2000–2009
わたしたちすべてがともに天で座に着けるように
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わたしたちすべてがともに天で座に着けるように

神の御手に使われる者になるなら,神は御自分の業をなすためにわたしたちを使ってくださいます。

姉妹の皆さん,今晩,わたしたちは中央扶助協会集会に集まっています。麗しい姉妹たちと,こうして一堂に会していると,最初の扶助協会の集会について考えずにはいられません。預言者ジョセフ・スミスが姉妹たちに話をし,神の王国を建設するうえで皆が持つ務めに姉妹たちを備えさせている様子を心に思い描くのです。「わたしは主の御業みわざを行う聖約を立てました。主の御手みてにあって使われる者となれるように,主よ,今助けてください」という女性たちの心の祈りが聞こえてくるようです。わたしたちの祈りもこれと同じです。

現世の生涯は,わたしたち一人一人が主に使われる者となる時です。わたしはルーシー・マック・スミス姉妹の言葉が好きです。彼女はきゃしゃでそのうえ高齢のために弱っていましたが,ノーブーで開かれていた初期の扶助協会の集会中,立ち上がり,姉妹たちに話をしました。スミス姉妹がずっと力強い女性であり,偉大な指導者だったことを皆さんに覚えていてほしいと思います。今日こんにちの扶助協会でわたしが会う女性とまさに同じような人でした。その日,彼女は言いました。「わたしたちは慈いつくしみ合い,見守り合い,慰め合い,導きを得て,わたしたちすべてがともに天で座に着けるようにしなければなりません。」1

この言葉は「神の御手に使われる者」2になる姉妹たちについて語っています。わたしたちの中で慈しまれ,見守られ,慰められ,神にかかわる事柄について導きを受けたいと切望しない人がいるでしょうか。どのようにしてそれが実現するのでしょう。その時々に示される親切な行為,愛の表現,思いやりある言葉,差し伸べられる手を通してです。今日きょうわたしは,そのような慈愛に満ちた行為を受ける人にではなく,毎日そうした聖きよい行いを実践しなければならないわたしたち皆にお伝えします。イエス・キリストのようになるためには,預言者ジョセフは「人に対して心を広くしなければならない」3 と教えました。

皆,慈愛と呼ばれるキリストの純粋な愛を得たいと切に願っています。しかし,人間であること,つまりわたしたちの中にある「生まれながらの女性」が妨げとなります。怒り,失望し,自分や人を責めてしまうと,天父の御手に使われる者になるべきときに,愛を伝えるパイプの役割を果たすことができません。進んで自分や人を赦すことなしに,生活の中で主の愛を持ち,御業を行うことはできないのです。

この話の準備を始めたとき,なすべきことをすべてしました。神殿に行き,断食し,聖文を読み,祈り,それから原稿を書きました。でも姉妹の皆さん,慈愛について書くときには,慈愛を感じる必要があります。わたしは感じていませんでした。そこで,何度も涙を流して祈っていると,ある思いが浮かび,本人たちは知らないにしても,わたしが慈愛を感じられない原因となった人たちの赦しを請わなければならないと悟りました。それは難しいことでした。でも,癒いやされ,主の御霊みたまが戻ってきました。そのことを皆さんに証あかしできます。

絶えることのない慈愛を持った人となるのは,生涯をかけて目指していくべきことですが,愛の行為の一つ一つが,わたしたちや愛を与える人を変えてくれます。最近会った若い女性のことを話しましょう。アリシアは10代のころ,教会からまったく離れていましたが,やがて戻りたいと思うようになりました。老人ホームで暮らす祖父のもとを日曜日によく訪れていた彼女は,あるとき,そこで開かれている末日聖徒の集会に参加することにしました。扉を開けると,扶助協会の集会中でした。空席がなかったので,部屋を出ようとすると,一人の女性が手招きし,体をずらして自分の席に彼女が座れるようにしてくれました。「その人はわたしのことをどう思ったでしょうか。ボディーピアスだらけで,たばこのにおいをさせていたんです。でも彼女はそんなこと気にしていない様子でした。ただ自分の隣にわたしのために場所を作ってくれたんです」とアリシアは言いました。

