歴代大管長の教え
第12章


「第12章:進んで主に従う」『歴代大管長の教え—トーマス・S・モンソン』

「第12章」『教え—トーマス・S・モンソン』

第12章

進んで主に従う

「この人生の大きなテストは,従順であることです。」

トーマス・S・モンソンの生涯から

トーマス・S・モンソン大管長は子供のころ,ユタ州プロボ渓谷の山小屋で夏の期間を過ごした。親友の一人にダニー・ラーセンがいて,彼の家族も同じ場所に山小屋を持っていた。トムとダニーは,魚釣りをしたり,石を集めたり,ハイキングをしたり,高い所に登ったり,様々な遊びを一緒に楽しんだ。あるとき,トムは従順について貴重な教訓を学んだ。トムとダニーは,友人たちと夜にキャンプファイヤーをしたいと思い,そのためには野原から枯れた草を引き抜いて場所を作る必要があった。しばらく草を引き抜いたがあまりはかどらずにいたところで,トムにある考えが浮かんだ。

「そのとき,8歳のわたしの頭にすばらしい解決策が浮かびました。わたしはダニーに言いました。『この草を燃やせばいいんだ。草を燃やして大きな丸い形を作ればいい!』彼はすぐに賛成しました。わたしは山小屋へマッチを取りに行きました。

……ダニーとわたしは……火の危険について何度も警告されていました。しかし,わたしは,家族がマッチをどこに置いているか知っていましたし,その雑草をどうしても処分したかったのです。わたしは夢中で山小屋へ走って行き,マッチを数本取り出して,だれも見ていないことを確認しました。そして,マッチをポケットに入れました。

ダニーのところに走って戻りました。問題を解決してくれるものをポケットに入れていたので,とてもわくわくしていました。今でも覚えていますが,火をつければ,わたしたちが必要としている部分だけが燃えて,その後は魔法のように消えてくれるものと信じていました。

わたしはマッチを石にこすって火をつけ,乾き切った6月の草に火をつけました。まるでガソリンがかかっているかのようにすぐに火は燃え移りました。最初,ダニーとわたしはその雑草が燃えていくのをわくわくしながら見守りました。しかし,ほどなくして,この火は勝手には消えてくれないということに気づきました。火を止められないことが分かったとき,わたしたちはパニックになりました。火は雑草をたどって山の斜面に向かい始めました。松の木や,そこにあるすべてのものが危険にさらされたのです。

結局,助けを求めに走る以外に選択肢はありませんでした。すぐに,ビビアンパークにいたすべての男性と女性が大きな麻袋を持って走って来て,その火をたたいて消そうとしてくれました。数時間後にやっと鎮火しました。古い松の木々が救われ,火にのみ込まれていたであろう家々も救われました。」

モンソン大管長は次のように述べている。「その日,ダニーとわたしは,難しいけれども重要な教訓を幾つか得ました。特に重要な教訓は,従順であることです。」1

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魚を持つ子供時代のトム・モンソン

トム・モンソンは釣りなどの野外活動を楽しんだ。後に,福音の原則を説明するために,これらの経験の幾つかを用いている。

トーマス・S・モンソンの教え

1

神の戒めに従順になることは,現世の旅における常に変わることのない道案内である。

神の戒めは,わたしたちをいらつかせ,幸福の妨げとなるように与えられているわけではありません。実際は,まったくその反対です。わたしたちを創造され,完全に愛してくださっている神は,わたしたちが得ることのできる最高の幸福を手にするために,どのように生活する必要があるかを御存じです。神はわたしたちに指針を与えておられ,それに従うなら,わたしたちはこの危険に満ちた現世の旅を安全に進むことができます。よく知られた賛美歌の歌詞にあるように,「戒めを守る人を神は守り,導」いてくださるのです〔「戒めを守る人を『賛美歌』193番〕。

