歴代大管長の教え
第9章


「第9章:信仰をもって逆境の嵐に立ち向かう」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』

「第9章」『教え—トーマス・S・モンソン』

第9章

信仰をもって逆境の嵐に立ち向かう

「克服するべき試練,解決するべき問題がなければ,いつまでたっても現在の自分と変わらないでしょう。永遠の命という目標を目指して進歩することも,ほとんど,あるいはまったくないでしょう。」

トーマス・S・モンソンの生涯から

1968年,当時は十二使徒定員会会員であったトーマス・S・モンソン大管長は,ヨーロッパにある教会の伝道部を監督する割り当てを受けた。その年の11月には,共産主義の政権下にあったドイツ民主共和国の聖徒たちを訪ねた。それは恐怖と抑圧と貧困の時代だったと,モンソン大管長は述べている。このような試練にもかかわらず,教会員たちは信仰をもって耐えていた。「町で見かける多くの人の顔は絶望に沈んでいましたが,会員たちには明るく美しい愛の表情が見られました」とモンソン大管長は述べている。

モンソン大管長がこれらの聖徒たちと初めて会ったのは,ゲルリッツの古い倉庫の中であった。その建物は依然として「砲弾による穴がたくさん空いて」いたものの,「内装は指導者の優しい心遣いを映して,粗末で汚れた建物に明るさと清涼感を与えていました」と,モンソン大管長は振り返っている。

集会で,モンソン大管長は会員たちが苦難のときに次のような希望の賛美歌を歌ったことに心を打たれた。

試練の多い道も ひるむな

厳しい反対にも ひるむな

悲しみ嘆く道も

やがて,喜びに満ちて

刈り入れの時が来る ひるむな

道半ばにして ひるむな

どんなときにも

輝く日は待つ

ひるまぬ すべての人に

〔“If the Way Be Full of Trial, Weary Not,” Deseret Sunday School Songs (1909), no. 158〕

モンソン大管長は後にこう述べている。「そのような歌声はかつて一度も聞いたことがありませんでした。……福音に対してこれほど大きな愛を示す人たちに出会ったことは,数えるほどしかありません。」1そのような大きな逆境を堪え忍んでいる聖徒たちの献身に,モンソン大管長は謙遜にさせられた。「彼らにはごくわずかなものしかありませんでした。わたしは胸が痛みました。彼らには祝福師がいないのです。ワードもステークもなく,あるのは支部だけです。エンダウメントや結び固めなど,神殿の祝福も受けられません。長い間,教会本部からの公式の訪問者もいませんでした。会員たちは,国外に出ることを禁じられていました。しかし,心の底から主を信頼し……ていました。」2

集会が進み,モンソン大管長は壇上に立った。この経験について,数年後にこう述べている。「わたしは……涙ながらに高まる感情に声をつまらせて,人々に約束しました。『皆さんが神の戒めに忠実であるなら,ほかの国の教会員が受けているすべての祝福が,皆さんのものになるでしょう。』その後,わたしは自分が何を言ったかに気づきました。」3

その晩,モンソン大管長は,この約束が成就するために必要となる途方もない事柄について考え,ひざまずいて祈り,次のように嘆願した。「天のお父様,わたしはあなたの用向きを受けており,この教会はあなたの教会です。わたしの話した言葉は,わたしからでなく,あなたと御子から出たものです。ですからどうか,この気高い会員たちの生活において約束を成就してください。」その祈りに対する答えとして,詩篇の言葉が心に浮かんだ。「静まって,わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46:10

少しずつ,約20年かけて約束は成就していった。中でも,モンソン大管長が最大の奇跡と考えたのは,1985年にフライベルクに神殿が建設され,ついにこの忠実な聖徒たちが神殿の祝福を受けられるようになったことであった。

続いて,1988年には,「専任宣教師の入国と,地元の若人が国外で伝道することが許可」された。「さらに〔1989年には〕,エリコの城壁のようにベルリンの壁が壊され,自由がそれに付随する責任とともに返ってきた。」4

モンソン大管長はドイツ民主共和国の聖徒たちにミニスタリングを行うため,何度もこの国を訪れた。勇気と信仰,神への信頼をもって,聖徒たちと一緒に試練に立ち向かった。そして,ともに奇跡を経験した。その道のりは長く,しばしば「悲しみ嘆く道」であったが,彼らはひるまなかった。やがて,預言者の約束は実現し,彼らは祝福されて「輝く日」を授かったのであった。(詳しくは23-28ページを参照)

