日曜学校―福音の教義
第12課:「わたしの民を集める」


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「わたしの民を集める」

目的

教会の初期の時代に末日のイスラエルがどのようにして集められたか,現在どのようにして集められているかを理解するとともに,この集合に参加できる方法を理解できるようにする。

準備

  1. 以下の聖句とその他の資料を祈りの気持ちで研究する。

    1. 教義と聖約29:1-833:3-737章38:24-4152:2-5,42-4357:1-3110:11信仰箇条1:10;本課で採り上げられているそのほかの聖句。

    2. 『わたしたちの受け継ぎ』16-2337-39ページ

  2. 『生徒用学習ガイド』(35686 300)の12課の資料に目を通し,レッスンで学習ガイドを参照する方法を計画する。

  3. 何人かの生徒に『わたしたちの受け継ぎ』から以下の出来事について概要を発表する準備をしてくるよう依頼する。

    1. カートランドへ集合するためにニューエル・ナイトとジョセフ・ナイト・シニアが払った犠牲(17ページ)。

    2. ルーシー・マック・スミスに率いられてフェイエットを脱出した聖徒たち(17-18ページ)。

    3. カートランドへ集合するためにブリガム・ヤングが払った犠牲(22ページ)。

    4. コールズビルの聖徒たちによるミズーリへの旅とミズーリにおける定住(34-36ページ)。

  4. 「導入」にある活動を行う場合は,細い棒を何本かクラスに持って来る。

レッスンの展開

導入

適切であれば,以下の活動または教師が考えた活動をレッスンの始めに行う。

教室の床に細い棒を分散して置いておく。1本の棒では簡単に折れることを見せる。次に生徒たちにすべての棒を集めてもらい,だれかにすべての棒を一度に折ってみるように言う。

  • この活動は民を集められる主の目的についてどのようなことを教えているでしょうか。

本課ではイスラエルの集合と,集合におけるわたしたちの役割について焦点を当てることを説明する。

話し合いと応用

生徒の必要に最も適した資料を祈りの気持ちで選ぶ。聖句が日常生活でどのように当てはめられるかを話し合う。聖句で述べられている原則に関連した経験を紹介するよう生徒に勧める。

1.主は主の民を集められる

イスラエルの集合は教義と聖約の中で大切なテーマの一つとなっていることを説明する。古代イスラエルの十二部族は背教に陥ったとき,敵の捕虜となり,主が警告されたとおり,地の国々の間に散らされた。預言者たちは民の邪悪を嘆き悲しんだが,彼らは末日にイスラエルが再び集められる時を予見して,喜びを表した(『聖句ガイド』「イスラエルの集合」の項参照)。この偉大な出来事は福音が回復されたことをもって,また「この時代の人々に向かって胸躍る大いなる喜びのおとずれを告げ知らせる」ために宣教師が召されたときに始まった(教義と聖約31:3)。

預言者ジョセフ・スミスはこのように述べている。「義人アベルの時代から,終わりの時におけるイスラエルの救いについて語りながら,わたしたちのために記録に証を残した最後の人に至るまでの預言者たちが記したすべての事柄は,それが集合の業にあることを直接に示すものです。」(Teachings of the Prophet Joseph Smithジョセフ・フィールディング・スミス選〔1976年〕83)

  • 信仰箇条1:10教義と聖約45:71を生徒とともに読む。イスラエルの集合とは何ですか(イスラエルの集合とは以下に概略が説明されているように,霊的な意味と物理的な意味の両方があることを説明する)。

    1. 霊的な集合。イスラエルの霊的な集合は,人々が福音を学び,キリストのもとに来て,バプテスマを受けて末日聖徒イエス・キリスト教会に入り,その聖約を守るときに行われる。このようにして彼らは世の中から集められて,教会すなわち地上における神の王国に入る。

    2. 物理的な集合。イスラエルの物理的な集合は,教会員が特定の場所あるいは全世界のシオンのステークに集まるときに行われる。

  • 教義と聖約29:1-2,7-8を生徒とともに読む。これらの聖句から集合の目的についてどのようなことを学べるでしょうか。主の教会に集められたことによって,あなたはどのような祝福を受けているでしょうか。

  • イスラエルの集合を指揮する権能は神権の特定の鍵を通して与えられることを説明する。イスラエルの集合の鍵はいつ,地上に回復されたでしょうか(教義と聖約110:11と前書き参照)。

  • 現在の神権時代では,ニューヨーク州の数人の人々によって集合が始められたことを説明する。そして現在,世界中で集合が行われており,毎年数十万の人々が主の教会に導かれています。人々を主の教会に集める業を支援することについて,わたしたちにはどのような責任があるでしょうか(教義と聖約33:738:4039:1188:81参照)。

