「第19章:教師が及ぼす永続的な影響」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』
「第19章」『教え—トーマス・S・モンソン』
第19章
教師が及ぼす永続的な影響
「教会で教える際に第1に目標とすべきことは,少年や少女,男性や女性の生活に価値ある変化をもたらす手助けをすることです。」
トーマス・S・モンソンの生涯から
使徒としての最初の総大会の説教で,トーマス・S・モンソン大管長は次のように述べている。「質素な開拓者のワードで過ごした子供時代や若い男性の時期にわたしの教師や指導者であった方々に,とても感謝しています。」1モンソン大管長は生涯を通じて,教会の教師たちに対して感謝の意を表し続け,彼らから受けた影響について頻繁に語っている。
モンソン大管長はまた学校の教師たちにも同じように感謝していた。次のように述べている。「わたしの小学校時代の音楽の先生の名前が,その科目にふさわしく『シャープ』先生だったのを思い出すと,楽しくなります。彼女は生徒に音楽を愛する心を植え付け……てくれました。」2
大学生のころ,モンソン大管長は教師から学ぶときに効果的なアプローチを使っていた。教師が教えている事柄を自分が教えなければならないと想像することで,自分の説明をより良い内容にしてくれる概念について理解を深めるよう努めたのである。3
モンソン大管長は,力強く教える方法について教会員に指導した。「わたしたちは皆何らかの点で教師であり,最善を尽くして教える義務があります。」4また,福音を教える目的は何かを教えている。
「福音を教える目標は,……生徒の頭に『情報を流し込む』ことではありません。また,教師の知識を誇示することでも,単に教会についての知識を増すだけのことでもありません。教会で教える際に第1に目標とすべきことは,少年や少女,男性や女性の生活に価値ある変化をもたらす手助けをすることです。そのためには,福音の原則に従って生活することについて考え,感じ,行動に移せるよう一人一人を鼓舞しなければなりません。」5
教師について,モンソン大管長は次のように述べている。「これほど気高い特権はなく,これほどやりがいのある務めはありません。」6この点について説明するために,次のような話をしている。
「あるとき,わたしは〔ある〕会話を小耳に挟みました。3人の小さな子供たちが,自分たちの父親の自慢話をしていたのです。一人が言いました。『ぼくのお父さんは君のお父さんよりも大きいぞ。』すると,もう一人が『だけどぼくのお父さんは君のお父さんよりも頭がいいよ』と言い返しました。そこで3人目の少年が,『ぼくのお父さんは医者さ』と言い,一人の少年の方を向いてばかにしたように『君のお父さんはたかが教師じゃないか』と言ったのです。
母親の呼ぶ声でその会話は終わりになりました。しかしその言葉はわたしの耳の中でこだまし続けました。たかが教師じゃないか。たかが教師じゃないか。たかが教師じゃないか。その幼い子供たちもいつの日か,霊感あふれる教師のほんとうの価値を認めるようになり,そのような教師が自分の人生に残す貴重な足跡を心から感謝するようになるでしょう。
ヘンリー・ブルックス・アダムズが述べているように,『教師は永遠の影響を残す。その影響はとどまるところを知らない』のです。」7モンソン大管長は,このとても大きな影響力は,家庭の親,学校の教師,教会の教師など,すべての教師に当てはまると教えている。
トーマス・S・モンソンの教え
1
親には子供たちを教え,良い模範を示す神聖な義務がある。
皆さんにとってもわたしにとっても,恐らく最も強く印象に残っている教師は,わたしたちに最も大きな影響を与えた教師でしょう。その教師は黒板を使わなかったかもしれませんし,学位を持っていなかったかもしれません。しかしその教えは永遠で,教師の真心を伝えています。そうです。それは母親です。同時に,それはまた父親でもあります。事実,すべての親は教師なのです。
デビッド・O・マッケイ大管長は,「子供時代に適切な訓練を施すことは,人にとって最も神聖な義務です」と指摘しています。御父のもとからやって来る純粋な愛らしい子供は,「『世の汚れに染まっておらず,世の不公平に困惑しておらず,世のむなしい快楽によって疲れ切ってもいない,光の源からやって来たばかりの存在で,その普遍的な輝きを内に秘めています。もし子供時代がこのようであるとするなら,子供が成長していく過程でそのほかのものになることのないようにするのは,何と神聖な務めでしょう。』」(Improvement Era, May 1930, p. 480)……
