2000–2009
高い所へ向かう旅
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高い所へ向かう旅

選択が迫られています。自分の力に頼ることもできます。また,高い所へ向かって歩み,キリストのみもとに行くこともできるのです。

2004年12月26日,強烈な地震がインドネシア沖を襲い,巨大な津波のために,20万人以上の人が命を落としました。実に痛ましい悲劇でした。1日のうちに,数百万という人の生活が永遠に変わってしまったのです。

しかしながら,建物は破壊されたものの,死傷者を一人も出さなかった民が一つありました。

なぜでしょうか。

津波の到来を知っていたのです。

モーケン族と呼ばれる一族がタイとビルマ(ミャンマー)の沿岸に浮かぶ島々に住んでいます。この部族は魚や貝をとる人たちで,海に依存する生活をしています。何百年,恐らくは,何千年にもわたって,先祖は海について様々な経験を通して学習し,その知識を父から子へと伝えてきました。

特に,海の水が一斉に引いたときには,どう行動すべきかについて注意深く教えられました。言い伝えによれば,その後すぐに「ラブーン」と呼ばれる,人々を食べ尽くす波がやって来るというのです。

村の長老たちが,この恐るべきしるしを見たとき,高い所へ走って逃げるように大声で叫びました。

しかし,皆が素直に従ったわけではありませんでした。

年配の漁師は「若い者たちはだれも信じなかった」と言いました。事実,自分の娘からは,うそつきだと責められたのです。しかし,この年老いた漁師は,全員が村を出て,高い所へ避難するまであきらめませんでした。1

モーケン族の人々は,確信をもって,次に起きることを警告する人がいて幸いでした。また,村人たちが聞く耳を持っていたことも幸いしました。そうでなければ滅びていたことでしょう。

預言者ニーファイは,エルサレムの滅亡という当時の大惨事について,次のように記録しています。「ユダヤ人の中で一代の人々がすでに罪悪のために滅びたように,代々のユダヤ人も彼らの罪悪のために滅びてきた。彼らの中には,主の預言者たちから予告を受けることなしに滅びた者は,これまでにまだ一人もいない。」2

アダムの時代以来,主は預言者たちに語りかけておられます。そのメッセージは,それぞれの時代特有の必要によって異なりますが,決して変わらないテーマが一つあります。それは罪悪から離れて,より高い地へ向かいなさいということです。

預言者の言葉を聞くときに,主は祝福してくださいます。しかし,主の御言葉みことばを無視すれば,災害や苦難に度々襲われます。モルモン書はこの大切な教訓を繰り返し教えています。この書物には,義にかなった生活をすることにより主の祝福を受けて繁栄した,アメリカ大陸の古代の民のことが記されています。しかしながら,その繁栄も,「心をかたくなにし,主なる神を忘れ」3 たために,のろいに変わることが度々ありました。

繁栄してしまったために,最も悪い性癖が表に出てきてしまう人々もいます。ヒラマン書の中には,ニーファイ人のある一団が,大きな損失と殺戮さつりくを被ったと記録されています。「彼らは非常に富んでいたために心が高慢になり,また飢えている者に食物を与えず,着る物のない者に着る物を与えず,謙遜けんそんな同胞はらからの頬を打つなどして貧しい者を虐げ,神聖なものをあざけり,預言と啓示の霊を否定し……た。」4

この悲しい出来事は「彼らの中にあった悪事と忌まわしい行いがもしもなかったならば」5,起こらずに済んだでしょう。当時の預言者の言葉に聞き従って,高い所へ向かっていれば,民の人生は違ったものになっていたでしょう。

主の道から離れる人々にもたらされる必然の結果は,自分の力しか頼れなくなることです。6 成功に酔いしれていると,自分の力だけで十分だと考えるようになるかもしれません。しかし,肉の腕に頼る人は,程なく,実はそれがどれほど弱く頼りないものかを思い知らされるのです。7

例えばソロモンは,最初のうちは主に従い,主の律法を尊びました。そのおかげで繁栄し,知恵だけでなく富と名声にも恵まれました。そして主はソロモンに,もし義にかなった生活を続けるならば「イスラエルに王たる位をながく確保するであろう」8 と約束されました。

しかし,天の訪れを受けたにもかかわらず,またあらゆる人に勝って祝福を受けたにもかかわらず,ソロモンは主に背きました。そのために,主は王国をソロモンから取り上げ,その僕しもべに与えるように定められました。9