2.オハイオ州に集合した聖徒たち

教会が組織されてからわずか8か月後の1830年12月,主はこの神権時代において初めて聖徒たちを物理的に集合させる最初の呼びかけをしておられる。主はジョセフ・スミスに,聖徒たちがニューヨーク州を離れてオハイオ州に集合するよう啓示された(教義と聖約37:3)。本書の274ページ276ページまた『生徒用学習ガイド』の29ページ31ページの地図1と地図3を参照するとよい。

  • 主はどのような目的のために,民に対してオハイオ州へ行くよう命じられたのでしょうか(教義と聖約38:31-3239:15参照)。聖徒たちはオハイオ州に集合した後,どのようにして「高い所から力を授けられ」たでしょうか(教義と聖約95:8105:33110:9参照。聖徒たちはカートランド神殿が完成した後に,救い主の現れと神権の鍵の回復を通して,この力を一部授けられた)。

  • 教義と聖約38:24-27を生徒とともに読む。民がオハイオ州に集合するための準備として,主はこれらの聖句でどのような勧告を与えておられるでしょうか(徳高くある,互いに愛し合う,一致するなどの答えが考えられる)。教会において一致することはなぜ大切でしょうか。あなたはほかの教会員と一致することがどのような意味で祝福であると感じてきたでしょうか。現在よりももっと一致するにはどうすればよいでしょうか。

  • 教義と聖約38:34-39を生徒とともに読む。民がオハイオ州に集合するための準備として,主はこれらの聖句でどのような勧告を与えておられるでしょうか。この勧告はわたしたちにどのように当てはまるでしょうか。集合の戒めに従う人々に主はどのような約束をされたでしょうか(教義と聖約38:39参照)。

1831年1月から5月の間に,ニューヨーク州のほとんどの教会員は所有していた農場を売ったり,貸したり,あるいは放棄したりした後,483キロに及ぶオハイオ州への旅に出発したことを説明する。これらの聖徒の多くは主から受けた集合の呼びかけにこたえるために多大な犠牲を払った。割り当てておいた生徒に『わたしたちの受け継ぎ』からこれらの犠牲についての概要を発表してもらう(「準備」3ac)。

  • これらの教会員は主から受けた集合の呼びかけにこたえるためになぜ財産やそのほかのものを進んで犠牲にしたと思いますか。わたしたちは彼らの模範から何を学ぶことができるでしょうか。主の王国の建設を手伝うためにわたしたちはどのような犠牲を払うよう主から求められているでしょうか。

3.聖徒たちはミズーリ州に集合した

初期の聖徒たちは末日に建設されるシオンの町すなわち新エルサレムに関する数々の預言を読んでいた(イザヤ2:2-33 ニーファイ20:223 ニーファイ21:22-28エテル13:2-12モーセ7:61-62)。これらの教会員にとって,この場所を明確にして,町を建設することは大きな目的の一つとなっていた。

聖徒たちがオハイオ州に集合し始めてから数か月後に,ジョセフ・スミスはミズーリ州へ行き,そこをシオンの町の建設地として指定する啓示を受けた(教義と聖約57:1-3)。この啓示により,ミズーリ州はこの神権時代の教会にとって第2の集合の地となった(教義と聖約63:24,36-48)。1831年から1838年まで,教会はオハイオとミズーリに中心地を置いた。本書の275ページ276ページまた『生徒用学習ガイド』の30ページ31ページの地図2と地図3を参照するとよい。

以下の年表はシオンの地とミズーリにおいて教会を確立することに関して与えられた啓示をまとめたものである。必要ならば黒板を使って,生徒とともに年表を検討する。

  1. 1830年9月(ニューヨーク州において)-主は「レーマン人に近い境の地」にシオンの町が建設され,その正確な場所は後に明らかにされることを啓示された(教義と聖約28:9)。

  2. 1830年9月と10月(ニューヨーク州において)-主はレーマン人に福音を宣べ伝える4人の宣教師を召された(教義と聖約30:5-632:1-3)。これらの宣教師はミズーリ州を訪れた最初の教会員となった。

  3. 1831年2月(聖徒たちが到着した直後のカートランドにおいて)-主は御心にかなうときに新エルサレムの場所を明らかにすると言われた(教義と聖約42:62)。

  4. 1831年6月(最初の大会が開かれた後のカートランドにおいて)-主はジョセフ・スミス,シドニー・リグドン,そのほかの長老にミズーリ州へ伝道に行く召しを与えられた。主はまた,ミズーリの地を主の民の受け継ぎの地として聖別することを約束された(教義と聖約52:2-5,42-43)。

