「第4章:祈り—安らぎと霊的な強さへのパスポート」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』
「第4章」『教え—トーマス・S・モンソン』
第4章
祈り—安らぎと霊的な強さへのパスポート
「心からの真剣な祈りを通して,必要な祝福と助けを受け,困難やチャレンジの多いこの現世の旅路を進むことができるのです。」
トーマス・S・モンソンの生涯から
モンソン大管長は次のように述べている。「天の御父と祈りを通して話〔す時間〕は,わたしにとって大切な会話の時間です。この会話がなければ,わたしは道に迷ってしまうことでしょう。」122歳でビショップに召されたとき,モンソン大管長は自分に力がないと感じ,恐れ,責任に圧倒された。2その時期のよりどころが祈りであったことを振り返って,後にこう語っている。
「ビショップは皆,一人になって瞑想し,導きを求めて祈る聖なる森が必要です。わたしの聖なる森はワードの古い礼拝堂でした。わたしが祝福を受け,確認され,聖任され,教えを受け,そして管理するように召されたこの建物の壇上に,わたしは夜遅く暗い中を何度足を運んだことでしょうか。礼拝堂には教会の前にある街灯の光がほのかに射し込んでいました。物音一つなく,邪魔をする人もいません。わたしは説教壇に手を置いてひざまずき,自分の考えていること,心配事,問題を主に打ち明けました。」3
モンソン大管長がビショップとして奉仕していたある年,干ばつのためにビショップの倉の物資が不足していた。ワードにいた80人を超える夫を亡くした人たちのことを特に心にかけていたモンソン大管長は,祈りによって天の御父のもとに行った。その経験について,次のように述べている。
「その晩の祈りは,わたしにとって神聖なものとなっています。夫を亡くしたこれらの人たちはわたしがこの世で知っている最もすばらしい女性たちであり,彼女たちが必要としているのは質素で控え目なものですが,すがるところがないことをわたしは主に訴えました。次の朝,農園を所有しているワードの会員から電話がかかってきました。『ビショップ,困っている人のために,オレンジやグレープフルーツやバナナをいっぱいに積んだトラックをビショップの倉に向けますので,手配をしていただけませんか。』していただけるもいただけないもあったものではありません。倉はがぜん活気づきました。ビショップたちに電話をし,荷物をすべて配送しました。当時,倉の管理人をしていた福祉の草分けともいえるジェシー・M・ドラリービショップは,これまでこのような日は一度もなかったと言いました。」4
モンソン大管長はしばしば,神はわたしたちの祈りを聞き,こたえてくださることを証した。その答えは,奇跡や,個人的な導き,促し,試練を堪え忍ぶ強さ,ほかの人々からの奉仕など,様々な形を取って与えられると教えた。「今日のひどく慌ただしい生活の中に,祈りのための場所を設けてください」と,モンソン大管長は勧めている。「わたしたちの務めは,わたしたちだけで担うには大きすぎるものです。神の助けが必要です。祈ることで,必ず神の助けが得られることを証します。」5
トーマス・S・モンソンの教え
1
祈り,耳を傾けるとき,天の御父は現世の旅路にあってわたしたちを助けてくださる。
1羽のすずめが落ちるのも御存じの神は,心からの嘆願を必ず聞いてくださいます。この約束を思い出してください。「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,その人は,とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に,願い求めるがよい。そうすれば,与えられるであろう。」〔ヤコブの手紙1:5〕
……大小様々の試練と闘っている皆さんにお伝えします。祈りは霊的な強さの源であり,安らぎへのパスポートです。祈りは,わたしたちを愛してくださっている天の御父に近づく手段です。祈りの中で御父に話しかけ,答えに耳を傾けてください。奇跡は,祈りを通してもたらされるのです。6
未来へのわたしたちの旅路は,永遠の世界につながる平坦な大通りではありません。むしろ,路上には幾つもの分岐点や曲がり角があるでしょうし,予期せぬ段差も当然あるはずです。ですから毎日,愛にあふれ,わたしたち一人一人の人生での成功を望んでおられる天の御父に祈らなければならないのです。7
父なる神〔は〕……わたしたちの方で受ける備えができれば,……助けてくださるのです。
