2000–2009
堅固な土台
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堅固な土台

わたしたちは信仰の土台を強め,強い証あかしを築いて,ひるむことも,力を落とすこともなく生きることができるのです.

愛する兄弟姉妹の皆さん,ここに集っている方にも,世界中の会場に集っている方にもお願いします。わたしがこの栄えある割り当てをよく果たせるように,信仰を込めて祈ってください。

1959年,カナダのトロントに本部のあるカナダ伝道部の会長として赴任して間もないころ,わたしはN・エルドン・タナー兄弟に会いました。タナー兄弟は著名なカナダ人で,わたしと出会ってほんの数か月後に,十二使徒定員会補助に召されました。後に十二使徒定員会会員に召され,そして4人の大管長の顧問に召されました。

当時のタナー管長は,カナダ横断パイプライン社の社長であると同時に,カナダ・カルガリーステークの会長でもありました。彼はカナダで「高潔な紳士」として知られていました。初めて会ったときに,とりわけカナダの寒い冬について話しました。嵐(あらし)が吹き荒れ,氷点下の気温が何週間も続き,冷たい風のせいで,実際の気温よりも体感温度がかなり低く感じられることなどを話しました。そのような冬でも,カナダ西部の道路は,ひび割れや傷みがほとんど,あるいはまったく見られず,基本的に完全な状態に保たれています。逆に,それほど冬が厳しくない多くの地域では,道路にひび割れや傷みや穴が多く見られます。これはどうしてでしょうと,タナー管長に尋ねました。

彼はこう答えました。「それは舗装用資材の土台がどれだけ深いかによるのです。道路を堅固で完全な状態に保つには,土台の層を厚くする必要があります。土台の深さが不十分だと,道路の表面は厳しい気候に耐えられません。」

タナー管長のこの言葉について,長年にわたって度々考えました。彼のこの言葉の中に,人生に応用できる意義深い教訓が含まれているからです。つまり,もしわたしたちに信仰という深い土台と,真理に対する堅固な証がなければ,逆境というだれにも避けられない嵐が吹き荒れるときに,耐えることが非常に困難になるのです。

現世は試しの時期であり,天の御父のみもとに戻るためのふさわしさを証明する時期です。ですから試練や困難に遭うのは当然のことなのです。試しによってわたしたちの信仰は打ち砕かれ,魂にひびが入ってしまうかもしれません。それは,信仰の土台と真理に対する証がしっかりしていないからなのです。

一時的であれば,他人の信仰や証に頼ることもできるでしょう。しかし,最終的には自分自身のしっかりした土台を築かなければなりません。そうしなければ,だれの人生にも必ず訪れる嵐に耐えられないのです。人生の嵐は様々な形でやって来ます。例えば,反抗的な子供が永遠の真理の道から離れ,過ちや失望の危険な道を選んだことによって,悲しみや心痛を経験することがあるかもしれません。自分や愛する人が,病気によって苦しみや死を経験するかもしれません。事故に遭い,つらい記憶が残ったり,命を落としたりするかもしれません。老いが進むと足もとが危うくなり,死が忍び寄ります。死はしばしば,まだ人生半ばの人にも訪れ,幼い子供の笑い声を奪っていくことさえあるのです。

トンネルの先に光が見えないときも,夜明けが来ないかのように思えるときもあります。わたしたちは,絶望している人の痛み,夢に破れた人の失意,希望が打ち砕かれた人の落胆に取り囲まれています。わたしたちは声をそろえて「ギレアデに乳香はないのだろうか」(欽定訳エレミヤ8:22から和訳)という,聖文に記された嘆願を口にします。わたしたちは,自分の不幸を,悲観主義というゆがんだレンズを通して見る傾向があります。そして,見捨てられた,もう希望がない,孤独だと感じるのです。

