歴代大管長の教え
第3章


「第3章:霊は人を生かす」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』

「第3章」『教え—トーマス・S・モンソン』

第3章

霊は人を生かす

「あの静かな細い声に耳を傾けるのです。御霊が語られるとき,賢い人は従います。御霊のささやきに従うのを後回しにしてはいけません。」

トーマス・S・モンソンの生涯から

モンソン大管長は経験を通して,聖なる御霊の促しを信頼し,引き延ばすことなく応じることを学んだ。ジェフリー・R・ホランド長老は次のような話を紹介している。

「テンプルビューステーク第6・第7ワードの比較的新しいビショップ,23歳のトム・モンソンは,ステーク神権指導者会が進むにつれ,異常に落ち着きをなくしていきました。その様子からは,今すぐに集会を後にし,市内の高台にあるベテランズ病院に車を走らせたい気持ちがありありと伺えました。その晩,家を出る前に,ワードのある年配の会員が病気のため入院するという知らせを電話で受けていたのです。そして電話の相手に,病院に寄って祝福を授ける時間があるかどうか尋ねられ,この多忙な若い指導者は,これからステークの集会に行くところであることを説明し,集会が終わり次第,喜んで病院に駆けつけると伝えたのでした。

今や,促しはますます強まっていました。『集会を後にして,今すぐ病院へ行きなさい。』しかし説教壇では,ステーク会長が話をしています。管理役員の話の途中に席を立ち,出席者全員の前を通って建物を出て行くほど失礼なことはありません。心を痛めながらもモンソンビショップはステーク会長の話が終わるのを待ち,閉会の祈りに入る前に,ドアの方へ急ぎました。

若いビショップが,病院の4階の長い廊下を走って行くと,目指す病室の外の慌ただしさが目に入ってきました。すると彼の前に立ったひとりの看護師がこう尋ねました。『モンソンビショップでしょうか。』

『はい,そうです。』彼は不安げに答えました。

『お気の毒でした。患者さんは亡くなる直前まであなたの名前を呼んでおられました。』

トーマス・S・モンソンは必死で涙をこらえると,向きを変え,夜の闇の中に戻って行きました。彼はそのとき,その場所で,もう二度と主からの促しに従わないことがないように,そして御霊の印象を受けたときにはそれを認め,どこであろうと導かれるままに従って行き,『主の用向きを受けている』者となると誓ったのです。」1

御霊の促しを認識し,それに従うことは,トーマス・S・モンソンの生涯と教導の業の核心をなすテーマとなった。年月がたった後,次のように述べている。

「わたしは責任を果たしてきて,学んだことがあります。それは静かな促しに耳を傾け,引き延ばすことなく行動に移すならば,天の御父は進むべき道を示し,わたしたちや人々の生活を祝福してくださるということです。促しに耳を傾けたときほど,すばらしい経験をしたことや,かけがえのない感情を抱いたことはありません。主がだれかの祈りに,皆さんを通してこたえてくださっていることを知るのです。」2

画像
手を差し伸べて若い男性と握手するモンソン大管長

2008年4月の総大会で若い男性と握手するモンソン大管長。

トーマス・S・モンソンの教え

1

御霊の言葉は静かで,人の心を高め,和らげてくれる。

つい最近,わたしはユタ州プロボにある宣教師訓練センターを訪問しました。そこでは,世界中で伝道するために召された宣教師たちが,これから教えと証を携えて行く国の言葉の基礎を一生懸命に学んでいます。

スペイン語,フランス語,ドイツ語,スウェーデン語など,何となく聞き覚えのある言葉があるかと思えば,日本語や中国語,フィンランド語のように,わたしだけでなく恐らく多くの宣教師にとってもまったく耳慣れない言葉もありました。この若人たちはなじみの薄い言葉に取り組み,難しい言語を学んでいます。彼らの完全な集中力と献身には,だれもが驚かされます。……

……すべての宣教師に共通した言語があります。それは御霊の言葉です。それは学者の記した手引きから学べるものではありませんし,読んだり暗記したりすることから得られるものでもありません。御霊の言葉は,神を知ってその戒めに従いたいと心の底から願い求める人に与えられます。この言語に精通した人は様々な障害を打ち破り,問題を克服して,人の心に触れられるようになります。

使徒パウロはコリント人にあてた第二の手紙の中で,律法の文字にとらわれて視野を狭められた状態を脱し,御霊のもたらす広々とした展望を求める必要があると説いています。わたしはパウロの次の言葉が大好きで,とても大事にしています。「文字は人を殺し,霊は人を生かす。」(2コリント3:6