天の御父はわたしたちを愛しておられるので,次のように言われました—あなたは偽証してはならない。あなたは盗んではならない。あなたは姦淫してはならない。自分を愛するように隣り人を愛せよ,などです〔出エジプト20:1-17マタイ22:39参照〕。……わたしたちが戒めを守るとき,もっと幸せで,満ち足りて,煩いがより少ない生活を送れることを,神は理解しておられます。試練や問題はもっと堪えやすくなり,神が約束された祝福を受けるでしょう。しかし,神は律法と戒めをお与えになる一方で,それを受け入れるか,拒むかを選ぶことも許してくださっています。この選びはわたしたちの行く末を決定づけます。2

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十戒を持つモーセ

「神の戒めは,わたしたちをいらつかせ,幸福の妨げとなるように与えられているわけではありません。実際は,まったくその反対です。」

すべての世代にわたって,人間はこの地上での生活,また現世における自分たちの立場と目的,また平安と幸福への道について,知識と理解を追い求めてきました。わたしたち一人一人が,それを探しています。

その知識と理解はすべての人に開かれています。それらは永遠の真理の中に含まれています。……1833年5月,オハイオ州カートランドで預言者ジョセフ・スミスが受けた啓示の中で,主はこう宣言しておられます。

「真理とは,現在あるとおりの,過去にあったとおりの,また未来にあるとおりの,物事についての知識である。……

真理の御霊は神から出ている。……

人はだれも神の戒めを守らないかぎり,完全な真理を受けることはない。

神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる。」〔教義と聖約93:24,26-28

何とすばらしい約束でしょう!「神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる」のです。

福音のすべてが回復されているこの時代に,完全な真理を探すために地図にない海や標識のない道路を旅する必要は,皆さんにもわたしにもないのです。愛に満ちた天の御父が道を計画してくださいました。そして,常に変わることのない道案内を備えてくださいました。それは従順です。神の戒めに従順になることによって,真理を知り,人が抱く最大の疑問への答えを得ることができます。……

ルールや法律は,わたしたちの身の安全を確保してくれます。同様に主は,わたしたちが……霊的に安全に天の御父のみもとへ戻れるようにするために,導きや戒めを与えてくださいました。3

2

預言者たちは,わたしたちが従うべき従順の模範を示している。

神を信頼し,その教えに従った人々について学ぶとき,細い声が心にこう語りかけてきます。「静まって,わたしこそ神であることを知れ。」〔詩篇46:10〕これらの人々は確固として神の戒めを守り,神を信頼し,祝福を受けたのです。その模範に倣うなら,わたしたちもこの時代にあって同様の祝福を受けることでしょう。一人一人が,倣うべき模範となるのです。……

「その時代の人々の中で正しく,かつ全き人で……神とともに歩んだ」〔創世6:9〕人とは,預言者ノアのことです。……ノアは神に命じられたとおり箱船を造りました。ノアとその家族が破滅を逃れるためです。また,神の啓示に従って箱船の中にすべての生き物を二つ,またはそれ以上の数ずつ入れました。生き物も洪水から救われるようにするためです。

スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は半世紀以上も前の総大会でこう教えました。「雨や洪水の徴候は見られませんでした。……〔ノアの〕警告は不合理に思われました。……乾いた大地の上に箱船を造ることは,何と愚かに見えたことでしょう。太陽はいつものように輝き,あらゆる生命が育っているのです。しかし,時は満ちました。……大洪水が起こったのです。不従順な人々……は水にのまれました。箱船の奇跡は,箱船を造るという信仰の表れがあって初めて起こったのです。」〔in Conference Report, Oct. 1952, 48〕

ノアには神の戒めに従うという確固とした信仰がありました。わたしたちも常にその模範に倣うことができますように。神の知恵は人にとって愚かに見えることもありますが,神が語られ,わたしたちがそのとおりに行うならば,わたしたちは常に正しいのです。これこそ,この世で学ぶべき最大の教訓なのです。4

