歴代大管長の教え
第15章


「第15章:伝道活動—神聖な責務」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』

「第15章」『教え—トーマス・S・モンソン』

第15章

伝道活動—神聖な責務

「伝道活動は末日聖徒イエス・キリスト教会の際立った特徴です。」

トーマス・S・モンソンの生涯から

サンフランシスコからロサンゼルスに向かう飛行機に乗っていたときの経験は,トーマス・S・モンソン大管長がいつでも福音を分かち合う備えができていたことを示している。隣に座っていた若い女性が,十二使徒定員会の会員であったリグランド・リチャーズ長老(1886-1983年)の著書,『不思議な驚くべきわざ』を読んでいた。モンソン大管長はその若い女性に,あなたは教会員ですかと尋ねた。

「いいえ。どうしてですか」と彼女は答えた。

モンソン大管長は,この書物の著者は末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者であると説明した。

若い女性は答えた。「そうだったのですか。この本は友達からもらったのですが,そうとは知りませんでした。でも,とても興味深い本です。」

教会についてもう少し話したほうがよいだろうかとモンソン大管長が自問していると,使徒ペテロの言葉が思い浮かんだ。「あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい。」(1ペテロ3:15)そのときのことを,モンソン大管長は次のように述べている。「そして,これは証を述べるべき機会だと自分に言い聞かせたのです。

わたしは,ずいぶん前にリチャーズ長老から依頼を受けて『不思議な驚くべきわざ』の出版に携われたことは,わたしにとってとても光栄なことだったと話しました。そして,偉大なリチャーズ長老について少し話し,何千人もの人々が長老の著作を読んで,真理に従う決意をしたことを話しました。

それからロサンゼルスに着くまでの間,教会に関する彼女の質問に答えるという特権にあずかりました。その質問から,彼女が聡明で,心から真理を求めていることが分かりました。わたしは彼女に,二人の姉妹宣教師が訪問するように取り計らってもよいか尋ねました。そして,サンフランシスコの彼女の家の近くにある支部に出席してみたいかと尋ねました。彼女はどちらの問いにも『はい』と答えました。」

モンソン大管長は帰宅すると,このことをサンフランシスコの教会指導者に伝えた。「数か月後,〔ステーク会長〕からうれしい電話を受けたときのわたしの喜びを皆さん想像できるでしょうか。『モンソン長老,イボンヌ・ラミレスのことでお電話しました。彼女はロサンゼルス行きの飛行機で長老の隣に座った,非番の客室添乗員です。……彼女はたった今,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になりました。今あなたに感謝を伝えたいそうです。』」1

「きれいな声が聞こえてきました。『モンソン兄弟,証をしてくださってありがとうございます。わたしは今,世界中でいちばん幸せです。』

涙が込み上げ,神への感謝で満たされたわたしは,彼女に感謝し,賛辞を送りました。真理を探し求めて見いだし,洗い清める水に入って永遠の命への門をくぐるという決意をしたからです。」2

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話をする男性たち

「あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい。」(1ペテロ3:15)

トーマス・S・モンソンの教え

1

わたしたちはキリストの福音を分かち合うよう命じられている。

その昔,わたしたちの主,救い主イエス・キリストは神聖な戒めを与えて,愛する11人の使徒たちにこう告げられました。「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ,わたしは世の終りまで,いつもあなたがたと共にいるのである。」〔マタイ28:19-20〕マルコはさらにこう記しています。「弟子たちは出て行って,至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働〔かれた〕。」〔マルコ16:20

この神聖な責務は,取り消されてはいません。むしろ,繰り返し強調されてきました。3

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教えを説かれるキリスト

「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を〔教えよ。〕」(マタイ28:19)

伝道活動は末日聖徒イエス・キリスト教会の際立った特徴です。これまでもそうでしたし,これからもそうです。4

わたしたちは片時も伝道の精神を忘れることがありません。……モルモン書に出てくるあのエネルギッシュな宣教師アルマは,宣教師としてのあるべき姿についてわたしたちに模範を示しています。「神の御手に使われる者となって幾人かでも悔い改めに導けること,これがわたしの誇りであり,喜びである。」(アルマ29:9

わたしも自分の証をつけ加えたいと思います。この教会の宣教師は商品を売り込むセールスマンではありません。彼らはいと高き神の僕であり,証を伝え,真理を教え,人々を救いに導く責任を帯びているのです。5

わたしたち一人一人はキリストの福音を分かち合うよう命じられています。神御自身の標準に従って生活するなら,わたしたちの影響を受ける人はこう言って嘆くことは決してないでしょう。「刈入れの時は過ぎ,夏もはや終った,しかしわれわれはまだ救われない。」〔エレミヤ8:20