  5. 1831年6月(カートランドにおいて)-主はオハイオ州に到着したニューヨーク州コールズビルの聖徒たちに対して,さらにミズーリまで旅を続けるよう啓示された(教義と聖約54:8)。

  6. 1831年7月(預言者がミズーリ州に到着した後)-主はシオンの町がミズーリ州に築かれ,インディペンデンスが中心の場所となることを啓示された。インディペンデンスには神殿が建てられる(教義と聖約57:1-3)。

コールズビルの聖徒たちが最初にミズーリ州に集合したのに続いて,その後多くの聖徒が到着した。コールズビルの聖徒たちがミズーリに到着して,定住地を築き始めたときの経験を割り当てておいた生徒に要約してもらう(「準備」3d参照)。

  • コールズビルの聖徒たちが経験したこれらの出来事についてあなたはどのような印象を受けましたか(大きな苦難に遭遇したときにこれらの聖徒が示したすばらしい特質を強調するとよい)。わたしたちは彼らの模範から何を学ぶことができるでしょうか。

4.現在の聖徒たちは自国でシオンのステークに集合する

1831年から1838年まで教会員はオハイオとミズーリで力強く前進を遂げていた。しかし,1838年に至って,彼らは迫害のために同地を離れることになった(2628課参照)。1839年に聖徒たちはイリノイ州に集合して,ノーブーの町を築いた。しかし1846年にはノーブーを追われた。そして1847年にブリガム・ヤング大管長に率いられた聖徒たちはグレートソルトレークに近いロッキー山間地方に新しい集合の地を見いだした。本書の276ページまた『生徒用学習ガイド』の31ページの地図3を参照するとよい。

聖徒たちがユタ州に定着してから長年にわたり,全世界の教会員はユタへ集合するようにとの呼びかけを受けていた。しかし,こうした意味での集合は今や終わりを告げており,教会員はそれぞれ住んでいる地のシオンのステークに集合するよう勧められている。1972年にメキシコシティーで開かれた地域大会でブルース・R・マッコンキー長老はこのように述べた。

「『啓示された言葉によれば,主が再びおいでになるときには主と聖約を交わした「あらゆる国民,あらゆる国語の民,あらゆる人々」が集合すると言われています。 ……

メキシコの聖徒たちの集合場所はメキシコであり,グアテマラの聖徒たちの集合場所はグアテマラであり,ブラジルの聖徒たちの集合場所はブラジルです。それは全世界の隅々まで同じで』日本人にとっては日本が,韓国人にとっては韓国が,オーストラリア人にとってはオーストラリアが『それぞれの国がそれぞれの国民の集合地となります。』」(ボイド・K・パッカーによる引用,「もしも神の訓戒に従うならば,学問のあるのも善いことである」『聖徒の道』1993年1月号,79)

1973年4月の総大会でハロルド・B・リー第11代大管長はこれらの言葉を引用している。その際,大管長は「事実上,集合の開拓時代は終了したことを発表しました。現在,聖徒の集合は世界中の各国の教会で行われています。」(ボイド・K・パッカーによる引用,「もしも神の訓戒に従うならば,学問のあるのも善いことである」『聖徒の道』1993年1月号,79)

  • 教会がどのような状態に到達したために,会員たちは中心地でなく自分の国に集合することになったのでしょうか(世界の多くの地域でステークが確立され,神殿を建設できるだけの会員数をはじめ,必要な条件が整ったため,などの答えが考えられる)。

  • 教会の開拓時代に会員たちが中心地に集合した目的の一つは,彼らが互いに強め合い,世からの避け所となり,防御となる場所を得るためでした。今日シオンのステークに集合することによって,この目的はどのように果たされているでしょうか(教義と聖約115:6と以下の引用を参照。シオンのステークを通してどのように守られ,強められていると感じているかを生徒に話してもらう)。ステークが邪悪からの避け所となり,防御となるために,わたしたちはどのようなことができるでしょうか。

    ベンソン大管長はこのように語っている。

    「現在,わたしたちイスラエルの民は各地のシオンのステークに集合しています。……ステークには少なくとも4つの目的のあることが理解できます。

  • 〔ステークは,〕ステークの境界内に住む会員たちに教会のプログラムを提供し,様々な儀式を執り行い,福音を教えることによって,会員たちの一致を図り,彼らを完全な者とすることにあります。

  • ステークの会員たちは,正義の模範,『旗印』,標準とならなければなりません。

  • ステークは『守り』とならなければなりません。ステークの会員たちが地元の神権役員のもとに一つとなり,各自が献身的に自らの義務を果たし,聖約を守ることによって,それは実現されます。 ……

