2000–2009
神権の輪を作り、鎖につなげていく
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神権の輪を作り、鎖につなげていく

「心を尽くし義にかなって仕えるとき、自分の神権の輪を強めれおり、わたしたちの前を歩んだひと々と後につづくひと々との鎖をさらに確固につなげていることになるのです。」

この会場と世界中に集う様々な世代の方々が、この大規模な」神権者の集会の席に着いておられます。大勢の息子、父親、祖父、そして曾祖父そうそふに至るまで、すべての方が、キリストに信仰を持ち、その戒めを守ろうと努力し、主に仕える望みを胸に抱いています。

長きにわたって神権を受け継いできた家族の一員である方もいらっしゃれば、家族で初めて神の神権を受けた方もおられます。しかし、すべての方が、神権を尊び王国で奉仕するにふさわしい神権者の鎖を作り、つなげていく機会と責任にあずかっています。それによって、家族が世代を超えて結ばれていくのです。今晩わたしは神権の鎖についてお話ししますが、皆さん一人一人がその中で役割を持っています。

いずれの神権時代にも、主の目的を成し遂げるため、忠実な男性に神権が与えられてきました。聖文には、アダムから始まって、預言者から預言者へと神権の権能が受け継がれたことが書かれています。

わたしたちはこの世の初めまでさかのぼる神権の鎖の一部にたとえることができます。しかし今や文字どおり、わたしたちは自分の先祖や子孫と結ばれるために、自らの強い神権の輪を作るという非常に重要な責任を負っているのです。

人がメルキゼデク神権を受けなかったり、尊ばなかったりすると、その鎖の輪は失われ、その人は永遠の命を得ることができません(教義と聖約76:79:84:41-42参照)。このゆえに教会では、進んで耳を傾けるすべての人に回復のメッセージを教え、望む人すべてを神権と神殿の祝福に備えさせることに多大な努力を傾けています。

今宵こよい、わたしたちは神の神権を持つ特権にあずかっていますが、その一因は前世によるものです。預言者アルマは地上でメルキゼデク神権に聖任される男性について次のように記しています。「……〔彼らは〕非常に深い信仰と善い行いのために、神の先見の明によって世の初めから召され、備えられていた。彼らは初めに善を選ぶのも悪を選ぶのも任されていた。そこで彼らは、善を選んで、非常に深い信仰を働かせたので、現在、聖なる召しを受けている。」(アルマ13:3)

皆さんが家族にあって忠実な神権者となり、その鎖を作る者、あるいはつなけていく者となるのは、はるか以前から主が計画されたことでした。神権の「聖なる召し」を受けたのは、皆さんが前世でもこの世でも、信仰を持ち、選択の自由を賢明に行使したからなのです。

1844年、預言者ショセブ・スミスは次のように述べました。「世に住む人々を教え導く召しを持つ人は皆、この世界が存在する前に、天上の大会議でその目的のために聖任されたのです。」Teachings of the Prophet Joseph Smith, sel. Joseph Fielding Smith (1976)365)

家族にあって神権者として1世代目であろうと5世代目であろうと、わたしたちは忠実さと予任という個々の受け継ぎをもってこの地上に来ました。それを知ると、常に神権を尊び、それによって教会において、また日の栄えの王国において幾世代にもわたる家族を築き、永続させるという固い決意が心にわき上がります。

「神権」はしばしば地上で神の御名みなよって行動する力と権能と定義されますが、救い主や家族、隣人に仕えることも、神権の定義に含まれます。救い主は、わたしたちが神権をおもに人々の益となるために行使するよう望んでおられます。自分に祝福を与えたり、バプテスマを施したりすること1さできず、自分のために神殿の儀式を施すこともできません。代わりに、すべての神権者は、愛をもって神権の権能と力を行使して、霊的に成長する助けをしてくれるほかの神権者に頼らなければなりません。

祖父や父、兄が召しを尊んで大いなるものとする姿を見る中で、また神権者としての模範であったワードの兄弟たちから、わたしは神権を行使して奉仕することの大切さを学びました。

わたしはアロン神権の教師の職に聖任されると、60歳ほども年上の大祭司ヘンリー・ウィルケニング兄弟が最初のホームティーチングの同僚となりました。ドイツ系移民で靴職人だった彼は、背丈こそ低い人でしたが、担当の家族に仕えるのに精力的で忠実な羊飼いでした。わたしは毎月担当の家族を訪れるために、彼の後を早足でついて行ったものです。(兄弟はわたしよりずっと速く歩いたり、階段を上ったりしたのです。)そして、幼いわたしがそれまで経験したことのない様々な大変な状況を目にしました。レッスンの一部分を教え、約束を作るのがわたしの役目でしたが、ほとんどの場合、ウィルケニング兄弟が兄弟姉妹を助け、14歳のわたしがそれまで知らなかった様々な霊的、社会的、経済的、精神的な必要を満たすのを、見たり、聞いたりしていました。

わたしは次第に、たった一人の忠実な神権者が、どれだけ多くの善をなし得るかに気づき始めました。ウィルケニング兄弟が、助けの必要な家族と、そして若いわたしに与えてくれた愛ある奉仕を通して、彼自身の強い神権の鎖を作り上げていくのをつぶさに見せてくれたのです。

若いわたしは、多くの神権者の模範によって、神権の奉仕の業は王国における特別な肩書きや召しや地位によるものではないことを学びました。奉仕の機会は、神の神権を受けると同時に始まり、その神権を持つかぎり常に伴うものなのです。

J・ルーベン・クラーク・ジュニア副管長は1951年4月の総大会で、次のような思慮深い教えを残しています。「主に仕えるに当たって大切なのは、どこで奉仕するかではなくどのように奉仕するかです。末日聖徒イエス・キリスト教会において、人は正当に召されるべき職を受けます。いかなる人もその職を求めるべきではなく、また断るべきではありません。」(ボイド・K・パッカー「奉仕の業に召される」『リアホナ』1998年1月号、7で引用)

どのような責任を受けているかにかかわらず、心を尽くし義にかなって仕えるとき、自分の神権の輪を強めており、わたしたちの前を歩んだ人々と後に続く人々との鎖をさらに堅固につなげていることになるのです。

わたしは、救い主の神性と贖あがない犠牲と、わたしたちが受ける特権にあずかっている神権が回復されたことを厳粛に証あかしします。この集会に集うすべての息子と父親の皆さんが、忠実に神権を尊んで主に仕え、自分の輪を神権の鎖にしっかりとつなぐことを今晩決心されるように祈ります。その鎖によって、皆さんと先祖と子孫が永遠にわたってともに結ばれますように。イエス・キリストの御名によって、アーメン。