数年前の経験が思い出されます。友人たちとモルガン種の馬で遠乗りに出かけました。やがて,青々とした草が生え,きれいな小川がくねくねと流れている低地に出ました。ミュール鹿にとって,これ以上の住みかはないでしょう。しかし,危険が潜んでいました。野生の鹿は,周囲の藪のわずかな動きや,小枝の折れる音,人影などを敏感に察知します。しかし,無防備な方向があります。頭上です。ハンターが大きな木に台を設置し,上からその場所をねらっていました。多くの地域では禁じられていますが,草や水を求めて来る動物を獲物にするのです。小枝の音も,動きも,人影も,ハンターの居所を告げてはくれません。なぜでしょうか。迫り来る危険に非常に敏感な雄鹿であっても,直接上を見て敵を見つける能力がないからです。気づいたときは,まさに危険な道に踏み込んでいるのです。人にはそのような制限はありません。最も安全な道は,天を見上げる,すなわち「神に頼って生きる」〔アルマ37:47〕能力と願望にあるのです。8
祈りを通して土台を固め〔てください〕。……祈るときには,天の御父とほんとうに話しましょう。ほとんど何も考えずに,同じ言葉を繰り返すという習慣は簡単に身についてしまいます。皆,文字どおり,神の霊の息子,娘であることを思い出せば,祈りを通して御父に近づくのは難しいことではないでしょう。神はわたしたちを御存じであり,愛しておられ,わたしたちの幸福を望んでおられます。心から,意味のある祈りをささげましょう。感謝をささげ,必要なものを求めてください。御父の答えを求めて耳を傾けましょう。そうすれば答えが与えられたときに気づくことができます。そうするうちに,わたしたちは強められ,祝福を受けるのです。わたしたちは,御父を知り,御父の御心を知るようになります。そして,御父を知るようになり,御父の御心を信頼するようになると,信仰の土台が強められるのです。もしもわたしたちの中に,常に祈りなさいという勧告に熱心に従ってこなかった人がいるならば,今こそ従うときです。ウィリアム・クーパーは言いました。「最も弱い聖徒がひざまずいて祈るとき,サタンは,ふるえおののく。」(in William Neil, comp., Concise Dictionary of Religious Quotations [1974], 144)9
祈りは実際に祈らなければ学ぶことができません。どれほど多くの時間をかけて他人の経験を調べたとしても,熱心な個人の祈りと天よりもたらされるその答え以上に心が刺し貫かれるものを得ることはできません。
少年サムエルが示した模範はまさしくこれでした。若きニーファイが経験した事柄もそこから生まれたものでした。重大な意味と影響を与えることになった少年ジョセフ・スミスの祈りはこうしてささげられたのでした。祈りをささげることによって,このような祝福を受けることができます。10
〔祈りによって話をする〕関係を天の御父との間にまだ築いていない人は,それを築けるよう努めてください。そのように努めると,御父の霊感と導きを生活の中に受けられるようになります。これはこの地上で霊的に生きていくためにだれにとっても不可欠なものです。そのような霊感と導きは御父からの賜物で,求めさえすればだれにでも与えられます。これは大いなる宝です。11
2
家族の祈りを通して,わたしたちは必要な祝福と助けを受ける。
ある著名なアメリカ人判事が次のように問われました。「犯罪や法律違反を減らし,世界中の人々が安らぎと満足を感じながら生活するために,世界各地の一般市民には何ができるでしょうか。」彼は慎重に,こう答えました。「家族の祈りという昔ながらの古い慣習に立ち返ることを提案します。」
家族の祈りは,わたしたちにとっては時代遅れの慣習ではありません。そのことに,わたしたちは一つの民として感謝すべきではないでしょうか。家族がともに祈る姿ほど美しい光景はこの世にありません。……
主は家族で祈るように次のような言葉で命じられました。「あなたがたの妻子が祝福を受けるように,あなたがたの家族の中で,わたしの名によって常に父に祈りなさい。」〔3ニーファイ18:21〕12
「家族がともに祈る姿ほど美しい光景はこの世にありません。」
主は言われました。「常に祈りなさい。そうすれば,わたしはあなたに御霊を注ごう。そして,あなたの祝福は大いなるものとなる。」〔教義と聖約19:38〕祈ること,そして家族に祈るように教えることが,今ほど必要な時代はありません。祈りは誘惑に対する防御です。心からの真剣な祈りを通して,必要な祝福と助けを受け,困難やチャレンジの多いこの現世の旅路を進むことができるのです。
