2000–2009
神権者としての信頼にこたえる
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神権者としての信頼にこたえる

大切なのは実行することです。ただ夢見ることではありません。実行してこそ,人々の人生が祝福され,導かれ,霊が救われるのです。

数週間前,わたしのワードの断食証(あかし)会(かい)で,後ろの列に座っていた小さな男の子が勇気をふりしぼって証を述べようとしていました。彼は,3回か4回,立ち上がろうとしましたが,だれかに先を越されて,その度に座りました。そして,ついに彼の番が来ました。胸を張り,長いすの間を通って壇上まで勇敢に歩き,説教壇に届くように用意された踏み段を上り,身を乗り出して説教壇に両手を置き,会衆をじっと見つめ,ほほ笑み,それから回れ右をして,踏み段を降り,来た道を引き返して,母親と父親のもとへ帰って行きました。今晩この巨大なカンファレンスセンターに集っている皆さんを見,また世界中で聞いている人々のことを考えると,あの小さな男の子の気持ちがとてもよく分かります。

兄弟の皆さん,今晩皆さんに話す特権が与えられたことを光栄に思います。皆さんに何を話したらよいかと考えていたとき,伝道の書の大好きな聖句が心に浮かびました。「神を恐れ,その命令を守れ。これはすべての人の本分である。」(伝道12:13)わたしは,この本分という言葉を愛し大切にしています。

アメリカ南北戦争の名将ロバート・E・リーは言いました。「本分とは,最も崇高な言葉である。……人は本分以上のことをすることはできない。そして,本分以下のことをするべきではない。」(ジョン・バートレット,Familiar Quotations〔1968年〕,620に収録)

わたしたちにはそれぞれ,聖なる神権にかかわる本分,あるいは義務があります。アロン神権者もメルキゼデク神権者も,多くのことを期待されています。主御自身が,神権に関する啓示の中で,神権者の責任を次のように要約し,強調しておられます。「それゆえ,今や人は皆,自分の義務を学び,任命されている職務をまったく勤勉に遂行するようにしなさい。」(教義と聖約107:99)

わたしが心から願うことは,神権を持つすべての若い男性が,神権を尊び,神権が授けられたときに託された信頼にこたえることです。

51年前,当時オグデン南ステークの会長だったウィリアム・J・クリチロー・ジュニア会長の話を聞きました。彼は後に十二使徒定員会補助となり,総大会の神権部会でも,信頼と名誉と義務について話しました。その話を紹介しましょう。現代にも通じる分かりやすい教えです。

「〔若い〕ルパートは,道路わきに立ち,足早に通り過ぎていく大勢の人を見ていた。友達が通りかかったので,『そんなに急いでどこに行くの』と尋ねてみた。

『君は,まだ聞いていないのかい。』

『何も聞いてないよ。』

『王様が大切なエメラルドをなくされたんだよ。昨日,貴族の結婚式に出られたときに,金の鎖につないで首にかけておられたそうだが,何かの拍子で,落とされたらしいんだ。見つけたら王様から褒美がもらえるから,みんな探しているんだ。さあ,行こう。』

『でも,その前に,おばあさんに聞かなくちゃ。』『じゃ,お先に。ぼくはなんとしても見つけるよ。』

ルパートは,祖母から許可を得るために,森の外れの家に急いで帰った。『もし見つけたら,この薄暗い家を出て,丘の上に土地が買えるんだよ。』ルパートは懇願した。

ところが,祖母は首を横に振った。『羊はどうするんだい。みんな牧場に行きたくて,囲いの中でうずうずしてるよ。それに,昼になったら水を飲ませなきゃいけないしねえ。』

ルパートはがっかりして,羊を牧場に連れて行った。そして,昼になると今度は小川に連れて行った。ルパートは川のほとりの大きな石に腰かけて,『王様のエメラルドを探しに行けたらなあ』とつぶやいた。うなだれて,川に目をやったルパートは一瞬自分の目を疑い,今度は目を皿のようにして川底を見つめた。『何だあれは。まさか!』あわてて川に飛び込んで拾い上げると,それは緑色の宝石で,細い金の鎖の切れ端が付いていた。『王様のエメラルドだ!』ルパートは叫んだ。『きっと,王様があの橋を馬に乗って駆け抜けたときに,鎖が切れて,エメラルドが川に落ちて,ここまで流れて来たんだ。』

ルパートは目を輝かせながら走って帰り,事の次第を祖母に話した。『よかったね。でも,羊の世話をしていなかったら,見つからなかったんじゃないのかい。』ルパートもそのとおりだと思った。」(Conference Report,1955年10月,86,段落を変更。)

この話の教訓は,次の有名な言葉に要約できます。「全力で義務を果たし,あとは主にゆだねよ。」(ヘンリー・ワズワース・ロングフェロー“The Legend Beautiful,”The Complete Poetical Works of Longfellow 収録〔1893年〕,258)

