2000–2009
モルモン書――イエス・キリストについてのもう一つの 証 あかし ーー分かりやすくて貴いこと
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モルモン書――イエス・キリストについてのもう一つの証あかしーー分かりやすくて貴いこと

モルモン書には知恵と霊感,勧告と懲戒が数限りなく収められています

ジョセフ・スミスは言いました。「わたしは兄弟たちに言った。『モルモン書』はこの世で最も正確な書物であり,わたしたちの宗教のかなめ石である。そして,人はその教えを守ることにより,ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる。」(モルモン書序文。History of the Church,第4巻,461も参照)

イエス・キリストについてのもう一つの証であるモルモン書の初版は,1830年3月,ニューヨーク州パルマイラで印刷されました。教育のない,田舎育ちのジョセフ・スミスは当時24歳でした。その前年,ジョセフは金版の翻訳に合計で約65日を費やしました。その期間が半分過ぎたころ,ジョセフは神権を受けました。印刷に要した期間は7か月でした。

わたしはモルモン書を初めて最初から最後まで読んだとき,次の約束も読みました。「〔もし読んだこと〕が真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問う〔ならば,そして〕キリストを信じながら,誠心誠意問うならば,神はこれが真実であることを,聖霊の力によって〔わたし〕に明らかにしてくださる。」(モロナイ10:4)この勧めについて知ったわたしは,勧めに従ってみることにしました。

すぐに示現を受け,すばらしい経験ができるものと期待していましたが,そのようなことは起こりませんでした。しかし,良い印象を持ち,信じるようになりました。

次の節では,さらに偉大な約束が書かれています。「聖霊の力によって,あなたがたはすべてのことの真理を知るであろう。」(モロナイ10:5,強調付加)聖霊についてはモルモン書に何度も説明されていますが,聖霊が実際どのように働かれるかは,よく分かりませんでした。

聖文を研究していくうちに,次のことが分かりました。「天使は聖霊の力で語る。したがって,天使はキリストの言葉を語る。〔そして〕キリストの言葉をよく味わう〔なら,〕キリストの言葉〔が〕なすべきことをすべて告げる〔という約束を受ける。〕」(2ニーファイ32:3)。

また簡潔にこう書かれています。「あなたがたが理解できないとすれば,それはあなたがたが求めもせず,また,門をたたきもしないためである。」(2ニーファイ32:4)

こうもあります。「あなたがたがその道によって入り,聖霊を受けるならば,聖霊は,あなたがたがなすべきことをすべてあなたがたに示されるであろう。」(2ニーファイ32:5)わたしは「聖霊の賜物たまものを授けるための按手あんしゅ」によって教会の会員に確認されていたので,すでに聖霊を受けていました(信仰箇条1:4)。

わたしは無邪気な少年時代に,霊的に特別な経験を期待しましたが,特にそのような経験は得られませんでした。長年,説教やレッスンに耳を傾け続け,モルモン書を読み続けた末に,ようやく理解できるようになったのです。

ニーファイは,兄たちから暴力を受けたとき,天使から語りかけられたときのことを思い出させて言いました。「あなたがたは心が鈍っていたので,その言葉を感じることができませんでした。」(1ニーファイ17:45)聖霊は人の心に語りかけられます。それが理解できたとき,新約聖書であれ,モルモン書やほかの聖文であれ,なぜキリストの言葉が快い気持ちを与えてくれるのかが分かりました。やがて,わたしの疑問の答えはすべて聖文の中にあることが分かりました。

こうあります。「さあ,その言葉は次のとおりである。あなたがたはこれらを,自分自身とすべての人に当てはめてみるがよい。」(2ニーファイ11:8,強調付加。1ニーファイ19:23-24;2ニーファイ6:5;11:2も参照)つまり,聖文はわたし自身に,そして,あらゆる人に当てはめることができるのです。

その時々に応じて特別な意味を帯びてくる聖句に出会うと,それを記した人がわたしの人生や感情について,円熟した深い理解力を持っていたことを感じます。

例えばこういうことです。命の木の実を取って食べた預言者リーハイがこう言います。「それでわたしは,家族にも食べてほしいと思い始めた。その実が,ほかのどんな実よりも好ましいことが分かったからである。」(1ニーファイ8:12)そこを何度も読みましたが,特に大きな意味を感じることはありませんでした。

預言者ニーファイもこう述べています。「わたしの子孫の知識となり利益となるように〔……わたし自身のこと〕を書き記す。」(2ニーファイ4:15)この節も何度も読みましたが,特に大きな意味を感じませんでした。しかし,子供が生まれたとき,リーハイとニーファイが子孫に対して,わたしたちが子や孫に感じるのと同じように深い気持ちを感じていたことが理解できました。

わたしは,聖文が分かりやすくて貴いということを知りました。若いころのジョセフ・スミスには,それほどするどい洞察力はなかったことでしょう。ジョセフにそのような洞察力があったとは思いません。持つ必要もありませんでした。版に記されたことを翻訳すればよかったのです。