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ドイツ・フライベルク神殿

ドイツ・フライベルク神殿

トーマス・S・モンソンの教え

1

苦しみと艱難の中で,わたしたちの究極の慰めはイエス・キリストの福音である。

人生とは様々な経験をする学校のようなもので,試しの時期と言えます。苦難に耐え心痛を乗り越えることによって様々なことを学ぶのです。……

苦痛や大きな試練がまったくなかったという人は,恐らく一人としていないでしょうし,人類史上,悩み,荒廃,苦難などがなかった時期はないと言ってもよいでしょう。

人生の厳しい局面に立つと,だれしも「なぜわたしが」という疑問を投げかけたくなるものです。自分ではどうすることもできないような苦境にあるときでさえ,人は自分を責めてしまいがちです。時折,苦境を,終わりのないトンネルや夜明けのない暗闇のように感じることもあります。また,心痛,夢がかなわないことから来る落胆,絶望に取り巻かれているように感じます。そして,聖書に記された言葉を口にします。「ギレアデに乳香」〔エレミヤ8:22〕はないのか,と。……

絶望しているすべての人々に,詩篇に記された次の約束を伝えたいと思います。「夜はよもすがら泣きかなしんでも,朝と共に喜びが来る。」〔詩篇30:5

人生の苦難に押しつぶされそうなときには,だれしも同様の苦難を経験し,耐え,乗り越えてきたことを思い起こしてください。

苦難はあらゆる人に際限なく訪れるものです。しばしば即座に解決する方法を見いだそうとするわたしたちは,苦難を乗り切るには忍耐という美徳を要するということを忘れているのです。

次のような試練のいずれかを,皆さんは経験しているかもしれません。

  • 障害のある子供

  • 愛する者の死

  • 失業

  • 世の中の進歩についていけないこと

  • 不従順な息子や娘

  • 精神的,情緒的な病気

  • 事故

  • 離婚

  • 虐待

  • 過剰債務

数え上げればきりがありません。現代の世界では,時折,あらゆる良い賜物を下さる神ははるか遠くにおられるのではないか,あるいは自分は神から完全に切り離されているのではないかと感じてしまう傾向があります。人生を独りで歩んでいることに不安を感じ,こう自問します。「一体どうすればいいのだろう。」究極の慰めをもたらしてくれるものは,福音なのです。

苦しく,枕を涙でぬらす病床にあって,霊的に高めてくれるのは,「わたしはあなたを見放すことも,見捨てることもしない」〔ヨシュア1:5〕という神の確証と貴い約束です。5

2

信仰の土台を堅固にすることが,試練のときにわたしたちを支えてくれる。

1959年,カナダのトロントに本部のあるカナダ伝道部の会長として赴任して間もないころ,わたしはN・エルドン・タナー兄弟に会いました。タナー兄弟は著名なカナダ人で,わたしが会ったほんの数か月後に,十二使徒定員会補助に召されました。後に十二使徒定員会会員に召され,そして4人の大管長の顧問に召されました。

当時のタナー管長は,カナダ横断パイプライン社の社長であると同時に,カナダ・カルガリーステークの会長でもありました。彼はカナダで「高潔な紳士」として知られていました。初めて会ったときに,とりわけカナダの寒い冬について話しました。嵐が吹き荒れ,氷点下の気温が何週間も続き,冷たい風のせいで,実際の気温よりも体感温度がかなり低く感じられることなどを話しました。そのような冬でも,カナダ西部の道路は,ひび割れや傷みがほとんど,あるいはまったく見られず,基本的に完全な状態に保たれています。逆に,それほど冬が厳しくない多くの地域では,道路にひび割れや傷みや穴が多く見られます。これはどうしてでしょうと,タナー管長に尋ねました。

彼はこう答えました。「それは舗装用資材の土台がどれだけ深いかによるのです。道路を堅固で完全な状態に保つには,土台の層を厚くする必要があります。土台の深さが不十分だと,道路の表面は厳しい気候に耐えられません。」

