。「遭難信号を発する座礁した船に向かう救命艇とマンビー装置」

  7. 救助の責任」4参照

  8. テンサイと人の価値」5参照

  9. 救助の責任」5参照

  10. 任命された職にしっかりと立つ『リアホナ』2003年5月号,56-57参照

  11. テンサイと人の価値」3

  12. イエスが歩まれた道『聖徒の道』1993年2月号,5-6参照

  13. 任命された職にしっかりと立つ」55-56参照

  14. 過去を振り返り,前進する『リアホナ』2008年5月号,89