2000–2009
霊の栄養
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霊の栄養

わたしたちにはもっと霊の栄養が必要です。この栄養は完全な福音についての知識と聖なる神権の力から来るものです。

祖父は夏になるとよく,わたしたち家族が住んでいたユタ中央部の町の東にある高い山に行き,草木が青々と茂る美しい谷間で牛に草を食(は)ませていました。けれども牛は栄養を補うものを欲し,また必要としていたので,祖父は牛に岩塩をなめさせていました。岩塩は,かなり離れた所にある塩の採掘所で採れました。祖父は荷(に)鞍(くら)を付けた頑丈な馬に岩塩をいっぱい積んで帰っては,「塩なめ場」の塩を補充していました。この荷馬をわたしは愛着を込めて「のろ」と呼んでいました。祖父は「のろ」の荷鞍に岩塩を積むと,わたしを上に乗せて手綱を渡しました。祖父は自分の馬に乗り,わたしはその後をついて手綱を引きながら山を登るのです。

「のろ」は速くはありませんでした。でも,重い荷を積んでいたので,急(せ)かせたりはしませんでした。一日がかりで山を登り,「塩なめ場」に着くと鞍から岩塩を下ろします。暑くなってくると,鞍に積んだ岩塩の塊に汗まみれの足がこすれてひりひりしました。小川を渡るときには馬を下り,足を水で洗って乾かすとひりひりしなくなるので,うれしかったものです。

祖父はほとんど一日中歌を歌っていました。たいていはシオンの歌でしたが,中でも最も印象的だったのは,「仲間を見れば人格が分かる」という歌でした。振り返ってみれば,山間の谷に塩を運ぶのは楽しい経験であったと同時に,牛にとっても,栄養を補給して強められる機会でした。

動物も人間も,体が成長し,癒いやされるのを促す栄養分を食物から取ります。祖父の牛には岩塩に含まれる栄養分が必要でしたが,人間にはそれ以上のものが必要です。「命は食物にまさり」1,そして「人のうちには霊があり,全能者の息が人に悟りを与える」2からには,人は霊的な補充を受ける必要があります。人の霊は,愛を必要としています。そして,「信仰の言葉と……良い教おしえの言葉とに養われ〔る〕」3必要があります。

霊的な養いはバプテスマを受けるための準備となります。この準備には,神の前にへりくだり,「打ち砕かれた心と悔いる霊」をもって自分のすべての罪を悔い改め,「進んでイエス・キリストの名を受け」,「キリストの御(み)霊(たま)を受けたことをその行いによって」明らかにすることが含まれます。4

わたしたちにとって最も大切な霊の栄養は,神がわたしたちの永遠の御父であり,イエスがわたしたちの救い主であり贖(あがな)い主であって,聖霊がわたしたちの慰め主であるという証(あかし)です。この証は,聖霊の賜物(たまもの)を通して確認されます。この証から神への信仰と信頼という霊の栄養が生まれ,そこから天の祝福がもたらされます。霊の栄養源は様々ありますが,時間が限られているので,ここでは3つだけを挙げたいと思います。

数年前のことです。高校3年生になった

ばかりのある若い男性が,毎日30分聖文を研究して自分自身に養いを与えようと決心しました。しかし,新約聖書を読み始めたところで壁にぶつかりました。予想していたような霊的な高揚が感じられず,何の洞察も得られなかったからです。「何が間違っているのだろうか」と自問自答しました。すると,学校であったある小さな出来事が思い出されました。何人かの友人と冗談を言い合っていたときのことです。冗談の中にはおもしろくないばかりか,まったくもって下品なものが含まれていました。この若者は冗談の輪に入り,自分でも下品な言葉を発していたのです。これに気づいたとき,マタイによる福音書にある次の言葉が目に留まりました。「あなたがたに言うが,審判の日には,人はその語る無益な言葉に対して,言い開きをしなければならないであろう。」5彼はこのとき,御霊によってこの言葉に導かれたのだと知りました。そして聖書を置いて,悔い改めの祈りをささげました。

