歴代大管長の教え
第22章


「第22章:感謝という驚くべき徳」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』

「第22章」『教え—トーマス・S・モンソン』

第22章

感謝という驚くべき徳

「感謝を表すことは親切で高潔なことです。感謝を行動で示すことは寛大で気高いことです。しかし,常に感謝を心に抱いて生きることで,わたしたちは天に触れることができるのです。」

トーマス・S・モンソンの生涯から

モンソン大管長は10歳くらいのころ,鳥類,特にハトに興味を持つようになった。学校の窓から,近くの屋根の上に並ぶハトたちを友達と一緒によく眺めていた。放課後になると男の子たちは時々ハトを捕まえた。トムと友達のボブはそれぞれの家の裏庭にハトのための簡単な小屋を建てた。

間もなく,ボブの父親がボブのハト小屋に風よけのための窓を取り付けた。トムは自分の小屋にもそんな窓がぜひ欲しいと思うようになった。

ある日,トムが驚いたことに,ボブの父親が窓を持ってモンソン家にやって来て,トムの小屋に取り付けてくれた。そのときの気持ちを振り返り,モンソン大管長は後にこう述べている。「ほかの人がわたしのために進んで何かをしてくれたことに対して,あのような感謝の気持ちを覚えたことはそれまでありませんでした。」1

生涯の大半にわたり,モンソン大管長は裏庭でハトを育てた。様々な品種を取り入れてハトを増やし,その幾つかは郡や州の品評会で賞を獲得している。2この生涯の趣味を楽しむとき,ボブの父親のささやかな親切に対する感謝の気持ちを忘れることは決してなかった。

この経験やほかの経験から感謝の力を学んだモンソン大管長は,自身の教えの中で感謝を特に重要なテーマとした。「それぞれの生活の中で,わたしたちが感謝という驚くべき徳を表すことができるよう心から誠実に祈ります」と,モンソン大管長は述べている。「感謝が今も永遠にもわたしたちの心に染み通りますように。」3

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ハトを持つトーマス・S・モンソン

モンソン大管長は生涯を通じて,子供時代にハト小屋に窓を取り付けてくれた友達の父親に感謝の念を抱いていた。

トーマス・S・モンソンの教え

1

感謝を伝えることは,個人の幸福を得るためのパターンである。

感謝は天の原則です。預言者ジョセフ・スミスに与えた啓示を通して,主は宣言されました。

「あなたはすべてのことについて,主なるあなたの神に感謝しなければならない。……

また,すべてのことの中に神の手を認めない者……のほかに,人はどのようなことについても神を怒らせることはない,すなわち,ほかのどのような人に向かっても神の激しい怒りは燃えない。」〔教義と聖約59:7,21

モルモン書で,わたしたちは「神が授けてくださる多くの憐れみと祝福を日々感謝しながら生活するように」言われています〔アルマ34:38〕。4

グラシアス,ダンケ,メルシーなど,言語は違っても,「ありがとう」を頻繁に使えば,自分の霊は高まり,友情の輪が広がり,……より高い道を歩むことができます。「ありがとう」と言うとき,そこには気取りも偽りもありません。

美しく感銘的な感謝の発露が,数年前の新聞記事に載りました。

「コロンビア警察署で金曜日に,所有者不明の100台の自転車の競売が行われた。最初の競りが始まると,11歳の少年が『1ドル』と言った。しかし,もっと高い価格で競り落とされた。それから自転車が出てくる度に,少年は期待を込めて『1ドル』と叫んだ。

43年間,盗難車や放置された自転車を扱ってきた競売人は,競走用の自転車のときに限って少年の声が高まるのに気づいていた。

いよいよ最後の競走用自転車で,価格は8ドルまで上がった。『その坊やに9ドルで落札!』競売人はそう言うと,自分のポケットから8ドルを取り出し,少年に1ドルを求めた。少年は,1セントや5セント,10セント,25セントの硬貨を探し出して渡し,自転車に乗って帰りかけた。しかし,すぐに止まると,丁寧に自転車を置いて駆け戻り,感謝を込めて競売人の首にしがみついて泣き出したのだった。」