このように,モルモン書には分かりやすくて貴い洞察が至る所にあります。23歳の青年にはとても備わっていないような,深遠な知恵や経験が反映されているのです。

どこのだれであろうと,モルモン書を読む人は霊感を受けることをわたしは知りました。

中には2度,3度と読んで初めて理解し,日常の出来事に関連づけられるようになった聖句もありました。

モルモン書を初めて読んだときには気づかなかった分かりやすくて貴い教えをもう一つ紹介しましょう。わたしは18歳のときに徴兵されました。そのときになって初めて,戦争に行くのがわたしにとって正しいことなのだろうかと大いに悩みました。やがて,モルモン書から答えを見つけました。

「彼ら〔ニーファイ人〕は君主制のために戦ったのではなく,権力のためでもなく,自分たちの家と自由と,妻子と,自分たちのすべてのもののために,特に礼拝の儀式と教会のために戦っていた。

彼らは,神に義務を負っていると感じていたことを行っていたのである。主は彼らに,また彼らの先祖に,『あなたがたは最初の攻撃についても,2度目の攻撃についても,罪を犯していないかぎり,敵の手によって殺されるに任せてはならない』と言われたからである。

主はまた,『あなたがたは血を流してでも自分たちの家族を守りなさい』とも言われた。したがって,ニーファイ人は自分自身と家族,土地,国,権利,宗教を守るためにレーマン人と戦っていたのである。」(アルマ43:45-47)

この聖句のおかげで,進んで,また誉れをもって出征することができました。

もう一つの例です。わたしたちはあるとき大きな決断を迫られていました。祈っても不安だったので,ハロルド・B・リー長老のもとに行き,尋ねてみました。すると,決断したとおりに実行しなさいと言われました。それでもためらっているわたしに,リー長老はこう言いました。「始めから結果を見ようとするからいけないのです。」そしてモルモン書の一節を引用してくれました。「自分が見ていないからということで疑ってはならない。信仰が試されてからでなければ,証は得られないからである。」(エテル12:6)

リー長老はこうも言いました。「暗闇くらやみに2,3歩足を踏み入れてみなさい。そうすれば,光が現れてその先を照らしてくれるでしょう。」モルモン書の一節に端を発したこの経験は,わたしの人生を変えました。

皆さんは時々,ニーファイの次の言葉を実感することはありませんか。「わたしは,前もって自分のなすべきことを知らないまま,御霊みたまに導かれて行った。」(1ニーファイ4:6)皆さんは,自分の至らなさを痛感することはありませんか。

モロナイは「〔自分たちの弱さのために,自分たちの言葉が〕あざけ〔られ〕るのではないかと」心配しました。

「主はわたしに言われた。『愚か者はあざけるが,後に嘆き悲しむ。わたしの恵みは柔和な者に十分であり,彼らがあなたの弱さに付け込むことはない。

もし人がわたしのもとに来るならば,わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜けんそんにするために,人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して,わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり,わたしを信じるならば,そのとき,わたしは彼らの弱さを強さに変えよう』。」(エテル12:25-27,強調付加)

人生は目まぐるしく変化します。至らなさを感じ,落胆し,意気消沈し,不安になったときには,モルモン書を開いて,読んでください。次の節,次の原則,次の章を読むまでに,あまり時間を置かないでください。

わたしの場合,証は突然にわき上がってはきませんでした。アルマが言うように,わたしの証も種から大きくなりました。「それはあなたがたの信仰を強めるであろう。あなたがたは,『これは良い種であることが分かる』と言う。見よ,それが芽を出し,生長し始めているからである。」(アルマ32:30)この種は,養うなら生長しますが,養わななければ,枯れてしまいます(アルマ32:37-41参照)。

何度か読んでも,力強い証が得られないかもしれませんが,落胆しないでください。そのような場合,ただモルモン書に登場するあの弟子たちと同じだけかもしれないのです。彼らは大いなる栄光のうちに神の力で満たされても「それを知らなかった」のです(3ニーファイ9:20)。

最善を尽くしてください。次の聖句を考えてください。「これらのことはすべて,賢明に秩序正しく行うようにしなさい。人が自分の力以上に速く走ることは要求されてはいないからである。しかしまた,賞を得るために勤勉に励むのは必要なことである。したがって,何事も秩序正しく行うようにしなさい。」(モーサヤ4:27)

モルモン書に述べられている霊的な賜物たまものが,現在の教会に現れています。つまり,ささやきや印象,啓示,夢,示現,訪れ,奇跡といったことがあるのです。主は力と大いなる栄光とをもって御自身を現すことがおできになり,時々そうされています。奇跡は起きているのです。

モルモンは言いました。「奇跡の日は終わってしまったと言えるであろうか。

天使が人の子らに現れることは,終わってしまったのであろうか。神は聖霊の力を人の子らに与えられなくなったのであろうか。時が続くかぎり,大地が存在するかぎり,地の面に救われる人が一人でもいるかぎり,神は聖霊の力を与えるのを控えられるであろうか。

