日曜学校―福音の教義
第16課:「あなたは……わたしの聖日に……聖式をささげなければならない」


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「あなたは……わたしの聖日に……聖式をささげなければならない」

目的

安息日を聖く過ごすことについて生徒の望みを強められるようにする。

準備

  1. 以下の聖句とその他の資料を祈りの気持ちで研究する。

    1. 教義と聖約59章と本課で採り上げられているそのほかの聖句。

    2. 『聖句ガイド』「安息日」の項,23-24ページ。

  2. 『生徒用学習ガイド』(35686 300)の16課の資料に目を通し,レッスンで学習ガイドを参照する方法を計画する。

  3. 「ゲツセマネで祈られるイエス」の絵(『福音の視覚資料セット』227)を入手できる場合は,レッスンで利用できるように準備しておく。

レッスンの展開

導入

適切であれば,以下の活動または教師が考えた活動をレッスンの始めに行う。

  • あなたは神殿に入るときどのような気持ちを感じますか(生徒たちがまだ神殿に入ったことがなければ,どのような気持ちを味わうことを期待しているかについて尋ねる。この話し合いで,神殿内の雰囲気と世の中の雰囲気とを比較してもらう)。

  • 教義と聖約109:13を生徒とともに読む。神殿とほかの場所の違いは何でしょうか(主が神殿を聖別された。神殿は主の宮である)。

  • 創世2:1-3を生徒とともに読む。これは主が安息日を定められた経緯であることを説明する。この記録によると,安息日とほかの日の違いは何ですか(主が安息日を聖別された。安息日は主の日である)。

本課では安息日について学ぶことを説明する。神殿に入るときと同じ敬虔さを感じながら安息日に「入る」ことができる様々な方法があることを指摘する。主が安息日を聖別されたこと,主の日に主を礼拝し,主に仕えるのはわたしたちの特権であることを心に留めておくことができる。

話し合いと応用

本課に収められている資料のすべてをレッスンの時間内に採り上げることはできない。したがって,生徒の必要に最も適した資料を祈りの気持ちで選ぶ必要がある。

1.主は安息日を定められた

神は天地創造の時に安息日の様式を定められたことを説明する。神は6日の間働いた後に,7日目を休んで,この日を聖日として分けられた(創世2:2-3)。時の初めより神は子らに対して安息日を聖なる日として保つよう命じてこられた(『聖句ガイド』「安息日」の項,23-24)。

  • 出エジプト20:8-11出エジプト31:13-17を生徒とともに読む。この戒めは聖文の中でしばしば繰り返されたことを指摘する(『聖句ガイド』「安息日」の項,23-24参照)。安息日を聖なる日として保つ戒めが歴史を通じて常に重要視されてきたのはなぜだと思いますか。

現在の神権時代に主は再び安息日の重要性を強調しておられる。主は預言者ジョセフ・スミスを通して,わたしたちが教会に出席し,聖餐を受け,働きを休むことによって主に聖式をささげるべきであることを明らかにされた(教義と聖約59:9-13)。

2.教会の日曜日の集会で神を礼拝することによって神に聖式をささげる

  • 主は「あなたは,……わたしの聖日に祈りの家に行〔か〕なければならない」と言われました(教義と聖約59:9)。わたしたちが神を礼拝するために安息日に集まることはなぜ大切なのでしょうか。安息日に教会の集会に出席することによってあなたはどのような祝福を受けているでしょうか。

  • ゴードン・B・ヒンクレー大管長は「聖餐会は常に,霊的な意味での祝宴」,そして「霊を活気づけるような会」でなければならないと語りました(「アロンの神権」『聖徒の道』1983年1月号,81)。わたしたちはこれを成し遂げるためにどのように助けることができるでしょうか。日曜日のそのほかの集会に出席することによって霊的に高められるにはどうすればよいでしょうか(礼拝の気持ちで出席する,開会時刻に間に合うように出席する,予定されているレッスンの資料を予習してくる,積極的に参加する,注意して耳を傾ける,ほかの人々を強めるように努力する,話者や教師を批判しない,などの答えが考えられる)。