タナー管長のこの言葉について,長年にわたって度々考えました。彼のこの言葉の中に,人生に応用できる意義深い教訓が含まれているからです。つまり,もしわたしたちに信仰という深い土台と,真理に対する堅固な証がなければ,逆境というだれにも避けられない嵐が吹き荒れるときに,耐えることが非常に困難になるのです。

現世は試しの時期であり,天の御父のみもとに戻るためのふさわしさを証明する時期です。ですから試練や困難に遭うのは当然のことなのです。試しによってわたしたちの信仰は打ち砕かれ,魂にひびが入ってしまうかもしれません。それは,信仰の土台と真理に対する証がしっかりしていないからなのです。

一時的であれば,他人の信仰や証に頼ることもできるでしょう。しかし,最終的には自分自身のしっかりした土台を築かなければなりません。そうしなければ,だれの人生にも必ず訪れる嵐に耐えられないのです。人生の嵐は様々な形でやって来ます。例えば,反抗的な子供が永遠の真理の道から離れ,過ちや失望の危険な道を選んだことによって,悲しみや心痛を経験することがあるかもしれません。自分や愛する人が,病気によって苦しみや死を経験するかもしれません。事故に遭い,つらい記憶が残ったり,命を落としたりするかもしれません。老いが進むと足もとが危うくなり,死が忍び寄ります。死はしばしば,まだ人生半ばの人にも訪れ,幼い子供の笑い声を奪っていくことさえあるのです。……

こうした人生の浮き沈みに耐えられる堅固な土台を築くにはどうすればよいのでしょうか。忠実な人に約束された喜びを味わうために,その前提条件である信仰と証を維持するにはどうしたらよいのでしょうか。一歩ずつ地道に努力することが必要です。涙が出るほど御霊を強く感じ,これから先ずっと忠実であり続けようと決心したことのある人は多いと思います。このように言った人がいました。「このような気持ちを維持できさえすれば,義務を果たすことはとても簡単になるでしょうね。」しかし,そのような気持ちは移ろいやすいものです。〔今日〕感じる御霊は,月曜日が来て,仕事や学校,家事や子育てなどの日常の雑務に追われるようになると,次第に薄れてしまうかもしれません。日々の雑務により,わたしたちの思いは,わたしたちが許してしまえば,神聖なものから世俗的なものへ,霊性を高めるものから,霊的な土台や証をむしばむものへと,流されて行くのです。

確かに,この世界には霊的でないものがたくさんあります。それでも,わたしたちは信仰の土台を強め,強い証を築いて,ひるむことも,力を落とすこともなく生きることができるのです。6

3

祈り,聖文研究,奉仕は,信仰の堅固な土台を築く助けとなる。

この世で霊的に生き延びるために必要な土台をしっかり築き,維持するにはどうすればよいのでしょうか。3つの役立つ指針を教えましょう。

第1に,祈りを通して土台を固めてください。「祈りは魂の見えぬ望み 述べても述べずも,胸に燃ゆる。」(「祈りは魂の『賛美歌』83番)

祈るときには,天の御父とほんとうに話しましょう。ほとんど何も考えずに,同じ言葉を繰り返すという習慣は簡単に身についてしまいます。皆,文字どおり,神の霊の息子,娘であることを思い出せば,祈りを通して御父に近づくのは難しいことではないでしょう。神はわたしたちを御存じであり,愛しておられ,わたしたちの幸福を望んでおられます。心から,意味のある祈りをささげましょう。感謝をささげ,必要なものを求めてください。御父の答えを求めて耳を傾けましょう。そうすれば答えが与えられたときに気づくことができます。そうするうちに,わたしたちは強められ,祝福を受けるのです。わたしたちは,御父を知り,御父の御心を知るようになります。そして,御父を知るようになり,御父の御心を信頼するようになると,信仰の土台が強められるのです。もしもわたしたちの中に,常に祈りなさいという勧告に熱心に従ってこなかった人がいるならば,今こそ従うときです。……

第2の指針です。聖文を研究し,ヨシュア記の中で主が勧告しておられるように,「昼も夜もそれを思」うようにしてください(ヨシュア1:8)。……

聖文の研究に日々時間を費やせば,間違いなく,信仰の土台が堅固になり,真理に対する証が強められます。

アルマは,ギデオンの地から南方のマンタイの地へ向かって旅をしていたときにモーサヤの息子たちと再会して,大いに喜びました。アルマは久しぶりに会った彼らが「なおも主にあって兄弟であったので,その喜びはいっそう深かった[のです]。さらに,彼らは正しい理解力を備えた人々であり,また神の言葉を知るために聖文を熱心に調べてきたので,すでに真理を深く知るようになってい[ました]。」(アルマ17:1-2参照)

