2000–2009
山を動かす信仰
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山を動かす信仰

わたしたちが最も必要としているのは,さらなる信仰です。信仰がなければ,御業(みわざ)は止まってしまいます。信仰があれば,だれもその進歩を止めることはできません。

兄弟姉妹の皆さん,まず個人的な話をさせてください。教教会の大管長は教会全体のものです。その命は自分のものではありません。大管長の使命は仕えることです。

皆さんも御存じのとおり,わたしも大分年をとってきました。6月に96歳の誕生日を迎えました。わたしの健康のことで,たくさんの憶測が飛び交っていることを知りました。きちんと話させてください。あと数か月長く生きることができれば,わたしはこれまでのどの大管長より長生きしたことになります。高慢な気持ちで言っているのではありません。感謝しているのです。今年の1月,わたしは大きな手術を受けました。今まで病院にかかることがなかったわたしにとっては,憂鬱(ゆううつ)な経験でした。手術後,さらに治療を受けるべきか考えました。わたしは受けることを選択しました。医師たちによると,その結果は奇跡的だったようです。皆さんが祈ってくれたおかげで,良い結果が得られたのだと知っています。心から感謝しています。

主はわたしが生き長らえるのをお許しになられました。あとどれくらい生きられるかは分かりません。しかし,それがどれくらいであっても,わたしは最善を尽くして自分の任務を果たし続けます。この大規模で複雑な教会を管理するのは容易なことではありません。けれども,大管長会が見過ごすものは何もありません。大管長会の承認なしで大きな決定がされたり,資金が使われたりすることはありません。それだけに,責任もストレスも大きいのです。

しかし主がお望みになるかぎり,わたしたちは前進して行きます。4月にも話したように,わたしたちは主の御手(みて)の内にあり,主の御心(みこころ)はわたしたちの思いです。わたしは元気ですし,わたしの健康状態は比較的良好です。しかし,もし後継者の時が来るなら,引き継ぎは円滑に,そしてこの教会の頭(かしら)である主の御心のままに進められるでしょう。ですから,わたしたちは信仰をもって進みます。そのことについて,今朝皆さんにお話しします。

この教会はその初期から,信仰をもって前進して来ました。信仰は預言者ジョセフの強さでした。

森で祈るようジョセフを駆り立てた信仰に感謝しています。またジョセフの信仰によって,モルモン書が翻訳され,出版され__たことに感謝しています。またジョセフが祈った結果,主の答えとしてアロン神権とメルキゼデク神権が授けられたことに感謝しています。ジョセフが信仰によって教会を組織し,正しい方向へ導いてくれたことに感謝しています。そして,この真理の御業(みわざ)に対する証(あかし)として命をささげたジョセフに感謝しています。

信仰はブリガム・ヤングを動かす力でもありました。わたしは,非常に多くの聖徒をソルトレーク盆地に定住させたブリガム・ヤングの信仰についてよく考えます。彼はこの地域について,ほとんど知りませんでした。示現でしか見たことがなかったのです。恐らく,当時のわずかな情報を基に調査を行ったことでしょうが,土壌や水質,気候については,ほとんど何も分かりませんでした。それでも最初に見たとき,ブリガムはためらうことなく「まさにこの地です,さあ,行きましょう」と言いました(B・H・ロバーツ,A Comprehensive Historyof The the Church,第3巻,224)。

教会の大管長も,皆信仰がありました。ひどい逆境の中でも,彼らは信仰をもって前進しました。作物を食い荒らすバッタや干ばつ,遅霜(おそじも)に遭ったときも同じでした。連邦政府からの迫害に対しても同じでした。さらに近年では,各地での津波,地震,洪水の被災者に対して緊急に人道支援を行う必要があったときも,いつも同じでした。福祉倉庫の物資を供給してきたのも,教会内外の困窮者に向けて多額の義援金を送付できたのも,すべて信仰があったからです。

今年は,皆さんも知っているとおり,教会歴史において記念すべき年です。ウィリー手車隊とマーティン手車隊,そして彼らとともに旅したハント荷車隊とホジェット荷車隊が到着してから150年がたったのです。

