2000–2009
「キリストだったら……」
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「キリストだったら……」

救い主イエス・キリストは,いなくなった人を捜し出すことの大切さを教えておられます。

何年も前,上の子供たちが6歳と4歳,2歳のときのことです。妻とわたしは,子供たちにモルモン書クイズを出しました。それまで家族で毎日モルモン書を読んでいました。

「狩りをするために森に出かけたけど,狩りをやめて一日中祈り,夜まで祈った人はだれ?」と妻が尋ねました。

少ししても答えがないので,妻はヒントを出しました。「『エ』で始まる名前の人よ。,エ,エ……。」

部屋の隅から2歳の子が大声で言いました。「エノス!」

隅の方で遊んでいて,小さいので分からないだろうと気にもかけていなかった子が答えたのです。エノスです。狩りをするために森に出かけて,霊に飢えを感じたのはエノスでした。エノスが森で道を見失ったとは聖文に書いてありませんが,この話から分かるのは,エノスが森を出たときには主に見いだされており,同胞はらからの幸いを強く願っていたことです。新約聖書の中で救い主イエス・キリストは,いなくなった人を捜し出す大切さを教えておられます。

「あなたがたのうちに,百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら,九十九匹を野原に残しておいて,いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。

そして見つけたら,喜んでそれを自分の肩に乗せ〔る〕……であろう。」(ルカ15:4-5)

アダムの堕落以来,すべての人は迷い,堕落した状態に置かれています。皆さんの多くと同じように,わたしが「見つけ」られたのも,二人の忠実な宣教師が始まりでした。1913年,デンマークのコペンハーゲンでC・アール・アンダー長老とロバート・H・ソレンソン長老が祖父母にイエス・キリストの福音を教えて,バプテスマを施してくれたのです。両親はわたしに勤勉や正直,誠実の大切さを教えてくれました。けれどもわずか1世代の間で,わたしたち家族は教会からいなくなり,福音の知識もなくしてしまったのです。振り返ってみると,ごく幼いころ,遊び仲間たちが初等協会に誘ってくれました。わたしの教会での最初の経験は,初等協会の友達と一緒に築いたものです。

少年時代,わたしはあと数か月で12歳の誕生日を迎えようとしていました。ある土曜日の午後,ドアをたたく音を聞いて玄関に出ました。友達が,それも白いワイシャツにネクタイ姿の執事の友だちが何人か,初めての神権会に誘いに来てくれたのです。皆でテンプルスクウェアにあるタバナクルに向かって丘を下りました。わたしの傍らには指導者がついていてくれました。そのとき出席したのは,4月の総大会の神権部会でした。

わたしのスカウト隊長は,ロイド・ベネットでした。土曜日の午後にはよくわたしを車に乗せてスカウト事務所に連れて行き,必要なバッジや品物を買ってくれました。わたしたちは車の中で話をしました。彼は頼りにできる友人になりました。ロイド・ベネットは,ほかの多くの人と同じように,1匹の羊のために時間を割いてくれたのです。

このすばらしい友人や指導者たちは,M・ラッセル・バラード長老が最近語った「もう一人見いだす」ようにという勧めをよく理解しており(「もう一人」『リアホナ』2005年5月号,71),そのために何をすればよいかを知っていました。見いだすべき人は,隅の方にいて,気にもかけていない人であることがしばしばあるのです。

わたしにもエノスと同じような経験があります。18歳のとき,カリフォルニア州フォートオードにある陸軍兵舎でひざまずいて祈りました。消灯になり,堅い床の上にひざまずいて祈った後で,エノスのように進むべき道が分かりました。専任宣教師になるべきだと分かったのです。自分が何者かを知り,キリストとその福音について理解することができるように助けてくれた多くの人に対して,わたしの心は感謝でいっぱいです。天の家に帰るには,救い主イエス・キリストに頼らなければならないことが分かりました。

「また,神の御子は御自分の民を贖あがなうために,将来この世に来られ,御自分の御名みなを信じる人々の背きを負われる。これらの人々は永遠の命を得る人々であり,これ以外の人々に救いは与えられない。」(アルマ11:40)