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聖文を研究する男性

「聖文の研究に日々時間を費やせば,……信仰の土台が堅固になり,真理に対する証が強められます。」

わたしたちが神の御言葉を知り,それに従って生活できますように。

信仰と証の堅固な土台を築くための第3の指針は,奉仕です。

ある朝,車で事務所に向かう途中,クリーニング屋の窓に次のような看板がかかっているのに気づきました。「価値ある奉仕をご提供します。」その言葉がわたしの頭から離れませんでした。突然,その訳が分かりました。実際のところ価値ある奉仕とは,まさに主の奉仕なのです。

モルモン書には高潔なベニヤミン王について記されています。ベニヤミン王は,霊感あふれる指導者で,真にへりくだり,民に仕え,民を義の道へ導くのが自分の願いであると述べました。

「わたしは自分の生涯をあなたがたのための務めに費やしてきたと言ったが,それは自慢したくて言ったのではない。わたしは神のために務めてきたにすぎないからである。

そして見よ,わたしがこれらのことを語るのは,あなたがたに知恵を得させるためである。すなわち,あなたがたが同胞のために務めるのは,とりもなおさず,あなたがたの神のために務めるのであるということを悟らせるためである。」(モーサヤ2:16-17

これが,価値ある奉仕です。わたしたち全員が召されている奉仕,すなわち,主イエス・キリストの奉仕です。

皆さんの人生の旅路で,同じように旅をしている人に目を留めてください。皆さんの助けを必要としている人々がいます。皆さんの確信,助け,励まし,霊感を必要としている人がいます。皆さんが救うべき人がいるのです。……

生活に堅固な土台を築くうえで,主の尊い約束を心に留めておきましょう。

恐るな,われは汝が神

常に汝と共にあり

助け与え,強くして

わが正しき力をもて 汝れを支え,励まさん

(「主のみ言葉は『賛美歌』46番)7

切実な真心からの祈りによって,そして真剣で熱心な聖文の研究によって天の御父を求めるとき,証は強められ,深く根付きます。神がわたしたちを愛してくださっていることが分かり,決して独りで歩いているのではないことを理解します。わたしは皆さんに約束します。つらかった日々を振り返る時がいつか来ます。そのとき皆さんは,天の御父がいつもそばにいてくださったことを知るのです。8

4

試練のときに天の御父に頼るなら,御父はわたしたちを支え,わたしたちが学び成長できるよう助けてくださる。

わたしたちは悲観主義というゆがんだレンズを通して自分の不幸を見る傾向があります。そして,見捨てられた,もう希望がない,孤独だと感じるのです。もし自分がそのような状況にいることが分かったら,信仰をもって天の御父を仰ぎ見てください。御父はあなたを力づけ,導いてくださるでしょう。苦しみを取り去ってはくださらないかもしれませんが,どのような嵐であってもあなたを慰め,愛を込めて導いてくださいます。9

〔主は〕助けが必要なときは助けてくださいます。困難は訪れるものであり,予期せぬ問題や避けられぬ問題も生じるものです。それらを免れる人は一人もいません。現世の目的は,学び成長して,御父のようになることです。そして,教訓には痛みが伴うかもしれませんが,わたしたちが最も学ぶのは,往々にして困難に直面しているときなのです。イエス・キリストの福音の教えに従うとき,わたしたちの人生は喜びで満たされます。10

天の御父は,わたしたちに喜びをもたらす多くのものをお与えになりますが,それと同時に,わたしたちが経験しなければならない試しに立ち向かい,それを乗り越えるときに,学び,成長し,強くなることも御存じです。わたしたちは,つらい悲しみを経験したり,胸を痛めたり,極限まで試されることがあるのを知っています。しかし,そのような困難を通じて,より良い方向に変化し,天の御父が教えておられる方法で人生を立て直し,過去の自分とは違う人物,すなわち過去の自分よりも善良で,理解力があり,同情心にあふれ,強い証を持った人物となることができるのです。