この少年のように,深い感謝の気持ちを感じたのは,いつのことだったでしょうか。自分のために人がしてくれたことは,たとえ感動的でなくても,感謝の言葉に値するものです。5

常に感謝する。この言葉は,幸せな結婚への最も良い近道,長く続く友情への公式,そして個人の幸福を得るためのパターンなのです。6

感謝の心は,天の御父が下さる祝福や,周りの人がもたらしてくれるすべてのことに感謝の気持ちを表すことで得られます。これには意識的な努力が欠かせません。少なくとも,感謝の心を知り,育むまでは努力を続ける必要があります。ありがたいと思い,その気持ちを伝えるつもりであっても,忘れたり,時間を取らなかったりすることがよくあります。「感謝しているのに伝えないのは,プレゼントを包んでいるのに渡さないようなものだ」と言った人がいます〔William Arthur Ward, in Allen Klein, comp., Change Your Life! (2010), 15〕。7

わたしたちは受けた祝福に感謝することを覚えているでしょうか。心からの感謝は,祝福に気づかせてくれるだけでなく,天の扉を開いて神の愛を感じられるように助けてくれるのです。8

詩篇の第30篇で,ダビデは言いました。「わが神,主よ,わたしはとこしえにあなたに感謝します。」〔詩篇30:12

使徒パウロはコリント人への手紙の中で,「言いつくせない賜物のゆえに,神に感謝する」〔2コリント9:15〕と述べ,テサロニケの人には「すべての事について,感謝しなさい。これが……神があなたがたに求めておられることである」〔1テサロニケ5:18〕と書き送りました。

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは「言いつくせない賜物」と豊かに注がれる祝福に対して神に感謝しているでしょうか。

アンモンの次の言葉について考えてください。「さて,兄弟たち,神は民がどの地に住んでいようとも,すべての民を心にかけられることが分かる。まことに,神は御自分の民を数えておられ……る。これがわたしの喜びであり,わたしの深く感謝しているところである。わたしはとこしえに神に感謝をささげよう。」〔アルマ26:37〕……

預言者アルマは勧めています。「あなたのすべての行いについて主と相談しなさい。そうすれば,主はあなたのためになる指示を与えてくださる。まことに,夜寝るときは,眠っている間も主が見守ってくださるように,主に身を託して寝なさい。そして,朝起きるときに,神への感謝で心を満たしなさい。これらのことを行うならば,終わりの日に高く上げられるであろう。」〔アルマ37:379

2

祝福に目を向けることが,試練や問題に立ち向かう助けとなる。

時間を取って祝福についてよく考えるなら,どのような状況にあっても,感謝するべきことがたくさん出てくるはずです。

今,地球はすばらしい時を迎えています。今日の世界には間違ったことが多くありますが,正しく善いこともたくさんあります。幸せな結婚生活を送り,子供を愛し,子供のために犠牲を払っている親がいます。気遣い,助けてくれる友がいます。教えてくれる教師がいます。人生を祝福してくれるものは無数にあるのです。……

日々の生活で試練や問題に直面すると,祝福に目を向けるのはたいてい難しくなります。それでも熱心に探し,懸命に見いだそうとするならば,どれほど多くを与えられているかに気づき,実感することができるのです。

ある家族の話を紹介します。大きな試練の中で祝福に気づくことのできた家族です。何年も前に読み,すばらしい内容だったのでずっと手もとに置いていました。ゴードン・グリーンという人が残した記録で〔す〕。……

ゴードンは自分がカナダの農場でどのように育ったかをつづっています。学校が終わると,ほかの子供たちがボール遊びや水泳をしていても,ゴードンときょうだいは急いで帰宅しなければなりませんでした。それでもゴードンの父親のおかげで,子供たちは働くことには大いに価値があるということを理解していました。それは特に収穫の後,家族で感謝祭を祝うときに実感できました。その日,父親は子供たちにすばらしいプレゼントをします。家に何があるかをすべて調べるのです。

