2000–2009
贖いは、平安と幸福を確固としたものとする
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贖(あがな)いは,平安と幸福を確固としたものとする

最も大きな困難を乗り越える強さと勇気,能力を備え,真に不朽の幸福を得るには,イエス・キリストを生活の中心に据える必要があります。

天の御父は,わたしたちがこの死すべき世で平安と幸福を見いだすことを望んでおられます。争いや目をくらませるような誘惑が増加す

る,いっそう難しい世の中で,主イエス・キリストと預言者たちは,どうすれば平安と幸福を得られるかを教えてきました。

平安と幸福を得る方法をロッククライミングにたとえて,まずは間違ったやり方を,続いて正しい方法を紹介します。クライマーの中には,難度の高い岩の絶壁に「単独登はん」と呼ばれる方法で挑む人がいます。その場合,装備や仲間,保護具など一切無しで,個人の技術と能力を頼りにして,たった独りで登頂します。彼らは自らを危険にさらして,恐怖を楽しんでいます。落下して重症を負ったり,命を落としたりする可能性がありながらも,危険に身をさらすのです。彼らは,神の戒めに従い,御(み) 霊(たま)の導きを得るという防衛手段なしに人生の困難や誘惑に向かって行く多くの人に似てます。今日(こんにち)の困難な世の中において,彼らはほぼ確実に重大な律法を犯し,悲痛と破滅という結果を招くことになるでしょう。人生の「単独登はん」は禁物です。ほぼ間違いなく罪を犯すことになるでしょう。

ロッククライミングには,もっと安全な方法があります。クライマーがペアで困難な斜面に臨むとき,導き手である「リード」は間隔をおいて断崖にアンカーを打ち込み,ロープをカラビナ(訳注――連結に使う登山用金具)でアンカーにつなぎます。そして,安定した位置にいる「セカンド」と呼ばれるパートナーが安全を確認します。セカンドがロープを固定し,ロープの繰り出し方を慎重に制御することでリードの安全が確保されます。このようにして,リードが登はんするときの安全が確保されるのです。万が一,足を踏み外したとしても,アンカーによって安全な範囲に落下することができます。セカンドはリードの安全を確保するだけではなく,掛け声や合図で励ましを与えます。彼らの目標は,大きなチャレンジを安全に,かつ楽しみながら乗り越えることです。彼らは何度も試された,実績のあるテクニックや装置を用います。不可欠な装備として,いろいろなものが挙げられます。安全なハーネス,信頼性の高いロープ,断崖の表面に固定する種々のアンカー,グリップ力を高めるための滑り止め,リードが切り立った斜面をしっかりととらえることのできるブーツや特殊な靴などです。

クライマーのペアは,ロッククライミングのルールとテクニックを前もって研究します。経験豊富なクライマーからの指示に耳を傾け,適切な動きと装備の使い方がしっくり来るまで訓練を重ねます。ルートを計画し,どのように助け合うのかを決めます。リードが高い所まで登り,安全が確保されたポイントを見つけると,ロープを巻き取りながら固定します。セカンドはピッチ,つまり伸ばされたロープの間隔を登って行きます。リードに追いつくと,また同じ手順を繰り返します。一人が登りながら,不慮の落下に備えて数フィートごとにアンカーを打ち込んでいる間,もう一人がロープを固定します。テクニックを多用するロッククライミングはリスクが高く,危険なように見えますが,これらの予防策と,的確な原則を守ることで,安全で爽快(そうかい)な経験をすることができます。

実生活に当てはめると,アンカーは,直面するあらゆる困難から人々を保護する神の戒めです。ロープとそれをアンカーに固定するカラビナは,これらの戒めへの従順を象徴しています。神の戒めを学ぶとき,それらを実行して,危険を避けるための計画を立ててください。そうすれば,サタンの誘惑を確実に防御でき,罪から身を守るしっかりとした人格を身に付けることでしょう。もし間違った行動を取ってしまっても,その結果は長く続かないでしょう。悔い改めを通して得られる歯止めや助けがあるからです。

救い主を人生のリードとしてください。

主はおっしゃいました。「わたしは……天の岩である。だれでも門を入り,わたしにって登る者は,決して落ちることがない。」1皆さんの人生において最も困難な試練を切り抜けられるよう,贖い主は安全に導いてくださいます。主の律法は,人を確実に守るアンカーであり,危険な世の中に生きている皆さんから恐れを払拭(ふっしょく)し,成功へと導いてくれます。そのような生活は,必ずや皆さんに平安と幸福をもたらしてくれるでしょう。

大きな困難を乗り越える強さと勇気,能力を備え,真に不朽の幸福を得るにはイエス・キリストを生活の中心に据える必要があります。主の教えに従うならば,人生の旅路で頂上を目指して安全に登ることができます。それには努力が必要です。すぐに目に見える結果が得られる保証はありませんが,主がふさわしいとお感じになるときに答えが与えられ,平安が広がり,幸福を手にできると約束されています。

