2000–2009
モルモン書を読むことから得られる祝福
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モルモン書を読むことから得られる祝福

今やモルモン書を研究し,その原則を学び,生活の中で実践するかどうかは,わたしたちにかかっているのです。

毎月このすばらしい機関誌『エンサイン』(Ensign)が届くのを楽しみにしています。毎月掲載される大管長会メッセージにより,わたしは強められています。8月号の『エンサイン』と『リアホナ』には,今年末までにモルモン書を読むように,または読み直すようにというヒンクレー大管長からのチャレンジが載っていました。

なぜヒンクレー大管長は,モルモン書を読むことがわたしたち一人一人にそれほど有益になると考えているのでしょうか。大管長は次のように述べています。

「モルモン書は永遠の真理であり,全人類のための書物です。モルモン書にはまた,それが真実であることが神の力によって明らかにされるという約束が記されています。そのような書物はほかにありません。

モルモン書の起源は驚くべきものであり,モルモン書が世に出た経緯を聞く人は,初めはほとんど信じられないかもしれません。しかし,モルモン書は確かに実在し,手に取って読むことができます。だれもその実在自体を否定することはできません。… …

民であれ国家であれ,神を畏おそれ,神の戒めに従うならば,繁栄と発展を享受しますが,神を軽視し,神の言葉に注意を払わなくなると,民は堕落し始め,義をもって食い止めないかぎり,無力になり,滅びに向かいます。この事実をかくも明解に説いた書物は……ほかにありません。」(「力強い,真実の証」『リアホナ』2005年8月号,4-5)

なぜ今日こんにちモルモン書を読むことがそれほど大切なのでしょうか。それは,そもそもモルモン書が,それが書かれた時代の民よりも,将来の人々のために書かれた書物だからです。モルモン書の主要な記録者はそのことをよく理解していました。モロナイはわたしたちの時代に向けて言いました。「わたしはあなたがたがここにいるかのように語っている。」(モルモン8:35)預言者ニーファイは次のように言いました。

「さて,このような理由で,主なる神は,わたしが書き記すこれらのものが保存され,残されて,代々わたしの子孫に伝えられると約束してくださった。それによって,ヨセフの子孫は大地のあるかぎり決して滅びることはないという約束が,ヨセフに対して果たされるのである。」(2ニーファイ25:21)

モルモン書は現代の人々への警告の声です。以下のように,モルモン書には今日こんにちの地上の状況が鮮明に描かれています。

「だれも,これらの〔記録〕は出て来ることはないと言ってはならない。主が言われたので,これらのものは必ず出て来るからである。これらのものは主の手によって地から出て来る。だれもそれを妨げることはできない。それは,奇跡がやんでしまったと言われる時代に出て来る。あたかも人が死者の中から語るかのようにそれは出て来る。

聖徒たちの血が秘密結社と闇やみの業のことで主に叫んで訴える時代に,それは出て来る。

まことに,神の力が否定され,もろもろの教会が汚れたものとなり,教会の者たちが高慢な心で高ぶる時代に,それは出て来る。まことに,教会の指導者たちと教師たちが心を高慢にして,彼らの教会に属する者たちが彼らをねたみの目で見るようになる時代に,それは出て来る。

まことに,ほかの国々の火と暴風雨と立ち込める煙のことを伝え聞く時代に,それは現れ出る。

またそのとき,様々な地における戦争と戦争のうわさと地震のことも伝え聞くであろう。

まことに,地の面にひどい汚れがあり,殺人と強盗と偽りと欺きとみだらな行いとあらゆる忌まわしい行いがある時代に,また,『これを行え。あれを行え。それをしてもかまわない。主は終わりの日に弁護してくださる』と言う者が多くいる時代に,それは出て来る。しかし,このように言う者は災いである。彼らは苦汁の中におり,罪悪の縄目を受けているからである。」(モルモン8:26-31)

エズラ・タフト・ベンソン大管長は,モルモン書が現代にとって特に価値を持つという事実を再確認して次のように言いました。

「モルモン書は現代のために書かれました。この書物の著者は神です。現代人を祝福するために,霊感された人々が編さんした,堕落した民の記録です。当時の人々はこの書物を手にしていません。わたしたちのために書かれたのです。モルモン――この古代の預言者の名にちなんでこの書物は名付けられました――によって,数世紀分の記録が短くまとめられました。神は初めから終わりを御存じであり,現代人に必要な事柄として何を載せたらよいかをこのモルモンにお教えになったのです。」(「モルモン経は神のみ言葉」『聖徒の道』1975年8月号,366参照)