現在定員会の会長である方,あるいは過去に経験した方々に申し上げます。皆さんの義務は解任とともに終わるものではありません。定員会の会員との関係も,会員に対する義務も,一生涯続くのです。

わたしはアロン神権の教師の職にあったときに,定員会の会長に召されました。定員会アドバイザーの助言を受けながら,一生懸命に働いて,若い男性が定員会の集会にいつも出席できるように助けました。中でも特に難しい兄弟が二人いましたが,根気よく愛を示し,少しずつ説得していくうちに,定員会の活動に顔を出すようになってきました。ところが,時が過ぎ,進学や就職で忙しくなると,彼らはまた教会に来なくなりました。

わたしは長年にわたり,いろいろな機会を見つけて,この二人に会ってきました。会う度に彼らの肩を抱き,こう言うのです。「わたしは今でも,君の定員会の会長なんだよ。君はわたしにとってとても大切な人だから,教会の活動に参加して祝福を得てほしいんだ。」二人とも,わたしから愛されていることと,わたしが彼らを決してあきらめないことを知っています。

メルキゼデク神権を持つ人には,常にその召しを尊んで大いなるものとする特権があります。わたしたちはイスラエルを見守る羊飼いです。飢えた羊が目を上げて,命のパンを待っているのです。

昔,ハロウィンの夜に,福音の道からそれてしまった人を助ける特権にあずかりました。彼が戻って来るには,導き手が必要でした。その日,職場から家に帰るのが少し遅くなりました。ハロウィンの渋滞に巻き込まれたのです。「トリック・オア・トリート」(訳注――「お菓子をくれなきゃ,いたずらするぞ」の意)と言いながら家々を回る子供たちの相手は妻に任せることにしました。途中,ソルトレーク・シティーのセントマーク病院を通り過ぎたところで,愛する友人,マックスが入院していることを思い出しました。マックスとわたしは数年来の友人でした。後に,わたしたちは,時期はずれているものの,同じワードで育ったということが分かりました。マックスの家族がそのワードから転出して行った後で,わたしは生まれたのです。

そのハロウィンの夜,わたしは車を駐車場に止め,病院に立ち寄りました。受付でマックスの部屋の番号を聞きました。受付の人によると,マックスは入院の際に,末日聖徒ではなく,ほかの教会の会員として登録していました。

マックスの部屋に行き,あいさつをしました。わたしはマックスに,彼の友人であることを誇りに思っていることと,彼を心から気にかけていることを伝えました。また銀行業における彼の功績や,オーケストラのリーダーとしての活躍についても話しました。マックスがほかの教会に行くようになったのは,教会員から傷つくようなことを言われたせいだったということが分かりました。わたしは言いました。「君はメルキゼデク神権を持っているよね。今晩君を祝福してもいいかい。」マックスは同意しました。そこで,わたしは祝福しました。それから,奥さんのバーニスも重い病気で,隣の部屋に入院していることが分かりました。わたしの提案で,マックスとわたしは,バーニスを祝福しました。マックスが助けを求めたので,わたしは彼に手ほどきをしました。マックスはバーニスに油注ぎをしました。わたしはマックスとともに油注ぎを結び固めました。マックスの手とわたしの手が,バーニスの頭の上に置かれました。3人で涙を流し,抱き合いました。そのハロウィンの夜の出来事を,忘れることはできません。

病院を出るときに,受付の人にこう言っておきました。「マックスと奥さんの宗教は,本人に確認して,訂正しておいた方がいいですよ。二人とも末日聖徒イエス・キリスト教会の会員ですから。」わたしは,受付の人がきちんと訂正するのを見届けるまで,待ちました。

愛する友人,マックスとバーニスは,今では幕のかなたにいます。しかし二人とも晩年は教会に戻って幸せに暮らし,福音に対する証あかしと,教会に出席することを通して,生涯祝福を受け続けました。

兄弟の皆さん,助けを必要としている人がいれば,どのようなことであれ,手を差し伸べなければなりません。わたしたちに与えられる試練の中に克服できないことなどないのです。わたしたちは主の用向きをしているのですから,当然主の助けを受ける権利があります。しかし,わたしたちは,自ら行動する必要があります。映画『シェナンドー河』のせりふには勇気がわきます。「やってみなけりゃ,何もできない。何もしないのなら,何のためにここにいるんだ。」

わたしたちの責任は,常にふさわしい生活をして,神権の祝福を求められたとき,あるいは助けを求められたときに,いつでも応じられるようにしておくことです。わたしたち一人一人は,常に何らかの形で周囲に影響を与えています。良い影響を与えることができるようにしてください。