人々を導く完全な羊飼い,人類を贖われた宣教師であられる主が,神聖な確信を与えてくださっています。

「あなたがたはこの民に悔い改めを叫ぶことに生涯力を尽くし,一人でもわたしのもとに導くならば,わたしの父の王国で彼とともに受けるあなたがたの喜びはいかに大きいことか。

さて,あなたがたがわたしのもとに導いてわたしの父の王国に入れるようにした,一人の人とともに受けるあなたがたの喜びが大きいならば,もし多くの人をわたしのもとに導くとすればその喜びはいかに大きいことか。」〔教義と聖約18:15-16〕……

福音を分かち合うという,わたしたちに託された務めを果たすときに,友情の手を差し伸べる勇気,あきらめない粘り強さ,御父から導きを求めるために必要な謙遜さを持てますように。6

2

人をどう見るかによって,その人が変われるよう助けることができる。

人は変われるということを忘れてはいけません。悪い習慣を捨て去り,罪を悔い改めることができます。ふさわしい神権者になり,勤勉に主に仕えることができます。7

ある集会に,当時十二使徒定員会補助であったN・エルドン・タナー管長が出席していました。彼はイギリスと西ヨーロッパの伝道部を管理する最初の経験を終えて戻って来たばかりでした。管長はある宣教師について話しました。それは,管長が面接した宣教師の中で最も大きな成功を収めた宣教師でした。……

タナー兄弟はその宣教師の伝道方法について,ほかの宣教師との違いは何かと尋ねました。……その若い宣教師は〔こう〕答えました。例えば,個別訪問をして出会った人が,たばこを吸い,よれよれの服を着て,人生に対して,特に宗教に対して無関心であるように見えたとします。でも別の環境に置かれたらどのような姿になるかを頭の中で思い描くのです。きれいにひげをそり,ワイシャツと白いズボンの姿を想像します。彼をバプテスマの水へ導く自分の姿も想像します。その宣教師はこう言いました。「人をそのように見るとき,その人の心を動かせるような証を述べる力がわいてくるのです。」

わたしたちは友人や同僚,隣人をこのように見る責任があります。繰り返します。人を見るとき,現在の姿ではなく,将来なれる姿を見る責任があるのです。周囲の人々について,どうかこのように考えるようお願いします。8

現在は証がほとんど,あるいはまったくない人たちも,わたしたちが証を伝え,彼らが変われるよう進んで助けるなら,彼らが証を得ることは可能であり,彼らはきっと証を得るでしょう。このような人は,数え切れないほどいます。時には,変わるための励ましを与えるのがわたしたちであることもあります。9

3

専任宣教師としての奉仕は生涯心に残る機会である。

無数の人々の心からの願いが,いにしえのピリポに対するある人の嘆願に表れています。「だれかが,手引きをしてくれなければ,どうして〔進むべき道が〕わかりましょう。」〔使徒8:31

……この世は皆さんの助けを必要としています。足元を支え,手をしっかり握り,励ましと霊感を与え,救いへ導く人が必要です。収穫はまさに偉大です。間違えないようにしましょう。皆さんには伝道という生涯心に残る機会があります。永遠の祝福が待っています。見物人になるのでなく,参加者になる特権が与えられているのです。10

ふさわしく,能力があるすべての若い男性は全員,伝道に出る準備をするべきです。宣教師として奉仕することは神権の義務です。非常に多くのものを受けているわたしたちに,主が望んでおられる務めなのです。若い男性の皆さん,わたしは皆さんに宣教師として奉仕する準備をするよう勧告します。いつも清く純粋で,主を代表するにふさわしくあってください。健康と体力を維持してください。聖文を研究してください。セミナリーやインスティテュートがある地域では,それに出席してください。……

姉妹の皆さん。皆さんには専任宣教師として奉仕するという若い男性と同じ神権の責任はありませんが,宣教師として価値ある貢献ができます。皆さんの奉仕を歓迎します。

教会の熟年の兄弟姉妹の皆さん,主はもっともっと大勢の皆さんが専任宣教師として奉仕することを必要としておられることを思い起こしてください。夫婦宣教師として奉仕できる時期がまだ来ていない皆さんには,伴侶とともに夫婦宣教師に召される日のために今準備をするよう強く勧めます。夫婦そろって専任で主の業に携わることで得られる,すばらしい御霊と充実感を味わう機会は,人生にそうめったにあるものではありません。

さて,中には自分は恥ずかしがり屋であるとか,奉仕の呼びかけにこたえるほどの人物ではないと思う人がいるかもしれません。これは主の業であり,主の用向きを行うときには主の助けが得られることを思い起こしてください。主は,背中に置かれる重荷に耐えられるようにしてくださるでしょう。11

