2000–2009
赦 ゆる す
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赦 ゆる す

不思議なことに,愛と寛容による赦しは,ほかの方法では起こせない奇跡を起こすことがあります。

愛する兄弟姉妹の皆さん,天の御父がわたしを生き長らえさせてくださり,この試練の時代に生きられることを感謝しています。奉仕する機会を天の御父に感謝しています。わたしは主の業を進め,主の忠実な民に仕え,隣人と平和に暮らすためにできる限りのことを行う以外に望みはありません。

わたしは最近世界中を4万キロ以上も旅してきました。アラスカ,ロシア,韓国,台湾,香港ホンコン,インド,ケニア,ナイジェリアを訪問しました。最後に行ったナイジェリアでは新しい神殿を奉献しました。それからカリフォルニア州ニューポートビーチ神殿を奉献しました。またつい最近,もう一つ神殿を奉献するために,再び1万6,000キロの旅をしてサモアに行って来ました。旅は好きではありませんが,わたしは,この民の中に出て行って,感謝を伝え,人々を励まし,主の業の神聖さについて証あかししたいのです。

昔読んだ詩をよく思い出します。このような詩です。

道路わきの家に住ませてください

川のように流れる人の群れ

皆,長所と短所を持った人たち

わたしにも似たような長所と短所がある

あざけるつもりはない

冷たい視線を送ろうとも思わない

道路わきの家に住ませてもらえるなら

皆の友人になりたい

(サム・ウォルター・フォス,“The Houseby the Side of the Road,”ジェームズ・ダルトン・モリソン編,Masterpieces of Religious Verse〔1948年〕,422)

わたしはこの詩のように感じています。

人は年を取ると変わります。よりいっそう,親切,優しさ,忍耐の必要性に気づくようになります。年老いた人は,人類が,戦争,争い,論争,対立を起こさずに,皆で平和に暮らせるようにと願い,祈ります。贖あがない主の偉大な贖罪しょくざいの意味や,主の犠牲の大きさに対する認識が深まり,人類が命を得られるように御自分の命をささげてくださった神の御子に,なおいっそう感謝するようになります。

今日きょうは赦ゆるすことについて話します。赦すことは恐らく地上で最も偉大な徳であり,確かに最も必要とされています。今日こんにち,不親切や不正,不寛容,憎しみがあまりにも横行しています。悔い改めと赦しの必要が大いにあります。悔い改めは古代と近代のあらゆる聖文で強調されている偉大な原則です。

あらゆる聖文の中でも,ルカによる福音書の第15章にある放蕩ほうとう息子の話ほど,赦し関する美しい物語はありません。だれでも時々この物語を読んで,深く考えてみる必要があります。

「〔放蕩息子は〕何もかも浪費してしまったのち,その地方にひどいききんがあったので,彼は食べることにも窮しはじめた。

そこで,その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが,その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。

彼は,豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが,何もくれる人はいなかった。

そこで彼は本心に立ちかえって言った,『父のところには食物のあり余っている雇人やといにんが大ぜいいるのに,わたしはここで飢えて死のうとしている。

立って,父のところへ帰って,こう言おう,父よ,わたしは天に対しても,あなたにむかっても,罪を犯しました。

もう,あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ,雇人のひとり同様にしてください。』

そこで立って,父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに,父は彼をみとめ,哀れに思って走り寄り,その首をだいて接吻せっぷんした。

むすこは父に言った,『父よ,わたしは天に対しても,あなたにむかっても,罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません。』」(ルカ15:14-21)

そして父は盛大な祝宴を開かせましたが,兄が不満を口にすると,父は兄に向かってこう言いました。「しかし,このあなたの弟は,死んでいたのに生き返り,いなくなっていたのに見つかったのだから,喜び祝うのはあたりまえである。」(32節)

たとえ間違いを犯してしまったとしても,すでに悔い改めているのであれば,そして赦しを受けているのであれば,罪人は,文字どおり,いなくなっていたのに見つかって,死んでいたのに生き返ったのです。

憐あわれみと赦しという祝福は,何とすばらしいものでしょうか。

第二次世界大戦後,ヨーロッパはマーシャルプランにより,何百万ドルもの財政支援を受けて復興しました。

わたしは大戦後の日本で,立派な製鉄所を見ました。製鉄所の資金は日本のかつての敵国,アメリカから出たと聞きました。一つの寛大な国がかつての敵国を赦したおかげで,世界はどれほど豊かになったことでしょうか。