教えるのに最も適した期間は非常に短いです。その機会は放っておくと失われてしまいます。教師としての責任を実行せずに引き延ばしている親は,後になって,ウィッティアが指摘した苦汁をなめることになるでしょう。「あのときああしていれば今ごろは……。舌が語りペンがつづる悲しい言葉の中で,これほど悲しい言葉はない。」(John Greenleaf Whittier, “Maud Muller”)……
母親と父親の皆さん,わたしたちは子供たちの人生を流し込む鋳型を作っているということにお気づきでしょうか。子供たちに教えるためには,子供たちの近くにいなければならず,子供たちの身近にいられる場所は家庭なのです。わたしたちには,子供たちの前で正しい模範を示す責任があります。
主の言葉の中で,モルモン書のヤコブ書に記されているもの以上に厳しい非難をわたしは読んだことがないと思います。主は次のように言っておられます。「見よ,あなたがたは……妻子の前に良くない手本を示して,感じやすい妻の胸を張り裂けさせ,子供たちの信頼を失った。」(モルモン書ヤコブ2:35)悪い手本を示すことで主がこのように厳しくわたしたちを非難されるのであれば,もしわたしたちが正しい模範を子供たちに示せば,主に認めていただけると考えるのは理にかなっていないでしょうか。そうすれば,次のように言ったヨハネのように,わたしたちも振り返ることができるでしょう。「わたしの子供たちが真理のうちを歩いていることを聞く以上に,大きい喜びはない。」(3ヨハネ1:4)
神から託された教育の務めを始めるに当たり,親はいっそうの霊感を必要とします。そのような親に覚えていてほしいのは,世にあって最もすばらしい心の結びつきは,広大な宇宙の事象によるのでも小説や歴史書の中にでもなく,子供の寝顔を見つめる親によって見いだされるということです。「神のかたちに創造し」という栄光に満ちた聖書の一節は,親がこの経験を繰り返す度に,新しくかつ生き生きとした意味を持つようになるでしょう。家庭は天国と呼ばれる避け所となり,愛にあふれた両親はその子供たちに「祈ることと,主の前をまっすぐに歩むこと」(教義と聖約68:28)とを教えるでしょう。8
中には良い生活への橋渡しをするよりも,信仰を失わせる方を喜ぶ教師がいます。……わたしたちはクラスをコントロールすることはできませんが,少なくとも生徒を備えさせることはできます。皆さんは「どのようにして」と問うでしょう。わたしの答えはこうです。「神の日の栄えの王国の栄光へと導く手引書,神の真理と人間の理論を区別する物差しを与えてください。」
わたしは数年前,そのような手引書を手にしました。それは……モルモン書,教義と聖約,高価な真珠を1冊にした聖典です。その本は愛にあふれた父親から,父親の助言に注意深く従う美しい娘への贈り物でした。その父親は見返しのぺージにこのようなすばらしい言葉を書いていました。
「1944年4月9日
愛するモーリンへ
真理と人の哲学の誤りとを見分けるための変わることのない尺度を持ち,知識を増して霊的に成長できるよう,この神聖な書物を贈ります。折あるごとに読み,生涯大切にしてください。
愛する父
ハロルド・B・リー」9
2
教会の教師は永続する影響を及ぼすことができる。
わたしたちがいつも日曜日に接する教師,すなわち教会の教師について考えてみましょう。ここでは,過去の歴史,現在の望み,未来の約束がすべて教えられます。……生徒は教師が何をどのように教えるかだけでなく,どのように生きているかを見てい〔ます〕。
使徒パウロはローマ人へ次のように勧告しました。「なぜ,人を教えて自分を教えないのか。盗むなと人に説いて,自らは盗むのか。
姦淫するなと言って,自らは姦淫するのか。」(ローマ2:21-22)
パウロは霊感に満ちた力強い教師であり,わたしたちの良い模範です。10
幼かったころ,わたしたちの言葉によく耳を傾け,愛を示してくれた非常に優れた教師がいて,わたしは彼女から大きな影響を受けました。その教師の名は,ルーシー・ガーシュ姉妹です。日曜学校の時間に,ガーシュ姉妹は世界の創造や,アダムの堕落,イエスの贖いの犠牲などについて教えてくれました。ガーシュ姉妹は,モーセやヨシュア,ペテロ,トマス,パウロ,そしてもちろんキリストをゲストとして教室に招きました。その姿は見えませんでしたが,わたしたちは彼らを愛し,称賛するようになりました。彼らの模範に熱心に従うようになりました。
ある日曜の朝,最も力強い,永遠に忘れられないレッスンを受けました。彼女は悲しげに,クラスの一人の子供の母親が亡くなったと告げました。その日,なぜビリーが教会に来ていなかったのか子供たちはまだだれも知りませんでした。
その日のレッスンのテーマは「受けるよりは与える方が,さいわいである」でした(使徒20:35)。クラスの途中で教師はテキストを閉じ,子供たちの目と耳と心を,神の栄光に向けさせました。こう言ったのです。「クラスパーティーのためのお金は幾らたまったかしら。」