見よ,そうではないと,わたしはあなたがたに言う。奇跡が行われるのは信仰によるからである。」(モロナイ7:35-37)一人で,また家族で,常に祈ってください。祈りは様々な方法でこたえられます。

「悪事は決して幸福を生じたことがない」という聖句のように(アルマ41:10),聖句の中には,悪魔の実在とその業を示す言葉があります。

「悪魔はこのように働くからである。悪魔はだれにも善を行うように説き勧めない。また悪魔の使いも,悪魔に従う者も,そのように説き勧めない。」(モロナイ7:17)

歴代の預言者は,永遠の福音の教えは「キリストに穏やかに従」う人々を守ると教えました(モロナイ7:3)。

モルモンは現代を目にして,こう警告しました。「またこのことから,主が多くの苦難をもって御自分の民を懲らしめられなければ,まことに,死と恐怖と飢饉ききんとあらゆる疫病を下されなければ,彼らは主を思い起こそうとしないことが分かる。」(ヒラマン12:3)

主の訪れを受けたニーファイ人はこう尋ねました。「『この教会をどのような名で呼ぶべき〔でしょうか。〕この件について民の中に論争がございますから。』……主は,彼らに言われた。『……民がこのことについてつぶやき,論じ合うのはなぜか。

彼らは,「キリストの名を受けなければならない」という聖文を読んだことがないのか。キリストとはわたしの名である。終わりの日にあなたがたは,この名によって呼ばれるのである。』」(3ニーファイ27:3-5)

モルモン書の第1の目的はイエス・キリストを証することです。モルモン書の6,000以上の節,つまり半分以上の節は,直接イエス・キリストについて記しています。

「わたしたちはキリストのことを話し,キリストのことを喜び,キリストのことを説教し,キリストのことを預言し,また,どこに罪の赦ゆるしを求めればよいかを,わたしたちの子孫に知らせるために,自分たちの預言したことを書き記すのである。」(2ニーファイ25:26)

モルモン書には知恵と霊感,勧告と懲戒が数限りなく収められています。それらは「〔わたしたち〕の中の弱い者および最も弱い者の能力に適する」ものです(教義と聖約89:3)。また,謙遜であることを条件に,高い学識のある者にも豊かな養いを与えます(2ニーファイ9:28-29参照)。

モルモン書から以下のことを学ぶことができます。

救いの計画すなわち「偉大な幸福の計画」(アルマ42:8。アルマ42:5,8,12,30も参照)

キリストの教義と贖あがない(2ニーファイ31:2-21;32:1-6;3ニーファイ11:31-40;27:13-21参照)

死が必要な理由(2ニーファイ9:4-6;モーサヤ16:8-9;アルマ12:25-27参照)

霊界における死後の生活(アルマ42:11-14参照)

悪魔の業(2ニーファイ2:27;アルマ28:13;3ニーファイ2:2参照)

神権の位(モーサヤ29:42;アルマ4:20;5:3,44;アルマ13:1-10参照)

聖餐せいさんの祈り(モロナイ4:3;5:2参照)善悪を見分ける確かな方法(モロナイ7:16参照)

罪の赦しを保つ方法(モーサヤ4:26参照)

預言者からの明確な警告,人の贖いに関する多くのこと,そのほか人の生活に関する多くのこと。すべて完全な福音の一部なのです(教義と聖約20:9参照)。

モルモン書は旧約聖書の教えを支持しています。新約聖書の教えも支持しています。新旧約聖書から取り去られ,失われた「分かりやすくて貴い多くの部分」を回復しています(1ニーファイ13:28。1ニーファイ13:20-42;14:23も参照)。モルモン書は確かにイエス・キリストのもう一つの証なのです。

教会は今年,教会設立175周年と,預言者ジョセフ・スミス生誕200年を祝います。教会では,ジョセフをたたえる言葉が多く書かれ,語られるでしょう。

ジョセフを中傷する言葉や文章も多く出回ることでしょう。ジョセフの名誉を損なおうとする人は,200年前の記録を調べてジョセフの欠点を探すでしょう。そのような人は,昔もいましたし,今もいます。そして将来もいるでしょう。

啓示はこう告げています。「わたしの油注がれた者に向かってかかとを上げる者は皆のろわれる,と主は言う。わたしの油注がれた者がわたしの前に罪を犯すことなく,わたしの目にかなうことと,わたしから命じられたことを行ったのに,彼らは罪を犯したと叫ぶ者は皆のろわれる,と主は言う。」(教義と聖約121:16)彼らは非常に厳しい罰を受けるのです。

預言者ジョセフ・スミスを弁護する必要はありません。イエス・キリストのもう一つの証であるモルモン書がジョセフを擁護します。ジョセフ・スミスが預言者,啓示者であることを否定する人は,モルモン書を否定する何らかの根拠が必要となります。

第2の力強い擁護者は教義と聖約であり,第3は高価な真珠です。合本として出版されているこれらの聖典は,イエスがキリストであられることと,ジョセフ・スミスが預言者であることを揺るぎなく証しています。

わたしも,そのような証を持つ何百万の人々とともに証します。イエス・キリストの御名みなにより,アーメン。