わたしたちはこの書物を,おもに堕落した民の歴史として読むことがどれほど多いことでしょう。預言者たちが人をキリストへ導くために霊感を受けて編さんしたということが忘れられています。モルモン書の主要な記録者たちには,歴史を書く意図はまったくありませんでした。実際,ヤコブは兄ニーファイから「この民の歴史については,少ししか触れてはならない」と命じられたと述べています(モルモン書ヤコブ1:2)。

この書物を読む度に,次のように自問するべきです。「これを書いた人々は,なぜこの話や出来事を記録したのだろうか。今のわたしたちにどんな価値があるだろうか。」

モルモン書は,戦争の原因と結果,また戦争が正当化されるのはどのような状況においてであるかを教えています。権力と利益を得るために作られた秘密結社の,悪と危険性について教えています。また,サタンが実在し,どのような手段で人を惑わすかについて述べています。富の適切な使い方についても教えています。福音の分かりやすくて貴い真理を教え,イエス・キリストが実在し,神であられ,全人類の贖罪しょくざいの犠牲となられたことを教えています。終わりの時におけるイスラエルの家の集合についても教えています。伝道の目的と原則についても教えています。さらに,高慢,無関心,引き延ばし,誤った伝統の危険性,偽善,不貞について警告しています。

今やモルモン書を研究し,その原則を学び,生活の中で実践するかどうかは,わたしたちにかかっているのです。

モルモン書の最初の話は,家族が聖典を持ち,活用することの大切さについて教えています。預言者である父リーハイは,民から命をねらわれていると警告されました。それはリーハイが民の悪事についてはっきり述べたからです。それで,リーハイは家族を連れて逃げるように指示されました。

「そして,父は荒れ野へ出て行った。父は自分の家や受け継ぎの地,金や銀,貴重品を後に残して,家族と食糧と天幕のほかは何も持たずに荒れ野へ出て行った。」(1ニーファイ2:4)

しばらく旅をした後,リーハイは夢を見ました。夢の中で主が言われるには,エルサレムへ戻って,真鍮しんちゅうの版に刻まれた先祖の記録を手に入れるまでは,これ以上旅を続けてはならないということでした。その版にはまた,預言者たちの言葉や主の戒めも載っているのです。リーハイの4人の息子たちは,戻ってその記録を手に入れて来るように命じられました。

4人はエルサレムに着くと,だれがラバンの家へ行き真鍮の版を譲ってくれるように頼むか決めるために,くじを引きました。くじに当たったレーマンは,ラバンのもとへ行きました。「そこで見よ,ラバンは,ひどく怒ってレーマンを自分のもとから追い出し,その記録を渡そうとはしなかった。またラバンはレーマンに,『おまえは盗賊だ。殺してや』と言った。」(1ニーファイ3:13)レーマンは逃げて助かりましたが,真鍮の版は手に入れられませんでした。

この最初の試みについて考えてみると,4人は十分な計画を立てていなかったように思えてきます。これは,聖文の研究にも当てはまる,重要な教訓です。具体的な計画を立てて臨むことにより,モルモン書を読む決意の強さを示しましょう。

ヒンクレー大管長は,『エンサイン』と『リアホナ』の記事の中で言いました。「全世界の教会員と友人の皆さんに一つのチャレンジをします。モルモン書を読んでください。あるいはもう一度読み直してください。」そして,大管長はそれを達成するための計画を提案しています。「毎日1章半を少し上回るくらい読めば,今年中に全部読み終えることができるでしょう。」(『リアホナ』2005年8月号,6)8月と9月はもう過ぎてしまいました。ヒンクレー大管長の計画に従っていれば,今頃アルマ書4章から12章のあたりを読んでいるはずです。皆さんはスケジュールより先に進んでいますか,それとも遅れていますか。

真鍮の版を手に入れる最初の試みに失敗すると,ニーファイの兄たちはあきらめて,荒れ野にいる家族のところへ戻りたいと思いました。しかし,ニーファイはあきらめないように励まし,記録を得る別の方法を提案しました。「主の命令を忠実に守りましょう。父の受け継ぎの地へ行きましょう。まことに,父は金や銀など,あらゆる富を後に残してきているからです。そして父は,これをすべて主の命令によってしたのです。… …