わたしたちの手は清く,思いは純粋でしょうか。歴史をさかのぼると,死に瀕ひんしたダリウス王の言葉から,ふさわしさについての教訓を得ることができます。ダリウスは当時の習わしに従って,エジプトの正式な王に認められていました。宿敵アレクサンダーも,エジプトの神アモンの息子として知られていました。彼もまたエジプトの王ファラオだったのです。アレクサンダーは,ダリウスが戦いに敗れ,死にかけていることを知り,彼の頭に手を置き,立ち上がって王の力を取り戻すように命じました。「ダリウスよ,あらゆる神にかけて誓う,わたしはこれらのことを,真心から行うと。」

ダリウスは穏やかに諭しました。「わが子,アレクサンダーよ……お前はその手で天に触れることができるとでも思っているのか。」(ヒュー・ニブレー,Abraham in Egypt〔1981年〕から翻案,192)

義務を果たすようにとの招きは,神権者が割り当てに応じているときに,静かに訪れます。控えめで有能な指導者だった

ジョージ・アルバート・スミス第8代大管長は言いました。「皆さんの義務は,第1に,主が望んでおられることを知ること,それから聖なる神権の力と勢力によって,召しを尊んで大いなるものとし,皆さんを見る人々が皆さんに喜んで従うようになることです。」(Conference Report,1942年4月,14)

では,召しを尊んで大いなるものとするには,どうすればよいのでしょうか。簡単に言えば,召しにかかわる奉仕を行うことです。

兄弟の皆さん,大切なのは実行することです。ただ夢見ることではありません。実行してこそ,人々の人生が祝福され,導かれ,霊が救われるのです。ヤコブは言いました。「御(み)言(ことば)を行う人になりなさい。おのれを欺いて,ただ聞くだけの者となってはいけない。」(ヤコブの手紙1:22)

この神権部会に集っているすべての人が,主の導きをさらに受けるために, たな気持ちで努力することができますように。助けを願い求めている人が大勢います。落胆している人,教会に戻ることを切望していながらも,どうすればよいのか分からずにいる人もいるのです。

わたしは次の言葉は真理であると常に信じてきました。「神のすばらしい祝福はいつも,地上で神に仕えている人の手によってもたらされる。」(ホィットニー・モンゴメリー,“Revelation,”ジャック・M・リヨン他編,Best-Loved Poems of the LDS Peopleに収録〔1996年〕,283)喜んで行う手,清い手,そして進んで行う心を持ちましょう。そうすれば,天の御父が与えようとしておられる祝福を携えて行くことができるのです。

最後に,わたしの経験を話します。かつてわたしには,大切な友人がいました。彼が耐えられないほどの重荷と挫ざ折せつに苦しんできたことは明白でした。やがて彼は末期患者のための病棟に入院しましたが,わたしは彼がそこにいることを知りませんでした。

ある日,妻とわたしはその病院に入院している別の人を見舞いに行きました。病院を出て,車に戻る途中,わたしははっきりとした霊感を受けました。「戻って行って,あなたの友人ハイラムがまだ入院しているかどうか確かめなさい。」受付に行って聞いてみると,確かにハイラムは何週間も前から入院していました。

病室に行き,ノックして,ドアを開けました。すると,まったく予期せぬ光景が目に飛び込んできました。部屋中至る所に風船が飾られ,壁には「お父さん,誕生日おめでとう」と書かれた大きなポスターがはってありました。ハイラムはベッドに座っていました。家族も一緒でした。ハイラムは言いました。「モンソン兄弟,一体全体どうして,今日きょうがわたしの誕生日だと分かったんですか。」わたしはにっこりほほえみました。でもそのときは彼の問いには答えませんでした。

その部屋の中にいるメルキゼデク神権者たちは,彼らの父親であり,祖父であり,わたしの友人であるハイラムの周りに集まって,神権の祝福を授けました。

涙が流れ,感謝の笑顔を交わし,優しく抱き合いました。それから,わたしはハイラムに体を寄せて,そっと言いました。「『わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る』と主が約束されたのを覚えているでしょう(ヨハネ14:18)。」

時は行進するようにどんどん経たっていきます。義務も同じ歩調で行進します。義務はあいまいになることもその重要性が減少することもありません。破壊をもたらす戦いには終わりがありますが,人の魂を勝ち取る戦いに終わりはないのです。皆さんに,わたしに,そしてあらゆる場所の神権者に,主の御(み)声(こえ)がラッパのように響き渡っています。わたしは,その声を繰り返します。「それゆえ,今や人は皆,自分の義務を学び,任命されている職務をまったく勤勉に遂行するようにしなさい。」(教義と聖約107:99)

兄弟の皆さん,わたしたちの義務を学ぼうではありませんか。義務を果たせるよう常にふさわしくあろうではありませんか。義務を果たすときに,主の模範に従おうではありませんか。主は義務を果たすよう召されたときに,このように応じられました。「父よ,あなたの御(み)心(こころ)が行われ,栄光はとこしえにあなたのものでありますように〔。〕」(モーセ4:2)わたしたちもそのように言えますよう,主イエス・キリストの御名(みな)により,へりくだりお祈りします,アーメン。