感謝祭の朝,父親は子供たちを連れて地下室に行きます。そこにはリンゴの入った樽,甜菜の入った容器,砂に詰めたニンジン,山積みされたジャガイモの袋があったほか,棚は豆,コーン,サヤエンドウ,ジャム,イチゴやそのほかの瓶詰めでいっぱいでした。父親は子供たちにそれらをゆっくりと,一つ残らず数えさせました。次に納屋へ行ってどれだけの干し草があるかを調べ,また穀物倉にどれだけの穀物があるかを確認させました。牛,豚,鶏,七面鳥,ガチョウも数えました。父親は必要なものがあるか確認したいと言っていましたが,ほんとうは,神がどれほど家族を祝福し,長時間の労働に報いてくださったかを,その祝日に実感してほしかったということが子供たちには分かっていました。最後に,母親が作ってくれたごちそうのテーブルに皆で着いたとき,彼らの心は感謝で満たされました。

しかし,最も感謝した感謝祭の思い出は,感謝するべきことが何もないと思われた年のことだったとゴードンは書いています。

その年は順調に始まりました。前年の干し草の残りがあり,種も多く,生まれた豚も4頭いました。また,父親には貯金も少しありました。農家のあこがれである干し草を積む機械をいつか買うための貯金です。その年,町には初めて電気が通りました。……一日中働いてくれる洗濯機を買い,どの部屋の天井からも待望の電球をつり下げました。ランプに油を差すことも,ろうそくの芯を切ることも,すすけたガラスの筒を洗うこともなくなり,ランプは屋根裏の物置にそっと置かれました。

農場に電気が通ったことは,その年の喜ばしい出来事の最後になってしまうところでした。作物が土から顔を出し始めると,すぐに大雨になりました。水はようやく引いたものの,植物は完全に流されていました。また種を植えましたが,さらなる大雨で地中の作物はだめになってしまいました。ジャガイモは泥の中で腐っていました。手放すつもりのなかった牛を数頭,豚やそのほかの家畜をすべて売りましたが,大した金額にはなりませんでした。ほかの農家も皆同じ状況だったからです。その年彼らが収穫できたのは,嵐の中で生き残ったカブだけでした。

そしてまた感謝祭の季節が来ました。母親が言いました。「今年は感謝祭はできないわ。ガチョウ1羽さえいないのだから。」

しかし感謝祭の朝,ゴードンの父親は野ウサギを持って来て,母親に料理するように言いました。母親は,ウサギの肉は固くて料理に時間がかかると言いながら,不承不承料理を始めました。ウサギの肉と嵐を生き抜いたカブがようやくテーブルに並びましたが,子供たちは食べたくないと言いました。母親は泣きました。すると父親は奇妙なことをしました。屋根裏からオイルランプを持って来ると,テーブルに載せて火をともし,子供たちに電気を消すように言ったのです。以前のようにランプの明かりだけになったとき,皆,以前はこれほど暗かったということが信じられませんでした。電気の明るい光がなかったころ,どうやって物を見ていたのだろうと,皆不思議に思うほどでした。

食事を祝福し,皆で食べました。食事が終わると皆で静かに座りました。ゴードンはこう書いています。

「古いランプの薄明かりの中で,わたしたちは再びはっきりと見ることができるようになった。……すばらしい食事〔だった〕。野ウサギは七面鳥のようにおいしかったし,カブもこれまでで最高の味だった。……乏しかったが,……我が家は……とても豊かだった。」〔adapted from H. Gordon Green, “The Thanksgiving I Don’t Forget,” Reader’s Digest, Nov. 1956, 69–71〕

兄弟姉妹,感謝を表すことは親切で高潔なことです。感謝を行動で示すことは寛大で気高いことです。しかし,常に感謝を心に抱いて生きることで,わたしたちは天に触れることができるのです。10

