2000–2009
神権定員会
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神権定員会

定員会の強さは,会員が義においてどれだけ完全に一致しているかということに大いにかかわっているのです。

このすばらしい神権部会に皆さんとともに出席できることに感謝しています。わたしたちは皆神権定員会の会員です。驚くべきことではないと思えるかもしれませんが,わたしにとっては大きなことです。わたしは小さな支部でアロン神権の執事に聖任されました。支部には一家族しかいませんでした。教会堂がなく,自宅で集会を開いていました。わたしが唯一の執事で,兄が唯一の教師でした。

ですから,定員会で一緒に働く人がいなくて,一人で神権を行使するというのがどういうことなのか,わたしには分かります。わたしは小さな支部で定員会がなくても満足していました。自分が得ていない機会について知るすべがなかったからです。それからわたしたち家族は大陸の反対側に引っ越しました。多くの神権者と堅固な定員会のそろった地域です。

長年かけて学んだことは,定員会の強さはその人数から得られるものではないということです。会員の年齢や成熟度から自動的に得られるものでもありません。むしろ定員会の強さは,会員が義においてどれだけ完全に一致しているかということに大いにかかわっているのです。堅固な神権定員会の一致は,わたしが陸上競技のチームやクラブ,世のいかなる組織で経験したものとも異なります。

モーサヤ書に記されたアルマの言葉は,わたしが非常に堅固な神権定員会で感じた一致を最もよく表しています。

「また彼は祭司たちに,決して互いに争うことなく,互いに和合し,愛し合って結ばれた心を持ち,一つの信仰と一つのバプテスマをもって,一つの目で将来を見詰めるようにと指示した。」1

アルマは,このような一致に到達するためには,御自分の民を贖あがなわれた主を信じる信仰と悔い改めだけを説くべきであると教えています。2

アルマが教えたように,そして多くの一致した神権定員会においてわたしがこれまで見てきたように,会員の心はイエス・リストの贖いを通して変わっていきます。そのような変化を通して彼らの心は互いに結ばれていくのです。

皆さんは,主が定員会会長に,主の方法で導くよう命じておられる理由がお分かりでしょう。主は教義と聖約第107章で,各定員会の会長の義務をほぼ同じ言葉で言い表しておられます。執事定員会の会長は,定員会会員の義務を「聖約に従って与えられているとおりに」3教えなければなりません。教師定員会の会長は,定員会の会員にその義務を「聖約の中で与えられているとおりに」4教えなければなりません。祭司定員会の会長,つまりビショップは,「聖約の中で与えられるとおりに,四十八人の祭司を管理し,彼らとともに評議会の席に着き,彼らにその職の義務を教える」5よう命じられています。

長老定員会の会長は次のように命じられています。

「さらに,長老の職を管理する会長の義務は,聖約に従って,九十六人の長老を管理し,彼らとともに評議会の席に着き,彼らを教えることである。」6

各定員会が「聖約に従って」教えられるよう神が望んでおられる理由は,簡単に理解できます。聖約は神聖な約束です。天の御父はわたしたちが聖約を交わし,守るならば,皆永遠の命を受けると約束されました。例えば,わたしたちは神権を受けるときに,神の業において忠実に神に仕えるという聖約を交わします。バプテスマを受け,神の教会に入るときには,イエス・キリストへの信仰を持ち,悔い改め,神の戒めを守ると約束します。どの聖約にもイエス・キリストへの信仰と戒めへの従順が要求されており,それによって赦ゆるしと心の清めを受ける資格が得られるのです。この赦しと心の清めを受けることこそが,神のあらゆる賜物たまもののうち最高の賜物である永遠の命を受け継ぐために必要なことなのです。

「定員会でのレッスンでは毎回,信仰と悔い改めだけを教えなくてはならないのでしょうか」と思う人もいるでしょう。もちろん,そうではありません。しかし教師と参加する人は常に,主の御み霊たまが同じ部屋にいる会員の心に注ぎ込まれ,それによって皆の心が清められ,信仰と悔い改めへの決心が生じるように望まなくてはなりません。