主は山上の垂訓でこうお教えになっています。

「『目には目を,歯には歯を』と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである。

しかし,わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし,だれかがあなたの右の頬ほおを打つなら,ほかの頬をも向けてやりなさい。

あなたを訴えて,下着を取ろうとする者には,上着をも与えなさい。

もし,だれかが,あなたをしいて1マイル行かせようとするなら,その人と共に2マイル行きなさい。

求める者には与え,借りようとする者を断るな。

『隣り人を愛し,敵を憎め』と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである。

しかし,わたしはあなたがたに言う。敵を愛し,あなたがたをのろう者を祝福し,あなたがたを憎む者に善をなし,あなたがたを不当に扱い迫害する者のために祈れ。」(マタイ5:38-44,44節は欽定訳から和訳)

これは力強い御言葉みことばです。

皆さんはほんとうにこの命令に従うことができると思いますか。これは主御自身の御言葉であり,わたしたち一人一人に向けられた御言葉です。

律法学者たちとパリサイ人たちが,イエスを策略に陥れるため,姦淫かんいんの場でつかまえられた女をイエスの御前みまえに連れて来ました。「しかしイエスは身をかがめて,〔彼らの言葉が聞こえないかのように〕指で地面に何か書いておられた。

彼らが問い続けるので,イエスは身を起おこして彼らに言われた,『あなたがたの中で罪のない者が,まずこの女に石を投げつけるがよい。』

そしてまた身をかがめて,地面に物を書きつづけられた。

これを聞くと,彼らは年寄としよりから始めて,ひとりびとり出て行き,ついに,イエスだけになり,女は中にいたまま残された。そこでイエスは身を起して女に言われた,『女よ,みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか。』

女は言った,『主よ,だれもございません。』イエスは言われた,『わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。』」(ヨハネ8:6-11)

救い主は,いなくなった1匹の羊を見つけるために99匹の羊を残して行くたとえを使って,赦しによって元の状態に戻れることを教えてくださいました。

イザヤは宣言しています。「あなたがたは身を洗って,清くなり,わたしの目の前からあなたがたの悪い行いを除き,悪を行うことをやめ,

善を行うことをならい,公平を求め,しえたげる者を戒め,みなしごを正しく守り,寡婦かふの訴えを弁護せよ。

主は言われる,さあ,われわれは互たがいに論じよう。たといあなたがたの罪は緋ひのようであっても,雪のように白くなるのだ。紅くれないのように赤くても,羊の毛のようになるのだ。」(イザヤ1:16-18)

救い主の究極の愛が,死に行く苦悶くもんの中で語られた御言葉に表れています。「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」(ルカ23:34)

主はこの時代に,啓示の中でこう言われました。「それゆえ,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは互いに赦し合うべきである。自分の兄弟の過ちを赦さない者は,主の前に罪があるとされ,彼の中にもっと大きな罪が残るからである。

主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。」(教義と聖約64:9-10)

主は驚くべき約束をしてくださいました。「自分の罪を悔い改めた者は赦され,主なるわたしはもうそれを思い起こさない。」(教義と聖約58:42)

この時代には赦そうとしない人,忘れようとしない人があまりにも多くいます。父親や夫が,大したことのない欠点をいつまでも蒸し返すために,子供は泣き叫び,妻は涙を流しています。またささいな言動を不愉快に思い,いちいち大げさに訴える女性も多く見受けられます。

しばらく前に,ジェイ・エベンセンが『デゼレト・モーニングニュース』紙(Deseret Morning News)に書いた記事を切り抜きました。許可を得て一部を引用します。

「高速で運転している最中に,前を行く車の10代の若者が10キロはあるような凍った七面鳥をあなたのフロントガラス目がけて投げつけたら,その若者をどう思うだろうか。6時間の手術に耐えて,崩れた顔を金属板や金具でつなぎ止めたうえ,回復するには何年も治療が必要だと言われ,死なずに済んだだけでも,あるいは脳に一生障害が残らなかっただけでも幸運だったと思わなければならないとしたら,どう感じるだろうか。

