2000–2009
「わたしの羊を養いなさい」
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「わたしの羊を養いなさい」

人がわたしたちの感化を最も受けるのは,ただ召しを果たしているという理由からだけではなく,わたしたちが心から彼らを愛したときです。

救い主はあるとき,ペテロに同じ質問を3度お尋ねになりました。

「『ヨハネの子シモンよ,わたしを愛するか。』彼はイエスに言った,『主よ,そうです。わたしがあなたを愛することは,あなたがご存知です。』イエスは彼に言われた,『わたしの羊を飼いなさい。』」1

主は天の御父の子供たちの福利について深く心にかけておられたので,羊を養うという特別な責任をペテロにお与えになりました。主は現代においても,ジョセフ・スミスに与えた啓示を通して,再び同じ関心を示されました。

「さて,わたしはあなたに言い,またあなたに言うことを十二使徒のすべてに言う。立って腰に帯を締め,自分の十字架を負い,わたしに従い,わたしの羊を養いなさい。」2

聖文を学ぶと,救い主は人をそれぞれが持つ具体的な必要に応じて,教え導かれたことが分かります。一つの良い例は,主がカペナウムの付近におられたときの出来事です。ヤイロという会堂づかさがイエスの足もとにひれ伏し,家に来て,死にかけている娘を祝福してくださるように,しきりに願いました。群衆に囲まれなかなか前に進めなかったにもかかわらず,主はヤイロとともにいらっしゃいました。

それから使いの者が来て,娘がすでに亡くなったことをヤイロに告げました。ヤイロは大変悲しんでいたにもかかわらず,主に対する確固とした信仰を持ち続けました。そして主は次の言葉でこの父親の心を慰められました。「『恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ。』

それから家にはいられるとき,〔主は〕ペテロ,ヨハネ,ヤコブおよびその子の父母のほかは,だれも一緒にはいって来ることをお許しにならなかった。

人々はみな,娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた,『泣くな,娘は死んだのではない。眠っているだけである。』

イエスは娘の手を取って,呼びかけて言われた,『娘よ,起きなさい。』

するとその霊がもどってきて,娘は即座に立ち上がった。イエスは何か食べ物を与えるように,さしずをされた。」3

イエスは,肉体的,情緒的,霊的な病からの解放を求めてやって来た人々や,落胆や迫害にさいなまれていた人々すべてに,忍耐と愛を示されました。

救い主の模範に従うためには,周りを見回し,同じような苦しい境遇にある羊たちに手を差し伸べ,そして彼らを助け,永遠の命への旅路を歩み続けるよう励まさなければなりません。

今日こんにちこのような要求は,救い主がこの地を歩まれた時代と同じくらいに,またはそれ以上に大きいと言っていいでしょう。わたしたちは羊飼いとして,羊たち一匹一匹に養いを与え,キリストのみもとに導かなければなりません。これこそが,教会で行うすべてのことの目的なのです。

あらゆる活動,集会,プログラムはこれと同じ目的に焦点を合わせるべきです。人の必要に心を向けるなら,個々の問題を克服できるように力づけ,助けることができます。そして天の御父のみもとへ戻る道を確固として進み,最後まで堪え忍ぶように助けることができるのです。

イエス・キリストの福音は人のために与えられました。プログラムのためではありません。時として,教会の責任を果たそうと焦るあまり,人に焦点を合わせるよりも,むしろプログラムだけに時間をかけすぎることがあります。そして人がほんとうに必要としていることを見逃してしまうのです。このようなことが起きると,わたしたちは自分の召しが持つ大切な意味を見失い,人をないがしろにし,永遠の命を得る神聖な可能性から引き離してしまうのです。

12歳の誕生日を迎えようとしていたころ,わたしは監督の面接を受け,アロン神権を受けて執事に聖任されるために,どう備えたらよいのか教わりました。面接の終わり近くで,監督は書類を机から出して,記入するように言いました。宣教師の推薦書でした。わたしは驚きました。何よりも,わたしはまだ11歳でした。しかし監督には見えていたのです。やがて時がて,伝道に出る準備がしっかりとできていれば,わたしにどんな前途が開け,どんな祝福が待っているかを。

監督はわたしのことを心から気にかけていることを示してくれました。そして財政的な準備と霊的な準備の両方において,主に仕えるために通るべき道筋を教えてくれたのです。その日以来,最初の監督と次に召された監督は,わたしが19歳になるまで少なくとも年に2度面接し,引き続き忠実に準備するよう励ましてくれました。

二代にわたる監督はわたしの宣教師推薦書をファイルに保管し,面接の際はいつもそのことについて話しました。両親の助けと,愛情深く忍耐強い二人の監督の励ましにより,わたしは伝道に出ました。そして伝道に出ることにより,神が最後まで堪え忍ぶすべての人に用意しておられる祝福について,さらに理解が深まりました。

老若男女ろうにゃくなんにょを問わず,だれもが愛されていると感じることが必要です。わたしたちはここ数年間,新しい改宗者やあまり教会に来ていない会員に集中して働きかけるように勧告を受けています。人はだれかに愛されていると感じるときに,教会に来続けるものなのです。

救い主は使徒たちへの最後の教えの中でこのように言われました。

「わたしは,新しいいましめをあなたがたに与える,互たがいに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互に愛し合いなさい。

互に愛し合うならば,それによって,あなたがたがわたしの弟子であることを,すべての者が認めるであろう。」4

人がわたしたちの感化を最も受けるのは,ただ召しを果たしているという理由からだけではなく,わたしたちが心から彼らを愛したときです。心からの愛を示すとき,人は御霊みたまの影響を感じることができるようになり,教えに従うようにという促しを感じます。ありのままの姿で愛することは,必ずしも簡単ではありません。そのような中ではどうするべきか,預言者モルモンは説明しています。

「したがって,わたしの愛する同胞はらからよ,あなたがたは,御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように,また神の子となれるように,熱意を込めて御父に祈りなさい。また,御子が御自身を現されるときに,わたしたちはありのままの御姿みすがたの御子にまみえるので,御子に似た者となれるように,またわたしたちがこの希望を持てるように,さらにわたしたちが清められて清い御子と同じようになれるよう,熱意を込めて御父に祈りなさい。」5

キリスト御自身も人々を教え導き,重荷を負っている人を助け起こし,落胆している人に希望を与え,道に迷った人々を探し求められました。主は彼らをどんなに愛し理解しているかを示し,彼らがどれほど貴い存在であるかをお伝えになりました。また主は人の神聖な特質と永遠の価値について述べられました。そして悔い改めを勧めるときでさえ,罪人を責めるのではなく,罪を責められました。

コリント人への第一の手紙の中で,使徒パウロは主の羊の群れにいるそれぞれの羊にこの真実の愛を表すことの必要性を強調しました。

「たといまた,わたしが自分の全財産を人に施しても,また,自分のからだを焼かれるために渡しても,もし愛がなければ,いっさいは無益である。

愛は寛容であり,愛は情け深い。また,ねたむことをしない。愛は高ぶらない,誇らない,

不作法をしない,自分の利益を求めない,いらだたない,恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして,すべてを忍び,すべてを信じ,すべてを望み,すべてを耐える。

このように,いつまでも存続するものは,信仰と希望と愛と,この3つである。このうちで最も大いなるものは,愛である。」6

救い主の模範と教えに従うとき,人が現世での使命を果たし,天の御父のみもとに戻ってともに住むための助けをすることができます。

これらのことをイエス・キリストの御名みなにより証あかしします。アーメン。