こうした人生の浮き沈みに耐えられる堅固な土台を築くにはどうすればよいのでしょうか。忠実な人に約束された喜びを味わうために,その前提条件である信仰と証を維持するにはどうしたらよいのでしょうか。一歩ずつ地道に努力することが必要です。涙が出るほど御霊(みたま)を強く感じ,これから先ずっと忠実であり続けようと決心したことのある人は多いと思います。このように言った人がいました。「このような気持ちを維持できさえすれば,義務を果たすことはとても簡単になるでしょうね。」しかし,そのような気持ちは移ろいやすいものです。このような大会で感じる御霊は,月曜日が来て,仕事や学校,家事や子育てなどの日常の雑務に追われるようになると,次第に薄れてしまうかもちの思いは,わたしたちが許してしまえば,神聖なものから世俗的なものへ,霊性を高めるものから,霊的な土台や証をむしばむものへと,流されて行くのです。

確かに,この世界には霊的でないものがたくさんあります。それでも,わたしたちは信仰の土台を強め,強い証を築いて,ひるむことも,力を落とすこともなく生きることができるのです。この世で霊的に生き延びるために必要な土台をしっかり築き,維持するにはどうすればよいのでしょうか。

3つの役立つ指針を教えましょう。

1.祈りを通して土台を固める。「祈りは魂の見えぬ望み 述べても述べずも,胸に燃ゆる」(「祈りは魂の」『賛美歌』83番)

祈るときには,天のお父様とほんとうに話しましょう。ほとんど何も考えずに,同じ言葉を繰り返すという習慣は簡単に身に付いてしまいます。皆,文字どおり,神の霊の息子,娘であることを思い出せば,祈りを通して御父に近づくのは難しいことではないでしょう。神はわたしたちを知り,愛し,わたしたちの幸福を望んでおられます。心から,意味のある祈りをささげましょう。感謝をささげ,必要なものを求めてください。御父の答えを求めて耳を傾けましょう。そうすれば答えが与えられたときに気づくことができます。そうするうちに,わたしたちは強められ,祝福を受けるのです。わたしたちは,御父を知り,御父の御心(みこころ)を知るようになります。そして,御父を知るようになり,御父の御心を信頼するようになると,信仰の土台が強められるのです。もしもわたしたちの中に,常に祈りなさいという勧告に熱心に従ってこなかった人がいるならば,今こそ従うときです。ウィリアム・クーパーは言いました。「最も弱い聖徒がひざまずいて祈るとき,サタンは,ふるえおののく。」(ウィリアム・ニール編,Concise Dictionary of Religious Quotations に収録〔1974年〕,144)

家族の祈りを怠らないようにしましょう。家族で祈ると,効果的に罪を予防できます。ですから,家族で祈ると喜びと幸福で満たされるのです。「ともに祈る家族は,ともにいる」という昔ながらのことわざは真実です。親であるわたしたちが祈りの模範を示すならば,子供にとって生涯必要な自分自身の信仰と証という堅固な土台を築くのを助けてあげることになるのです。

2.聖文を研究する。ヨシュア記の中で主が勧告しておられるように,「昼も夜もそれを思」うようにしてください(ヨシュア1: 8)。

2005年,ゴードン・B・ヒンクレー大管長から出された,「年内にモルモン書を読む」という招きに何十万人もの末日聖徒が応じました。恐らく2005年12月は,このチャレンジを期限までに達成しようとする人々により,モルモン書を読む最長時間記録が打ち立てられたのではないでしょうか。課題を成し遂げたわたしたちは祝福を受けました。証が強まり,知識が増しました。引き続き,聖文を読み,研究してください。そうすれば,聖文を理解し,その中にある教えを生活の中で応用できるようになります。詩人ジェームズ・フィニー・バクスターの言葉を要約するとこうなります。

何度学んでも悟らない人は,

何度耕しても種をまかない人のようだ。

(“The Baxter Collection,” バクスター記念図書館,メーン州ゴーラム)

聖文の研究に日々時間を費やせば,間違(いなく),信仰の土台が堅固になり,真理に対する証が強められます。

アルマは,ギデオンの地から南方のマンタイの地へ向かって旅をしていたときにモーサヤの息子たちと再会して,大いに喜びました。アルマは久しぶりに会った彼らが「なおも主にあって兄弟であったので,その喜びはいっそう深かった。さらに,彼らは正しい理解力を備えた人々であり,また神の言葉を知るために聖文を熱心に調べてきたので,すでに真理を深く知るようになっていた。」(アルマ17:1,2参照)