昔も今も,預言者たちは従順が救いに不可欠であることを知っていました。……アブラハムとイサクの従順の模範も,霊に感動を与えます。アブラハムにとって,愛するイサクをモリヤの地に連れて行き,燔祭としてささげるようにという神の戒めに従順に従うことは,何と難しかったことでしょう。定められた場所に向かっていたときのアブラハムの重い心を想像できるでしょうか。イサクを縛り,祭壇に乗せ,殺すために刃物を取り出したとき,悲しみが体と心の両方に襲いかかったことでしょう。アブラハムは主に対する確固とした信仰と信頼をもって,その戒めに従いました。彼は次の宣言を聞いたとき,その言葉をどれほど喜んで受け入れたでしょう。「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子,あなたのひとり子をさえ,わたしのために惜しまないので,あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った。」〔創世22:12

アブラハムは試練を受け,試されました。そしてその忠実さと従順さのゆえに,主は彼にすばらしい約束を下さいました。「地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである。」〔創世22:18

従順を示すために,これほど劇的で心を引き裂くような経験は求められませんが,わたしたちにも従順が求められます。

ジョセフ・F・スミス大管長は1873年10月にこう宣言しました。「天の第一の律法は従順である。」〔“Discourse,” Deseret News, Nov. 12, 1873, 644〕

ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう言いました。「末日聖徒の喜びは,末日聖徒の平安は,末日聖徒の進歩は,末日聖徒の繁栄は,そして,この民の永遠の救いと昇栄は,神の勧告に従順に歩むことにかかっているのです。」〔「もしあなたが快く従うなら『聖徒の道』1972年11月号,493参照〕5

従順は預言者の特質の一つです。すべての時代を通じて,預言者は従順を通して強さと知識を得てきました。この強さと知識の源をわたしたちも受けられることを理解しなければなりません。それは,神の戒めに従うことにより,今の時代のわたしたちもすぐに受けられるものなのです。6

3

主の戒めに従うとき,わたしたちは知識と答えと強さを得る。

わたしは長年にわたり,多くの忠実で従順な人々に会ってきました。わたしは彼らによって祝福され,霊感を受けました。その中の二人について,皆さんに分かち合いたいと思います。

ウォルター・クラウスは教会の熱心な会員であり,家族とともに第二次世界大戦後の〔ドイツ民主共和国〕に住んでいました。当時その国には自由が限られていたためにクラウス兄弟は苦しみました。それでもクラウス兄弟は主を愛し,主に仕える人でした。クラウス兄弟は与えられたすべての割り当てを,忠実に,きめ細かく成し遂げました。

もう一人の男性はハンガリーの出身のヨハン・デンドーファーです。彼は1911年,17歳のときにドイツでバプテスマを受け,その後間もなくしてハンガリーに戻りました。第二次世界大戦後,故郷のデブレッセンという町で,まるで囚人のような扱いを受けました。当時,ハンガリー国民も自由が奪われていたのです。

ウォルター・クラウス兄弟はデンドーファー兄弟を知りませんでしたが,彼のホームティーチャーになって定期的に訪問するように割り当てられました。クラウス兄弟はホームティーチングの同僚に電話をして,こう言いました。「わたしたちはヨハン・デンドーファー兄弟を訪問するように割り当てられました。今週わたしと一緒に彼を訪問して福音のメッセージを分かち合うことはできますか。」そしてこう付け加えました。「デンドーファー兄弟はハンガリーに住んでいます。」

同僚は驚いて,こう聞きました。「いつ出発するのですか。」

「明日です」とクラウス兄弟は答えました。

「いつ戻って来ますか。」同僚が聞きました。

クラウス兄弟は答えました。「1週間ほどです。もし帰ることができれば」と。

二人のホームティーチングの同僚がデンドーファー兄弟を訪問するために出発しました。ドイツ北東部から電車やバスを乗り継ぎ,ハンガリーのデブレッセンに移動しましたが,かなりの長旅でした。デンドーファー兄弟には戦前からホームティーチャーがいませんでした。彼はこの主の僕たちを見たときに,彼らが来てくれたことへの感謝で圧倒されました。彼はホームティーチャーとすぐには握手をしませんでした。寝室に戻って,小さな棚から箱を出し,長年ためてきた什分の一を取り出しました。彼は什分の一をホームティーチャーに渡してからこう言いました。「やっと,主に対して什分の一の義務を果たすことができました。これで,主の僕と握手するのにふさわしくなれました。」後に,クラウス兄弟はわたしに言いました。「長年教会と連絡が取れなかった彼が,わずかな収入の中から常に10パーセントを取り分けておいたことに,言葉にできないほどの感動を覚えました。彼は実際にいつ納められるか分からないまま,忠実にそのお金をためていたのです。」