神の栄光と目的にひたすら目を向けて,ふさわしい状態で奉仕できるように準備してください。皆さんは自分の証や奉仕がもたらす影響力については完全には知ることができないでしょうが,帰還するときには主に仕えるという聖なる召しにこたえる特権にあずかった喜びにあふれているでしょう。また,皆さんが真理の光をもたらした人々から永遠に愛されるでしょう。12

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宣教師

「皆さんには伝道という生涯心に残る機会があります。永遠の祝福が待っています。」

4

主はわたしたちの伝道活動を助けてくださる。

ジュリアス・フセックと妻のドロシーの伝道の経験は,……奉仕で満たされた人生の模範です。彼らはポーランドで18か月にわたって伝道する召しを受けました。フセック兄弟はポーランドで生まれました。その国の言葉を話し,その国の人々を愛していました。フセック姉妹はイギリス人で,ポーランドの言葉や人々についてほとんど知りませんでした。

二人は主を信頼して伝道を始めました。生活状況は簡素なもので,仕事は孤独で,しかもするべきことは山ほどありました。当時ポーランドではまだ伝道部が十分に確立されていませんでした。フセック夫妻に与えられた割り当ては,道を備えることでした。伝道部が拡大されて恒久的なものとなり,ほかの宣教師たちが召され,人々が教えを受け,改宗者がバプテスマを受け,支部が設立され,教会堂が建てられるようにするための準備です。

責任のあまりの大きさにフセック長老姉妹はくじけてしまったでしょうか。そのようなことは一瞬たりともありませんでした。彼らは自分たちの召しが神から与えられたものであると知っていました。天の助けを祈り求め,全身全霊で打ち込みました。彼らのポーランドでの奉仕は18か月どころか,5年間に及びました。前に挙げた目標はすべて達成されました。このようなことが実現したのは,ある会見の後でした。ラッセル・M・ネルソン長老と,ハンス・B・リンガー長老,そしてわたしは,フセック長老とともに,ポーランド政府のアダム・ロパトカ長官を訪れました。長官はこう言いました。「あなたがたの教会を歓迎します。建物を建てても結構ですし,宣教師を派遣しても結構です。あなたがたをポーランドに歓迎します。」そして長官はフセック長老を指して言いました。「この方はあなたがたの教会のために一生懸命に働いてこられました。奥様もです。皆さんはこの方々の模範と働きに感謝なさるとよいでしょう。」

フセック夫妻のように,わたしたちも主の業においてなすべきことを行おうではありませんか。そうすれば,わたしたちもジュリアス・フセックとドロシー・フセックとともに次の詩篇の言葉を体現することができるでしょう。「わが助けは,……主から来る。」〔詩篇121:213

5

伝道活動には,準備と,人々への愛と,最善の努力が必要である。

宣教師として成功するための原則をお話ししましょう。

  1. 目的をもって備える。

  2. 証をもって教える。

  3. 愛をもって働く。

第1は,目的をもって備えることです。資格に関する主の次の言葉を覚えていてください。「見よ,主は心と進んで行う精神とを求める。」〔教義と聖約64:34〕伝道活動は易しくありません。力を尽くし,能力を尽くし,最善の努力をし,そしてしばしばさらに努力することが求められます。これ以上に時間や献身,多くの犠牲と熱烈な祈りを必要とする働きはほかにありません。……

第2は,証をもって教えることです。漁師であったペテロとヨハネは,改宗して使徒になりましたが,あるとき,〔サドカイ人から〕イエス・キリストとその十字架上の死について宣べ伝えないように警告されました。彼らはきっぱりと次のように答えました。「神に聞き従うよりも,あなたがたに聞き従う方が,神の前に正しいかどうか,判断してもらいたい。わたしたちとしては,自分の見たこと聞いたことを,語らないわけにはいかない。」〔使徒4:19-20

真理を証する尊敬すべき人物であった使徒パウロが,愛する友のテモテに与えた勧告は,会員にも宣教師にも,わたしたち全員に当てはまるものです。「言葉にも,行状にも,愛にも,信仰にも,純潔にも,信者の模範になりなさい。」〔1テモテ4:12〕……

3番目は,愛をもって働くことです。愛に代わるものはありません。この愛はしばしば,若いときに母親によってともされ,父親によって育まれ,神への務めを通して活気あるものに保たれます。主の次の勧告を忘れないでください。「神の栄光にひたすら目を向けて,信仰,希望,慈愛,愛を持つ者には,その業に携わる資格がある。」〔教義と聖約4:5〕次のように自問してみるとよいでしょう。「今日わたしは,信仰,希望,慈愛,愛を増しただろうか。」14

何年も前に,印刷業界で,シャーマン・ハメルという男性と仕事をしました。あるとき,福音の証をどのようにして得たのかを尋ねたことがあります。

彼は言いました。「昔,東部に住んでいたころ,バスでサンフランシスコまで行ったことがあるんです。ソルトレーク・シティーに入ると,初等協会の年齢の小さな女の子がバスに乗って来て,わたしの隣に座りました。その子は,ネバダ州のレノに住んでいるおばさんに会いに行くところでした。西に向かって移動している途中,『今週モルモンの日曜学校にお越しください』という大きな看板が目に入りました。