旧約聖書の預言者イザヤは,今日こんにちに福音が完全に回復される様子を見て,次のように断言しました。

「主なる神はこう言われる,『見よ,わたしは手をもろもろの国にむかってあげ,旗をもろもろの民にむかって立てる。彼らはそのふところにあなたの子らを携え,その肩にあなたの娘たちを載せて来る。』」(イザヤ49:22)

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちはいなくなった1匹の羊を世話するとき,この預言が成就するのを目まの当たりにします。自分自身がどのように懐に携えられ,肩に乗せられて,安全な場所に導かれたかを思い出せるでしょうか。

1匹の羊に影響を及ぼしそうな機会があるとき,救い主ならどうなさるでしょうか。「キリストだったら,どうなさるだろうか」という原則を当てはめるなら,人生で,キリストを中心にした決断ができるようになります。

愛するニール・A・マックスウェル長老がいつもいなくなった羊を捜していたことを,わたしは直接知っています。ニーファイのように,彼は「〔わたしたちすべてに〕キリストを信じ,神と和解するように説き勧めるために,熱心に記録し続けようと」努めました(2ニーファイ25:23)。キリストのみもとへ呼び戻そうと,まさにいなくなった羊に一度ならず呼びかけたのです。

初等協会の教師であろうと,若い男性や若い女性の指導者であろうと,ボーイスカウトの団長であろうと,ホームティーチャーであろうと,家庭訪問教師であろうと,友だちであろうとかかわりなく,耳を傾けるなら,いなくなった羊を捜して見いだすために,主はわたしたちをお使いになります。

伝道に出るという決断ができたことを心から感謝しています。伝道は人生の転機となりました。若い男性の皆さん,皆さんには伝道に出て,熱心に働く特権があります。ふさわしい生活をし,福音を宣のべ伝える準備をしてください。先延ばしにせず,伝道に出て奉仕してください。若い女性の皆さん,王国建設のために皆さんにできることはたくさんあります。年配の皆さん,皆さんの力が必要です。

わたしの家族も,カナダで熱心なすばらしい長老や姉妹宣教師,年配の宣教師とともに御業みわざのために働く特権にあずかりました。宣教師たちは心と心,魂と魂を通わせて,いなくなった羊を主の力によって捜し求め,見つけました。同じことが献身的な宣教師によって世界中で行われています。

「このようにして,彼らは神の手に使われる者となって多くの人を真理の知識に導き,まことに,贖あがない主について知らせた。」(モーサヤ27:36)

だれでも,人の人生,つまり人の永遠の人生,を変える力を持っています。しかし,行動しなければなりません。実際に行い,熱心に働かなくてはなりません。皆さんは恐らく,ふとだれかに教会に戻ってほしいと感じたり,回復された福音を新たに紹介したいと感じたりしたことがあるでしょう。その気持ちに従って行動してください。明日預言者の言葉を聞きに来るよう,わたしたち皆がだれかを誘ってみてはどうでしょう。皆さん,お願いできますか。今日きょう招待してくれますか。信仰と進んで行う心(さらに願望)を持ち,次のことを信じてください。御霊みたまによって「〔わたしたち〕の言うべきことは,まさにそのときに,まことにその瞬間に」わたしたちに与えられるでしょう(教義と聖約100:6)。それが確かであるとわたしは知っています。

わたしは再び,今度はオーストラリアで果たす召しを頂き,心から感謝しています。愛し支えてくれる妻と伝道の心にあふれた9人の子供たちに永遠の愛と感謝の意を伝えます。完全な福音がこの地上に回復されたこと,ジョセフ・スミスが神の預言者であり,モルモン書が神の御言葉みことばであることを謹んで証あかしします。今日わたしたちは生ける預言者ゴードン・B・ヒンクレー大管長に導かれています。神が生きておられ,イエスがキリストであられ,わたしたちの救い主,贖あがない主であられることを知っています。わたしたちを家まで携え,乗せて行ってくださるのは,羊飼いの懐であり,羊飼いの肩です。エノスのようにへりくだり申し上げます。「わたしはこの民に教えを説き……またキリストにある真理に従って御言葉を告げ知らせなければならない……。……わたしは……俗世のことよりもそれを喜びとしてきた。」(エノス1:26)これらの真理をイエス・キリストの御名によって証します。アーメン。