ウォルター・クラウス兄弟は……生涯を通じて忠実に,従順に仕えました。彼はわたしに,そして彼を知っていたすべての人に,すばらしい霊感を与えてくれました。彼はどんな割り当てを受けても,決して疑わず,つぶやかず,言い訳せずに,実行しました。

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トーマス・S・モンソンと東ドイツの聖徒たち

左から:ゲーリー・シュウェンディマン,モンソン長老,ウォルター・クラウスとエディス・クラウス,ゴットフリード・リヒターとゲルトラウデ・リヒター,ヘンリー・バークハルトとインゲ・バークハルト

兄弟姉妹の皆さん,この人生の大きなテストは,従順であることです。主はこう言われました。「わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。」〔アブラハム3:25

救い主はこう宣言されました。「わたしから祝福を受けたいと思う者は皆,その祝福のために定められた律法とその条件に従わなければならない。その律法とその条件は,創世の前から定められたものである。」〔教義と聖約132:57

今日,祝福を受けるにふさわしくありたいなら,従順の精神が必要です。「明日はもっと良い行いをします」と言うだけでは不十分です。主は,わたしたちが今日,より良い行いをすることを期待しておられます。……神の祝福はすべて戒めに従うことに基づいているので,わたしはわたしたち一人一人が自分の生活に従順という習慣を取り入れるよう願っています。戒めに従って生活するとき,わたしたちは祈りの答えを見いだし,人生において導きを受けるでしょう。8

わたしたちが求める知識,切に願う答え,また,複雑で常に変化するこの世の試練に立ち向かうために必要な強さも,進んで主の戒めを守ることによって得ることができます。もう一度主の言葉を引用します。「神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる。」〔教義と聖約93:289

4

救い主は従順の最も偉大な模範であり,御自分に従うようわたしたちを招いておられる。

従うべき完全な模範が与えられてい〔ます〕。主であり救い主であるイエス・キリストの模範です。わたしたちはその模範に従うよう教えられてきました。救い主自ら,こう言っておられます。「わたしに従ってきなさい。」〔ルカ18:22〕「わたしがするのを見たその行いを,あなたがたもしなさい。」〔3ニーファイ27:21〕イエスは「あなたがたはどのような人物であるべきか」と問いかけ,御自分でそれに答えておられます。「まことに,あなたがたに言う。わたしのようでなければならない。」〔3ニーファイ27:27〕そして,「主は道を示し,……導かれました。」〔「高きに満ちたる『賛美歌』112番参照〕

イエスを模範として仰ぎ,その歩みに倣うならば,天の御父のみもとに無事帰り,永遠に神とともに住むことができるのです。預言者ニーファイはこう言っています。「人は生ける神の御子の模範に倣って,最後まで堪え忍ばなければ救われない。」〔2ニーファイ31:16〕……

箴言には「あなたの足の道に気をつけよ」〔箴言4:26〕という勧めがあります。この勧告に従うならば,イエスが歩まれた道を歩む信仰と望みを持つようになります。御父の望まれる道を歩んでいることに何の疑いも感じることがなくなることでしょう。救い主の模範はわたしたちのなす,すべての事柄の規範となり,その御言葉は間違いなく正しい道に導きます。救い主の道を歩めば無事みもとに帰れるのです。10

