2000–2009
信仰が答えです
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信仰が答えです

となるのは,たとえ物事がうまく運ばなくても,いや,物事がうまく運ばないときにこそ,信仰と従順が答えであるということを忘れないことです。

1950年代初頭,合衆国は朝鮮半島で交戦中でした。当時,政府が採用していた徴兵制のために,若い男性は伝道に出ることが許されておらず,それどころか軍隊に入るよう義務づけられていました。そのことを知っていたわたしは大学在学中に陸軍予備軍将校訓練部隊に入隊しました。わたしの夢はいちばん上の兄のように将校になることでした。ところが,クリスマス休暇中に帰郷したときのこと,ホームワードの監督,バーン・フリーマン兄弟から監督室に呼ばれました。フリーマン監督はわたしに,ゴードン・B・ヒンクレーという名の若い教会の指導者が合衆国政府と交渉した結果,合衆国内にある教会の各ワードから若い男性一人を宣教師として召してもよいという合意に達した,と告げました。その場合,宣教師として召された男性は,その任期中,自動的に徴兵猶予の適用を受けるということでした。

フリーマン監督は,その知らせについて祈っていたときに,自分のワードを代表して働く専任宣教師として,このわたしを推薦すべきであると感じたというのです。わたしは彼に,自分にはすでに別の計画があること,陸軍予備軍将校訓練部隊に入隊しており,将校になる望みがあるということを説明しました。監督は穏やかな口調で,次のように再度強調して言いました。「この特別な時期に伝道に出るようあなたを推薦すべきだと強く感じました。」そしてこう言ったのです。「家に帰って,両親に話し,今晩,自分の答えを持って戻って来てください。」

わたしは帰宅し,両親にその日の出来事を話しました。二人は,監督は霊感を受けている,喜んで主の奉仕への招きにこたえるべきだと言いました。陸軍将校になるという夢が遠のくことに,わたしがどれほど落胆しているか母には分かりました。母は次のような聖文を引用しました。

「心をつくして主に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない。

すべての道で主を認めよ,そうすれば,主はあなたの道をまっすぐにされる。」1

その夜,わたしは監督室に戻り,監督の勧めに応じました。監督はわたしに陸軍徴兵事務所に行き,自分の決定について報告するようにと言いました。わたしは監督に言われたとおりにしました。驚いたことに,陸軍徴兵事務所の所長であった女性にこう言われました。「伝道の召しに応じた場合,陸軍予備軍将校訓練部隊に再入隊する前に召集令状を受けます。そして将校としてではなく,下士官兵(訳注――将校より下の位)として働くことになります。」

予想外の展開となりましたが,伝道自体はすばらしい経験でした。ほかの宣教師と同様,わたしの人生も伝道を通じて変わりました。ただ,合衆国陸軍に徴兵されるという政府の召集令状は,先の言葉どおり,伝道の召しから解任される約1か月前に送られて来ました。

基礎訓練キャンプと憲兵学校を終えたわたしは,陸軍基地に配属され憲兵として働くことになりました。ある夜のこと,わたしは捕虜の一団を一晩掛かりで一つのキャンプ地から別のキャンプ地へと護送する任務を与えられました。

その夜,一団は移動半ばで休憩を取りました。指揮官はわたしたちにレストランに入って,残りの時間ずっと目を覚ましていられるようコーヒーを飲むように指示しました。指揮官はすぐにコーヒーを辞退するわたしの姿に気づきました。彼はこう言いました。「君,移動の残りの時間,眠くならずに済むように少しコーヒーを飲んでおきなさい。自分が担当している捕虜の中から一人でも脱走したり,問題を起こしたりする者が出たら困るからね。」わたしはこう答えました。

「指揮官殿,わたしは謹んで辞退いたします。わたしはモルモンで,コーヒーを飲まないのです。」

指揮官はわたしの返答を受け入れず,もう一度コーヒーを飲むように勧めてきました。

わたしも,もう一度,丁重に断りました。わたしはバスの後部座席に座り,武器を手に持ち,ずっと目を覚ましていられるように,また武器を使う必要がないように心の中で祈りました。移動は何事もなく終わりました。

数日たって,同じ指揮官から個人的な面接をしたいのでオフィスに来るように言われました。彼は「この前の夜を徹しての移動の間,君が目を覚ましていられないのではないかと思って心配だったが,自分の信念を貫く姿勢に好感を持った」と言いました。それから驚いたことに,彼は「自分の補佐が転勤することになったので,君を次の補佐に推薦することにした」と言いました。

それからの2年間のほとんど,わたしは幾度となく指導的かつ管理的な任務を果たす機会にあずかりました。結果的に,わたしは軍務に就いていた間,以前には想像できなかったほどの有意義な経験をすることができました。

この短い話から,またこれまでの人生で得たこのような数々の経験から,わたしたちの煩い,心配,苦しみに対する答えは信仰と従順であるということを知りました。主イエス・キリストに対する信仰こそわたしたちの人生を変え,わたしたちを救いへと導く真の力なのです。

どうすればこの信仰をはぐくむことができるのでしょうか。それは行動することによってです。わたしたちはニーファイが勧告しているように「行って,主が命じられたことを行」2わなければなりません。また母が愛をもって教えてくれたように,「心をつくして主に信頼」しなければなりません。感謝すべきことですが,たいていの場合,信仰を行使して,主の御心みこころを行う人は,その従順に対して豊かな祝福を受けることができます。