「4ドル75セントです。」大恐慌時代にこれだけためたことを子供たちは誇りに思っていました。
それから教師は非常に優しい声で言いました。「ビリーの家はお金に困っているし,悲しい出来事があったわ。今朝,みんなでビリーの家に行って,みんながためたこのお金をあげるとしたら,どう思う?」
みんなで教会から3街区歩いて行ったときのことをわたしは生涯忘れません。ビリーの家に入り,ビリーと弟と妹たちと父親にあいさつしました。母親がいないのが際立っていました。パーティーのための大切なお金を入れた白い封筒が,教師のきゃしゃな手から,悲しみに沈む貧しい父親の手に渡されたときに皆の目に光った涙を,わたしは決して忘れないでしょう。
わたしたちはスキップしながら教会に戻りました。あれほど心が晴れ晴れしたことはありません。喜びに満ち,理解が深まりました。神に導かれた教師が少年少女に永遠の真理を教えたのです。「受けるよりは与える方が,さいわいである。」
エマオへ行く途中の弟子たちの言葉をこう言い換えても差し支えないほどでした。「〔彼女が〕聖書を説き明してくださったとき,お互の心が内に燃えたではないか。」(ルカ24:32)
ガーシュ姉妹は生徒一人一人をよく知っていました。彼女は日曜日に教会を休んだ子や,いつも来ていない子を絶えず訪問しました。皆,自分のことを気にかけてもらっていると感じていました。わたしたちのだれ一人として,彼女と彼女のレッスンを,いつまでも忘れないでしょう。11
1941年のルーシー・ガーシュ(後列中央)と日曜学校のクラス。トム・モンソンは1列目の右から2番目。モンソン大管長は彼女のことを「非常に優れた教師」と表現している。
教会という学びの場も,子供や青少年一人一人の教育にとって非常に大切です。教会では,すべての教師が子供たちに霊感を与えることができます。子供たちがレッスンに耳を傾け,教師の証の影響力を感じるからです。主からの霊感によって召され,よく準備のできた教師は,初等協会や日曜学校,若い女性やアロン神権の集会で,一人一人の子供や青少年に良い影響を及ぼし,すべての人が「最良の書物から知恵の言葉を探し求め,研究によって,また信仰によって学問を求め」るように励まします〔教義と聖約88:118〕。教師の励ましの言葉や霊的な思いを伝える言葉が,子供の貴い人生を変え,不滅の魂に消すことのできない印象を残すのです。……
教会の教室で教える謙遜で霊感あふれる教師は,生徒に聖文を愛する心を教えることができます。……そのような教師は昔の使徒たちや世の救い主を教室へ招くことができるだけでなく,子供たちの心や思い,そして魂の中にまでその方々をお連れすることができるのです。12
3
わたしたちは言葉を通してだけでなく,人格や生き方を通しても教えている。
皆さんがよく覚えている青少年のときの教師はだれでしょうか。それは恐らく,皆さんの名前を知っていて,クラスに歓迎し,個人的な関心と真の思いやりを示してくれた人でしょう。指導者がかけがえのない青少年と一緒にこの世の小道を歩むとき,互いの間に献身のきずなが育まれ,それによって青少年は罪の誘惑から守られ,永遠の命に至る道を着実に進んで行けるのです。青少年一人一人の心に橋を架けてください。13
〔生徒〕に対しては威厳をもって接し,最高の自分であってください。教師には,テーマを教えるだけでなく,人間性を形成する役割もあります。生徒がこの地上で受けている使命をよりよく理解できるように,学びの明かりをともしてください。教師は自身の霊と信仰と愛を通して,これから生まれてくる世代に祝福をもたらします。あなたに与えられている機会は,偉大な教師,すなわち神の御子イエス・キリストと違いはないのです。14
ある人の一生がほかの人々の人生に途方もない影響を与えるとき,それが知れ渡ることはあまりなく,ましてやめったに人の口にのぼることはありません。……12歳の〔少女たち〕を教えていたある教師も,そのような一人でした。夫とともに心から願い求めていたのですが,この姉妹には子供がありませんでした。その代わり彼女は,永遠の真理と人生の教訓を献身的に教えることによって,大切な少女たちに愛を示しました。しかし,病魔が襲い,彼女は世を去りました。わずか27歳でした。