さて,わたしたちはラバンのところに行って,金や銀やすべての貴重品を渡す代わりに,……記録をわたしたちに譲ってくれるように頼んだ。」(1ニーファイ3:16,24)

ニーファイの模範は,聖文の祝福は財産やその他の世俗的なものよりもずっと価値があることを教えてくれます。この世のものからは,一時的な楽しみが得られることはありますが,永続する喜びや幸福は得られません。御霊みたまにかかわる事柄を求めれば,永遠の報いが得られ,人が一生を通じて探し求めている喜びを得ることができるのです。

ヒンクレー大管長は,モルモン書を読むことにより,この世の事柄を超越し,主にかかわる事柄に喜びを見いだすよう励ましています。大管長はこう述べています。「わたしは皆さんに,何のためらいもなくはっきりと約束します。これまでに何度読んだかに関係なく,皆さん一人一人がこの簡単なチャレンジを実行するなら,皆さんの生活や家庭の中に,さらに豊かに主の御霊が注がれるようになるでしょう。そして,主の戒めに従って歩もうとする決意が強められ,神の御子が確かに生きておられることがさらにはっきりと分かるようになるでしょう。」(『リアホナ』2005年8月号,6)これはこの世のどんなものよりもはるかに価値ある祝福です。

ニーファイと兄たちが財宝と交換に真鍮の版を譲ってほしいと頼むと,ラバンは財宝を取り上げ,彼らの命を奪おうとしました。レーマンとレムエルは度重なる失敗に大いに落胆し,このような不可能な任務はあきらめた方がよいと再び思いました。しかし,ニーファイは主の命令に従うという強い決意を曲げることなく,次のように兄たちを説得しました。「わたしたちはまたエルサレムへ上って行きましょう。そして,主の命令を忠実に守りましょう。まことに,主は全地にも増して力ある御方なのですから,どうしてラバンとその家来の五十人よりも力が劣ることがあるでしょうか。いや,ラバンに何万人あっても主の力にはかないません。」(1ニーファイ4:1)

主を信じて再び務めに向かうと,今度は望ましい結果を得ることができました。ニーファイが記録を手に入れるために御霊に導かれて行くと,ラバンがニーファイの手に渡されました。ニーファイは信仰と従順により,自分と家族のために,聖文を持つことによる祝福を確保したのです。真鍮の版を手に入れたニーファイと兄たちは,荒れ野の父のところへ戻り,旅を続けることができました。

もし信仰をもってヒンクレー大管長のチャレンジにこたえるなら,モルモン書の研究の結果として祝福が得られます。わたしたちはそのことについて預言者から確かな約束を受けています。ニーファイとその家族のように,聖文が「望ましいもの」であり,「わたしたちにとって大きな価値のあるもの」であることが分かるでしょう(1ニーファイ5:21)。また,モロナイがモルモン書の最後で約束している祝福を受けることができるでしょう。

「まことに,キリストのもとに来て,キリストによって完全になりなさい。神の御心みこころに添わないものをすべて拒みなさい。もしあなたがたが神の御心に添わないものをすべて拒み,勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば,神の恵みはあなたがたに十分であり,あなたがたは神の恵みにより,キリストによって完全になることができる。そしてあなたがたは,神の恵みによりキリストによって完全になれば,決して神の力を否定することができない。」(モロナイ10:32)

今年は預言者ジョセフ・スミスの生誕200年を記念する年です。モルモン書は,預言者ジョセフの教導の業とイエス・キリストの教会が回復したことの力強い証拠です。ヒンクレー大管長は前回4月の総大会でモルモン書についてこう述べました。

「〔それは〕手に取り,読み,そして試してみることのできる,形あるものです。……モルモン書はキリスト教世界のすべての人が手を伸ばし,喜んで受け,信奉したいと思って然しかるべき,躍動感にあふれた証です。それは預言者ジョセフに啓示として与えられた,もう一つの偉大で根本的な事柄なのです。」(「神が啓示された偉大な事柄」『リアホナ』2005年5月号,82参照)

わたしたち一人一人が,現在の生ける預言者ゴードン・B・ヒンクレー大管長のチャレンジにこたえて,年末までにモルモン書を読み,回復の預言者ジョセフ・スミスに敬意を示すことができるように祈っています。モルモン書に記されている,永遠の価値を持つ神の御言葉を味わい,御言葉みことばによって満たされるように,読書計画を立て,信仰をもってその計画に従うことができますように。イエス・キリストの御名みなにより,へりくだり祈ります。アーメン。