わたしたちが神の御言葉(みことば)を知り,それに従って生活できますように。

信仰と証の堅固な土台を築くための3つ目の指針は,奉仕です。

ある朝,車で事務所に向かう途中,クリーニング屋の窓に次のような看板がかかっているのに気づきました。「価値ある奉仕をご提供します。」その言葉がわたしの頭から離れませんでした。突然,その訳が分かりました。実際のところ価値ある奉仕とは,まさに主の奉仕なのです。

モルモン書には高潔なベニヤミン王について記されています。ベニヤミン王は,霊感あふれる指導者で,真にへりくだり,民に仕え,民を義の道へ導くのが自分の願いであると述べました。

「わたしは自分の生涯をあなたがたのための務めに費やしてきたと言ったが,それは自慢したくて言ったのではない。わたしは神のために務めてきたにすぎないからである。

そして見よ,わたしがこれらのことを語るのは,あなたがたに知恵を得させるためである。すなわち,あなたがたが同胞はらからのために務めるのは,とりもなおさず,あなたがたの神のために務めるのであるということを悟らせるためである。」(モーサヤ2:16-17)

これが,価値ある奉仕です。わたしたち全員が召されている奉仕,すなわち,主イエス・キリストの奉仕です。

皆さんの人生の旅路で,同じように旅をしている人に目を留めてください。皆さんの助けを必要としている人々がいます。皆さんの確信,助け,励まし,霊感を必要としている人がいます。皆さんが救うべき人がいるのです。

13年前,わたしはジェイミー・パーマーという美しい12歳の少女に祝福を授ける機会がありました。彼女は癌がんに冒され,おびえ,戸惑っていました。やがて手術を受け,痛みの伴う化学療法を受けました。今では,癌を克服し,聡明そうめいで美しい26歳の女性となっています。彼女は多くのことを成し遂げてきました。だいぶ前に聞いたことですが,彼女は未来が恐ろしく思えた最もつらい時期に,癌に冒された足を治療するために,手術を何度も受けなければならないことを知らされました。彼女が所属する若い女性は,ユタ州ソルトレーク・シティーの南方約65キロのワサッチ山脈にあるティンバノゴス洞窟(どうくつ)へのハイキングを前々から計画していました。でもジェイミーにとって,それに参加することなど論外でした。ジェイミーは友達に,自分を置いてハイキングに行くように言いました。そうは言っても,心の中では落ち込んでいただろうと思います。しかし若い女性の仲間たちは言いました。「だめよ,ジェイミー。あなたも一緒に行くのよ。」

「でも,わたしは歩けないのよ。」悲痛な返事が返って来ました。

「じゃあ,わたしたちが頂上まで抱えて行ってあげるわ。」そしてその若い女性たちは,その言葉どおりにしたのです。

その出来事には,一つの思い出以上の意味があります。スコットランドの詩人,

ジェームズ・バリーはこう宣言しました。

「神が人に記憶を与えられたのは,人生の12月に,6月のバラを思い出せるようにするためである。」(ジェームズ・バリー,ローレンス・J・ピーター編,Peter’s Quotations:Ideas for Our Time〔1977年〕,335に収録された言葉の言い換え)そのすばらしい若い女性たちは,あの日を決して忘れないでしょう。あの日,愛にあふれた天の御父は,彼女たちを見て,ほほえみながらうなずき,喜んでおられたはずです。

主はわたしたちを御自身の業に召され,主に近づくよう招いておられます。わたしたちは主の御霊を生活の中で感じることができるのです。

生活に堅固な土台を築くうえで,主の尊い約束を心に留めておきましょう。恐るな,われは汝なが神

常に汝なんじと共にあり

助け与え,強くして

わが正しき力をもて 汝れを支え,

励まさん

(「主のみ言葉は」『賛美歌』46番)

わたしたち一人一人がこの祝福にふさわしくなれますよう,救い主イエス・キリストの御名(みな)によりへりくだり祈ります,アーメン。