「何が間違っているのだろうか」という疑問の答えは簡単でした。彼は聖文を読んで印を付け,聖文を読むのを楽しみにさえしていたものの,そこに書かれている勧めに従った生活をしていなかったのです。聖文をもう一度読み,キリストの模範に従って生活するよう努めていくと,間もなくこの若者は,自分の人生に新しい境地が開かれようとしていることに気がつきました。6聖文の教えを実践することによって,大切な霊の栄養を蓄えることができたのです。

不確実なこの世の状況の中で,わたしたちにはもっと霊の栄養が必要です。この栄養は完全な福音についての知識と聖なる神権の力から来るものです。このよ__うな知識が魂に注ぎ込まれると,わたしたちは神に近づくばかりでなく,神と周囲の人々に仕えたいと望むようになります。

数年前,ある祭司定員会が,奉仕活動として困っている人のために食べ物を集めました。祭司のジムは,この活動に参加できることを楽しみにし,だれよりもたくさん食べ物を集めようと思っていました。礼拝堂に集まる時間になりました。祭司たちは同時に出かけて行くと,夕方の決められた時間に戻って来ました。しかし驚いたことに,ジムのカートは空でした。表情はいたって冷静でした。少年たちがジムをからかうと,それを見ていたアドバイザーは,ジムが車に興味を持っていることを知っていたので声をかけました。「ジム,外に来てくれないか。車を見てほしいんだ。ちょっと調子が悪いんだよ。」

一緒に外に出ると,アドバイザーは,気分を害していないかとジムに尋ねました。すると,ジムはこう言いました。「いいえ,別に。ほんとうは,食べ物を集めに行ったとき,たくさん集まったんです。カートは満杯でした。でも,教会に戻る途中で,ワードの管轄内に住む,ある教会員でない女性の家に立ち寄りました。離婚をしている女性で,玄関をノックして自分たちがしていることを説明すると,中に入れてくれました。その人は何か渡せるものがないか探そうとして冷蔵庫を開けましたが,食べ物はほとんど入っていませんでした。戸棚も空っぽでした。そして,やっと小さな桃の缶詰が見つかりました。

信じられませんでした。食べ物が必要な小さな子供たちが走り回っているのに,ぼくに桃の缶詰を提供してくれたんです。ぼくはそれを受け取って手押し車に入れると通りを歩いて行きました。でも,その通りを半分ほど歩いたところで,体中が温かくなり,あの家に戻らなければ,と思いました。そして,彼女に食べ物を全部上げました。」アドバイザーは言いました。「ジム,今晩感じた気持ちを決して忘れてはいけないよ。それこそが奉仕の真髄なのだから。」7ジムは無私の奉仕という栄養を,身をもって知ったのです。

伝道地で奉仕する間は主の御み業(わざ)にすべてをささげているので,霊の栄養がたくさん得られます。自分以外の人が霊的に目覚めて福音を受け入れられるよう助けることで,霊の糧かてが得られるのです。100年余り前,南部諸州伝道部を管理していたJ・ゴールデン・キンボール長老は,長老たちを集めて集会を開きました。人目につかないよう森の奥まった場所に集まることになっていました。長老の一人は足に炎症を起こしていました。足は真っ赤にはれ上がり,もう一方の足の2倍はありました。それでもこの長老は森の中で開かれる特別な神権会に出ると言い張って,二人の長老に運ばれて集会の場所まで行きました。

「兄弟たち,皆さんは何を宣のべ伝えていますか」とキンボール長老は宣教師に尋ねました。

すると宣教師たちは口々にこう言いました。「イエス・キリストの福音を宣べ伝えています。」

「信仰によって病人を癒(いや)す力と権能が自分にはあると人々に話していますか」とキンボール長老が聞くと,

「はい」という答えが返ってきました。

キンボール長老は続けて言いました。

「では,それを信じてみてはどうでしょうか。」

足のはれた宣教師が大きな声で言いました。「信じます。」続けて起こったことを,キンボール長老はこのように語っています。「〔その長老が〕木の切り株に腰かけると,長老たちが周りに集まりました。油が注がれ,わたしが癒しの祝福を施しました。すると,長老たちの目の前で彼は癒されました。これは非常に大きな衝撃でした。それから,具合の悪いほかの長老たちも,一人残らず癒しの祝福を受け,皆が皆,癒されたのです。神権会が終わり,長老たちはそれぞれ割り当てを受けて出て行きました。そこには,言葉では言い尽くせない喜びと幸せがありました。」8信仰という栄養が補給され,長老たちは伝道に対して新たな意欲をかき立てられたのです。