わたしたちの救い主以上の従順の模範はおられません。パウロはこう述べています。

「彼は御子であられたにもかかわらず,様々の苦しみによって従順を学び,

そして,全き者とされたので,彼に従順であるすべての人に対して,永遠の救の源と〔なられた。〕」〔ヘブル5:8-9

救い主は完全な人生を送ることにより,御自分の聖なる使命を果たすことにより,神への愛を示されました。主は高ぶることも,尊大になることも,不忠実になることもありませんでした。常に謙遜で,誠実で,従順であられました。

イエスは悪魔に試みられたときも,40日40夜の断食の後に肉体的に疲れて空腹になられたときも,悪魔から最も強い誘惑を受けられたときも,御自分が正しいと知っておられることから離れることなく,完全な従順の模範を示されました〔マタイ4:1-11参照〕。

ゲツセマネの苦しみに直面したときも,「汗が血のしたたりのように地に落ち〔る〕」〔ルカ22:44〕ほどの苦しみに耐えながら,主は御子としての従順さを示し,こうおっしゃいました。「父よ,みこころならば,どうぞ,この杯をわたしから取りのけてください。しかし,わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください。」〔ルカ22:42

初期の使徒たちと同じ指示を,救い主はわたしや皆さんに与えておられます。「わたしに従ってきなさい。」〔ヨハネ21:22〕わたしたちは従順になる決意ができているでしょうか。11

イエスとともに従順の道を歩むこともできます。この道はいつでも楽に歩けるわけではありませんが,「見よ,従うことは犠牲にまさり,聞くことは雄羊の脂肪にまさる」〔サムエル上15:22〕というサムエルから受け継いだ言葉をモットーにしようではありませんか。不従順の行き着く果ては束縛と死であり,従順の報いは自由と永遠の命であることを忘れないようにしましょう。12

わたしたちには,終わりから初めを御存じである……主に従う知恵がないのでしょうか。主の模範は道を示しています。主は,誘惑に遭ったときには遠ざけ,この世を与えようと言われたときには断り,命を求められたときには与えられました。

「われに来よ」と言う

救い主に行かん

ひとりでは居られず

御子よ,共にあれ……

永遠に主の言葉

従いて行けば

み国の栄えも

すべて恵み受けん

(「われに来よ『賛美歌』66番)

今こそ,この決意をする時です。主に従おうではありませんか。13

研究とレッスンのための提案

質問

  • 戒めに従うときに受けられる,約束された祝福について読んでください(第1項参照)。戒めに従うことで,わたしたちはどのように守られるでしょうか。従順は,あなたにどのように平安をもたらしてきましたか。従順は,あなたがより幸せになるうえでどのような助けとなってきましたか。「真理と光」を受けるうえでどのような助けとなってきましたか。

  • 第2項でモンソン大管長が述べている模範から,従順についてどのようなことが学べますか。どうすれば天の御父に対してさらに確固とした信頼を育むことができるでしょうか。

  • モンソン大管長は,「この人生の大きなテストは,従順であることです」(第3項)と教えています。ウォルター・クラウスとヨハン・デンドーファーの模範について,どのような印象を受けましたか。あなたが見てきた,困難な状況において従順であった人たちについて深く考えてください。その人たちの模範は,あなたにとってどのような助けとなってきましたか。

  • モンソン大管長は,救い主の従順の模範と,御自分に従うようにという主の招きを強調しています(第4項参照)。御自分に従うようにという救い主の招きをより十分に受け入れる方法として,どのようなことがあるでしょうか。

関連聖句

ヨシュア24:14-15マタイ7:21ヨハネ7:1714:151ニーファイ17:32ニーファイ1:20モーサヤ2:41教義と聖約130:20-21

学ぶ際のヒント

「イエス・キリストは御父に完全に従順であり素直であられたため,『ますます知恵が加わり,背たけも伸び,そして神と人から愛され』〔ルカ2:52〕ました。わたしたちもそのようであろうと決意しているでしょうか。『恵みに恵みを加えられた』〔教義と聖約93:12〕イエスのように,わたしたちも,福音を学ぶよう努力する中で,忍耐強くまた根気強く神からの光と知識を求めなければなりません。」(トーマス・S・モンソン「わたしに学びなさい『リアホナ』2016年3月号,6)