加害者の若者とその仲間がそもそも七面鳥を持っていた理由が,遊びのつもりでクレジットカードを盗み,でたらめな買い物をしていたからだと知ったら,あなたはどう感じるだろうか。

このようなおぞましい犯罪があると,政治家は犯罪を厳しく罰するという公約を立てるようになる。このようなことがあると,議員たちは,冷凍七面鳥を凶器として使う者への刑罰を重くする法案を最初に提出して栄誉を得ようと躍起になる。

『ニューヨークタイムズ』紙(The NewYork Times)は,地方検事の言葉を引用した。この種の犯罪被害者はどのような刑罰でも十分ではないと感じる。『死刑ですら,被害者を満足させることはできない』のだ。

だからこそ,この後実際あった出来事に驚くのである。被害者のビクトリア・ルボロさん(前・集金代行代理店マネージャー,44歳,女性)は,報復よりも,19歳の加害者ライアン・クッシングの人生を救うことの方に関心があった。ルボロさんは検事にしつこく要求して,加害者の生活や生い立ちなどの情報を入手し,その後,加害者に司法取り引きをするよう強く申し入れた。もし第2級暴行罪を認めるならば,郡拘置所での6か月の服役と,5年間の保護観察処分で済むというのだ。

もしこの犯罪に最もふさわしい第1級暴行罪の判決を受けていたら,25年間服役した挙句,中年になって,何の技術も将来性もないまま社会に放り出されることになっていただろう。

しかしこの話にはまだ続きがある。その日,法廷では,さらに驚くべきことが起こった。

『ニューヨークポスト』紙(New YorkPost)の記事によると,法廷でクッシングはためらいながらやっとのことでルボロさんの席に進み寄り,涙ながらに謝罪の言葉をささやいた。『あなたにしたことは,ほんとうに申し訳なく思っています。』

ルボロさんは立ち上がり,泣きながら加害者を抱き締め,涙にむせぶ加害者の頭と背中をなでた。『タイムズ』誌(Times)の記者をはじめ,その場にいた人々にルボロさんの言葉が聞こえた。『大丈夫よ。ただ,あなたにできるだけ良い人生を歩んでほしいの。』その記事によれば,ベテランの検事や記者たちでさえ,のどを詰まらせながら必死に涙をこらえていた。」(“Forgiveness Has Power to ChangeFuture,”Deseret Morning News,2005年8月21日付,AA3)

何とすばらしい話でしょう。何よりすばらしいのは,これが実話だという点です。しかも,危険なニューヨークでの出来事です。自分の命を奪ったかもしれない若者を赦したこの女性を,称賛しない人がいるでしょうか。

今話していることは,微妙な問題をはらんでいることを承知しています。刑務所にとどめておくべき冷酷な犯罪者もいます。計画的殺人,強姦ごうかんなど,厳しい刑罰に値する,おぞましい犯罪もあります。しかし思慮に欠けた愚かな行いが原因で,刑務所で何年も無益な時間を過ごすことになった人の中には,救われてもよい人もいるでしょう。不思議なことに,愛と寛容による赦しは,ほかの方法では起こせない奇跡を起こすことがあります。

偉大な贖罪は,究極の赦しの行為でした。贖罪の重要性を完全に理解することはわたしたちにはできません。わたしが知っているのは,贖罪が行われたという事実,そしてそれがわたしと皆さんのためであったということだけです。苦しみがあまりに大きく,苦悶があまりに激しかったので,救い主が全人類の罪のために御自身をささげられたときのことを理解できる人はだれもいません。

わたしたちは救い主を通して赦しが得られるのです。そして救い主を通して,全人類が死から復活し,救いの祝福を受けるという確かな約束を得ることができるのです。救い主とそのきわめて重要な犠牲を通してこそ,従順であることを条件に,昇栄と永遠の命という扉が開かれているのです。

神の助けを受けて,もう少し優しくなり,もっと寛大になり,もっと赦し,もっと喜

で2マイル歩き,罪を犯したけれどもすでに悔い改めの実を結んでいる人に手を伸ばして引き上げ,昔の恨みを忘れ,二度と恨みを増幅させることがありませんように。このことをへりくだり,贖い主,主イエス・キリストの聖なる御名みなにより祈ります。アーメン。