その望みは定員会が集う部屋の外にまで及ばなくてはなりません。心から一致している定員会では,その望みはどこにいる会員にも向けられるのです。

数年前,ある執事定員会でそのような状況を目の当たりにしました。わたしはその__定員会を教えるように召されていました。執事の何人かは定員会に来ないことが時々ありました。どの定員会にも言えることですが,その執事定員会を教えることは,鍵かぎを持つ会長の管轄事項でした。会長は定員会の全会員とともに評議会の席に着くよう求められています。ですから,教師であったわたしは,神から責任を受けている定員会会長のアドバイスを求めるために,「何を教えたらいいでしょうか。何を達成するよう努めるべきですか」と,よく尋ねていました。

神は彼にその定員会の会員を教える責任をお与えになりました。わたしが彼のアドバイスに従おうとしたのは,そのことを知っていたからです。ある日曜日,わたしは,神がこの若い定員会会長の責任を尊んでおられることを知りました。わたしは執事たちを教えていて,席が一つ空いているのに目が止まりました。いすの上にはテープレコーダーが置かれていて,レッスンの様子が録音されていました。クラスの後,空席の隣の少年がレコーダーを手に取り,部屋を出ようとしました。わたしは彼に,どうしてレッスンを録音していたのかと尋ねました。彼は,ほほえみながら,「友達の執事が,今日きょうは定員会に来られないと言っていたので,レコーダーを家に持って行って,後でレッスンを聞いてもらうんです」と言いました。

わたしは,若い定員会会長に定員会に関する責任が与えられていることを信じていました。すると,天からの助けがありました。御霊が部屋にいた会員たちの心に触れました。そして御霊が彼らの一人を友人のもとへ送り,その友人の信仰を強め,悔い改めに導こうとしたのです。レコーダーを持ったその執事は,聖約に従って学び,定員会の中の友人であり仲間である会員を助けるために手を差し伸べました。神権定員会会員はクラスでのレッスンだけでなく,様々な方法で教えを受けます。定員会は奉仕の組織であり,会員は奉仕を通して学びます。定員会では,会員が一人だけで行うよりはるかに大きな奉仕を行うことができます。そして,単に人数分の力を合わせた以上の力が発揮されます。各定員会には権能と責任を持つ指導者がいて,神権の奉仕を指揮します。定員会が災害時に支援を行うよう要請されたときに,その力が発揮されるのを何度も目にしてきました。また教会が効率よく支援体制を整えるのを見て,教会外の人々が驚き,称賛している場面にも何度も居合わせました。教会外の人々にとっては驚異的なことのようです。そのような驚異的な力が生じるのは,神権者のあらゆる奉仕活動において,指導者と会員が,世界中の神権定員会の奉仕を指揮する人々の権能を尊んでいる証あかしです。

驚異的な力は定員会が人々に奉仕するときに生まれます。そのような力は神権者が定員会の会員に奉仕を行うときにも同様に生まれます。ある執事定員会会長は日曜日の早朝,定員会の集会前に顧問や定員会書記とともに集まりました。彼は評議会を開き,祈りを込めて深く考え,ある執事に一つの召しを与えるという霊感を受けました。それは,定員会の集会にこれまで一度も出席したことのない一人の執事を次回の定員会に招待するという召しでした。一度も出席したことのないその執事の父親は教会員ではなく,母親も教会に対してほとんど関心がないという事情を,会長は承知していました。

指名された執事は,その少年と連絡を取るようにという会長からの召しを受け入れ,彼を訪問しました。わたしは彼が訪問する様子を見ていました。彼は,それがとても難しい仕事であるかのように,少しためらいがちに訪問しました。彼が定員会に一緒に行こうと誘った少年はしばらくして引っ越して行きました。しかし,引っ越す前にわずか数回ではありますが教会に来てくれました。多くの歳月が流れ,わたしはその執事定員会の会員たちの集っていた場所から何千キロも離れた土地のステーク大会に出席しました。集会の合間に,面識のない男性がわたしのところに来て,ある人を知っているかどうか尋ねました。名前を聞くと,それは執事定員会会長から,失われた1匹の羊のところに行って世話するよう召された,あの少年の名前でした。男性はこう言いました。「その人にわたしが感謝していると伝えてくれませんか。わたしは,何年も前に執事定員会に招待してもらった少年の祖父です。彼はもう大人になっていますが,教会に一緒に行こうと誘ってくれた執事の話を今でもよくしています。」

彼の目にもわたしの目にも涙が浮かびました。年若い定員会会長が,定員会の失われた会員に手を差し伸べるよう霊感を受けたのです。彼は一人の少年を奉仕の業に送り出すよう霊感を受けました。その会長は主がされるであろうことを行いました。そしてその過程でこの若い会長は,神権者になったばかりの少年が聖約に従い,奉仕をするという義務を果たせるよう,訓練していたのです。彼らの心は結ばれ,20年以上たっても,何千キロ離れていても,つながっていました。定員会の一致は主の奉仕の中で,主の方法で築かれるときに,絶えることなく続いていくのです。

