2000–2009
結ばれた心
脚注

Hide Footnotes

テーマ

結ばれた心

皆さんがバプテスマを受けたとき,先祖は希望をもって皆さんを見ていました。彼らは,自分を見つけ……るために子孫の一人が聖約を交わすのを見て喜〔びました。〕

わたしのメッセージは教会の改宗者に向けたものです。今日こんにち,教会員の半数以上は,8歳を過ぎてからバプテスマを受ける選択をした人たちです。ですから少数派ではありません。皆さんに伝えたいのは,主がどれほど皆さんを愛し,信頼しておられるか,そして何より,主がどれほど皆さんを頼っておられるかということです。

皆さんはバプテスマを受けたとき,主の愛の少なくとも幾分かを感じました。何年も前に,わたしは20歳の若者をバプテスマの水に導きました。同僚とわたしが福音を教えたのです。回復された福音を聞いたのは,家族の中で彼が初めてでした。この若者はバプテスマを施してほしいと願いました。御霊みたまの証あかしによって,救い主の模範に従いたいと望んだのです。主は,罪がなかったにもかかわらず,バプテスマのヨハネからバプテスマをお受けになりました。

バプテスマの水から引き上げたとき,この若者は驚いたことに,涙を流しながらわたしの首に手を回して「ぼくは清い。ぼくは清い」と耳もとでささやきました。そして彼の頭の上に手を置き,メルキゼデク神権の権能をもって聖霊を授けると,その同じ若者は言いました。「祝福の言葉を聞いていたとき,火のようなものが体を伝って頭から足まで走るのを感じました。」

バプテスマの経験は一人一人違ったものでしょう。しかし,皆さんはそこで,与えられた祝福の大切さを多少なりとも感じました。そしてバプテスマのとき以来,自分が確かに約束を受け,主と約束を交わしたことを実感してきました。また,イエス・キリストの贖あがないのおかげで,バプテスマを通して清められたこと,聖霊を伴侶とすることで,心が変化したことを感じてきました。皆さんの望みは変わり始めました。

だれかが「わたしは改宗者です」と言うと,わたしは「家族でほかに福音を受け入れた人はいますか」と尋ねます。受け入れた人がいる場合,その改宗者はどのように親やきょうだい,あるいは祖父母の生活に幸せな奇跡が起きたかをうきうきと話してくれます。だれかの家族が同じ祝福と幸福にあずかっていると知るのはうれしいことです。「いいえ,今のところ教会員はわたしだけです」と言うときは,ほとんど決まって両親のことを話し,次のように言います。「いえ,まだです。でも,努力を続けています。」その声の調子から,その改宗者が努力をやめることは決してないと分かります。

聖約を受け,祝福を受けることを主が認められたとき,皆さんがこのような気持ちを抱くことを主は御存じでした。教会に入って感じた祝福を家族にも味わってほしいと願うことを知っておられたのです。さらに,聖なる神殿で主が交わされる約束の喜びを知るようになると,その願いがもっと強くなることも御存じでした。主はふさわしい人々と神殿で聖約を交わしてくださいます。わたしたちは主の戒めを守ると約束し,主はわたしたちが忠実なら,来るべき世で家族ともに主と永遠に暮らすことができると約束してくださいます。

主はその愛にあふれた優しさにより,皆さんが両親や祖父母と永遠に結ばれたいという望みを持つことを御存じでした。わたしの祖父は,わたしが訪問することをいつも楽しみにしていたようでしたが,皆さんにもそのようなおじいさんがいたかもしれません。わたしはいとこたちが同じことを言うまで,祖父がいちばんかわいがっていた孫は自分だと思っていました。その祖父も亡くなりました。祖父母もその先祖も皆亡くなりました。皆さんの先祖の多くは,福音を受け入れる機会も,皆さんが受けた祝福と約束を受ける機会もないまま世を去りました。主は公平で愛にあふれた御方であるため,皆さんやわたしのために道を備えてくださいました。主が注がれたすべての祝福を先祖にも上げたいという望みを,わたしたちが抱けるようにしてくださったのです。

それを可能にするための計画は初めからありました。主は御自身の子供たちに,ずっと昔に約束をお与えになりました。旧約聖書の最後の書は預言者マラキの書です。その最後の言葉は優しい約束であるとともに厳しい警告でもあります。「見よ,主の大いなる恐るべき日が来る前に,わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。

彼は父の心をその子供たちに向けさせ,子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て,のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである。」1