その僕の名はヤラベアムといいました。勤勉な若者で,エフライム部族の出身でした。ソロモンは彼に自分の労働者の一部を監督させていました。10

ある日,旅をしていたヤラベアムに一人の預言者が近づき,主はソロモンから王国を取り去り,イスラエルの12部族のうち10部族をヤラベアムにお与えになると預言しました。

主は預言者を通じ,ヤラベアムに次のように約束されました。もし正しいことを行うならば,「わたしはあなたと共にいて,わたしがダビデのために建てたように,あなたのために堅固な家を建てて,イスラエルをあなたに与えよう。」11

主はヤラベアムを選び,もし戒めを守り,高い所へ向かって歩むならば,驚くような祝福を授けると約束されました。ソロモンの死後,この預言者の言葉は成就し,イスラエルの12部族のうちの10部族がヤラベアムに従いました。

そのような恵みを受けたこの新しい王は,主に従ったでしょうか。

残念ながら,従いませんでした。金の子牛を造って民に礼拝させました。また,自分の「神権」を作り出し,自分の望む者を選んで,高き所の祭司に任命したのです。12 つまり主から偉大な祝福を受けながら,ヤラベアム王は,その前に統治したすべての王にも増して悪をなしたのです。13後の世では,ヤラベアムは,イスラエルの邪悪な王たちの邪悪ぶりを測る基準になったほどです。

そのような邪悪な行いのために,主はヤラベアムから離れられました。ヤラベアム王の邪悪の結果,主は,王とその一族が一人残らず滅ぼされるように定められました。この預言は後に文字どおり成就しました。ヤラベアムの子孫は地上から滅ぼされたのです。14

ソロモンとヤラベアムは,モルモン書の中で繰り返される悲劇のサイクルの見本となりました。民が義にかなっているときは,主はその民を栄えさせられます。繁栄は高慢を生むことが多く,高慢は罪を生じます。罪は邪悪を生み,霊にかかわることに対してかたくなな心を生みます。結局,このような道の終着点は,心痛と悲しみなのです。

こうしたパターンは,個人の生活だけでなく,町や国,そして世界においてでさえも繰り返されています。主とその預言者を無視することから生じる結果は明らかであり,しばしば,大きな悲しみと後悔が伴います。現代でも,主は次のように警告されています。邪悪が最終的に行き着くところは「飢饉ききんと,悪疫と,地震と,天の雷」であり,それは「地に住む者〔が〕全能の神の激しい怒りと憤りと懲らしめの手を感じる」まで続くでしょう。15

しかし,天災や人災に遭う人の中には,立派で善良な人も大勢いることを理解しておくのは大切です。この神権時代の初期の聖徒たちは迫害を受け,家から追放されました。命を失った人もいます。しかし,恐らくは,大変な忍耐により内なる強さがはぐくまれ,後に多くのことを成し遂げるのに必要な備えができたのです。

同じことが今日こんにちにも起きています。

災害を免れることはできないのですから,災害から学ばなくてはなりません。

聖文には不従順の結果が示されていますが,同時に,主の御言葉に耳を傾け,その勧告に従う人が経験することについても書かれています。

悪の町ニネベに住む人々は,預言者ヨナの警告の声を聞いたとき,大いに主を呼び求め,悔い改めて,滅びから救われました。16

エノクの時代の人々も邪悪でした。主はエノクに,民に向かって口を開き,邪悪な行いを捨てて主なる神に仕えるよう警告せよ,と命じられました。

エノクは,恐れを乗り越えて,主に命じられたとおりにしました。民の間を旅して,大きな声で叫び,その行いを責める証あかしを述べました。聖文には,民は皆「彼に腹を立てた」と書かれています。人々は,自分たちの「地に変わったこと」があり「野生の男」が来たと語り合いました。17

しかし,多くの人がエノクを嫌う中,謙遜な人はその言葉を信じました。そして,罪を捨て,高い所へ向かって歩み始めました。「主はその地を祝福され,彼らは山々の上と高い所で祝福されて,まことに栄えた。」18 この民にとって,繁栄から生じたのは,高慢と罪ではなく,哀れみと義でした。「主はその民をシオンと呼ばれた。彼らが心を一つにし,思いを一つにし,義のうちに住んだからである。そして,彼らの中に貧しい者はいなかった。」19