    スペンサー・W・キンボール第12代大管長はこのように述べている。「わたしたちが安息日の集会に出席するのは楽しむためでもなければ,ただ単に教えを学ぶためでもない。主を礼拝するために集うのである。それは個人の責任である。もしも心から主を礼拝したいと思う人であれば,説教台から何が語られようと,主を礼拝するために集会に出席し,聖餐にあずかり,麗しい福音に思いを向けることだろう。さて,あなたが集わなければ,それができないのである。だれもあなたに代わって礼拝することはできないのである。」(「安息日-喜びの日」『聖徒の道』1978年7月号,5)

  • わたしたちは日曜日の集会のためにどのような準備ができるでしょうか。子供たちが日曜日の集会からもっと多くの恵みを受けるために,両親はどのような助けができるでしょうか(これらの質問に関連した経験を生徒に紹介してもらう)。

  • 音楽は日曜日の集会の雰囲気をどのように高めることができるでしょうか(『賛美歌』9-10ページ参照)。わたしたち一人一人が賛美歌を歌うことはなぜ大切なのでしょうか(教義と聖約25:12参照)。あなたは賛美歌を歌うことによってどのような祝福を受けてきたでしょうか。

    十二使徒定員会のボイド・K・パッカー長老は「指導者や会員の中に集会で賛美歌を歌わない人が増えてきている」ことに憂慮していると語り,続いてこのように勧告している。「わたしたちはシオンの歌を歌うべきです。賛美歌は礼拝に欠くことのできない重要なものだからです。」(「啓示をもたらす敬虔さ」『聖徒の道』1992年1月号,24)

  • 日曜日の集会での祈りに意義のある参加をするにはどうすればよいでしょうか。

  • なぜ教会の集会には敬虔さが大切なのでしょうか。

    ボイド・K・パッカー長老は「神と交わろうとして神経を集中させようと努めている人のじゃまを」しないために礼拝堂の中では敬虔でなければならないと語っている。さらに,敬虔さとは,「音をまったく立てないという意味ではありません。赤ちゃんが泣いたり,時折小さな子供が騒いだりして〔も〕……大目に見なくてはなりません」と警告している(「啓示をもたらす敬虔さ」『聖徒の道』1992年1月号,24)。

    ゴードン・B・ヒンクレー大管長は宣教師時代に赤面するような出来事を経験したことについて語っている。

    「わたしたちは……公会堂を借りて集会を開いていました。堅い床の上にいすを置いて座っていました。いすが動く度に音がするのです。しかし,それよりもっと悪いことがありました。支部の会員たちのおしゃべりです。

    あるとき,わたしたちはちらしを配布していて出会った1軒の家族を集会に招待しました。期待に胸を膨らませ,宣教師として彼らを歓迎するために,わたしたちは入り口の傍らに立っていました。会場はいつものようににぎやかで,会員たちは互いに騒々しく話に熱中しています。この家族は会場に入って来ると,静かにいすのある場所へ行き,少しの間ひざまずいて目を閉じ,祈りをささげました。そして,周囲の騒がしい中にあって敬虔な態度でいすに腰かけたのです。

    率直に言って,わたしは困りました。この家族は礼拝行事だと思って訪問し,そのとおりに行動したのです。

    彼らは閉会後,静かに立ち去りました。わたしたちが次に訪問したとき,この家族はどんなに失望したかを語ってくれました。わたしはそのときの経験を忘れることができません。」(「敬虔さと道徳心」『聖徒の道』1987年7月号,49)