わたしは少女に言いました。『ユタ州にはモルモンがたくさんいるみたいだね。』

少女は『はい,そうです』と答えました。

そこで,『君もモルモンなのかい』と聞いてみました。

すると,また『はい,そうです』と答えました。」

そこでシャーマン・ハメルは尋ねました。「モルモンは何を信じているのかな?」すると,その少女は信仰箇条第1条を暗唱して,そのことについて説明しました。それから,信仰箇条第2条を暗唱して,説明しました。それから第3条,第4条,第5条,第6条と,ついにすべての信仰箇条を暗唱し,全部説明したのです。

シャーマン・ハメルはこう言っています。「とても感銘を受けました。サンフランシスコに着いたら,まず最初に……末日聖徒イエス・キリスト教会を探しました。伝道部会長に電話すると,滞在先に二人の宣教師をよこしてくれました。わたしは教会員になり,妻が会員になり,子供たちもみんな会員になったんです。」

ハメル家族は全員ずっと教会に活発に集いました。娘たちは全員神殿に参入しました。この家族を通して福音を知った人々は数え切れないほどいます。それもこれも皆,一人の幼い子供が信仰箇条を教わっていたことと,真理を宣言する能力と勇気がその子にあったからなのです。15

研究とレッスンのための提案

質問

  • モンソン大管長は,わたしたちは一人一人が「キリストの福音を分かち合うよう命じられている」と教えています(第1項)。天の御父は,なぜわたしたちに福音を分かち合うよう望んでおられるのでしょうか。あなたはどのような方法で福音を分かち合ってきましたか。どのようなときに,天の御父があなたの努力を導いてくださっていると感じたことがありますか。福音を分かち合うことで喜びを味わった経験に,どのようなものがありますか。

  • 第2項にある宣教師の話を読んでください。この宣教師の人々に対する見方が,福音を分かち合う助けになったのはなぜだと思いますか。福音はあなたの生活を変えるうえでどのように助けとなってきましたか。

  • 宣教師としての奉仕は,あなたやあなたの知人にどのような祝福をもたらしてきましたか(第3項参照)。わたしたちは宣教師として奉仕するために,どのような準備ができるでしょうか。子供や青少年が伝道に出る準備をするために,大人にはどのような助けができるでしょうか。わたしたちはどのように宣教師を支援できるでしょうか。

  • フセック長老とフセック姉妹の話からどのようなことが学べるでしょうか(第4項参照)。

  • モンソン大管長は,伝道活動において「愛に代わるものは〔ない〕」(第5項)ことを強調しています。伝道活動において愛が不可欠なのはなぜでしょうか。信仰箇条を分かち合った小さな女の子から,伝道活動についてどのようなことを学べるでしょうか。「今日わたしは,信仰,希望,慈愛,愛を増しただろうか」というモンソン大管長の問いに自分はどう答えるか,毎日考えてください。

関連聖句

エゼキエル34:11-15マルコ16:15アルマ26:1-16教義と聖約15章60:284:85-8888:81123:11-17

教える際のヒント

「〔学んでいる人たち〕が自分の学んでいることを分かち合うとき,彼らは御霊を感じて自らの証を強めているだけではなく,〔家族や〕クラスのほかの生徒たちが自ら真理を見いだせるよう励ましをしているのです。……毎回のレッスンでは,生徒たちが分かち合うための時間を取ってください。状況によっては,これらの話し合い自体がレッスンになり得るということが分かることでしょう。」(『救い主の方法で教える』29

  1. 偉大な教師の模範『リアホナ』2007年6月号,78

  2. あらゆる人が聞くために『聖徒の道』1995年7月号,57参照

  3. あらゆる人が聞くために」54

  4. 人が将来なり得る姿を見る『リアホナ』2012年11月号,71参照

  5. 宣教師の思い出『聖徒の道』1988年1月号,46参照

  6. 人が将来なり得る姿を見る」71参照

  7. 人が将来なり得る姿を見る」68

  8. 人が将来なり得る姿を見る」70

  9. 人が将来なり得る姿を見る」68参照

  10. あらゆる人が聞くために」55参照

  11. 主は宣教師を必要としておられます『リアホナ』2011年1月号,4

  12. 奉仕の召し『聖徒の道』1992年1月号,55参照

  13. 模範になりなさい『リアホナ』2002年1月号,117-118参照

  14. あらゆる人が聞くために」55-56参照

  15. All Because a Child Knew the Articles of Faith,” Friend, June 2011, 2;「偉大な教師の模範」77も参照