2000–2009
キリストのような属性――翼の揚力となる風
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キリストのような属性――翼の揚力となる風

基本的な福音の原則に従った生活を送ることによって,あらゆる末日聖徒の生活に,力と強さ,そして霊的な自立心が増し加わります。

愛する兄弟姉妹,そして友人の皆さん。航空会社のパイロットとして仕事をしていたころのことです。時々,乗客をわたしの操縦するボーイング747のコックピットに案内することがありました。だれもがたくさんのスイッチや器具,システムや手順について尋ね,これだけ複雑な技術装置がどうやってこんなに巨大で立派な飛行機を飛ばすのか聞いてきたものです。

パイロットなら皆同じですが,乗客が飛行機の複雑さに感動し,それを操縦する人はどれほど頭脳明晰ずのうめいせきで聡明そうめいなのかと驚いている姿は,見ていて気分のいいものでした。ここまで来ると,妻と子供たちは優しく話を遮って,いたずらっぽく笑いながらこう言うのです。「ほんとうにパイロットっていうのは,生まれながらの謙遜けんそんの塊ね。」

コックピットを見学する人に,わたしはいつもこう説明したものです。こうした空飛ぶ機械に乗り込んだ人々に快適で安全な旅を提供するには,空気力学の仕組みとともに,数多くの補助システムやプログラム,そして強力なエンジンを総動員する必要があります。

そして,説明を分かりやすくするために,基本的な点にだけ焦点を当てて,次のように付け加えました。どうしても必要なものは,強く前に押し出す推進力と強力な揚力,そして,適切な飛行姿勢の3つです。それらがそろえば必然的に,747のような飛行機も乗客も,大陸を横断したり,大海を越えたり,高い山々の上空を飛び,激しい雷雨の中を飛んだりして,無事に目的地まで到着することができるのです。

最近,よく考えることは,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であることについても,同じように問いかけてみることができるのではないかということです。地上における神の王国に属するわたしたちの基本的で土台となる原則とは何なのでしょうか。また,最終的に,いざというときににわたしたちの望む永遠の目的地に向かって運んでくれるものは何でしょうか。

教会は,組織の力やプログラムを総動員して,教会員に数多くの重要な活動を提供しています。家族や個人が,神と同胞はらからに仕えるのを助けるためです。しかしながら,時々,そうしたプログラムや活動の方が,福音の核となる教義や原則よりも,わたしたちの心をとらえることがあるように思えます。手続き,プログラム,方針,組織の仕組みといったものは,この地上でわたしたちが霊的に進歩するための助けにはなります。しかし,そうしたものは皆,いつかは変わる可能性があるということを忘れないようにする必要があります。

反対に,福音の核,つまり教義や原則というものは,決して変更されることはありません。基本的な福音の原則に従った生活を送ることによって,あらゆる末日聖徒の生活に,力と強さ,そして霊的な自立心が増し加わります。

信仰はまさに力の原則です。人生にはこの力の源が必要です。神は力をもって働かれますが,この力は通常,わたしたちの信仰に応じて現れます。「行いを伴わない信仰〔は〕むなしい」ものです(ヤコブの手紙2:20)。神はその子供たちの信仰に応じて働かれるのです。

預言者ジョセフ・スミスは次のように説明しています。「わたしは人々に正しい原則を教えて,自らを治めさせる。」(ジョン・テーラーによる引用“The Organization of the Church”Millennial Star, 1851年11月15日付,339)実に簡潔にして要を得ています。正しい福音の原則を理解し,吸収し,それに従って生活しようと努力するとき,もっと霊的に自立できるようになります。霊的な自立という原則は,神が与えてくださった教会の基本的な教義である選択の自由から発展した原則です。わたしは,選択の自由というものは,神がその子供たちに賜った賜物たまものの中でも,生命そのものに次いで,最大の賜物の一つではないかと考えています。

この選択の自由とそれがもたらす永遠の結果について研究し,深く考えるとき,自分たちがまさしく神の霊の子であり,それゆえに神の子らしく行動しなければならないと実感します。このことが理解できると,さらに,自分が末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,世界的に大きな聖徒の家族に属していることも分かるのです。

教会の組織的な構成は,集う人の人数や成長の度合い,必要に従って,きわめて柔軟に対応できるようになっています。基本ユニットプログラムと呼ばれるものがあり,組織を簡素化し,集会の数を少なくすることもできるようになっています。もちろん,互いに奉仕し合えるだけの強力な組織力を持つ大きなワードも存在します。いずれにせよ,そうした組織が作られるのは,霊感を受けた教会のプログラムによって,会員が「キリストのもとに来て,キリストによって完全に」なれるよう助けるためなのです(モロナイ10:32 )。

どのような形を取るにせよ,神の目から見た価値はまったく同じです。イエス・キリストの回復された福音の教義は,どのユニットでも同じだからです。わたしは主イエス・キリストの使徒として,主が生きておられ,この福音が真実であり,今日こんにちこの地上で神の子供たちが直面しているあらゆる個人的な問題や,万人に共通する問題に,答えを提供するものであることを証します。

