2000–2009
自分に対する主の御心を知る
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自分に対する主の御心を知る

自分の思いを主の御心に従わせる道で,主が皆さん一人一人を祝福されますように。

神の御手みてに使われる者となることは,偉大な特権であり,神聖な責任です。住む場所,環境,配偶者の有無や年齢の区別なく,主はこの最後の神権時代に主の王国を築くため,女性一人一人に独自の務めを果たすよう求めておられます。わたしは証あかしします。わたしたちは主の求めを知り,祝福を享受できます。「この大いなる業を成し遂げるために,神の御手に使われる者と〔なる〕」という「わたしたちに与えられた祝福」1 を享受することができるのです。今夜は,神の御手に使われる者となるプロセスを理解するためにわたし自身がたどった道を紹介します。

まずわたしがたどり着いた結論からお伝えします。それは,ニール・A・マックスウェル長老が教えた次の貴重な真理の中にありました。「思いは,個人が神の祭壇にささげられる唯一の所有物です。ほかの多くのささげ物は,……実際は神から頂いたか,借りたものにすぎません。しかし,皆さんやわたしが,自分自身を神に従わせることができるようになったとき,つまり自分の思いを神の御心に飲み込ませることができるようになったときに,初めて真のささげ物をし始めたと言えるのです。なぜなら,それがわたしたちのささげられる唯一のものだからです。」2

愛する姉妹の皆さんに証します。ほんとうに神の御手に使われる者となるためには,また,「各自の務めを果たす」この「現世の生涯」3 で,神の御手に使われるという祝福にあずかるには,マックスウェル長老の言うように「自分自身を神の御心に従わせ」4 る必要があります。

この原則について証を得るために,わたしは突然,精錬のプロセスに投げ込まれました。30代半ばに祝福師の祝福を受けたのが始まりでした。断食と祈りによって備え,「主はわたしに何を望まれるだろう」と思い巡らしました。期待に胸を膨らませながら,夫とわたしは4人の幼い子供を引き連れて,年配の祝福師の家へ出かけました。祝福師は祝福の中で,伝道について何度も繰り返し強調しました。

正直なところ,失望と不安に駆られました。当時はまだかろうじてモルモン書を初めから通して読み終えたばかりでした。明らかに,わたしには伝道の準備などできていませんでした。それで,祝福師の祝福は引き出しにしまいました。しかし子育てに没頭しながらも,真剣に聖文を研究する計画を毎日実行するようになりました。

年月が過ぎ,わたしたち夫婦は力を合わせて子供たちを伝道に備えました。息子たちを各地へ送り出し,わたしの伝道の義務は終わったと心から思っていました。

そんなときに,夫が伝道部長に召されたのです。その国の情勢は不安定で,周りにある国も発展途上です。1万6,000キロも離れた所にある,文化や言葉のまったく違う国です。しかし専任宣教師に召された途端,少しアルマやモーサヤの息子たちのように感じました。「この大いなる業を成し遂げるために,神の御手に使われる者」5 として召されたと感じたのです。ただ,アルマたちはどうだったか分かりませんが,わたしは非常な恐れも感じました。

それから毎日,祝福師の祝福を取り出し,より深い理解を求めて何度も何度も読み返しました。数十年前に祝福師から受けた約束をこれから実現するのだと分かってはいても,不安は和らぎませんでした。結婚した子供,未婚の子供,年老いた義理の父母を残して行けるだろうか。何を行い,語るべきか分かるだろうか。わたしたち夫婦は何を食べるのだろうか。政治情勢が不安定で危険な国で,無事でいられるだろうか。わたしはあらゆる点で適性を欠いていると感じました。

平安を求めて,それまでに輪をかけて神殿に参入するようになりました。交わした聖約の意味について,かつてないほど思い巡らしました。人生の岐路に立たされていたわたしは,神殿の聖約によって支えと励ましを得ました。恐れはありましたが,自ら下した神聖な決意を守り通すことを,意識的に選んでいたのです。結局のところ,これはだれかほかの人の務めではありませんでした。召されたのはわたしであり,仕えると決めたのもわたしでした。

ジョセフ・スミスの父親は,息子への祝福でこう宣言しています。「主なるあなたの神は天からあなたの名前を呼ばれました。あなたは……この時代に主の大いなる業を行うために召されました。あなた以外の何者も……あなたのようにすべてにおいて主の御心に添うことはできません。」6 預言者ジョセフは「主の大いなる業」の中で彼独自の務めに召されました。わたしも,たとえ圧倒され準備不足と感じていても,確かに御業みわざの中でわたしの務めに召されたのだと知っていました。そう考えることで,勇気が出てきました。

絶えず祈りを通してこう尋ねました。「お父様,頂いた召しを果たすにはどうすればよいでしょうか。」伝道地に赴く数日前の朝,二人の友人が贈り物をくれました。携帯できる,小さな賛美歌集です。その日のうちに,その賛美歌集を通して,数か月に及んだ祈りの答えを受けました。慰めを求めて静かな場所に行くと,次の言葉がはっきりと心に浮かんできたのです。

「恐るな,われは汝なが神

常に汝なんじと共にあり

助け与え,強くして

わが正しき力をもて 汝なんじを支え,

励まさん」7

主がともにいて,助けてくださることに,非常に個人的な方法で気づきましたが,それはただの始まりでした。神の御手に使われる者となるにはさらに多くを学ぶ必要がありました。

遠く離れた異国の地で,わたしたち夫婦は開拓者のように,信仰を込めて一歩ずつ任務を果たし始めました。文字どおりほとんどいつも二人きりでした。未知の文化に身を置き,幾つもの未知の言語に取り巻かれていました。ノーブーで初期の扶助協会を導いたサラ・クリーブランドの言葉に大変共感しました。「主の御名みなによってこの業を始めたのですから,雄々しく前進しましょう。」8

神の御手に使われる者となるプロセスでまず学んだことは,聖文を研究すること,断食すること,祈ること,神殿に参入すること,主の宮で交わした聖約を忠実に守ることでした。第2の教訓は,「雄々しく前進する」ためには主に完全に頼り,個人的な啓示を熱心に求めることでした。啓示を受けるには,常に聖霊を伴侶はんりょとするためにふさわしい生活をしなければなりません。

最後の教訓は,まさにマックスウェル長老が教えたとおりです。主の助けと導きと守りがどうしても必要だったので,日々のどんなささいなことでも,思いを主の御心に従わせました。そうするうちに,非常に深い部分で天の御父との関係が変わりました。そのことからわたしも家族も祝福を受け続けています。

わたしの人生の道のりは皆さんとは違います。ですから,主の御心を熱心に求めながら自分の思いを主の御心に従わせた皆さん一人一人から,多く学べることでしょう。わたしたちは,回復されたイエス・キリストの福音の中で喜び合い,救い主についての,また贖あがないについての証があるという祝福に感謝し合えることでしょう。「神の御手に使われる者」となるのは簡単ではなく,霊的な成長を促すものです。だからこそ,それぞれが栄光に満ちた道をたどりつつ,現世の旅を豊かにすることができるのだと知っています。

愛する姉妹の皆さん,主の御心を知り,自分の思いを主の御心に従わせる道で,主が皆さん一人一人を祝福されますように。思いこそ「わたしたちのささげられる唯一のもの」9 であることを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。