堅固な定員会の顕著な特徴の一つは,会員同士の友愛の情です。彼らは互いを思いやり,助け合います。定員会会長たちがその友好関係をよく築くことができるのは,彼らが定員会の一致に対する主の目的を心に留めているときです。もちろんそれは,彼らが互いに助け合うためですが,それ以上のはるかに大切な目的があります。それは彼らが,御父の子らに永遠の命をもたらす主の業にあって,主とと__もに義にかなって働けるよう,互いに高め合い,励まし合うためなのです。

それが理解できると,定員会内で友好関係を築く方法が変わります。例えば,教師定員会でバスケットボールをする方法が変わるかもしれません。会員たちはゲームに勝つこと以上に友好関係を築こうと望むようになるでしょう。あまり上手ではないために,いつも取り残されてしまう少年を招待することもできます。もしその少年が招待を受け入れて,来てくれたら,定員会の会員たちは相手チームにマークされていない少年,特に,シュートを決められそうもないその少年を探して,もう少しボールをパスするようになるでしょう。20年後,彼らはその晩のゲームに勝ったかどうかは覚えていないかもしれませんが,どのようにプレーしたか,そしてどうしてそうしたのか,さらには自分たちがどなたのチームの一員となっていたのかはずっと覚えていることでしょう。「もしもあなたがたが一つでなければ,あなたがたはわたしのものではない」7と語られたのは主でした。

主が友好関係を持つよう願っておられる理由が理解できれば,長老定員会のパーティーの計画の仕方も変わることでしょう。わたしはあるパーティーに参加したのですが,そのパーティーを計画したのは改宗者でした。福音を見いだしたのは,彼にとって最もすばらしいことでした。ですから彼は教会員ではない近所の人や友人をパーティーに招いたのです。わたしは教会がわたしたちにとってどういうものであるか彼らと親しく語り合いました。そのときの友愛の情を,今でも覚えています。主は地上で務めを果たしておられたとき,次のように言って,弟子たちを最初の十二使徒定員会に招かれました。「わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう。」8その晩,わたしは主とその弟子たちの友愛の輪の中に入り,主が望んでおられるような人になれたような気がしました。

わたしは自分がアロン神権者だったころの神権指導者からも,同じような友愛の情を感じることができました。彼はいつまでも続く友好関係の築き方を知っていました。その神権指導者は,わたしたちがある午後,木を切り,束ねてもよいように植林地の所有者から許可を得てくれました。その薪まきは夫に先立たれた女性たちが寒い冬に暖を取れるようにするためのものでした。その日,神権指導者たちと過ごして感じた友愛の情の温かさを今でも覚えています。しかしそれ以上に覚えているのは,救い主が望んでおられることをすることができたという気持ちです。ですから,主に対する友愛の情も感じることができました。わたしたちはそのかけがえのない友好関係を現世の定員会でも築くことができ,聖約に従って生活するかぎり,栄光のうちに,家族の中で永遠に持ち続けることができるのです。

わたしは皆さんが,神権定員会で一致して一つとなるようにという主の招きを受け入れるよう祈っています。主はそのようにしてこられました。そして主は,主の助けがあれば良い定員会をさらにすばらしい定員会とすることができると約束されました。主はわたしたちにそうなるよう願っておられます。そして主は,聖約に従って,天の御父の子らを祝福するために,より堅固な定員会を必要とされています。わたしはそう信じていますし,主がそうしてくださるという信仰を持っています。わたしは天の御父が生きておられることを知っています。御子イエス・キリストはわたしたちの罪とわたしたちが今後出会うすべての人の罪を贖ってくださったことを知っています。主は復活され,生きておられます。そして御自身の教会を導いておられます。神権の鍵を持っておられます。教会の鍵を持つ人への霊感を通して,主はあらゆる定員会のあらゆる会長を召しておられます。神権がそのすべての鍵とともにジョセフ・スミスに回復されたことを証します。そしてそれらの鍵は今日こんにちまでに,全地上の神権の長である,末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長に受け継がれてきていることを厳粛に証します。

イエス・キリストの聖なる御名(みな)により証します,アーメン。