そのような理解や知識,希望があれば,危険にさらされ試練に遭うとき,思い悩む心や悲しむ心に慰めがもたらされます。新約聖書全体のメッセージは,心に新たな息吹を吹き込んで,わたしたちを眠りから覚まさせます。絶望の影は希望の光で一掃され,悲しみは喜びに変わり,人生の雑踏の中で感じる途方に暮れた思いは,天の御父がわたしたち一人一人を覚えていてくださるという確かな知識によって薄れていきます。

救い主は,天の御父の許しがなければすずめでさえも地に落ちることはないと教えて,この真理に対する確信を与えてくださいました。そして最後に,すばらしい教えを述べておられます。

「恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも,まさった者である。

だから人の前でわたしを受けいれる者を,わたしもまた,天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。」(マタイ10:29-32参照)

わたしたちは,日々チャレンジに満ちた複雑な世の中に生きています。そして,すべての良い賜物を与えてくださる御方から引き離され,孤立していると感じる傾向があります。独りで歩むことを考えて,思い悩むのです。

しかし,「わたしはあなたを見放すことも,見捨てることもしない」(ヨシュア1:5)という主の保証と貴い約束によって,わたしたちは孤独の涙でぬらした枕から顔を上げ,苦しみのベッドから起き上がって,天へと心を向けるのです。

分かれ道や曲がり角の多い人生の旅路を行くとき,そのような慰めはかけがえのないものです。まばゆい閃光や大きな声で御霊が語りかけることはまれです。御霊の言葉はむしろ,優しく,静かで,人の心を高め,和らげてくれます。

時として,わたしたちの質問に対する答えや日々の祈りに対する答えは,御霊の静かなささやきを通してやって来ます。……わたしたちは心を澄ませて待ちます。あの静かな細い声に耳を傾けるのです。御霊が語られるとき,賢い人は従います。3

画像
家族を教える宣教師

「すべての宣教師に共通した言語があります。それは御霊の言葉です。」

2

御霊の言葉を学び,促しに従うのを決して引き延ばさないようにする。

わたしの友人スタンは,悪性腫瘍を患いました。彼は強健で,スポーツマンらしい体格を持ち,多くのスポーツをやってきました。それが歩くことも立つこともできなくなってしまったのです。車椅子が彼の「家」になりました。優れた医師が治療を続け,家族や友人が希望をもって祈りをささげました。にもかかわらず,スタンは大学病院のベッドに横たわったままでした。

ある日の午後,わたしはデゼレトジムで天井を見詰めながら背泳ぎをしていました。そのとき,静かではあってもはっきりと,ある思いがわたしの頭に浮かびました。「あなたの友人スタンは身動きもできずにいるというのに,あなたは悠々と泳いでいる。」そして促しを感じました。「病院へ行ってスタンに祝福を授けなさい。」

わたしは泳ぐのをやめ,服を着てから病院のスタンの部屋へと急ぎました。ベッドは空っぽでした。治療に備えて車椅子でプールの所へ行ったと看護師が教えてくれました。急いでそこに行くと,スタンがたった独りでプールのいちばん深い所の縁にいました。あいさつを交わしてから,彼の病室に戻り,そこで神権の祝福を授けました。

ゆっくりと,しかし確実に,力と動きがスタンの足に戻ってきました。まず初めに,よろよろした足で立てるようになりました。次に,以前のように一歩一歩,歩けるようになったのです。スタンがあれほど死に近づき,快復の希望がなかったことなど,今では想像もできません。

後にスタンは教会の集会で,主が自分に与えてくださった慈しみについて話しました。彼の話によれば,あの日の午後,プールの縁で車椅子に座り,絶望的な人生を宣告されたように思ったとき,憂うつな暗い思いに塞がれたそうです。そして,それから逃れる方法はないかと考えました。深いプールの穏やかな水面に向かって憎らしい車椅子を押し出すのは容易なことでした。そうすれば,すべては終わります。しかしちょうどそのとき,友人であるわたしの姿が目に入ったのです。スタンはその日,文字どおり,人は独りで歩くのではないことを知りました。その日,わたしもまた教訓を学びました。決して,決して,決して,促しに従うのを引き延ばしてはならないということです。

その後,スタンの末の息子が永遠の結婚をするため親族が主の聖なる神殿に集まりました。わたしたちはしばしの間,過去に経験した奇跡を思い起こしました。胸がいっぱいで言葉を交わすこともできませんでしたが,無言の思いは言葉では表現できない感謝の気持ちを示していました。

