2000–2009
イエス・キリスト――偉大な 癒 いや し主
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イエス・キリスト――偉大な 癒 いや し主

主が教えられるパターンには深い意味があります。信仰,悔い改め,バプテスマ,と絶えざる改心は,わたしたちを主の癒しの力へと導いてくれます。

愛する兄弟姉妹の皆さん,一人一人に愛と歓迎の意を表します。幹部の兄弟たちに代わって,皆さんの善意と思いやりに満ちた寛大な行い,わたしたちが生活の中で感じる皆さんの祈りと支えに感謝します。わたしたちも皆さんと同じような問題を抱えています。皆が悲しみや苦しみ,病気や死を経験します。主は,良いときも悪いときも最後まで堪え忍ぶよう期待しておられます。主の神聖な業をともに推し進めるうえで,皆さんの思いやりと関心がどれほど大切かわたしたちはよく理解しています。皆さんの愛に満ちた助けは,感謝をもって受け止めています。皆さんを愛し,皆さんが祈ってくださっているように,わたしたちも皆さんのために祈っています。

主イエス・キリストに特別に感謝しています。主の愛にあふれた優しさと,御自身のみもとに来るようにという寛大な招きに感謝しています。1 主のたぐいない癒いやしの力に驚嘆します。イエス・キリストが偉大な癒し主であられることを証あかしします。それは主の比類ない生涯を特徴づける多くの特質の一つです。

イエスはキリストであり,メシヤ,神の御子,創造主,偉大なるエホバ,約束されたインマヌエル,贖あがないをもたらす救い主,贖い主,御父に対する弁護者,偉大な模範です。そしていつの日か,わたしたちは公正で憐あわれみに満ちた裁き主2ある,主の御前みまえに立つことになります。

癒しの奇跡

偉大な癒し主として,イエスは友人たちにこうおっしゃいました。「行って,あなたがたが見聞きしたことを……報告しなさい。盲人は見え,足なえは歩き,らい病人はきよまり,耳しいは聞きこえ,死人は生き返〔っている。〕」3

マタイ4 ,マルコ5 ,ルカ6 ,ヨハネ7 の福音書には,イエスが出て行って福音を宣べ伝え,あらゆる種類の病を癒されたことが何度も述べられています。

復活した贖い主は,古代アメリカの人々に御姿みすがたを現されたとき,憐れみに満たされて,「どんなことでも苦しんでいる」8 人は御自分のみもとに来て,癒されるようにと招かれました。

驚くべきことに,病人を癒す主の神聖な権能は,初期の神権時代9 のふさわしい神権者に授けられました。福音が完全なままに回復された末日においても同様です。10

癒しにおける祈りの力

祈りによっても,主の癒しの力にあずかることができます。30年前にネルソン姉妹と経験した出来事を忘れられません。スペンサー・W・キンボール大管長とカミラ夫人と一緒でした。わたしたちはニュージーランドのハミルトンで聖徒たちと大規模な大会に出席しました。当時わたしは中央幹部ではなく,中央日曜学校の会長として,その大会と太平洋諸島で開かれた同様の集会に出席するよう依頼されていました。また医学博士としても,何年も前から,キンボール大管長夫妻に付き添っていました。ですから,二人のことを文字どおり隅々まで知っていました。

土曜日の夕方は,地元の教会の青少年が大会のために準備した文化プログラムが行われる予定でした。しかし残念なことに,大管長夫妻は高熱が出て具合が非常に悪くなったのです。神権の祝福を受けた後,二人は近くにあったニュージーランド神殿長宅で休憩を取りました。大管長は,N・エルドン・タナー副管長に文化行事の管理を依頼し,欠席することを伝えました。ネルソン姉妹はタナー副管長夫妻やほかの指導者とともに行事に参加し,キンボール大管長の秘書であったD・アーサー・ヘイコック兄弟とわたしは,熱のある二人の友人の看病をしました。