救い主は,復活の後,アメリカ大陸を訪れられました。主の驚くべき教えにより,民の心は和らげられました。民は罪を捨て,高い所へ向かって歩み始めました。そして,主の御言葉を大切に守り,主の模範に従おうと努めたのです。

義にかなった生活をしたために,民の中には論争もなく,互いに公正に接しました。また,互いに持ち物を分け合い,非常に豊かになったのです。

この民については,次のように書かれています。「神の手によって造られたすべての人の中で,彼ら以上に幸せな民は確かにあり得なかった。」20

今日も同じような選択があります。愚かにも,神の預言者を無視し,自分の力に頼って,最終的にその結果を刈り取ることもできます。あるいはまた,思慮深く,神に近づき,その祝福にあずかることもできます。

ベニヤミン王は,それぞれの選択と結果を説明しました。主を捨てる人について,こう述べています。「彼らは自分の罪と忌まわしい行いの恐ろしい思いに引き渡される。そして,その恐ろしい思いは彼らを主の前からしりごみさせ,決して戻ることのできない,惨めな無窮の苦痛の状態に彼らを陥れる。」21

一方,高い所へ向かって歩み,神の戒めを守る人は「物質的にも霊的にも,すべてのことについて祝福を受ける。そして,もし最後まで忠実であり続けるならば,彼らは天に迎えられ,決して終わりのない幸福な状態で神とともに住めるのである。」22

自分がどちらに向かっているのか,どうしたら分かるでしょうか。救い主は,地上におられたとき,最も大いなる戒めとは何かと尋ねられ,ためらうことなく,こう答えられました。「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ』。

これがいちばん大切な,第一のいましめである。

第二もこれと同様である。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』

これらの二つのいましめに,律法全体と預言者とが,かかっている。」23

この聖句の中で,主は,正しい道を歩んでいるかどうかをはっきりと知る方法を示しておられます。高い所へ向かって歩む人は,心を込めて主を愛しています。そのような人の生活を見れば,その愛が明白です。祈りのうちに神を求め,聖なる御霊みたまを懇願します。へりくだり,心を開いて預言者たちの教えを受け入れます。召しを尊んで大いなるものとし,仕えられるよりも仕えることを求めます。神の証人となり,戒めに従って,真理の証を強めるのです。

また,天の御父の子供たちを愛し,その生き方により愛を実践しています。兄弟姉妹たちを世話し,また,伴侶はんりょや子供たちを養い,支え,仕えています。愛と思いやりの精神で,周囲にいる人々を強めています。持ち物を進んで人に分け与えています。悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰めています。24

高い所へ向かうこの旅は,主イエス・キリストの弟子となる旅です。最終的には,家族とともに昇栄して,御父と御子の御前みまえに至る旅でもあります。ですから,高い所へ向かう旅には,主の宮が含まれていなければなりません。キリストのみもとに来て,高い所へ向かっているならば,主の神殿の中でより多くの時間を過ごしたいと思うようになります。神殿は高い所,聖なる地の象徴だからです。

常に選択が迫られています。自分の力に頼ることもできます。また,高い所へ向かって歩み,キリストのみもとに行くこともできるのです。

すべての選択に,結果が伴います。

すべての結果に,行く末が伴います。

イエス・キリストが人類の贖あがない主,生ける神の生ける御子であられることを証します。天は開いていて,愛に満ちた天の御父は御言葉を人に啓示してくださいます。預言者ジョセフ・スミスを通じて,福音は地上に回復されました。今日,預言者,聖見者,啓示者であるゴードン・B・ヒンクレー大管長が生きていて,神の御言葉を伝えています。ヒンクレー大管長の声は,過去のすべての預言者の声と調和しています。

「この教会の会員一人一人にお勧めします。皆さんがどこへいようとも,力強く自分の足で立ち,心に歌を忘れずに前進し,福音に生き,主を愛し,王国の建設に励んでください。ともにこの道を歩み続け,信仰を保ち,全能者を力の源としていこうではありませんか。」25

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは高い所へ向かうよう招かれています。不従順がもたらす悲しみや不幸を避けることができるのです。

預言者たちの声に注意を払い,聖霊の影響力を敏感に感じ,天の御父と同胞に対する愛で心を満たすならば,平安と喜びと永遠の命にあずかることができます。

主の弟子となる道を歩み始め,高い所へ向かって旅する人々は皆,主から必ず祝福されることを証します。イエス・キリストの御名みなにより,アーメン。