  • 教会の集会での敬虔さを高めるにはどうすればよいでしょう。

3.聖餐を受けることによって神に聖式をささげる

「ゲツセマネで祈られるイエス」の絵を見せる。

  • 主はわたしたちに安息日に聖餐を受けるように命じておられる(教義と聖約59:9,12)。毎週,聖餐を受けることはなぜ大切なのでしょうか(教義と聖約59:93 ニーファイ18:6-7と以下の引用参照)。

    十二使徒定員会のジョセフ・B・ワースリン長老はこのように述べている。「窓は定期的に洗い,ほこりや汚れを取り除かなければなりません。……建物の窓を定期的に掃除しなければならないのと同じように,霊の窓もいつもきれいにしておかなければなりません。……毎週ふさわしい状態で聖餐を受け,バプテスマの聖約を新たにするなら,わたしたちは人生の永遠の目的と神の目から見て何が大切かをしっかり見極めることができます。聖餐の祈りは,いつも救い主イエス・キリストを覚えて生活するというわたしたちの約束の言葉であり,わたしたちに反省と悔い改め,新たな決意の機会を与えるものです。」(「光と真理の窓」『聖徒の道』1996年1月号,84)

  • あなたは聖餐を受けることによってどのような祝福を受けてきましたか。

  • 聖餐を受けるためにどのように自身を備えることができるでしょうか。両親は子供たちをこの儀式に備えさせるためにどのようなことができるでしょうか(年齢別に子供たちを助ける方法について話し合うとよい)。聖餐の賛美歌を歌うことは心を準備するうえでどのように助けとなるでしょうか。聖餐の祈りはどうでしょうか(教義と聖約20:77,79参照)。

  • 聖餐を受けるときになぜふさわしくなければならないのでしょうか(1 コリント11:28-293 ニーファイ18:29モルモン9:29参照)。

  • 聖餐を受けるときにどうすれば思いと心をイエスに集中させることができるでしょうか。

  • 聖餐の儀式を生活の中で意義あるものとするにはどうすればよいでしょうか(この儀式は単なる習慣的な行事,あるいは決まりきった行事としてはならないことを強調する)。聖餐を受けることによって,その1週間,救い主に従う気持ちはどのように強められるでしょうか。

  • わたしたちは安息日に聖餐を受けるだけでなく,主に供え物と聖式をささげなければなりません(教義と聖約59:9,12)。これは主に献身することを表すためのささげ物や犠牲を差し出すということです。わたしたちはどのような犠牲をささげるべきでしょうか(教義と聖約59:8教義と聖約59:12の脚注①;64:3497:8と以下の引用参照)。

    十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老はこのように述べている。

    「イエスは地上で教導の業に携わられた後,……ニーファイ人の十二弟子たちに,主はもはや燔祭を受け入れないことを明らかにして,主の弟子たちは『打ち砕かれた心と悔いる霊』をささげるようにと言われました(3ニーファイ9:19-20。教義と聖約59:8,12も参照)。主はわたしたちに動物や穀物をささげることを求めるのでなく,今や神の御心に添わないすべてのものを捨てることを求めておられます。このより高い犠牲の律法はわたしたちの内なる人を動かすものです。 ……

    ……利己的な欲望を克服して,神を第一に置いて生活し,どのような代価を求められようとも主に仕えることを聖約するならば,わたしたちは犠牲の律法に従っていることになります。」(“The Law of Sacrifice,” Ensign1998年10月号,10-11)

4.働きを休むことによって神に聖式をささげる

  • 教義と聖約59:10で,主は安息日にわたしたちが「〔わたしたちの〕労苦を解かれて休」むべきであることを啓示されました(13節も参照)。労苦を解かれて休むとはどのような意味でしょうか。労苦を解かれて休むことがどのように神に対して聖式をささげることになるのでしょうか。

  • 労苦を解かれて休むことには,安息日に物を買ったり売ったりすること,娯楽の場所に出かけること,この世的なそのほかのものに関心を向けることを避けることが含まれます(イザヤ58:13参照。「あなたの楽しみをなさず」と「おのが道を行わず」に注目する)。あなたにとってどのような活動が安息日の精神から離れるでしょうか。安息日に入り込みやすいこの世的な関心にはどのようなものがあるでしょうか。これらの関心から離れるにはどうすればよいでしょうか。