この言葉の幾つかは理解すべき重要な言葉です。主の大いなる恐るべき日とはこの世の終わりです。エホバ,つまり,メシヤが栄光のうちに来られます。悪人はすべて滅ぼされます。わたしたちは終わりの時に生きています。ですから,交わした約束を果たす時間は瞬く間に過ぎてしまうかもしれません。

主がなぜエリヤを送ると約束されたかを知ることは大切です。エリヤは神から大いなる力を受けた偉大な預言者でした。神が御自身の子供たちにお与えになる中で,最も大いなる力をエリヤは持っていました。それは結び固めの権能,すなわち地上でつなぐことを天でもつなぐ力です。神はその権能を使徒ペテロにお授けになりました。そして主はエリヤを送るという約束を果たされました。エリヤは1836年4月3日,カートランド神殿が奉献された直後に,預言者ジョセフ・スミスを訪れました。カートランド神殿は,福音の回復後に建てられた最初の神殿です。ジョセフはその神聖な瞬間についてこう述べています。

「……もう一つの大いなる栄えある示現が突如わたしたちに開かれた。死を味わうことなく天に取り去られた預言者エリヤが,わたしたちの前に立って言った。

『見よ,マラキの口を通して語られた時がまさに来た。』……主の大いなる恐るべき日が来る前に彼〔エリヤ〕が遣わされ,

先祖の心を子孫に,子孫の心を先祖に向けさせ,全地がのろいをもって打たれることのないようにする,と証した人である。

『それゆえ,この神権時代の鍵かぎはあなたがたの手にゆだねられている。これによってあなたがたは,主の大いなる恐るべき日が近く,まさに戸口にあるのを知ることができる。』」2

教会に入ったとき,皆さんは自分の心が今いる家族と霊界にいる家族の両方に向けられたのを感じました。また主はもう一つの示現をお与えになり,皆さんがその気持ちをどうすべきか分かるようにしてくださいました。

ジョセフ・スミスの後も,主は教会を導くために預言者を召されました。その一人がジョセフ・F・スミスです。スミス大管長は,救い主が霊界を訪れられたときのことを示現で見ました。それは主の死と復活の間に起きたことでした。3 大管長は,救い主が死の縄目を断たれ,主の贖いのおかげで復活できると知った霊たちが喜ぶのを見ました。またすべての霊に福音を宣のべ伝え,聖約と祝福を選ぶ機会を与えるために,主が霊の間で僕しもべたちを組織されるのを見たのです。その聖約と祝福とは,皆さんに授けられ,皆さんが先祖に望んでいるものです。すべての霊にその機会が与えられているのです。

スミス大管長はまた,霊界にいる天の御父の子供たちへ福音を携えて行くために,救い主が召された指導者たちを見ました。その中には父祖アダム,母エバ,ノア,アブラハム,エゼキエル,エリヤがおり,モルモン書の預言者たち,ジョセフ・スミスやブリガム・ヤング,ジョン・テーラー,ウィルフォード・ウッドラフなど終わりの時の預言者もいたと,大管長は記しています。このような宣教師たちがどんなに強い力をもって先祖に福音を教え,その心に触れるか考えてみてください。霊界で救いのメッセージを聞く末日聖徒の先祖の中に,それを拒む人はほとんどいないであろうと,生前ウィルフォード・ウッドラフが言ったのも不思議ではありません。4

皆さんの先祖の多くは,宣教師の教えが真実であるという証を受け入れているでしょう。証を受け入れた人は宣教師にバプテスマを施すよう頼みます。しかし,霊界にいる人たちはそれができません。皆さんが非常に大切にしているこの儀式はこの世でしかできないのです。この世のだれかが聖なる神殿に行き,霊界の人のために聖約を受けなければなりません。ですから,わたしたちには先祖の名前を探し出し,生者の助けなしには受けることのできない儀式を先祖が受けられるようにする義務があります。

そのことを知ると,わたしの思いは,待っている先祖だけではなく彼らを教える宣教師にも注がれます。わたしはいつか霊界にいる宣教師と会うことになります。皆さんもそうです。先祖と一緒に立っている忠実な宣教師のことを考えてください。先祖を愛し,教えてくれた人です。そしてわたしと一緒に,近づくとほほえんでいる先祖やその宣教師の姿を思い浮かべてください。彼が改心させた皆さんの先祖は,皆さんが救い出しに来るまで,バプテスマも家族の結び固めも受けられなかったのです。そのような場ではどういった振る舞いが適切なのか分かりませんが,きっと彼らは皆さんの首に手を回し,感謝の涙を流すことでしょう。