人生の旅路を歩み続けるに当たり,御霊の言葉を学ぶようにしましょう。主の優しい招きをいつも覚え,それにこたえるようにしましょう。「見よ,わたしは戸の外に立って,たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら,わたしはその中にはい〔る〕であろう。」(黙示3:20)これは御霊の言葉です。主はそれを語り,教え,そのとおりに生きられました。わたしたち一人一人も同じようにすることができますように。4

3

御霊の促しと導きを受けられるように生活するとき,わたしたちは祝福を受ける。

数年前,長年の友人から手紙をもらいました。手紙には証が記されていました。今晩,その一部を紹介させてください。学ぶべきことを学び,なすべきことを行い,なるべき人物になろうと常に努力した人の持つ神権の力について描かれているからです。3年前に90歳で他界した友人セロン・W・ボラップの手紙から抜粋します。

「8歳でバプテスマを受け,聖霊を受けたとき,善良な人間になり,生涯を通じて聖霊の助けを受けられることに大きな感動を覚えました。聖霊は善良な人々とのみ交わられ,生活に悪が入って来ると聖霊は去って行かれると教わりました。聖霊の励ましや導きがいつ必要になるか知りませんでしたが,この賜物を失わないため,そのような生き方をするよう努力しました。この賜物のおかげで,あるときわたしは命を救われたのです。

第二次世界大戦中,わたしは南太平洋でエンジニア兼射撃手としてB-24爆撃機に乗り込んでいました。……ある日,石油精製所を壊滅させるため,これまでで最長の爆撃飛行を試みるという発表がありました。わたしは聖霊から,自分はこの作戦に送られるが,命を失うことはないという促しを受けました。当時,わたしは末日聖徒グループのリーダーを務めていました。

ボルネオまで飛んで行くと,激しい戦闘になりました。わたしたちの飛行機は相手の戦闘機の銃撃で被弾し,すぐに炎に包まれました。パイロットは脱出に備えるようにと言いました。最後に脱出したのはわたしでした。海上に漂っている間も敵国のパイロットから狙撃されました。わたしは救命ボートを膨らますのに苦労しました。海面を浮き沈みしているうちにおぼれかけ,意識が遠のいていきました。一瞬意識が戻ると,「神様,助けてください」と叫びました。……もう一度救命ボートを膨らませようとすると,今度はうまくいきました。自分が沈まない程度の空気を入れ,転がるようにボートに乗り込みました。疲労で動くことができませんでした。

敵艦に囲まれ,戦闘機が頭上を飛び交う敵陣の中で,わたしたちは3日間海に浮かんでいました。青い海に浮かぶ黄色いボートの一団がなぜ敵に見つからなかったのかは謎です。」彼は続けてこう書いています。「嵐になり,10メートルにもなる高波にボートは引き裂かれそうになりました。食べ物も水もなく3日が過ぎました。兵士たちはわたしが祈ったかどうか尋ねました。わたしは自分が祈ったことを伝え,必ず救出されるだろうと言いました。夕方になると,味方の潜水艦が見えました。救出に来てくれたのかと思ったのですが,通り過ぎてしまいました。翌朝も同じように通り過ぎました。わたしたちは,この地域に味方が来るのはこの日が最後だと知っていました。すると聖霊の促しがありました。『あなたは神権を持っています。救出するよう潜水艦に命じなさい。』わたしは心の中で祈りました。『イエス・キリストの御名と神権の権能により,向きを変え,わたしたちを救出するように命じる。』数分後,潜水艦はわたしたちのそばまでやって来ました。デッキにたどり着くと,艦長は言いました。『どうして君たちを見つけられたのか分からない。君たちを探していたわけではなかったのに。』しかし,わたしには分かっていました。」5

4

聖霊はわたしたちに危険について警告し,良い選びをするよう導いてくださる。

わたしが合衆国海軍に入隊したころは,水中電波探知機が開発されたばかりでした。……この探知機は,船舶やそのほかの障害物を発見するための装置で,音波を受信します。操作員は反復される信号を聞き慣れていて,正常でない信号が入ると危険が近づいていることを知り,それを伝達して航路を変えます。……

人間が惨事を避けるための探知機を発明できるのであれば,主が御自分の大切な子供たちの中に,子供たちが主の道をはずれているときに警告するための警告装置を置かれるのは,もっともなことではないでしょうか。わたしたちがそのような案内灯を持っていることを,わたしは今日,証します。それはわたしたちが使いさえするならば,完全に信頼できるものです。わたしが言っているのは静かな細い声,すなわち聖霊のことです。6