    H・デビッド・バートン管理ビショップはこのように述べている。「特に若い人々にとって,チームのレギュラーメンバーとしてプレーしたいと思っている自分のスポーツチームが日曜日に試合を予定しているときに,安息日を守ることを選択するのが難しいことは理解しています。また多くの人にとって,安息日にほんの数分コンビニエンスストアに立ち寄り,買い物を済ませるのはささいなことに思えるのも承知しています。しかし,安息日を聖く過ごすのは,わたしたちが御霊のささやきを感じられるように備えるための最も大切な戒めの一つに数えられることも,わたしは知っています。」(「機会が与えられる時代」『リアホナ』1999年1月号,10)

  • 労苦を解かれて休むことは怠惰であることとは違います。むしろ救い主の模範に従って,「安息日に良いことを」行うべきです(マタイ12:12ルカ13:10-17ヨハネ5:1-19も参照)。安息日に行う良い活動にはどのようなものがあるでしょうか(意見を黒板に書き出す)。安息日に行う個人の礼拝の時間を充実させるにはどのような方法があるでしょうか。

    スペンサー・W・キンボール大管長はこのように教えている。「安息日は,価値ある,聖い事柄を行う聖日である。仕事とレクリエーションを控えることは大切であるが,それだけでは十分でない。安息日には思いと行いを建設的なものにする必要がある。安息日に何の目的もなくぶらぶら歩き回る人は,安息日の戒めを破っている人である。この戒めを守る人は,ひざまずいて祈り,レッスンを準備し,福音を学び,瞑想にふけり,病気の人や悲嘆に暮れている人を見舞い,宣教師に手紙を書き,午睡し,健全な本を読み,出席するよう期待されているすべての集会に出席する日として,この日を過ごすであろう。」(「安息日-喜びの日」『聖徒の道』1978年7月号,4-5)

  • 安息日に行うことについて適切かどうかを判断するにはどうすればよいでしょうか(その活動が神をたたえる,霊的に高める,信仰をはぐくむ,家族を強める,人々を助け,祝福をもたらす,日常のこの世的な活動とは一線を画している,などの答えが考えられる)。

  • 安息日に家族を強める方法にはどのようなものがあるでしょうか。両親は子供たちが安息日を楽しく過ごし,聖く保つためにどのような助けができるでしょうか(以下の引用を参照する。これらの質問に関連した経験を生徒に紹介してもらう。家族にとって安息日を意義のあるものとするための方法を一つ選んで実行するよう生徒にチャレンジする)。

    ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこのように述べている。「末日聖徒が安息日に,家庭の中にいて,家族を教え,聖文を読み,健全で麗しいことを行い,主との交わりを持てるようにしてください。」(“Excerpts from Recent Addresses of President Gordon B. Hinckley,” Ensign1996年7月号,73)

    ヒンクレー大管長はさらにこう勧告している。「さて,わたしは上品ぶっていただきたいとは考えていません。子供たちを家の中に閉じ込めて,午後の時間をずっと聖書を読んで過ごさせるようにとは申しません。知恵を用いてください。心配りをしてください。その日はあなたが家族と一緒に座って,神聖で善いことを話す日にしてください。」(Teachings of Gordon B. Hinckley559-560)

    大管長会は1980年に日曜日の集会の統合日程を発表したときに,次のような勧告を与えている。

    「安息日を正しく守るということに対して,個人や家族にこれまで以上の責任が課せられます。個人の聖文学習や家族の福音学習に,より多くの時間を取ることができるようになるでしょう。 ……

    この新しいスケジュールや活動によって,教会員たちが,よりいっそう,霊的に成長できることでしょう。」(ジェームズ・E・ファウストにより引用,「主の日」『聖徒の道』1992年1月号,38)