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女性と一緒に祈る子供

「時間を取って祝福についてよく考えるなら,感謝するべきことがたくさん出てくるはずです。」

3

感謝の気持ちは育てることができる。

いつまでも悲観的に考えるのをやめ,心の中に感謝の気持ちを育てるなら,自分自身を奮い立たせ,人を勇気づけることができます。感謝を忘れることが重い罪の一つに数えられるとすれば,感謝することは最も気高い徳の一つです。ある人はこう言いました。「感謝は最も偉大な徳であるばかりか,そのほかすべての徳の生みの親でもある。」〔Cicero, in A New Dictionary of Quotations on Historical Principles, sel. H. L. Mencken (1942), 491〕

心の中に感謝の気持ちを育てるにはどうすればよいでしょうか。第6代大管長のジョセフ・F・スミス大管長はこう答えています。「感謝する人は,世界には感謝するべきことが数多くあることを知っています。その目には良いことの方が悪いことよりも多く映っています。愛がねたみに打ち勝ち,光がその人の生活から闇を追い払うのです。」さらにこう続けています。「高慢な心は感謝する心を破壊し,代わりに利己心を植え付けます。人は感謝と愛に満ちた人のそばにいる方がずっと幸福です。生活の中でよく祈ることを通して,神と人に対する感謝の気持ちを育てることに,どれほど心を注ぐべきでしょうか!」〔Gospel Doctrine, 5th ed. (1939), 263〕

スミス大管長は,感謝の念を抱くには生活の中でよく祈ることが大切だと述べています。

人は,物質的なものがあれば喜び,感謝するでしょうか。一時的にはそうでしょう。でも,深くて永続する喜びと感謝をもたらすものはお金で買えません。例えば,家族,福音,友人,健康,能力,周りの人から受ける愛を買うことはできません。残念なことに,わたしたちはこれらの人やものを,あって当たり前だと思ってしまうときがあります。11

人に援助の手を差し伸べる機会がいつ訪れるのか,わたしたちは知ることができません。わたしたち一人一人が通るエリコへの道には標識がなく,わたしたちの助けが必要な疲れた旅人は名もない人々かもしれません。概して,親切を受けた相手は礼を述べるいとまもなく,こちらも,もう一度同じような親切を繰り返す気にさせるあの高貴な思いや優しい心を味わえずに終わることが度々あります。教会本部に最近届いた手紙の中に,心からの感謝を述べたものがありました。……

「大管長会事務局 御中

わたしが定職もなく町から町へ旅を続けていたころに,ソルトレーク・シティーでクリスチャンの精神にあふれた援助を受けたことがあります。

カリフォルニア州までの横断旅行の途中,わたしはソルトレーク・シティーのバス中継所でいったんバスを降りました。必要な薬を切らしていたために,わたしは睡眠不足に陥り,気分が悪く震えていました。ボストンでの悲惨な生活から慌ただしく抜け出して来たために,薬のことをすっかり忘れていたのです。

わたしはテンプルスクウェアホテルのレストランで,すっかり落胆してほおづえを突き,飲みたくもないコーヒーの入ったカップをじっと見つめていました。すると見知らぬご夫婦がわたしのテーブルに近づいてくるのが目に留まりました。『失礼ですが,ご気分が悪いのではありませんか。』そのご婦人がこう声をかけてきました。わたしは顔を上げると,少し震えながら泣き出してしまいました。そして過去のいきさつやそのときの自分の苦境を話しました。このご夫婦は真摯な態度で,ほとんど支離滅裂なわたしの話に忍耐強く耳を傾けてくれました。そして,わたしに援助を申し出てくれたのです。彼らは名士だったに違いありません。彼らはレストランの責任者と話し,5日間この食堂で好きなものを食べられるように手配してくれたのです。次いでわたしをフロントに連れて行き,ホテルに部屋を5泊分取ってくれました。そして車でわたしを診療所まで乗せて行き,必要な薬がもらえるようにしてくれました。健康な判断力と落ち着きを取り戻すにはどうしてもこの薬が必要でした。