この女性の慈愛に励まされてアリシアは再び活発に教会に集うようになりました。伝道に出,今ではほかの女性たちに同じ愛を分かち合っています。自分のいすに座らせてくれたこの年配の姉妹は,扶助協会にはどんな女性にも居場所があることを理解していました。姉妹たち,わたしたちは力を得ようと集会に集いますが,同時に,だれもが弱さと不完全さを持って集まっているのです。

次のアリシアの言葉が忘れられません。「教会に行って,自分のためにすることは一つだけです。聖餐せいさんを取ることです。それ以外の時間は,わたしを必要としている人を探して助け,力になるようにしています。」

神の御手に使われる者になるなら,神は御自分の業をなすためにわたしたちを使ってくださいます。アリシアのように,周りにいる人たちに目を向け,助け,支える方法を探す必要があります。扉のわきに立っている人たちのことを考え,話しかけ,自分たちのもとに招くようにしなければなりません。このようにして,わたしたちすべてがともに天で座に着くことができるのです。皆が皆,自分のいすにもう一人座る余裕があるとは思わないかもしれません。でも,心に愛があれば,どんなときにもいすは必ず見つかることでしょう。

ジュリア・ヒルと妹のエミリーは,1856年,10代のときにイギリスで教会に入りましたが,家族からは勘当されました。それでもついにアメリカへの渡航費用をため,あこがれのシオンの近くまでたどり着きました。しかし,ウィリー手車隊に加わってアメリカの平原を横断中, 10月という早い時期の吹雪のため多くの仲間とともに身動きが取れなくなってしまいました。ジュリア・ヒルのひ孫,デボラ・クリステンセン姉妹は二人に関する感動的な夢を見ました。こう述べています。

「……ウィリー手車隊とともに風の吹きすさぶロッキーリッジの頂上で雪に閉じ込められているジュリアとエミリーが見えました。二人は体を温める厚地の服を持っていませんでした。ジュリアは雪の中に座り込んで震えています。もう先に進む力がありません。エミリーも同じように凍えていましたが,もし自分が手を貸して立ち上がらせなかったら,ジュリアは死んでしまうと分かっていました。エミリーが姉の体に手を回して立ち上がらせると,ジュリアは泣き始めました。でも涙は出てきません。すすり泣く声が聞こえるだけです。二人は一緒に手車までゆっくりと歩いて行きました。その恐ろしい夜に13人が亡くなりました。でも,ジュリアとエミリーは生き延びました。」4

姉妹の皆さん,お互いがいなければこの二人が生き残ることはなかったでしょう。しかしそれだけではなく,ジュリアとエミリーはほかの人たちが旅の苦しい過程を生き長らえるよう力を尽くしました。助けられた人の中には,若い母親とその子供たちもいました。後年,「シオンの娘」という美しい歌詞を書いたのはこのエミリー・ヒル・ウッドマンシーです。雪で覆われた平原でエミリーが経験したことを思い描くと,「疲れしものを救わん」5 という歌詞が新たな意味を帯びてきます。

ヒル姉妹たちと同じように,わたしたちの多くも人の助けがなければこの世の試練を生き延びることはないでしょう。人を助けるときには自分自身の魂も活気づく,ということも真実です。

ルーシー・マック・スミスをはじめ初期の扶助協会の姉妹たちは,キリストの純粋な愛,つまり無限の慈愛を経験しました。人生を導く福音の真理がありました。生ける預言者がいました。祈りを聴き,こたえてくださる天の御父がおられました。姉妹たち,わたしたちも同じです。バプテスマを受けたとき,イエス・キリストの御名みなを身に受けました。わたしたちは毎日その御名を負っています。そして,御霊は救い主の教えとともに生きるように促してくれます。そのようにするとき,わたしたちは神の御手に使われる者となるのです。そして,御霊がより高い段階の善へと引き上げてくれます。

慈愛が表れた最も大いなる行為は,わたしたちに賜物たまものとして与えられるイエスキリストの贖いです。この賜物を熱心に求めるのなら,ただ受けたいと願うだけではなく,分ち合いたいと思うことが必要です。この愛を人々と分かち合うなら,わたしたちも「この大いなる業を成し遂げるために,神の御手に使われる者」6 となって,姉妹たちとともに,一緒に,天で座に着く備えができるでしょう。

救い主について証します。主は生きておられ,わたしたちを愛してくださっています。そしてわたしたちが,今不完全であったとしても,どのようになれるか御存じです。イエス・キリストの御名により,アーメン。