しかし,時として,最善を尽くして主に仕えていても,苦しみを経験することがあります。きわめてチャレンジに満ちた状況に直面している人が知り合いの中にいるかもしれません。例えば,病気の子供がいる両親について考えてください。その子供のためにだれもが全身全霊で祈り,断食します。しかし,最終的には亡くなってしまうことがあります。あるいは犠牲を払って伝道に出る宣教師について考えてください。そのような宣教師であっても恐ろしい病気にかかることがあります。そして重度の障害者となったり,長期にわたる苦痛を経験したりすることがあるのです。あるいは,能力の限りを尽くして信仰深く従順に生活しているのに望んでいる子供にまったく恵まれない女性について考えてください。家族のために良い家庭をつくろう,子供を正しく育てようと全力を尽くしているのに,夫に見捨てられる妻もいます。聖文には,例えば,燃える炉の中に投げ込まれたシャデラク,メシャク,アベデネゴのように,偉大な信仰を示した後に救われた人々の例が数多く記録されています。しかし同時に,深い信仰を持っていたにもかかわらず危機の中にあって神の助けを受けなかった人々の例も数多く記録されているのです。アビダナイは火あぶりの刑で殺されました。バプテスマのヨハネは断首の刑を受けました。アルマとアミュレクの言葉を信じた人々は火の中に投げ込まれました。努力していても,必ずしもすべてがうまくいくとは限りません。鍵となるのは,たとえ物事がうまく運ばなくても,いや,物事がうまく運ばないときにこそ,信仰と従順が答えであるということを忘れないことです。

わたしたちが逆境に立ち向かうときに主の助けがあると主御自身が約束されたことを忘れないでください。主は苦しむ者に特別な思いやりを持っておられます。「悲しんでいる人たちは,さいわいである。彼らは慰められるであろう」と言われたのは,主御自身です。3

贖あがないの業の中で,救い主はすべての苦しみを受けられました。主は肉体的,情緒的苦痛がどのようなものかを御存じです。主は喪失と裏切りの悲しみを御存じです。しかしそれでも主は,最終的には,愛,忍耐,謙遜けんそん,そして従順が真の平和と幸福につながる道であることを示されました。主はこう言われました。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。」しかし,わたしたちが単なるこの世的な慰めを超えたものを追い求めるように,イエスは次のような言葉を付け加えられました。「わたしが与えるのは,世が与えるようなものとは異なる。」4 世の人々は平安とは葛藤や苦痛のない状態だと考える傾向がありますが,主はたとえ苦しくとも慰めを与えてくださいます。主もその生涯で葛藤かっとうや苦痛を免れることはありませんでした。しかし,恐れはなく,豊かな意義深い人生を送られました。使徒ペテロは次のように記しています。「善を行って苦しみを受け,しかもそれを耐え忍んでいるとすれば,これこそ神によみせられることである。

あなたがたは,実に,そうするようにと召されたのである。キリストも,あなたがたのために苦しみを受け,御足みあしの跡を踏み従うようにと,模範を残されたのである。… …

ののしられても,ののしりかえさず,苦しめられても,おびやかすことをせず,正しいさばきをするかたに,いっさいをゆだねておられた。」5

イエス・キリストを自分の救い主として受け入れたわたしたちは,キリストの功徳にひたすら頼らなければなりません。主はわたしたちが最善を尽くした後,わたしたちを救われます。わたしたちが雄々しく信仰を働かせ,キリストの功徳に頼りつつ前進するときに,何をするにつけても,主はわたしたちを祝福し,導いてくださいます。主はわたしたちを強め,試練の中にあっても平安を与えてくださいます。「わたしたちは,見えるものによらないで,信仰によって歩いているので〔す。〕」6 わたしたち一人一人がもっと主に信頼を置くことができるように,そして主に対する信仰を増し加えることができるように祈ります。

さて,兄弟姉妹の皆さん,お話を終わるに当たって,わたしはもう一つの話題に触れたいと思います。過去何年にもわたって,わたしは祝福され,ヒンクレー大管長を身近に観察することができました。皆さんに思い出していただきたいのは,彼が生ける預言者であると同時に,生ける聖見者でもあるということです。ヒンクレー大管長には,ほかの人々には見えないものが見えるのです。大管長には識別の賜物たまものがあります。大管長は楽天家ですが,現実主義者でもあります。わたしは主に心から感謝しています。ヒンクレー大管長を生き長らえさせ,また過去10年にわたって,大管長とその二人の高潔な副管長に教会を導く力を与えてくださったからです。ヒンクレー大管長の神聖な導きを通して,教会は広範囲にわたる多くの祝福,また目に見えない多くの祝福を受けてきました。わたしは声を大にして皆さん一人一人にお勧めします。大管長の助言と導きにもっと厳密に従ってください。なぜなら文字どおり「主はその民のために,一人の聖見者を立てられた」からです。7

イエスはキリストであられます。ジョセフは回復の預言者です。ゴードン・B・ヒンクレー大管長は生ける預言者です。イエス・キリストの御名みなによって,アーメン。