「慎み深さ」 「トピックと質問」
概要
慎み深さ
慎み深さとは、言葉遣いや行動、服装、身だしなみに表れる、良識のある謙遜な態度のことです。慎み深い人は、自分自身に注意を向けさせようとせず、神に栄光を現そうとします。
言葉遣いと行動
言葉遣いと行動に人柄が表れます。清く、前向きで、親切で、心を高める言葉で自分を表現してください。 これは、天の御父とイエス・キリストをどのように呼びかけるかniにも当てはまります。十戒の一つに、主の御名をみだりに唱えてはならないというものがあります。
また、周りの人々を高め、祝福となるよう振る舞おうとするときにも、わたしたちは祝福を受けます。慎み深い言葉と行いを心がけると、聖霊から導きと慰めをよく受けられるようになります。
服装と身だしなみ
身に着ける服を含め、わたしたちの外見もまた、人柄を表すものとなり得ます。それはわたしたち関するメッセージを伝えますし、わたしたちの行いに影響を与えます。身だしなみを整え、慎み深い服装をすることは、 御霊を伴侶とする助けとなります。
使徒パウロは初期の聖徒たちに、「自分のからだは、自分の内に宿っている聖霊の宮」であると教え、「自分のからだをもって、神の栄光をあらわ〔す〕」よう勧めました。 末日の 預言者 たちも、わたしたちの体を神の神聖な創造物として尊ぶために慎み深い服装をするようにと勧告しています。わたしたちは慎み深くあることを選ぶことができます。なぜなら、わたしたちの体は神殿であり、肉体と、肉体を与えてくださった御父に敬意と愛を示したいと思うからです。
『青少年の強さのために-選択の指針』にはこうあります。「天の御父は、互いの真の姿を見るようわたしたちに望んでおられます。肉体だけを見るのではなく、神聖な行く末を持った大切な神の子供としてお互いを見るよう、望んでおられるのです。」 慎み深い服装をすることには、自分の肉体を強調したり、不適切な注意を引いたりするスタイルを避けることも含まれます。これは、わたしたちが自分自身を神の子供と見なし、永遠に重要なことに集中する助けとなります。
慎み深くあるという選択
わたしたちは、生涯を通じて慎み深くあるための助けとなる御霊の促しに従うことができます。自分の言葉遣いや振る舞いが慎み深いものかどうか確信が持てない場合は、「このような言葉を使ったり、このような活動に参加したりしたら、自分は神にどんなしるしを差し出そうとしているだろうか」と自問するとよいでしょう。自分の服装や身だしなみについても、同様に自問するとよいかもしれません。「わたしは自分の服装や身だしなみによって、神にどんなしるしを差し出そうとしているろうか。」 これらの質問に正直に答えるならば、導きがあって、人生で大切な変化を遂げることができるかもしれません。