毎年,戦没将兵追悼記念日が来ると,〔彼女〕の生徒たちは墓参りをしました。最初は7人いた教え子も,4人,2人と減り,最後には1人だけとなりました。最後に残った生徒は毎年欠かさず墓参りをし,感謝の心を象徴するアイリスの花束をささげるのが常でした。彼女がこの墓参りを始めてから今年〔1981年〕で25年の歳月が流れました。今,彼女は若い女性の教師をしています。彼女が大きな成功を収めていることに,何ら不思議はありません。自分の教師から得た霊感を鏡のように照り返しているのです。あの教師が歩んだ人生,あの教師が与えた教訓は,墓石の下に埋もれているわけではありません。育てた生徒たちの人格と,まったく自己を顧みずに養いを与えた人生の中に今も生き続けているのです。もう一人の偉大な教師,すなわち主を思い出します。かつて主は,砂に指で文字を書いて教えを説かれました(ヨハネ8:6参照)。砂に書かれた文字は時の流れとともに永遠に消え去っても,主が歩まれた生涯は消え去ることがありません。15
わたしたちは,言葉を通してだけでなく,人格や生き方を通しても教えていることをいつも覚えておきましょう。16
4
イエス・キリストは,教師としてわたしたちの模範であられる。
すべての人の人生に影響を及ぼしている一人の教師がいます。その教師は生と死,人のなすべき義務と行く末について教えました。仕えられるためでなく仕えるために,受けるためでなく与えるために,自分の命を救うためでなくほかの人々にささげるために生きました。情欲よりも美しい愛を,財宝よりも豊かな貧しさを教えました。この教師は律法学者のようにではなく,権威ある者のように教えたと言われています。この偉大な教師とは,全人類の救い主であり贖い主であられる,神の御子イエス・キリストです。
献身的な教師が「来てわたしに学びなさい」という主の招きにこたえるとき,彼らは学び,そしてまた主の聖なる力を授かります。17
人を教えるとき,完全な教師であられるわたしたちの主なる救い主イエス・キリストの模範に従いましょう。主は海辺の砂の上には足跡を残されましたが,教えを聞いたすべての人の心と生活の中には,教え方の原則を残して行かれました。主は,当時の弟子たちに教えられました。そして現代のわたしたちにも同じ言葉を語っておられます。「あなたは,わたしに従ってきなさい。」(ヨハネ21:22)
わたしたちが従順に応じる心をもって前進することができますように。そして,「神からこられた教師」(ヨハネ3:2)という贖い主のことを表した言葉が,わたしたち一人一人を表す言葉となりますように。18
イエス・キリストは「偉大な教師」であられる。
研究とレッスンのための提案
質問
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モンソン大管長は,親には子供を教える神聖な義務があると教えています(第1項参照)。あなたが母親や父親から学んだ大切な事柄にどのようなものがありますか。あなたが親なら,子供にあなたからどのようなことを学んでほしいと思いますか。子供を教える方法についてどのようなことを学んできましたか。子供を教えるうえで,正しい模範を示すことが重要なのはなぜでしょうか。親は子供が強い信仰を築くのをどのように助けられるでしょうか。
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自分の日曜学校の教師に関するモンソン大管長の話を読んでください(第2項参照)。より良い教師になるための助けとなることとして,この話から何を学べるでしょうか。家庭でも,クラスでも,そのほかの状況でも,どうすればさらに力強く福音を教えることができるでしょうか。
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モンソン大管長が述べている,優れた教師の特質を読んでください(第3項参照)。これらの特質の模範を示していたあなたの教師について考えてください。これらの教師があなたの人生に影響を及ぼしたのはなぜでしょうか。教師として,わたしたちはどのようにして教える人々の心に「橋を架け〔る〕」ことができるでしょうか。どうすれば「学びの明かりをとも〔す〕」ことができるでしょうか。
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救い主の教師としての模範からどのようなことが学べるでしょうか(第4項参照)。救い主の方法で教えるとはどういう意味でしょうか。福音を教えるときに救い主に焦点を当てることが大切なのはなぜでしょうか。
関連聖句
出エジプト4:10-12;2ニーファイ33:1;アルマ17:2-3;31:5;教義と聖約11:21;42:12-14;88:77-80
教える際のヒント
「キリストのような教師になるために,皆さんにできる最も大切なことは,恐らく救い主の従順の模範に従い,……心を尽くして福音に従った生活をすることです。……皆さんは完全である必要はありませんが,完全になるようひたすら努力し続けてください。そして間違いを犯したときにはいつでも,救い主の贖いを通して得られる赦しを願い求めてください。」(『救い主の方法で教える』13参照)