宣教師と先祖のほほえみを想像できるなら,皆さんが救い主とまみえるときのことを考えてください。救い主と向き合って話すのです。主は皆さんと,御父の霊のすべての子供たちのために,罪の代価を払ってくださいました。主はエホバです。エリヤを遣わしてくださいました。完全な愛をお持ちの主は,結び固め,祝福する神権の力を授けてくださいました。そして皆さんを信頼し,生きている間に福音を聞かせてくださったのです。こうして,先祖に福音をもたらすという義務を引き受けるチャンスを与えてくださいました。それは先祖が得られなかった貴重な機会でした。行いと信仰の代価を払って先祖の名前を探し出す人々を,主がどれほど感謝しておられるか想像してみてください。彼らは,主と先祖をこよなく愛しているため,先祖が最も大いなる神の賜物たまものである永遠の命を得られるよう努めているのです。主はわたしたちの先祖に永遠の犠牲を払ってくださいました。先祖が永遠の命という主の贈り物を選べるように,何であろうと代価を払った人々を,主は愛し,感謝なさるでしょう。

皆さんの心はすでに先祖に向けられているので,代価を高いとは思わないかもしれません。簡単なことから始めます。家族についてすでに知っていることを書き出してください。両親と祖父母の名前や生年月日,死亡年月日,結婚した日を書く必要があるでしょう。可能であれば場所も記録すべきです。覚えているものもあるでしょうし,親類に聞くこともできます。出生,結婚,それに死亡証明書を持っている親類がいるかもしれません。コピーを取って整理してください。先祖の生涯について分かったことがあれば,書き留めて保管してください。ただ名前を集めているのではありません。この世では会うことのない人たちが,愛する友人になるのです。皆さんの心が彼らの心と永遠に結ばれます。

手始めに,過去にさかのぼって身近な数世代を探すことができます。それによって,助けを必要としている多くの先祖が分かります。教会のワードや支部には,神殿に提出する名前を準備するのを助けてくれる人が召されています。こうして先祖は神殿で聖約を受けます。そして霊の獄から開放され,家族,つまりあなたの家族と永遠に結ばれるのです。

先祖を調べる機会や義務は,世界の歴史の中で最もすばらしいものです。これまでにない多くの神殿が世界中にあります。世界中でより多くの人が,エリヤの霊を感じ,先祖の生活の様子や出来事を記録するよう促されてきました。先祖を探すための資料がこれまでになかったほど多くあります。また主は知識をお与えになり,数年前には奇跡と思われていた科学技術によってその情報を世界中で利用できるようにしてくださいました。

それらの機会とともに,わたしたちには主の信頼を保つためにさらに大きな義務が課せられます。多く与えられた者は多く求められるのです。5 身近な数世代を見つけた後,先祖の探求はもっと難しくなります。代価が高くなるのです。世代が古くなるにつれ,記録は不完全になります。同じ家系のだれかも先祖の探求をしていると,見つけた先祖がすでに神殿のすべての祝福を受けていると分かることもあります。そこで皆さんは難しくて大切な選択をしなければなりません。先祖の探求をやめて,難しい部分をもっと慣れた人に任せてしまうか,あるいは,またいつか時を改めて探求を行うかという誘惑に遭うのです。しかし同時に,どんなに困難でもこの仕事を続けなければとも感じることでしょう。

先祖の探求を続けるか決めるとき,探すのが実に困難な名前は,実在する人の名前であることを忘れないでください。皆さんはその人たちのおかげでこの世に存在し,いつか霊界で再会するのです。皆さんがバプテスマを受けたとき,先祖は希望をもって皆さんを見ていました。彼らは,自分を見つけて自由にするために子孫の一人が聖約を交わすのを見て喜ぶまで,何世紀もかかったのかもしれません。再会したときに先祖の目に浮かぶのは,感謝か大きな失望のどちらかです。彼らの心は皆さんと結ばれています。彼らの望みは皆さんの手にあります。先祖の探求を続けると決意するとき,皆さんは自分の能力を超えた力を得ます。

数日前に夢を見ました。見知らぬ名前と,一部しか読めない日付が書かれた白い紙が見えました。わたしは起き上がると家族の記録を調べました。紙に書かれた名字は,300年前にイートンブレーと呼ばれた場所で母方の先祖とつながった家系のものでした。だれかが長い待ち時間の終わりを心待ちにしているのです。わたしはまだその人を見つけていません。しかし,愛にあふれた神が,家族を贖うというこの神聖な業の中で,祈りにこたえて助けを送ってくださるという確信を再び得ることができました。家族を贖う業は,神の業そして栄光であり,わたしたちが必ず果たすと約束したものです。これらをイエス・キリストの御名みなにより証します。アーメン。