健康が次第に回復し体力を取り戻していく間,わたしは毎日行われるタバナクルのオルガン演奏を聞きに行くのを日課にしていました。かすかな音色から力強い音の響きに至るまで,あの楽器が奏でる天来の音はこれまでわたしが耳にしたどの音楽よりも崇高なものでした。わたしはタバナクルのパイプオルガンの演奏と合唱団の歌を吹き込んだカセットとレコードを買いました。気が滅入ってもこれを聴く度に心が慰められ,励まされます。

ホテルを発つ日,フロントで鍵を返す際に,あのご夫婦からの伝言を受け取りました。『途中,困っている人を見つけたら親切にしてあげてください。それがわたしたちへのお返しです。』わたしはいつもそうしてきたつもりですが,もっと心を敏感にして助けの必要な人を捜し出そうと決心しました。

皆さんのご成功をお祈りします。聖文に書かれている『末日』がはたして現代を指しているのかどうか,わたしには分かりません。しかし,貴教会の二人の会員がわたしのつらいときに助けを与えてくれた聖徒であったことは,はっきりと分かります。以上のことをお知らせしたくペンを執りました。」12

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男性に食事を提供する女性

「わたしたち一人一人が通るエリコへの道には標識がなく,わたしたちの助けが必要な疲れた旅人は名もない人々かもしれません。」

4

救い主の模範に倣い,主の言葉に従うとき,わたしたちは救い主に感謝を表している。

感謝するべきすべてのことに加えて,主なる救い主イエス・キリストへの感謝をわたしたちが常に表すことができるように祈ります。主の栄えある福音は人生最大の疑問に答えます。「人はどこから来て,なぜここにいて,死んだ後,人の霊はどこへ行くのだろうか。」この福音は闇の中を生きる人々に神の真理の光を届けるのです。

主はいかに祈るべきかを教えられました。いかに生きるべきかを教えられました。いかに死ぬべきかを教えられました。主の生涯は愛の遺産です。主は病める者を癒し,虐げられた者を抱き上げ,罪人を救われました。……

主に従い,主の模範に倣い,主の御言葉に従いましょう。そうすることにより,わたしたちは感謝という神の賜物を主に差し出すのです。13

研究とレッスンのための提案

質問

  • モンソン大管長が感謝の大切さについて引用した聖句を読んでください(第1項参照)。感謝することが「個人の幸福を得るためのパターン」であるのはなぜだと思いますか。感謝することは,あなたが神の愛を感じるためにどのような助けとなってきましたか。人々に感謝を表す方法にはどのようなものがあるでしょうか。

  • わたしたちが祝福をあって当たり前だと思うことがあるのはなぜでしょうか(第2項参照)。受けている祝福についてよく考えることは,困難なときにどのような助けとなってきましたか。目を向けようと努力するまで気づかなかった祝福にどのようなものがありますか。ゴードン・グリーンの話から,感謝についてどのようなことが学べるでしょうか。

  • 感謝の気持ちを育てるにはどうすればよいでしょうか(第3項参照)。祈りは感謝を深めるためにどのように役立ってきましたか。人に奉仕することは,どのように神に感謝を表すことになるでしょうか。感謝の気持ちを持って生活するとき,わたしたちの生活にどのような影響があるでしょうか。

  • モンソン大管長は,「主なる救い主イエス・キリストへの感謝を……常に表す」ようわたしたちに助言しています(第4項)。どうすれば救い主に対する感謝の気持ちを深めることができるでしょうか。主への感謝をどのように表すことができるでしょうか。

関連聖句

詩篇100:3-4ルカ17:11-19コロサイ2:6-72ニーファイ9:50-52モーサヤ2:19-22教義と聖約78:18-19

学ぶ際のヒント

「救い主を信じる信仰を築〔く〕ように,学習活動を計画〔してください〕。」(『わたしの福音を宣べ伝えなさい』22)例えば,学ぶ際に次のように自問するとよいでしょう。これらの教えを通して,イエス・キリストの贖いについての理解がどのように深まるだろうか。この教えは,さらに救い主のような者になるうえでどのような助けとなるだろうか。