  • 安息日は祈りの日とすべきです(教義と聖約59:14)。この日をよく祈る日とするにはどうすればよいでしょうか。わたしたちの祈りを意義の深いものにするにはどうすればよいでしょうか。

  • あなたが望んでいるように安息日を意義深いものにするためにはどのようなチャレンジを克服しなければならないでしょうか。それらのチャレンジを克服するために何をしていますか。綿密に計画することによってどのようにそれらのチャレンジを減らしたり,チャレンジにうまく対応したりすることができるでしょうか。

5.主は安息日を聖く保つ人々を祝福される

  • 教義と聖約59:9,13,15-17を生徒とともに読む。主は安息日を聖く保つ人々にどのような祝福を約束しておられるでしょうか(意見を黒板に書き出す)。

  • 安息日を守ることによってどのように「世の汚れに染まらずに」いることができるでしょうか(教義と聖約59:9。悔い改めることができる,バプテスマの聖約を新たにすることができる,この世のことではなく神と永遠に大切な事柄に思いを集中することができる,などの答えが考えられる)。

  • 安息日を守ると,主が教義と聖約59:13で約束しておられるように,なぜ満ちみちる喜びを得るのでしょうか。あなたは安息日を正しく守ることによって肉体的にも霊的にも強められていると感じたことがあるでしょうか。それはどのように,その週のほかの日に大きな実りをもたらす助けとなったでしょうか。

  • 主は安息日を守る人々に「地に満ちているもの」と「地から生じる良いもの」を受けると約束しておられます(教義と聖約59:16-17イザヤ58:14も参照)。あなたはこの約束がどのように成就されるのを目にしてきたでしょうか。

  • 安息日を聖く過ごすことによってあなたと家族はほかにどのような祝福を受けてきたでしょうか。

  • 主は安息日が「喜び」の日であることを明らかにされました(教義と聖約59:14)。イザヤはわたしたちが「安息日を喜びの日と呼」ぶべきであると語りました(イザヤ58:13)。あなたは安息日が喜びであるよりも拘束の日と感じているでしょうか。安息日を喜びの日とするにはどうすればよいでしょうか(一つの方法は,何をしてはならないかよりも,何をすべきかに視点を置くことである)。

結び

安息日の過ごし方を改善する方法を検討するよう生徒に勧める。この日を聖なる日として保つならば,主は霊的な強さと喜びを増し加えてくださることを証する。

教えるためのそのほかのアイデア

以下の資料はレッスンの概要を補足するためのものである。この中のどちらか,あるいは両方をレッスンに取り入れてもよい。

1.日曜日に働かなくてはならない人々を助けるための提案

教会員は日曜日に働かなくともよい仕事を選ぶようあらゆる努力をすべきであることを説明する。しかしながら,仕事で日曜日に働かなければならないことがあるかもしれない。生徒に,自分や家族がそのような状況に置かれたことがあるかどうかを尋ねる。そのような場合に安息日の精神をできるだけ維持するための方法について話し合う。安息日を聖なる日として過ごしたいことを雇用者に言うよう生徒に提案する(青少年のクラスを教えている場合は,パンフレット『若人の強さのために』〔09403 300〕30-31ページを参照する)。

2.主はわたしたちが安息日を聖なる日として保つならば,人々を全体的に祝福してくださる

わたしたちが安息日を聖なる日として保つときに,主はわたしたち個人だけでなく人々を全体的に祝福してくださる。例えば,教会あるいは地域社会を祝福してくださる。このことはわたしたちが一致して安息日を聖なる日として保つ必要があることを強調している。

  • 一人の生徒に『聖句ガイド』「安息日」の第3段落を読んでもらう。安息日を守ることについて注意をおろそかにすると,どのようなことが起こるでしょうか。安息日を守ることに関してあなたの地域社会はどのように祝福を受けているでしょうか,それともどのような祝福を奪われているでしょうか。