この夏,妻とわたしは,ヨーロッパ中の数多くの国々を訪問し,教会員と会ってきました。ヨーロッパの一部の国々では,教会は古くからあり,その歴史を1837年までさかのぼる地域もあります。ヨーロッパには忠実な教会員の偉大な受け継ぎがあります。現在,ヨーロッパには40万人以上の教会員がいます。19世紀と20世紀の間にヨーロッパからアメリカへ移住した数多くの世代のことも考えれば,総教会員数は今の数倍もいると考えてもよいでしょう。

数多くの信仰深い教会員が,教会の初期の時代に,故国を去って行った理由は何なのでしょうか。いろいろな理由が考えられます。迫害を逃れるため,アメリカで教会の設立を助けるため,経済的な環境を良くするため,神殿の近くに住みたいという望みのため,ほかにもたくさんの理由があったことでしょう。

ヨーロッパでは今でも,この移住の結果が感じられます。しかしながら,数世代にわたる忠実な教会員から生み出される強さは,現在,顕著に現れています。主のために伝道の奉仕をする若い男女や年配の夫婦の数も増加しています。神殿結婚の数も増し,教会員たちがさらに自信と勇気をもって,回復された福音を分かち合っています。ヨーロッパの民の中でも,世界の数多くの国々においても,キリストの真の教えについて言えば,霊的な空白地帯が存在します。この空白は,回復された福音のメッセージで埋めなければなりませんし,そうすることができます。そして,さらにこれから確実に福音のメッセージで埋め尽くされることでしょう。そのためにすばらしい会員たちが,これまで以上の勇気と信仰をもってこの福音に従って生活し,それを宣のべ伝えているのです。

ヨーロッパにおける教会の発展に伴い,教会が設立されてからまだ15年にも満たないという国々も存在します。わたしが話したある伝道部長は,故国ロシアで奉仕していましたが,会員歴はわずか7年でした。「バプテスマを受けた同じ月に支部長に召されたんですよ」と言っていました。彼は時々圧倒されるような思いになったことがないでしょうか。もちろん,ありました。では,教会のプログラムを全部完全な形で導入しようとしたでしょうか。幸いなことに,しなかったのです。では,そのような小さな集まりの中で,しかも短期間に,どうやってそれほどまでに強くなったのでしょうか。彼はこう説明しています。「わたしは心の底からこの教会が真実であることを知っていました。福音の教義が思いや心を満たしてくれたのです。教会に加入したとき,家族の一員になれたと実感しました。温かさや信頼,愛といったものを感じたからです。わたしたちの数はほんのわずかでしたが,皆で救い主に従おうと努力しました。」

彼らは互いに支え合い,できる範囲で最善を尽くしました。そして,教会が真実であると知ったのです。彼の心を引きつけたのは組織ではありません。福音の光でした。そしてこの光が,そうした善良な会員たちを強めてくれたのです。

数多くの国では,教会はなお初期段階にあり,組織を巡る状況も完全とは程遠いものがあります。しかしながら,その地の教会員たちは,恐らく心の中に真理についての完全な証を持っているのでしょう。経済的な問題や困難にもかかわらず,自分の国にとどまり,教会を確立していくならば,将来の世代の人々は,今の開拓者たちの勇気に感謝することでしょう。このような開拓者たちは,1999年に大管長会が勧めた,愛に満ちた次の言葉に従っていることになります。

「主は今日の時代において,神殿の数を増やすことも含め,福音の祝福を世界の多くの地域にもたらすことがふさわしいと考えておられます。そこでわたしたちはこれまで続けてきた勧告を再度強調し,アメリカ合衆国に移民するのではなく母国にとどまるように教会員の皆さんにお願いしたいと思います。… …

世界中の教会員の皆さんが母国にとどまり,母国における教会の確立のために働くならば,大いなる祝福が彼ら個人に与えられ,それらが総体的に教会への祝福ともなるでしょう。……」(大管長会からの手紙,1999年12月1日付)

ここで,大きなワードやステークに住んでいる皆さんに,一言ひとこと注意を喚起いたします。わたしたちは,証の中核というものが,教会という共同体の社会的な強さの中にあるのではなく,また,ワードやステークのすばらしい活動やプログラムや組織にあるのでもないということに注意する必要があります。こうしたものは確かに重要ですし,価値あるものですが,それだけでは十分ではないのです。さらに言えば,友情だけでは十分ではないのです。

今,混乱と災害と戦争の時代に生きていることを実感しています。わたしたちも,またほかの数多くの人々も,「防御のためとなり,また嵐あらしと激しい怒りが全地にありのままに注がれるときに,その避け所となる」場所を切に求めています(教義と聖約115:6)。そのような安全な場所は,どうしたら見いだせるでしょうか。神の預言者で

あるヒンクレー大管長は次のように教えています。「わたしたちの安全は生活の徳高さに懸かっています。わたしたちの強さは義の中に存在しています。」(「また逢うま」『リアホナ』2002年1月号,105 )

