2000–2009
強い証の持つ力
2001年10月


強い証の持つ力

「わたしたちの安全と幸福は証の強さにかかっています。強い証は試練や不確かな状況の中でわたしたちの行動を導く指針となるからです。」

この不確かな世の中にあって、決して変わらない事柄がありします。それは、わたしたち一人一人に向けられた天の御父の完全な愛、神は確かに生きておられ、わたしたちの声を常に聞いておられること、変わることのない完全な真理が存在すること、そして幸福の計画は実在することなどです。ほかにも、イエス・キリストへの信仰とその教えに従うことによって人生で確かに成功が得られ、それは救い主の贖いの力によるものであることや、死後の世界が確かに存在し、現世での生活に応じて、その後の世界におけるわたしたちの境遇が定められることも含まれます。人がこれらの真理を受け入れるか否かにかかわらず、その真実を変えることは不可能です。これらの真理は、生きた証を築くうえでの重要な土台となります。そして堅固な証は、安定した有意義な生活における揺るぎない基盤となり、そこでは平安が得られ、自信が培われ、幸福がもたらされ、そして愛がはぐくまれます。その強さは、全能の神がその業を推し進めておられるという確信によってしっかりと根を下ろします。神は失敗されることはなく、その約束を果たされます。

強い証は実りある生活を支える力となります。そのような強い証は、父なる神とイエス・キリスト、そして聖霊が備えておられる神としての特質を理解するうえでその中心を成します。わたしたちがこの御三方に対して心からの信頼を寄せると、証は確固としたものになります。そしてこの力強い証は、聖霊がわたしたちを導いておられ、日々義にかなった行いをするよう促しを与えておられることへの個人的な確信に基づいています。

霊的な感化によってわたしたちの証は強められます。そのような感化により、わたしたちは教えが真実であることや、義にかなった行いが正当なものであること、そして身に迫った危険に対し発せられる警告を確認します。このような霊的な導きはしばしば、強い感情の表れを伴い、わたしたちは言葉に詰まり、目に涙を浮かべることもあります。しかし、証とは感情的なものではありません。証は無数の正しい決断で紡いだ糸で織られた人格において、真髄を成すものです。少なくとも始めのうちは、これらの選択は、信じられていながらも目に見えない物事を信じる信仰によって積み重ねられます。1 強い証はわたしたちの心に平安と慰め、そして確信を与えます。救い主の教えに絶えず従うことによって、入生がすばらしいものとなり、未来が約束され、人生で直面する試練を乗り越える力が備えられるという確信が生まれます。真理を理解すると証は強められ、祈り、聖文の教義について深く考えるとその証は徐々に培われます。信仰と、約束された結果が得られるという強い確信をもってそれらの真理を実践すると、証は養われます。

強い証はいつの時代も預言者たちを支え、困難の中にあって勇気と決断力をもって行動できるよう彼らを強めてきました。このような証は、わたしたちにも同様の働きかけを行うことができます。個人的な証を強めるとき、わたしたちは正しい選択をする力を得ます。そしてさらに邪悪さを増すこの世の圧力に断固として立ち向かうことができます。わたしたちの安全と幸福は証の強さにかかっています。強い証は試練や不確かな状況の中でわたしたちの行動を導く指針となるからです。

自分の生活を正直に吟味してみてしてください。皆さんの証の強さはどの程度でしょうか。ほんとうに生活を支える力となっているでしょうか。それとも、自分が学んだ事柄が真実であることを願う望みでしかないのでしょうか。あるいは単に、価値ある原則や生活様式を、理にかない納得のいくものとして受け入れるような漠然とした信念といった程度でしょうか。表面的に受け入れているだけにすぎないそのような姿勢では、必然的に訪れる重大な試練に直面するとき、助けにはなりません。皆さんの証は正しい選択をするうえでの導きとなっているでしょうか。そのためには根本的な真理をわたしたちの人格の隅々にまで浸透させなければなりません。皆さんにとってそれらの真理は不可欠なものであり、人生そのものより価値を置く必要があります。正直に自分の証を吟味し、本来あるべきほどの強さが備わっていないと確信するとき、わたしたちはどのようにして証を強めたらよいのでしょうか。