彼らについては多くが記されているため,詳しく語る必要はないでしょう。皆さんはよく知っていると思います。少しだけ申し上げるなら,信仰をもって,イギリスからグレート・ソルトレーク盆地への長い旅を始めた人々の話です。彼らは,前途に何が待ち受けているか,ほとんど知りませんでした。それでも前進したのです。彼らは大きな期待を胸に旅を始めました。しかし,その期待は西部に近づくにつれ,裏切られていきました。プラット川沿いの単調な旅路から,スウィートウォーター盆地へと進むにつれ,多くの人が亡くなっていきました。食糧の配給は制限され,牛は死に,手車は壊れました。満足な寝具も衣服もなく,嵐(あらし)が猛威を振るいました。避難できる場所を探しましたが,見当たりませんでした。嵐が彼らを打ちのめしました。彼らは文字どおり餓死寸前でした。多数の死者が出て,凍りついた地面に埋葬されました。

そのとき幸いにも,イギリスから戻って来たフランクリン・D・リチャーズが通りかかりました。リチャーズ兄弟は馬に乗り,荷物が少なかったため,ずっと速く旅することができ,先に盆地に到着しました。ちょうどこの季節のことです。総大会が行われていました。知らせを聞いたブリガム・ヤングは,すぐさま会衆の前に立ち,こう言いました。

「わたしは,これから大会で話をする長老たちに代わって,教会員に申し上げたいことがあります。1856年10月5日の今日(きょう)この時に,大勢の兄弟姉妹が,平原を手車でこちらに向かっています。ほとんどの人は,ここから1,100キロほど離れた所にいます。彼らをここへ連れて来なければなりません。援助を送る必要があります。わたしが申し上げたいのは,彼らをここへ連れて来てほしいということです。話をする予定だった兄弟たちに申し上げます。平原に取り残されている人々がいます。このコミュニティーに今日(きょう)求められていることは,冬が訪れる前に,彼らをここへ連れて来るということです。… …

わたしは,ビショップの皆さんに心からお願いします。明日やその翌日まで待つつもりはありません。60組の元気なラバと12台から15台の荷車が必要です。牛は要りません。必要なのは元気な馬とラバです。この準州内にいる元気な馬とラバを,ぜひ集めなければなりません。また,12トンの小麦粉と,良い御者を40人そろえる必要があります。……手綱のついた,60組から65組のラバか馬が必要なのです。… …

皆さんに申し上げます。わたしが今話しているような原則を実行に移さないかぎり,皆さんの中で,その信仰,宗教,信仰の告白によって神の日の栄えの王国に救われる人はだれもいないでしょう。行って,今平原にいる人々を連れて来てください。そして俗事とも思われるこれらの事柄に厳密に従ってください。そうしなければ,信仰は無に帰するでしょう。これまで聞いてきた教えもむなしいものとなるでしょう。わたしたちがお願いするこれらのことを行わないかぎり,皆さんは救われないでしょう。」(Deseret News,1856年10月15日,252)

直ちに馬とラバと丈夫な荷車が差し出されました。大量の小麦粉も提供されました。暖かい衣服と寝具もすぐに用意されました。翌日か翌々日には,荷物を積んだ荷車が雪の中を,東へと向かっていたのです。

窮地に立つ聖徒たちのもとに到着したとき,救助隊は天からの使者のようでした。人々は感謝の涙を流しました。手車隊の人々は急いでソルトレークの入植地に行けるよう,荷車に移されました。

200人以上が亡くなりましたが,1,000人が助かりました。

大平原で悲惨な状況の中にいた一人に,妻の曾祖母がいました。曾祖母はハント荷車隊の一員でした。

現在,ソルトレーク・シティー墓地にある妻の墓は,曾祖母であるメアリー・ペンフォールド・ゴーブルの墓を見下ろせる場所にあります。彼女は1856年12月11日,この盆地に入ったときに,娘の腕の中で亡くなり,翌日に埋葬されました。曾祖母はその長い旅路で娘を3人亡くしました。生き残った娘の足はひどい凍傷にかかっていました。

