2000–2009
心に福音の原則を刻み込む
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心に福音の原則を刻み込む

「知識だけでは十分でばあるません。時間をかけて、様々な原則を実生活に応用していく必要があります。」

英語は「回復」の言語です。本大会のこの午後の部会でも、なまりのある英語が話されていますが、それは教会が世界中で成長していることの象徴でもあります。わたしは南アメリカの出身ですが、そこでは教会は劇的な発展を続けています。30年前にわたしが教会に加入したときには、南アメリカ大陸の教会員数は10万8、000人、ステーク数は6つでした。当時、南アメリカ大陸には神殿がありませんでした。しかし、現在では、260万人の会員と557のステークを擁しています。11の神殿で儀式が執行されており、2つの神殿が現在建設途上にあります。リーハイの息子のニーファイはこう言っています。「しかし、わたしニーファイは、これまで書き記してきたものを大いに価値があると考え、特にわたしの民にとってそうであると考えている。わたしは昼は絶えず民のために祈り、夜は彼らのことを心配して涙で枕まくらをぬらしている。」(2ニーファイ33:3)この真心からの嘆願は、今日こんにち、モルモン書を通して、確かにこたえられています。ニーファイは、自分に「弱点がありながらも書き記してきた言葉」がわたしたちのために「力強いものとなる」ようにと祈っていました。「それは、この言葉が善を行うように説き勧め、また彼らに先祖のことを知らせ、イエスについて述べ、イエスを信じて最後まで堪え忍ぶように彼らに説き勧めるものだからである。イエスを信じて最後まで堪え忍ぶならば、永遠の命を授かるのである。」(2ニーファイ33:4)

わたしは、教義や福音の諸原則が、南アメリカにおいて増加の一途をたどる数多くの会員たちに導きを与えている様子を、この目で見てきました。南アメリカであれ世界のどこであれ、わたしたちの務めは、聖文や預言者たちの教えの中に見いだすごとのできるもろもろの原則を探求し続けることであり、また、「墨によらず生ける神の霊によって……石の板にではなく人の心の板に」刻み込み続けることなのです(2コリント3:3)。そのように福音の原則を確立するためには、時間が必要です。時間が必要なのは、福音の様々な真理について学ぶためであり、また、それを実生活で応用するためでもあります。

南アメリカの大半の会員にとって、福音の原則について学ぶということは、時間を作り出して宣教師の教えに耳を傾け、その証あかしを聞くことから始まりました。わたしたちは時間を作って耳を傾けましたが、今は、わたしたちの国々で働いてくれた宣教師たちに、言い尽くせぬほどの感謝の念を抱いています。この心からの感謝の思いは、宣教師たちにとどまることなく、彼らを送り出してくれた家族にもささげられるものです。(今では、何千という南アメリカの人々が、回復された福音という喜びのおとずれを分かち合うために、自分の子どもたちを伝道に送り出しています。)わたしたちのように教会の第1世代の者たちは、教会員ではない両親にも深く感謝しています。彼らが、時間をかけて義にかなった原則を教えてくれたがために、福音のメッセージが伝えられたときには、それをはっきりと認識し、歓迎する用意ができていたからです。

宣教師たちは、教義や福音の原則について学ぶという務めの端緒を開いてくれました。しかしながら、心に福音を刻み込み続けるということは、時間を必要とする、継続的な務めです。知識だけでは十分ではありません。時間をかけて、様々な原則を実生活に応用していく必要があります。例えば、ニーファイは主が祈りにこたえてくださることを知っていました。ニーファイは何世紀も前に、その知っていることを実践したのです。そのおかげで、今日のわたしたちには永遠の祝福が与えられることになりました。注意深く聖文を読むと、ニーファイは、自分の「嘆願」(2ニーファイ33:3参照)が神に聞き届けられることを知っていたがゆえに、神を信じる大いなる信仰をもって祈りをささげたことが分かります。ニーファイが時間を割いて自分の知識を実践に移してくれたことを、わたしたちは心から感謝しています。同様に、ニーファイがその知識を、「墨によらず生ける神の霊によって」自分の心に刻み込んでくれたことを、どれほど感謝していることでしょうか。

学識を積み重ねるときと同様に、キリストの弟子となるためにも時間は必要です。時折、わたしたちは、ある原則が真実であると認めながらも、その原則に従って生活する時間を作り出すために優先順位を変えようとしないことがあります。そのようなことを続けていると、聖霊によって教えを受けるときに心の変化を生じる貴重な機会を失ってしまうことになります。ここで、しばらく、エノスの例について考えてみましょう。エノスは、父親から受けた知識をすぐさま実践に移したわけではありませんでした。しかしながら、最終的には、時間を取ってその知識を実生活に応用して生活しました。そのために、数々の祝福がわたしたちのもとにもたらされたのです。エノスの記録によれば、森で獣を狩ろうと出て行ったときに、永遠の命や聖徒たちの喜びについて父親が語ってくれたことが深く心にしみ込んだ、と書かれています。そこで、エノスは時間を取って祈ることを決意しました(エノス1:3-4参照)。その祈りに神から答えが与えられ、主はエノスに対して、御自分がふさわしいと思われるときに記録をレーマン人に伝える、と聖約されたのです(エノス1:16参照)。神はわたしたちの祈りにこたえられます。エノスは石の板に刻まれたこの原則を、彼自身の心の板に刻み込みました。そして、さらに高度の知識を得ることになりました。それによって、彼自身に祝福がもたらされただけでなく、この神権時代のわたしたちにも祝福が与えられることになったのです。

学ぶことや、特に福音の原則に従って生活することに時間をささげようという立派な心がけを持っていながら、そうできずにいる理由が数多くあります。例えば、ある特定の話題に関して様々なメディアから情報が入りすぎると、それに圧倒されることがあります。そのような情報過多が起きると、人によっては「常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない」という状態になってしまうのです(2テモテ3:7)。

わたしたち一人一人は、自分自身の生活を吟味し、福音の原則に従って生活するための時間を取るうえで妨げとなっているものは何か、見定めることができます。そうすれば、悔い改めて必要な修正を施せるので、その福音の原則を実生活で取り入れる時間を生み出すことができるのです。そのようにすれば、エノスと同じように、神の真理についての理解を深めることができると主は約束してくださいました。主はこう宣言されたのです。「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教おしえが神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。」(ヨハネ7:17)

生活の中で、学び、深く考え、とりわけ、福音の原則を実践するための時間を生み出すことによって、御霊みたまから来る喜びと平安が得られます。教会は、南アメリカでも、世界のほかの地域でも、花咲き続けていくことでしょう。それは、福音の原則を、墨ではなく聖霊によって、そして、石の板にではなく人の心の板に刻み込み続ける会員たちがますます増えていくからです。わたしは証します。聖文に書かれている数々の真理は、時間をかけて実生活で実践していくなら、知的な理解や評価をキリストのようになりたいという望みにまで高めてくれます。わたしは救い主が生けるキリストであられることを知っています。以上のことを、イエス・キリストの御名みなによって証します。アーメン。