皆さんが遭遇する試練や成長の機会は,平安と幸福がとめどなくあふれる人生の一時的な出来事でしかありません。悲嘆,心痛,落胆は人生の一こまでしかなく,人生はそれだけで成り立っているのではありません。このような出来事に伴う苦しみを軽んじているわけではありません。重要なことを学ばなければならないときには,試練が長く続くこともあります。しかし,それを皆さんのあらゆる行動の足かせとしてはなりません。皆さんの人生には,驚くほどの報いが約束されています。神の律法を正しく理解することで,人生の難局を乗り越え,克服するという栄光に満ちた目的が生活の中に生まれるのです。このような考え方は,試練を本来あるべき位置にとどめます。つまり試練は,さらなる成長と達成のための踏み石となるのです。

主は,皆さんが成長し,進歩することを願っておられます。望むと望まざるとにかかわらず,あらゆる成長の機会で主の導きを積極的に求めるとき,皆さんは著しく成長できます。主を信頼し,御霊の導きにより,主の御み心(こころ)を知ることができるよう願い求め,答えを進んで受け入れてください。そうすれば,地上での経験を通して,最高の幸福と,偉業の極みを味わうにふさわしくなるでしょう。

平安と幸福は,義にかなった生活がもたらす貴重な実りです。これは,イエス・キリストの贖いを通して初めて得られるものです。このことについて話しましょう。

わたしたちはだれもが人生で間違いを犯します。それは永遠の律法を破ることにつながります。正義は,御父の幸福の計画の一部であって,秩序を維持するものです。これは,ロッククライマーが常に向き合う重力と同じです。永遠の律法を守るならば,正義は味方になります。ないがしろにすれば,それに応じて影響を及ぼします。神の律法に従順であれば,正義は皆さんに祝福を約束します。正義はまた,破られた律法の要求を満たすよう求めてきます。神の律法に従えば祝福を受けますが,守らなかった律法の要求を満たすために,その祝福を蓄えておくことはできません。もしも清算しなければ,律法を破ったことにより人生は惨めな状態に陥り,みもとへ帰れなくなるのです。イエス・キリストの生涯,教え,そして特に解放してくれます。それ以外に方法はないのです。

踏みにじられた律法に対する正義の要求は,憐あわれみによって満たすことができます。絶えず悔い改め,神の律法に従順であることにより得られる憐れみです。そのような悔い改めと従順は,人生における完全な奇跡が,贖いを通して起きるために不可欠なものです。贖い主は,正義の個人口座を清算し,悔い改めという憐れみの道を通して赦(ゆる)しを与えてくださいます。わたしたちは贖いのおかげで,たとえ正義の要求があっても,従順を通して得た祝福を持ち続けることができるのです。主の憐れみは,律法を破ったことでもたらされる結果を取り除くことができます。

贖いは,神の御子の犠牲によって実現された,無限で永遠に重大な意味を持つ無私の行いでした。2贖いを通して,救い主は死の縄目を断たれました。わたしたちが贖い主によって裁かれる理由もここにあります。贖いは,サタンの永遠の支配を防ぎます。また,悔い改めと従順により赦しを受けるにふさわしいとされた者に対して,昇栄への門を開きます。

贖いの壮大さに思いをはせると,畏(い)敬(けい)の念と言い表せないほどの感謝,そして心から謙遜(けんそん)な気持ちになります。これらの思いは,さらに大きな平安と幸福を得るために,主の戒めを守り,常に過ちを悔い改めるという力強い意志を与えてくれます。

どれだけ熱心に頑張っても,人間の心では贖いの永遠の重要性や,いかにしてそれが成し遂げられたのかを理解することはできません。わたしたちにできるのは,救い主がお受けになった苦痛,苦悩,そして苦難,あるいは,御子が贖いの比類なき試練を経験なさるのをご覧になっていた御父の苦しみに対して,ほんのわずかの感謝を表すことだけです。たとえそうではあっても,贖いについてできるかぎり理解を深めることができるよう,研究を重ねる必要があります。主の戒めに従い,この世で平安と幸福を得るために何が必要なのかを学ぶことができます。

皆さんは従順な家族とともに,天におられる御父と主のみもとで永遠に暮らす資格を得ることができます。

リーハイは息子ヤコブにこう語りました。「聖なるメシヤの功徳と憐れみと恵みによらなければ,だれも神の御(み)まえ)に住める者がいない。」3

イエス・キリストは,だれも得ることのできなかった功徳をお持ちでした。ベツレヘムにお生まれになる以前,主は,神すなわちエホバでした。主は愛する御父から霊の体を与えられただけでなく肉における独り子でもありました。主は完全で罪のない生涯をお過ごしになったため,正義の要求には縛られませんでした。主は,愛,憐れみ,忍耐,従順,赦し,謙虚さを含むすべての特質において完全であられました。わたしたちが悔い改め,主に従うときに,主の憐れみが正義に対する代価を支払ってくれます。最善を尽くして主の教えに従っても,わたしたちはまだ不十分です。しかし,わたしたちは主の恵みによって,「最善を尽くした後,……救われる」のです。4

計り知れないほど大きな代価を支払うために,救い主が想像を絶する苦痛と苦(く)悶(もん)によって,わたしたちの贖い主,仲保者,裁き主になられたことを証(あかし)します。主が生きており,皆さんを愛しておられることを知っています。常に主を人生におけるリードとしてください。主の律法という確かなアンカーが,試練を乗り越えようとする皆さんに,安全と成功を保証してくれます。重大な罪を犯すことはないでしょう。皆さんは日の栄えの王国において昇栄の冠を受け,平安で幸福に満ちた生活を送ることができるのです。イエス・キリストの御名(みな))により,アーメン。