皆さんは教会の会員に確認されたときに,聖霊を伴侶とする権利を授かりました。聖霊は良い選択ができるように皆さんを助けてくださいます。難しい問題や誘惑に直面するとき,自分は独りだと感じる必要はありません。聖霊は正しいことと間違ったことの判断ができるように助けてくださいます。「賢〔い人は〕自分の導き手として聖なる御霊を受け〔る〕」のです。(教義と聖約45:577

画像
戸をたたかれるキリスト

「主の優しい招きをいつも覚え,それにこたえるようにしましょう。『見よ,わたしは戸の外に立って,たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら,わたしはその中にはい〔る〕であろう。』」(黙示3:20)

決断を下すときにはいつも,次のことを自問してください。この決断はわたしのためになるのだろうか。「ほかの人はどう思うだろうか」という基準で自分の取るべき行動を決めてはなりません。「わたしは自分のことをどう考えるようになるだろうか」という基準で行動するべきです。静かな細い声に従ってください。確認の儀式のとき,権能を持つ人が皆さんの頭の上に手を置いて「聖霊を受けなさい」と言ったことを思い出してください。心を開き,魂の扉を開いて真理を証するこの特別な声を聞くことができるよう努めてください。預言者イザヤが約束したように,「『これは道だ,これに歩め』という言葉を耳に聞く」のです〔イザヤ30:21〕。8

聖なる御霊のささやきに耳を傾けるよう願っています。わたしは皆さんに約束します。聖なる御霊に注意深く耳を傾け,心の中に義を望む気持ちがあり,その望みを反映する行いをするならば,聖なる御霊に導かれることでしょう。9

コリント人への第一の手紙にこうあります。「世には多種多様の言葉がある……。」〔1コリント14:10〕わたしたちは,説得する声や誘いかける声,けなす声や洗練された声,混乱させる声に囲まれています。これらはうるさい声であると付け加えましょう。皆さんにお勧めします。これらの声のボリュームを下げ,皆さんを安全へと導く,細くて小さな声の影響を受けられるようにしてください。10

研究とレッスンのための提案

質問

  • 「御霊の言葉」を学ぶとはどういう意味でしょうか(第1項)。この言葉をよく聞き取れるようになるには,どうすればよいでしょうか。聖霊からのメッセージを認識することについて,あなたは経験からどのようなことを学んできましたか。

  • 第2項で,モンソン大管長は「決して,促しに従うのを引き延ばしてはならない」ことを学んだと言っています。聖霊の促しに従った人から,あなたはどのような祝福を受けてきましたか。あなたはこれまでどのようなときに,受けた霊的な促しに従って行動したことによって祝福を受けましたか。

  • 第3項に出てくるセロン・ボラップの話から,どのようなことが学べるでしょうか。

  • 聖霊の静かな細い声があなたの生活の中で「警告装置」になったときの経験として,どのようなものがありますか(第4項)。聖霊の導きについて,どのような経験をしたことがありますか。どのようなときに聖霊の慰めを受けたことがありますか。ほかにどのような方法で聖霊はあなたを助けてきてくださったでしょうか。

関連聖句

列王上19:11-12ヨハネ14:261ニーファイ4:610:17-1917:452ニーファイ32:1-5教義と聖約8:2-311:12-1431:11

教える際のヒント

「福音に沿ってふさわしい生活をするよう努めるときに,聖霊は神の御心を明らかにしてくださいます。ほかの人が学ぶのを助けられるように,あなたに思いや印象,創造的なアイデアを与えてくださいます。……御霊は真の教師であり,御霊とともに教えるならば,神の力があなたに宿り,改心という奇跡をもたらすことができるからです。」(『救い主の方法で教える』5参照)

  1. ジェフリー・R・ホランド「トーマス・S・モンソン第二副管長:常に『主の用向きを有てる者』となって『聖徒の道』1986年11月号,1参照

  2. 静まれ,黙れ『リアホナ』2002年11月号,55

  3. 霊は人を生かす『聖徒の道』1997年6月号,3-4

  4. 霊は人を生かす」6参照

  5. 学び,行い,人格を築く『リアホナ』2008年11月号,67-68参照

  6. 自由意志の3つの面『聖徒の道』1973年11月号,492参照

  7. 主の灯台『聖徒の道』1991年1月号,112参照

  8. 模範になりなさい『リアホナ』2005年5月号,113

  9. あなたを導く4つの言葉『リアホナ』2013年8月号,49

  10. 戒めを守りなさい『リアホナ』2015年11月号,84