大管長が休んでいる間,わたしは同じ部屋で静かに本を読んでいました。すると大管長は不意に目を覚ましてこう尋ねました。「ネルソン兄弟,今晩のプログラムは何時からでしたか。」

「7時です,大管長。」

「今,何時ですか。」

「もうすぐ7時です」とわたしは答えました。大管長は即座にこう言いました。「キンボール姉妹に一緒に文化行事に出かけるよと伝えてください。」

わたしは大管長の体温を測りました。正常でした。姉妹の体温も測りました。正常でした。

二人は急いで着替え,車に乗り込み,ニュージーランド・チャーチカレッジの競技場へと向かいました。車がアリーナに入ったときに,非常に大きな叫び声がどっとわき起こりました。不思議でした。席に着いてから,ネルソン姉妹になぜ皆が声を上げたのか尋ねました。姉妹は説明してくれました。タナー副管長は開会に当たって,大管長夫妻が病気のために出席できないことを,依頼されたとおり発表したそうです。それから若いニュージーランド人の兄弟が祈りをささげました。

この兄弟は,ネルソン姉妹の言葉を借りれば,かなり長く力強い祈りを偉大な信仰を込めてささげました。こう祈ったのです。「わたしたちは3,000人のニュージーランドの青少年です。預言者の前で歌と踊りを披露するために6か月間準備してここに集まりました。どうか預言者を癒し,この場に送り届けてください。」「アーメン」と言うと,大管長と姉妹を乗せた車が競技場に到着したのです。皆すぐにそれがだれだか分かり,一斉に歓声が上がりました。11

わたしは主の癒しの力を目まの当たりにしました。また主の生ける預言者が啓示を受け,その啓示にこたえる姿を目撃しました。

時として,熱烈に祈っても,祈りがこたえられないように思えることがあります。「なぜだろうか」と疑問に思うのです。わたしもそう感じたことがあります。そのようなときの恐れや涙を味わったことがあります。しかし,祈りはないがしろにされないということも知っています。信仰が無に帰することはないのです。すべてを御存じである天の御父は,わたしたちよりはるかに広い視野を持っておられます。わたしたちはこの世的な問題や苦痛に目を向けますが,御父は永遠の進歩や可能性を理解しておられます。御心みこころを知るために祈り,忍耐と勇気をもって御心に従うなら,天の癒しは御父の方法と時間に従ってもたらされるのです。

癒されるまでの段階

苦しみの原因には肉体的なものだけでなく霊的なものもあります。息子アルマは自分の罪があまりにも苦痛に満ちたものだったために「霊と肉体がともになくなってしまえば,神の御前に立たされて自分の行いを裁かれることはないだろう」と思ったと回想しています。12 そのようなときに,どうすれば主から癒していただけるのでしょうか。

もっと十分に悔い改めることができます。十分に改心することができます。そうするなら,「義の御子」13は癒しの御手みてを伸ばし,もっと十分に祝福をお与えになれるのです。

イエスはその務めを始めたころ,御自分は「心のいためる者をいや」す14 ために遣わされたと宣言されました。どのような状況でも,主は一貫したパターンに従って教えられました。4つの異なる時代と場所で語られた主の御言葉みことばから,そのパターンに注目してください。

  • 聖地の人々に,主は「目で見……耳で聞〔き〕……心で悟〔り〕……悔い改めていやされる」ようにと語られました。15

  • 古代アメリカの人々に対し,復活した主はこう勧められました。「わたしがあなたがたをいやすことができるように,……わたしに立ち返り,自分の罪を悔い改め,心を改め」なさい。16

  • 御自身の教会の指導者に,主はこうお教えになりました。「引き続き教え導く〔ように。〕彼らが立ち返って悔い改め,十分な固い決意をもってわたしのもとに戻って来るようにならないとは言い切れないからである。そうするならば,わたしは彼らを癒そう。」17

