2000–2009
神殿は家族にかかわる場所です
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神殿は家族にかかわる場所です

神殿に行くと,それまでに感じたことがないほどの深い愛で家族を愛するようになります。

つい先ほどゴードン・B・ヒンクレー大管長の言葉にあったように,最近カリフォルニア州サクラメントにおいて,末日聖徒イエス・キリスト教会の123番目の神殿がヒンクレー大管長によって奉献されました。この美しい神殿は,サクラメントとその周辺地域に住む8万人を超す,喜びにあふれたすばらしい教会員が使用することになります。オープンハウスには16万8,000人以上の人が訪れ,世界中のどの場所にも増してこの壮麗な建物の中で,教会員が救い主イエス・キリストに近づくことができると教えられました。教会員は,今日(こんにち)の混乱した世にあっても自分と家族を支える平安と希望を,救い主を通して見いだせることを知っています。

神殿に行くと,それまでに感じたことがないほどの深い愛で家族を愛するようになります。神殿は家族にかかわる場所なのです。妻のカレンとわたしは,神殿で奉仕を重ねるにつれて,互いと子供たちへの愛を深めてきました。しかも,さらに発展して,親,きょうだい,おじ,おば,いとこ,先祖,そして特に孫たちへの愛が深くなりました。これこそエリヤの霊であり,家族歴史の業の真髄です。聖霊から促されると,先祖の心は子孫に,子孫の心は先祖に向くようになります。神権によって夫と妻はともに結び固められ,子供たちは両親に永遠に結び固められます。それによって家族は永遠となり,死によって引き離されることはなくなるのです。

わたしたち夫婦が若いころ,信仰箇条を暗記するように我が家の幼い子供たちを励ましました。覚えられたらお父さんと夜外出するというのが,ご褒美でした。上の3人が全部覚えたときは,うれしかったものです。7歳の息子が初めて信仰箇条を13条とも暗記したとき,わたしは息子と座って,いつ,何をするかを決めようとしました。けれども,わたしは仕事や社交,教会の責任で予定が詰まっており,それから2週間ばかり,息子のために一晩も空けることができそうにありません。息子はすっかりしょげてしまいました。しかし,当時住んでいた町に24時間営業のボーリング場が見つかりました。さっそく行く日を決め,朝の5時にボーリングを始めることにしましという計画でした。当日になると,まだかなり早い時間に,だれかがわたしの肩をゆすっているような気がしました。何とか目を開けようとするわたしの耳に,「お父さん,もう時間?」と言う息子の声が聞こえてきます。目覚まし時計を見ると,まだ2時になったばかりでした。

「寝てなさい。まだ時間じゃないよ」とわたしは答えました。

1時間後,また同じことが起こりました。「お父さん,お父さん,もう行く時間じゃないの?」息子をもう一度ベッドに戻しましたが,息子の興奮した気持ちがひしひしと伝わってきました。

やっと4時になり,わたしたちは起きて朝食を取り,ボーリング場に出かけました。とても楽しい時間でした。

このような思い出に残る活動を子供たち全員と定期的に行っていた,と言えたらいいのですが,そうはできませんでした。昔に戻って色々やり直せたらと幾度願う親がいますが,わたしもまたその一人なのです。

皆さんと同じように,わたしも自分の子供を一人として失いたくありません。家族員と永遠に一緒にいたいのです。神殿はすべての人に,現世の生涯を終えた後も家族関係が続き,強まっていくという特な希望を与えてくれます。神殿で執行される結び固めは,さらなる祝福を約束しています。

「預言者ジョセフ・スミスが宣言した次の教えほど,慰めとなる教義はありません。すなわち,忠実な両親は,永遠の結び固めと,真理の大義のために雄々しく仕える者が受ける神聖な約束により,自分自身だけでなく子孫をも救うことができるのです。群れからはぐれる羊もいることでしょう。しかし,羊飼いの目は彼らのうえに注がれています。遅かれ早かれ,群れからはぐれた子供たちは,主の御手みてが差し伸べられ,群れへ引き寄せようとしておられるのを感じるのです。この世か,来るべき世のいずれかにおいて,彼らは戻って来るでしょう。正義に対する自らの負債を払い,自分の罪のために苦しみ,いばらの道を歩むかもしれません。しかし,あの放蕩ほうとう息子のように,最終的に愛と赦ゆるしの心にあふれる父親のもとへと導かれるなら,その苦しい経験は報われるのです。」1

自分に結び固められた子を持つ親にとって,なんと慰めになる言葉でしょうか。

神殿には,そのほかの祝福もあります。神殿はこの世からの避け所です。サクラメントの会員たちはオープンハウスの訪問者に次のように言っていました。「問題を抱えて気が動転していることもあると思います。そのようなときは一時にどっと〔しなくてはいけないこと〕が沸き上がってきて,何もはっきり考えることができ……ないものです。神殿では,心の混乱に舞い上がったほこりも地面に降りて行き,霧やかすみもうそのように晴れて,混乱した心のままでは到底見いだすことのできなかったような……物事も,はっきりと『見る』ことができるのです。」2

神殿の日の栄えの部屋は特に,平安で静かな美しい場所です。物事をゆっくり考え,思いを巡らし,祈り,瞑想めいそうし,天の御父と救い主の愛を感じることができる静かな安息の場所なのです。神殿で思いを巡らし,瞑想していると,思いは自然と家族に向かっていきます。

サムエル記下第22章7節でダビデは言いました。「苦難のうちにわたしは主を呼び,またわが神に呼ばわった。主がその__叫びはその耳にとどいた。」神殿は,自分自身の管理の職を祝福する,個人の啓示を受ける場所なのです。

ヒンクレー大管長は言いました。「贖(あがな)い主がすべての人のために御自身の命を身代わりの犠牲として差し出し,それによって救い主になられたように,わたしたちも神殿で身代わりの業を行うとき,わずかながら,幕の向こう側にいる人々の救い手となれるのです。地上にいる人々が身代わりの業を行わないかぎりは,死者には前進する手立てがないからです。」3

それほど大切な奉仕の業を,わたしたちは行っているのです。この世を去った兄弟姉妹は文字どおりわたしたちとつながっていくのです。

神殿は,御父と御子を知る場所であり,神の存在を,身をもって知る場所です。預言者ジョセフ・スミスはこう懇願しました。「皆さんに助言します。……もっと深く神の奥義を探し求めてください。」4それにはどこで探せばよいのでしょうか。神の宮の中です。

神殿に参入する民,神殿を愛する民になりましょう。神殿は家族にかかわる場所であることを証(あかし)します。神殿のすべての事柄はイエス・キリストを証しています。神殿に入ると,主が愛と奉仕の模範であられたことが分かります。神殿は主の聖なる宮です。主が神の御子であり,わたしたちの救い主,贖い主,仲保者,そして,御父に対するわたしたちの弁護者であることを知っています。主はわたしたちを愛し,家族が幸せになって永遠にともにいることを願っておられます。

イエス・キリストの御名(みな)により,アーメン。