霊的な健康を保つための霊の栄養は,__必要な導きを神から受けられるようなふさわしい生活をしていないと効能が失われてしまいます。救い主はわたしたちにこう言われました。「あなたがたは,地の塩である。もし塩のききめがなくなったら,何によってその味が取りもどされようか。もはや,なんの役にも立たず,ただ外に捨てられて,人々にふみつけられるだけである。」9わたしたちは,精神と肉体をあらゆる種類の中毒や汚れから清く保たなければなりません。腐った食べ物や汚れた食べ物をわざわざ選んで食べる人はいません。同様に,品のないものは何であれ,それを選んで読んだり,見たりすることがないよう注意するべきです。霊の汚染は,インターネットやコンピューターゲーム,テレビ番組,映画を通してわたしたちの生活に入り込んで来ます。そうしたものの中には,人間のより低俗な側面があからさまに表現され,また露骨に描写されています。このような環境の中で生活しているのですから,わたしたちは霊的にもっと強くなる必要があります。

霊の飢えを感じたエノスは,一日中叫び求め,自分自身のために夜になってもまだ懇願したと語りました。10霊的な真理に対する渇きを癒す霊の栄養を渇望したのです。世の救い主は,サマリヤの井戸で女にこう語りました。「わたしが与える水を飲む者は,いつまでも,かわくことがないばかりか,わたしが与える水は,その人のうちで泉となり,永遠の命に至る水が,わきあがるであろう。」11

今晩,わたしたちは神の神権を持つ者としてこの会に出席しています。この場にいる人や,他の会場に集っている人を合わせるとその数はかなりのものです。皆の出席理由が霊的な養いを得ることであるよう願っています。そして,わたしたちが神の僕しもべや預言者の語る主の御(み)言(こと)葉(ば)を求めて常に飢え渇き,毎週聖餐(せいさん)会に出席して聖約を新たにすることによって満たされるように望んでいます。

アロン神権の若い男性の皆さんは,自分の永遠の行く末を決めるのに不可欠な要素をすべて内に秘めています。まだ表面に出てきていない要素も含めて,これらを外側から強め,養っていく必要があります。それらは肉体的なものもあれば,霊的なものもあります。人は自分の永遠の旅路について,心で知る必要があります。自分がどこから来たのか,どうしてこの現世にいるのか,そして喜びと幸福を得てその行く末を全うするには,最終的にはどこに行かなければならないのだろうかという疑問に対する答えを知る必要があるのです。霊的な栄養を霊に補充すると,その効力は永遠に続き,いつまでも失われることがありません。アミュレクが教えているように,「現世を去るときにあなたがたの肉体を所有しているその同じ霊が,あの永遠の世で,あなたがたの肉体を所有する力を持つからで〔す〕。」12

兄弟たち,皆さんの献身と義にかなった思いと行いに感謝しています。皆さんが定員会や支部,ワード,ステークにおいて召しをとてもよく果たしているおかげで,教会は発展し,神のあらゆる御(み)業(わざは)世界中で前進しています。家族や周りの人に祝福を頼まれたり,祝福を施すよう割り当てを受けたりするとき,皆さんは神権を通して,主の御名(みな)により祝福することができます。この祝福は,主から託された神聖な権能を通して与えられます。主が「だれでもあなたが祝福する者をわたしは祝福」13すると約束してくださっているからです。

兄弟たち,わたしの願いは,わたしたちが交わしたすべての聖約に忠実であることです。あらゆる家族関係,とりわけ伴侶はんりょに対して,またそればかりではなく両親や子供,孫に対してもすべてをささげることができるように祈っています。この御業が真実であることを命ある限り日々証することができますように。主の僕としてへりくだり,義のうちに前進することができますように,イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。