祈りの大切さを子供や孫に教えるときには,言葉と模範の両方が必要です。祈りに関して模範の大切さをつづったある母親の手紙を紹介しましょう。「親愛なるモンソン管長,わたしは時々不安になります。子供に良い影響を与えているという自信がないのです。特にわが家は母子家庭で,わたしは二つの仕事を掛け持ちして何とか家族を養っています。仕事から帰宅すると家の中がめちゃくちゃに散らかっていることもありますが,希望だけは捨てません。」
手紙はこう続いています。「あるとき,子供たちと一緒に総大会のテレビ中継を見ていると,モンソン管長が祈りについて話をしておられました。すると息子がこう言いました。『このことは,もうお母さんが教えてくれたよね。』わたしが『どういう意味なの』と聞くと,息子は答えました。『お母さんは,お祈りするようにって教えてくれたし,お祈りの仕方も教えてくれたよ。それに,この前の夜,聞きたいことがあってお母さんの部屋に行ったら,お母さんはひざまずいて神様にお祈りしていたんだ。もしお母さんにとって神様が大切なら,ぼくにとっても大切なんだと思うよ。』」彼女の手紙は次の言葉で結ばれています。「子供は,親が自分に教えたことを,親自身が行っているのを見るときに,親から影響を受けるのですね。」13
家族の祈りを怠らないようにしましょう。家族で祈ると,効果的に罪を予防できます。ですから,家族で祈ると喜びと幸福で満たされるのです。「ともに祈る家族は,ともにいる」という昔ながらのことわざは真実です。親であるわたしたちが祈りの模範を示すならば,子供にとって生涯必要な自分自身の信仰と証という堅固な土台を築くのを助けてあげることになるのです。14
3
わたしたちは祈る必要があり,そして行動する必要がある。
何年も前に,割り当てでタヒチを訪問した際,その地の伝道部会長であるレーモンド・ボーダン会長と,タヒチの人々について話していました。タヒチの人々は,世界でも有数の船乗りとして知られています。ボーダン兄弟はフランス語とタヒチ語を話し,英語は堪能ではありませんでしたが,タヒチの船長たちの成功の秘訣を,熱心に英語で伝えてくれました。「この国の船長たちには驚かされます。天候が悪く,水漏れするような船でも,自分の感覚と空の星以外に方向を確認する手立てがなくても,それでも船長たちは祈り,そして海に出て行くのです。」ボーダン兄弟はこの言葉を3度繰り返しました。ボーダン兄弟のこの言葉から,偉大な教えを学ぶことができます。わたしたちは祈る必要があります。そして行動する必要があります。これらはともに大切な事柄です。……
モルモン書のすべての聖句の中で,最も多くの人に読まれているのはどこか皆さんに尋ねたとします。わたしはきっと,ニーファイ第一書の,ニーファイとその兄たち,そしてリーハイがラバンから真鍮の版を手に入れるように命じられるところだと考えるでしょう。わたしたちの多くが幾度も,モルモン書を再度読むことを決意するからかもしれません。そして,たいていニーファイ第一書から読み始めるのです。ところで,この部分は,祈り,そして行動することの重要性を見事に描写しています。ニーファイは言いました。「わたしは行って,主が命じられたことを行います。主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており,それでなくては,主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」〔1ニーファイ3:7〕
わたしたちはこの命令を覚えています。ニーファイの反応も覚えています。その結果も覚えています。
わたしたちの時代にも,祈り,そして行動する人々が示した模範が豊富にあります。オーストラリア,パースの美しい町に住む,すばらしい家族の感動的な話をご紹介しましょう。1957年,ニュージーランド神殿奉献の4か月前,その家族の父親であるドナルド・カミングス兄弟はパース地方部の会長を務めていました。彼と奥さんとその家族は,とても質素な生活を送っていました。しかし彼らは,神殿の奉献式に出席することを決心しました。家族は,祈り,働き,そして貯金を始めました。1台しかない車を売り,小銭も残らずかき集めました。しかし,出発予定日の1週間前になっても,約20万円足りていなかったのです。しかし,予期せぬところから10万円ずつを受け取り,目標を達成することができたのです。カミングス兄弟の職場は,神殿参入のための休暇を取らせてくれませんでした。彼は仕事を辞める決意をしました。