我慢し堪え忍ぶことだけでなく,喜びと悲しみをくぐり抜け,霊的に磨かれることもわたしたちの人生の目的であるべきです。克服するべき試練,解決するべき問題がなければ,いつまでたっても現在の自分と変わらないでしょう。永遠の命という目標を目指して進歩することも,ほとんど,あるいはまったくないでしょう。一人の詩人が,まさしく同じような考えを次のような言葉で表現しています。

良い木材は穏やかな環境で育つものではなく,

風が強ければ強いほど,木は丈夫になる。

空が遠ければ遠いほど,木は高くなり,

嵐が激しければ激しいほど,木の強度は増す。

日光と寒さ,雨そして雪

木の中にも,人の中にも,良い木材は育つ。

〔Douglas Malloch, “Good Timber,” in Sterling W. Sill, Making the Most of Yourself (1971), 23〕

わたしたちの経験する試し,痛み,苦しみの深さを理解することがおできになるのは主だけです。逆境のとき,わたしたちに永遠の平安を与えることがおできになるのは主だけです。次のような慰めの言葉で,わたしたちの苦しむ心に触れることがおできになるのは主だけなのです。

「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。」〔マタイ11:28-30

最良の時であっても,最悪の時であっても,主はわたしたちとともにおられます。このことが変わることは決してないと主は約束されました。

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男性の手を握られるキリスト

「わたしたちの経験する試し,痛み,苦しみの深さを理解することがおできになるのは主だけです。逆境のとき,わたしたちに永遠の平安を与えることがおできになるのは主だけです。」

愛する兄弟姉妹の皆さん,わたしたちが時の流れや人生の危機に左右されることなく,天の御父に献身できますように。わたしたちは主を覚えるために困難を経験する必要はありません。強いられて謙遜になり主を信じ頼るようなことがあってはなりません。

わたしたちがいつも天の御父に近くあろうと努力できますように。そうするためには,御父に祈り,御父の御言葉に耳を傾けなければなりません。わたしたちは良いときも悪いときも,文字どおり主を絶えず必要としています。主の次の約束をいつも忘れませんように。「わたしはあなたを見放すことも,見捨てることもしない。」〔ヨシュア1:5

全身全霊をもって,わたしは証します。神は生きて,わたしたちを愛しておられます。神の独り子はわたしたちのために生きて,わたしたちのために亡くなられました。イエス・キリストの福音は,わたしたちが経験する人生の暗闇を貫いて輝く光です。いつでもそうでありますように……祈ります。11

研究とレッスンのための提案

質問

  • モンソン大管長は,福音は苦しみや艱難のときに慰めをもたらしてくれると教えています(第1項参照)。困難な時期に,福音はあなたにどのように慰めと強さをもたらしてくれましたか。試練のとき,どうすれば天の御父と救い主の愛を感じることができるでしょうか。

  • 第2項で,N・エルドン・タナー管長に関するモンソン大管長の話を読んでください。信仰の土台を堅固にするために,一歩ずつ地道に努力することが必要なのはなぜでしょうか。試練や困難が現世に必要な部分であるのはなぜでしょうか。

  • モンソン大管長が挙げている,信仰の堅固な土台を築くための3つの指針を読んでください(第3項参照)。祈りはあなたの信仰をどのように強めてきましたか。聖文研究はあなたの証をどのように強めてきましたか。人々への奉仕はあなたの土台をどのように強めてきましたか。

  • 第4項で述べられている事柄の中で,あなたが経験している試練に対して希望と強さを与えてくれる教えはどれですか。困難な時期に,主はこれまでどのようにあなたを助けてくださいましたか。主が与えてくださる慰めと強さを受けるには,何をしなければならないでしょうか。試練を経験したことで,あなたはどのように「霊的に磨かれ」てきましたか。

関連聖句

ヤコブの手紙2:14-26黙示21:1-42ニーファイ31:19-20モーサヤ23:21-22アルマ32:21,26-43教義と聖約121:7-9122:5-9

教える際のヒント

「福音を学習する際に聖霊から受ける霊的な印象を記録するように,〔家族やクラスの生徒たち〕を励ましてください。……時々御霊は……まったく声に出して話されていない事柄を教えることがあ〔ります〕。」(『救い主の方法で教える』30参照)