ここで一緒に,イエス・キリストがどのように使徒たちに教えられたか,振り返ってみましょう。主はこの地上で務めに携わり始められたころ,分かりやすく明確に,次のように教えておられます。「わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19)この御言葉みことばはまた,十二使徒たちの務めの始まりともなりました。この聖なる業のために働くよう召された者としてわたしが深く感じているように,この使徒たちも自分の至らなさを感じたことでしょう。わたしが言いたいのは,ここで救い主御自身が,生活の核となる教義と優先順位について教えておられるということです。個人として,わたしたちはまず,「主に従う」必要があります。そうするときに,救い主は,わたしたちが主の望まれる者となれるように,わたしたちの力以上のものを祝福として与えてくださるのです。

キリストに従うということは,キリストのような者になるということです。主の人格から学ぶということです。天の御父の霊の子供であるわたしたちには,生活にも人格にも,キリストのような属性を取り入れる能力が,間違いなく備わっています。救い主は,主の教えに従って生活することによって主の福音について学ぶよう勧めておられます。主に従うとは,正しい原則を実践し,それに伴う祝福を自らの力で実証することです。この過程は,非常に複雑でもあり,同時に非常に簡潔でもあります。古今の預言者たちは,簡潔な表現で,「戒めを守りなさい」と言っています。それ以上でも,それ以下でもありません。

生活の中でキリストのような属性を磨いていくというのは,決して容易なことではありません。特に,一般論や抽象論から離れて,実生活で実践しようとするときには,それが言えます。ほんとうの試練は,宣べ伝えていることを実践するときにやって来ます。キリストのような属性がほんとうに身に付いたかどうかは,夫,妻,父親,母親,息子,娘として,生活に目に見える形で現れているかどうかで分かります。また,友人と接するとき,仕事や事業に携わるとき,レクリエーションに参加しているときもそうです。少しずつ「〔主の〕前に聖きよさを尽くして行動する」力が増してくると(教義と聖約43:9),自分の成長に気づきます。そして,周囲の人々も認識してくれます。

聖文の中には,この世の生涯を通じてはぐくんでいかなければならないキリストのような属性について数多く書かれています。知識や謙遜さ,慈愛や愛,従順や勤勉さ,信仰や希望もその中に含まれます。こうした人格というものは,教会のユニットという組織の状況とは無関係です。経済的な環境とも,家族の状況とも,文化,人種,言語とも無関係です。キリストのような属性は神から賜るものです。主の助けなしに伸ばしていくことはできません。わたしたち皆が必要とする助けの一つは,イエス・キリストの贖あがないを通じて,だれにでも自由に無料で与えられています。イエス・キリストとその贖いを信じる信仰を持つということは,完全に主に頼るということを意味しています。つまり,主の無限の力や英知,愛に全幅の信頼を置くということです。キリストのような属性は,選択の自由を義にかなって働かせるときに,わたしたちの生活に形となって現れます。イエス・キリストを信じる信仰は,行動へとつながります。キリストを信じる信仰を持つと,主を信頼して,主の戒めに従おうとします。たとえ戒めが与えられた理由を完全には理解できなくとも,従おうとします。さらに救い主のような者になろうと努めるとき,自分の生活を定期的に評価し直し,まことの悔い改めの道に従って,イエス・キリストの功徳と贖いの祝福に頼る必要があるのです。

キリストのような属性を身に付けることは,場合によっては苦痛を伴います。主とその僕しもべたちの教えや叱責しっせきの言葉を喜んで受け入れる必要があります。世界中の人々に向けたこの大会は,音楽や語られる言葉とともに,「高い所から」の霊的な力や教え,祝福を授かる機会です(教義と聖約43:16)。また,個人的な霊感や啓示の声が,心に平安をもたらし,キリストのような者となるためにはどうしたらよいかを教えてくれる時でもあります。この声は,親しい友の声のように麗しく,十分にへりくだっているときには,心を満たしてくれます。

救い主のような者となることによって,わたしたちは,「聖霊の力によって,……望みにあふれ」る力を伸ばしていくことができます(ローマ15:13)。「この世のものを捨てて,この世に勝る世のものを求め」ていくことができるのです(教義と聖約25:10)。

ここまで話して,最初に話した空気力学の話とつながります。基本的な事柄に焦点を当てることについて話しました。キリストのような属性こそ,わたしたちが焦点を当てるべき『基本』なのです。それは土台となる原則であって,「わたしたちの翼の揚力となる風」を生み出します。生活の中で,一歩一歩,キリストのような属性を身に付けようと努めるとき,その翼は「わしの翼に乗せるように〔わたしたちを〕支え」てくれるでしょう(教義と聖約124:18)。イエス・キリストを信じる信仰を持つことで,力が生まれ,それが強力な推進力となります。そして,揺るぎない,いきいきとした希望を抱くことにより,力強い揚力が生み出されるのです。信仰と希望は,わたしたちを運んで,誘惑の海や苦悩の山々を越えさせてくれます。そして,永遠のふるさとである目的地まで安全に連れて行ってくれるのです。

これらのことをイエス・キリストの御名みなにより証します。アーメン。