ニュージーランド・ハミルトン神殿
カミングス家族は広大なオーストラリアの大陸を列車で横断し,シドニーで同じくニュージーランドへ向かうほかの会員たちと合流しました。カミングス家族は,ニュージーランド神殿で死者の身代わりのバプテスマを受ける,最初のオーストラリア人に数えられました。遠く,オーストラリア,パースの地からエンダウメントを受けに来た最初の人にも数えられました。彼らは,祈り,備え,そして出て行ったのです。15
4
どんな関心事であっても,小さすぎることも無意味なこともない。
何年も前,わたしがビショップをしていたときのことです。ワードの会員のメアリー・ワトソンが州立病院に入院したという知らせを受けました。早速見舞いに行くと,たくさんベッドのある大部屋だったので,彼女を探すのに苦労しました。ようやく彼女を見つけてベッドに近づき,言いました。「こんにちは,メアリー。」
彼女が答えてくれました。「こんにちは,ビショップ。」
わたしはそのとき,メアリー・ワトソンの隣のベッドの患者が,シーツの下に顔を隠したのに気づきました。
わたしはメアリー・ワトソンに祝福を授け,握手して,「さようなら」と別れを告げました。しかし,どういうわけかその場を離れることができません。まるで見えない手が肩に置かれているかのようです。そして,心の中に次のような声が聞こえました。「あなたが来たとき,隣のベッドで顔を隠した小柄な女性のところへ行きなさい。」わたしはそうしました。促しを受けたら引き延ばしてはならないことを経験から学んでいたからです。
わたしは隣のベッドに近づき,優しく肩をたたいてから,顔を覆ったシーツをゆっくり下げていきました。何ということでしょう。彼女もワードの会員だったのです。彼女が入院しているなんて知りませんでした。名前をキャスリーン・マッキーといいます。彼女はわたしの目を見ると,涙ながらに言いました。「ああ,ビショップがドアから入って来たとき,わたしの祈りにこたえて,祝福しに来てくれたと思ったんです。ここにいるのを知っていてくれたのがうれしくて。でも,ほかの人のところへ行ったので,がっかりしました。わたしに会いに来たんじゃなかったのだ,と。」
わたしはキャスリーン・マッキーに言いました。「わたしが知らなかったことは,問題ではありません。大切なのは,天の御父が御存じだったこと,あなたが神権の祝福を静かに祈り求めたことです。わたしをあなたのところに導いたのは天の御父なのです。」
祝福が授けられ,祈りはこたえられました。わたしは彼女の額にキスをし,御霊の促しに感謝しつつ病院を出ました。16
主の目的の多くは,わたしたちが御霊の導きに注意を払うときに達成されます。わたしたちが与えられる霊感や印象に従って行動を起こせば起こすほど,主はわたしたちを主の用向きを持つ者として信頼してくださいます。わたしはそう確信しています。……
兄弟姉妹の皆さん,……御父はわたしたちの必要を御存じであり,わたしたちが主に助けを求めるときに必ず助けてくださいます。どんな関心事であっても,小さすぎることも無意味なこともないと,わたしは信じています。主はわたしたちの生活の細部に至るまで心にかけてくださっています。17
5
祈りは試練の中でわたしたちを支えてくれる
人生の荷が重くなるとき,試練が人の信仰を試すとき,痛みや悲しみ,絶望で希望の光が消え入りそうになるとき,天の御父との交わりが平安をもたらしてくれます。18
いばらがまかれ,問題が山積する道を歩くこともあるでしょう。あらゆる良い贈り物を下さる御方から遠く離れてしまった,あるいは絶たれてしまったと感じるときもあるかもしれません。自分は独りで歩いているのではないかと心配になります。恐れが信仰に取って代わってしまうのです。
皆さんが,自分は今そのような境遇にあると感じたら,祈りを思い出してくださるよう心からお願いします。……使徒パウロは次のように勧告しています。
「あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
そうすれば,人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が,あなたがたの心と思いとを,キリスト・イエスにあって守るであろう。」〔ピリピ4:6-7〕
何という輝かしい約束でしょうか。平安こそわたしたちが求めるもの,切望するものなのです。