  • 「万物更新」18の間,主は預言者ジョセフ・スミスに開拓者について教えられました。「彼らが試練と多くの艱難かんなんを受けた後,見よ,主なるわたしは彼らを探ろう。そして,彼らがわたしに対してその心をかたくなにせず,強情でなければ,彼らは心を入れ替えるので,わたしは彼らを癒そう。」19

主が教えられるパターンには深い意味があります。信仰,悔い改め,バプテスマ,証と絶えざる改心は,わたしたちを主の癒しの力へと導いてくれます。バプテスマは聖約を結ぶ行為であり,決意と約束のしるしです。証は,聖霊が熱心な真理の探究者に確信をお与えになるときにはぐくまれます。真の証は信仰を育て,悔い改めて従順になるよう促します。証は神と人とに仕えたいという熱意を生み出します。20改心とは「……に向きを変える」21 という意味です。改心は世の道から主の道へ方向転換すること,そして主の道にとどまることを意味します。改心には悔い改めと従順が含まれます。改心は大きな心の変化をもたらします。22 したがって,真の改心をした者は「再び生まれ」23 新しい命24 とともに歩むのです。

真に改心した者として,わたしたちは主が望まれていることを行い,25 主が望まれる人物になりたいと願います。26 罪を捨てることは,神の赦ゆるしをもたらし,心を癒します。

どうしたら真に改心しているか分かるのでしょう。自己診断テストは聖文の中にあります。バプテスマを受ける前の改心の度合いを測るものもあれば,27 隣人に進んで奉仕しているか測るものもあります。主は弟子のペテロにこうおっしゃいました。「わたしはあなたの信仰がなくならないように,あなたのために祈った。それで,あなたが改心したときには,兄弟たちを力づけてやりなさい。」28 人に仕え,力づける意欲は,癒されることをどれほど望んでいるかを示します。

主の癒しの偉大さ

愛弟子ヨハネはこう宣言しました。「見よ,世の罪を取り除く神の小羊。」29 何という力でしょう。偉大な癒し主以外に,世の罪を取り除くことのできる人はいません。わたしたちは主に計り知れない恩義を受けているのです。

宣教師のグループに話したときの経験をよく覚えています。質問はないか尋ねると,一人の長老が立ち上がりました。長老は目に涙を浮かべながら言いました。「イエスはどうしてあれほど苦しまれなければならなかったのですか。」わたしは賛美歌集を開いて,「わが主よ,わが神」の歌詞を読むように頼みました。彼は読み始めました。

主イエスを遣つかわせし父

その愛,悟さとり難がたし

十字架染めし主の血は

わが罪,洗い清む30

それから,この長老に「敬い崇め」の歌詞を読んでもらいました。これらの歌詞には特に胸を打つものがあります。なぜなら,尋ねられたまさしくその質問に対して主御自身であればこうお答えになるであろうという言葉が提示されているからです。

敬い崇あがめ 頭こうべを下げて

救われし者 わが業思え

血の汗をもて 十字架の上に

汝なんじらの罪 贖いにけり

思い出せ汝なが罪の贖い

カルバリのわが 

苦しみの死を31

イエスは,その深い愛のゆえに深い苦悩を味わわれました。主はわたしたちが悔い改め,改心するよう望んでおられます。完全な癒しを与えられるようにするためです。

つらい試しに遭うとき,32 神への信仰を深め,熱心に働き,周りの人に仕えるべきです。そうするときに主は傷ついた心を癒してくださいます。そして一人一人に平安33 と慰め34 を授けてくださるのです。これらの偉大な賜物たまものは,死をもってしても損なわれることはありません。

復活――究極の癒し

復活の賜物は,主による究極の癒しです。主のおかげで,肉体はその本来の完全な造りに回復されます。35 主のおかげで,どのような状況にも希望があります。主のおかげで,現世でも来世でも,より良い日々が待っているのです。悲しみの向こうには,真の喜びが一人一人を待っています。

神は生きておられます。イエスはキリストであり,偉大な癒し主であられることを,イエス・キリストの聖なる御名みなによって証します。アーメン。