  • ステークは全地に嵐が吹き荒れるときの『避け所』です。」(「『杭』を強めよ」『聖徒の道』1991年8月号,3,5)

  • 神殿建設はカートランド州,ミズーリ州,ノーブー,ユタ州における聖徒の集合の中で必要不可欠な要素でした。全世界のシオンのステークで聖徒たちが集合している現在もそれは重要な要素となっています。神殿を建設することはなぜ集合の基本的な要素となるのでしょうか。神殿の業は地上と霊界における偉大な集合の業に対してどのように貢献しているでしょうか。

    預言者ジョセフ・スミスはこのように教えている。「世のあらゆる時代に神の民は……どのような目的のために集合してきたのであろうか。……主のために宮を建て,主がそこで主の民に主の宮の儀式と主の王国の栄光を明らかにし,救いの道を教えられることがおもな目的である。……神が末日に民を集められるのも同じ目的である。すなわち,主のために宮を建てさせ,儀式とエンダウメント,洗いと油注ぎを受けるために民を備えさせることである。」(History of the Church第5巻,423-424)

結び

イスラエルを集合させるという主の約束は現在成就されつつあることを強調する。現在,世界の160か国以上で人々が教会に入り,シオンのステークでともに礼拝することによって,この偉大な業は急速に展開されている。教会に人々を集合させ,自国で教会を築いて強める働きに熱心に携わるよう生徒に勧める。集合を通してもたらされると約束されている祝福について証する。

教えるためのそのほかのアイデア

以下の資料はレッスンの概要を補足するためのものである。この中のどちらか,あるいは両方をレッスンに取り入れてもよい。

1.「シオンは……この地球全体に広がるであろう」

シオンの中心地はミズーリ州となるが,シオンは最終的に全世界に広げられることを説明するとよい。ブリガム・ヤング大管長はこのように述べている。

「ジョセフ〔・スミス〕が聖徒たちの集合すべき地を初めて明らかにしたとき,カナダのある女性は,民の全員が集合できるほどジャクソン郡は広いのかと尋ねた。……わたしがその質問に答えよう。……シオンは最終的にこの地球全体に広がるであろう。地上には片隅というものがなくなり,すべてがシオンとなるであろう。全地がシオンとなるであろう。 ……

わたしたちは可能なかぎり多くの人々を集めて,彼らを祝福し,彼らに自身のエンダウメントなどを与え,彼らに真理を説き,永遠の命の原則を示し,力の限りを尽くして彼らの思いに語り,彼らを真理と義の道に導いていくことであろう。」(Journal of Discourses第9巻,138)

2.「ユダの散らされた者」を物理的に集合させるために主が行われた準備(イザヤ11:12

救い主が亡くなられてから数十年後に,ユダヤ人は「すべての国民の中に散らされ」た(2 ニーファイ25:1514節も参照)。しかしながら,散らされたユダヤ人は末日に再び集められて,「彼らの受け継ぎの地として」エルサレムを与えられるという預言が数多く聖文に記されている(3 ニーファイ20:331 ニーファイ15:19-202 ニーファイ9:1-210:8も参照)。

1836年3月27日に行われたカートランド神殿の奉献の祈りの中で,預言者ジョセフ・スミスはユダヤ人の集合とエルサレムの贖いが始められるようにと祈った(教義と聖約109:62-67)。ユダヤ人の集合のために主が備えられた一つの方法を示している以下の情報を紹介する。

オーソン・ハイドは教会に入ったときに,ジョセフ・スミスがこのように預言したことを回想している。「やがてあなたはエルサレムへ行くことだろう。……至高者はあなたの手によって偉大な業を行われることだろう。それは,その民を集める道を備え,彼らを大いに助けることである。」(History of the Church第4巻,375)1840年4月の総大会において,当時十二使徒定員会会員であったハイド長老はパレスチナへ行く召しを受けた(History of the Church第4巻,106)。約18か月後に彼は目的地に到着した。

1841年10月24日,日曜日の朝早く,ハイド長老はオリブ山に登り,祈りをささげた。ハイド長老は祈りの中で「ユダの散らされた子孫が聖なる預言者たちの予告どおりに集合し,再びエルサレムを築き,……〔主の〕御名をたたえる神殿を建設する」地として奉献し,聖別した。彼はまた,主がアブラハム,イサク,ヤコブの子孫を永遠に覚えて,「永遠の受け継ぎとしてこの地を彼らに与えてくださるよう」祈った(History of the Church,第4巻,456)。

その行為の証としてハイド長老はオリブ山の頂上に石を重ねて碑を作った。また,「かつて神殿が建てられていたシオン山〔恐らくモリヤの山〕と呼ばれる場所に」石を重ねて碑を建てた(History of the Church第4巻,459)。