わたしたちは独りで歩くようにこの地上に置かれたのではありません。実に驚くような力の源,強さの源,慰めの源が一人一人の手に届く所にあります。わたしたち自身よりもわたしたちのことを御存じの御方が,また,はるかに広い視野をお持ちで,初めから終わりまでを御存じの御方が,わたしたちが求めさえすればわたしたちのためにそばにいて助けると約束しておられるのです。わたしたちにはこのような約束があります。「常に祈り,そして信じていなさい。……万事があなたがたの益となるようにともに働くであろう。」〔教義と聖約90:24〕
わたしたちの祈りが天に向かうとき,救い主が教えられた御言葉を忘れないようにしましょう。ゲツセマネと十字架上での堪え難い苦痛に直面された救い主は御父にこう祈られました。「わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください。」〔ルカ22:42〕御父を信頼することが難しいときがあるかもしれません。しかしわたしたちも天の御父を信頼し,御父が,どのように,いつ,どの方法でわたしたちの求める助けを与えるのが最も良いかを御存じの御方であることを信じなくてはなりません。19
祈り,霊感を受けるという天の御父との交わりは,人生の嵐や試練を乗り越えるために必要です。「わたしに近づきなさい。そうすれば,わたしはあなたがたに近づこう。熱心にわたしを求めなさい。そうすれば,あなたがたはわたしを見いだすであろう」と主は招いておられます〔教義と聖約88:63〕。そうするときに,わたしたちは生活の中で主の御霊を感じるようになり,義に固く強く立とうという望みと勇気を得ます。20
研究とレッスンのための提案
質問
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モンソン大管長は,祈りは「霊的な強さの源」であり,「安らぎへのパスポート」であると教えています(第1項)。あなたはこれまでどのようなときに祈りによって強められてきましたか。どのようなときに祈りによって安らぎを得てきましたか。どうすれば祈りをもっと有意義なものにできるでしょうか。
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家族の祈りをすることによってもたらされるとモンソン大管長が述べているたくさんの祝福について読んでください(第2項参照)。ともに祈ることによってあなたの家族はどのような祝福を受けてきましたか。子供たちが祈りの力について学ぶのを助けるために,どのようなことができるでしょうか。母親の祈りについてのモンソン大管長の話から,どのようなことを学べるでしょうか。
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タヒチの船長たちに関するモンソン大管長の話は,祈りについてどのようなことを教えているでしょうか(第3項参照)。わたしたちが天の御父の助けを求めるとき,御父はわたしたちにどのようなことを期待されるでしょうか。天の御父が祈りにこたえられる方法について,あなたはこれまでにどのようなことを学んできましたか。
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モンソン大管長は,「御父はわたしたちの必要を御存じであり,わたしたちが主に助けを求めるときに必ず助けてくださいます」と強調しています(第4項)。天の御父があなたの必要を御存じであることを示している経験に,どのようなものがありますか。神が祈りを聞き,こたえてくださるという証を得る助けとなった経験に,どのようなものがありますか。
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モンソン大管長は,わたしたちが祈りによって助けを求めるとき,天の御父は試練の中でわたしたちを支えてくださると教えています(第5項参照)。祈ることによって,試練の中でどのように支えられたと感じたことがありますか。常に祈るときに「万事があなたがたの益となるようにともに働くであろう」(教義と聖約90:24)という約束を,神がどのように果たされるのを目にしてきましたか。
関連聖句
マタイ6:5-13;21:22;ヨハネ17:1-26;ヤコブの手紙5:16;2ニーファイ32:8-9;エノス1:1-9;アルマ33:3-11;教義と聖約9:7-9;121:1-8
学ぶ際のヒント
読むときに,あなたにとって大切な言葉や表現に印をつけてください。モンソン大管長の教えに関連している聖句の場所を書き加えましょう(『わたしの福音を宣べ伝えなさい』23参照)。