何ということでしょう。苦しみと飢えと寒さと死に満ちた話です。彼らは凍りかけた川を渡り,荒れ狂う吹雪の中,どこまでも続くロッキー山脈を登り続けました。この記念の年が過ぎると,この話の多くが忘れ去られてしまうかもしれません。しかし,このような話が繰り返し語り継がれ,これからの世代に先祖たちの苦しみと信仰を思い起こさせるものとなるよう願っています。彼らの信仰はわたしたちの受け継ぎです。それは,わたしたちが今日(こんにち)得ている快適な暮らしのために,彼らが払った代価を思い起こさせるものです。

しかし信仰は,手車隊の開拓者の旅のような,偉大で英雄的な出来事の中にだけ示されるものではありません。小さくても意義深い出来事の中にも示されます。

そのような出来事を一つ話しましょう。

約120年前,ユタ州マンタイ神殿が建設中だったころ,ジョージ・パクスマンは仕上げ大工として働いていました。彼と若い妻マーサには子供が一人いて,二人目が生まれるところでした。

神殿東側の重い扉の一枚を取り付けるとき,ジョージは絞扼性(こうやくせい)ヘルニアになってしまいました。強い痛みが走りました。マーサは彼を荷車に横たわらせ,ニーファイという町に連れて行き,そこから汽車に乗せて,プロボへ向かいました。しかし,ジョージはそこで亡くなりました。それからの62年間,彼女は再婚の申し出を断って,裁縫の仕事をしながら独りで子供たちを養いました。

話からそれますが,わたしは妻と婚約したとき,彼女に指輪を贈りました。結婚したときは,結婚指輪を贈りました。彼女は二つの指輪を何年も身に着けていました。ところがある日,妻は二つの指輪を外して,この小さな金の結婚指輪をしていました。それは妻の祖母の物でした。夫のジョージから贈られたものです。夫が唯一残してくれたものでした。ある春の日に,マーサは家を掃除していました。家中を掃除するために,家具をすべて外に出していました。マットレスに付いたわらを振り払っていたとき,マーサは下を向いたはずみに指輪を落としてしまいました。注意深くあらゆる所を探しました。それは愛する夫の唯一の形見だったのです。わらをかき分けて探しましたが,指輪は見つかりませんでした。涙がこぼれてきました。ひざまずき,指輪が見つかるよう助けてください,と主に祈りました。すると目を開け,下を向いたときに,そこに指輪があったのです。

今わたしはその指輪を持っています。皆さんには小さすぎて見えないかもしれません。18金でできた,古く,傷つき,曲がった指輪です。しかし,これは窮地の中,主に懇願した女性の信仰を表しているのです。このような信仰は活発であり続けるための支えとなります。希望や信頼の源となります。わたしたちには,このような素朴な信仰が大いに必要なのです。

この偉大な大義を推し進めるに当たり,わたしたちが最も必要としているのは,さらなる信仰です。信仰がなければ,御業は止まってしまいます。信仰があれば,だれもその進歩を止めることはできません。

救い主はこうおっしゃいました。「もし,からし種一粒ほどの信仰があるなら,この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば,移るであろう。」(マタイ17:20)

アルマは息子ヒラマンにこう宣言しました。「悔い改めと主イエス・キリストを信じる信仰についてこの民に宣(の)べ伝えなさい。謙遜(けんそん)になるように,また柔和で心のへりくだった者になるように教えなさい。主イエス・キリストを信じる信仰をもって,悪魔のあらゆる誘惑に立ち向かうように教えなさい。」(アルマ37:33)

わたしたちが携わる偉大な大義において,主が信仰を与えてくださいますように。信仰がろうそくの光のように闇夜(やみよ)を照らし,昼の雲のように,わたしたちを導いてくれますように。

このことを,わたしたちの信仰の源である,主イエス・キリストの聖なる御名(みな)により,へりくだり祈ります,アーメン。