皆さんがイエス・キリストとその教えを信じる信仰、そして約束を成就する無限の力を主がお持ちであることを信じる信仰を行使するときに、証は強められます。2 鍵は「信仰を行使する」ことです。真の信仰には計り知れない力が伴います。しかし、その力を発揮するには従わなくてはならない原則があります。モロナイはこう教えました。「信仰とは待ち望んでいながらまだ見ていないものであることを、世の人々に示したい。あなたがたは、自分が見ていないからということで疑ってはならない。信仰か試されてからでなけれは、証は得られないからである。」3 つまり、皆さんが信じている真理や原則を実践する必要があるのです。そのような真理や原則に絶えす従って生活すると、わたしたちは聖霊の力によってそれらが真実であるという証を得ます。それはしばしば平安な気持ちによって示されます。心が鼓舞されることもあります。ほかの真理が明らかにされる場合もあるかもしれません。忍耐強く待ち望むなら、確信を必ず得ることができます。主は必要な理解力をわたしたちに与えてくださり、その教えが真実であることを、個人的な経験を通して証明してくださいます。主は、自ら進んで常に従う人に、御自身の律法が、約束された結果を生み出すという確信を得させてくださいます。

祈りの静かな時を過ごし、またその努力に伴う感化を心に感じたときに深く考えることにより、力強い証は徐々に培われます。謙遜で信頼のこもった祈りによってわたしたちは慰めを得て、悲しみは癒いやされ、心は安らぎ、導きを受け、ふさわしくない者が決して知ることのできない幸福が訪れます。

祈りに関する幾つかの真理は、皆さんの助けとなるかもしれません。助けが必要なとき、主は皆さんの祈りを聞いてくださいます。そしてそれらの祈りに必ずこたえてくださいます。しかし一般的に、わたしたちの祈りが直ちに答えを必要とするものであっても、ひざまずき、祈っている間に答えが与えられることはありません。皆さんはある規範に従う必要があります。祈りの答えを自分で探し、その後、それが正しいかどうか主に尋ねるよう求められています4「心の中で一思い計」るように言われた主の勧告に従う必要があります。5 皆さんは解決策についてしばしば考えます。それが正しいかどうか主に尋ね求めるのです。これらの助けは、祈りと聖文について深く考えることによって、また時には周囲の人々の仲立ちや6 自分自身の才能といった形によって、聖なる御霊の導きを通して与えられます。

また時には、確かな答えを得るまで皆さんが信頼をもって前進し続けることを主が望まれる場合もあります。一般的に、主は幾つもの小さな答えを与えられます。小さな答えはそれぞれ、皆さんが信仰を示す後に与えられ、ほかの答えと結びついて、やがて答えの全体像が皆さんに示されます。この規範に従うためにわたしたちは信仰を働かせる必要があります。時には非常に困難なこともありますが、それにより、個人の成長という重要な結果を生みます。神に尋ね求める前に答えが与えられる場合もあります。皆さんが危険に気づかずにいるとき、または間違った事柄を正しいと思い込んで行っているときがそうです。

アルマは断食と祈りを通し、証がどのように強められるかを示しました。このように述べています。

「わたしは、自分が語ってきたこれらのことが真実であることを知っている。あなたがたは、わたしがどのようにしてこれらのことが確かであるのを知ったと思うか。

……見よ、わたしは自分でこれらのことを知ることかできるように、幾日もの間、断食をして祈ってきた。そして、これらのことが真実であるのを、わたしは今、自分自身で知っている。主なる神か神の聖なる御霊によってこれらのことをわたしに明らかにされたからである。」7

ロムニー副管長は以前、証を強める聖文の力について、個人的な経験から教えたことがあります。

「皆さんに、〔モルモン書〕に親しむよう強くお勧めします。子どもたちにモルモン書を読み聞かせてください。幼すぎて内容が理解できないなどということはありません。息子がまだ幼少のころ、わたしは彼にモルモン書を読み聞かせたことを覚えています。……わたしはべソドの下の段に、息子は上の段にそれぞれ横たわりました。ニーファイ第二書に記された、非常に感動的な最後の3つの章を、1節ごとに交互に声を出して読みました。息子の声かかれていたので、風邪をひいていると思いました。わたしたちが読み終えると彼は言いました。……『パパ、モルモン書を読んで泣いたことはある?』

『あるよ。……主の御霊かパパの心にモルモン書か真実だって証してくれるから、泣いてしまうことが時々あるんだ。』

『そうか。』息子が言いました。『それだよ、ほくが今晩感じたことは。』8

什分の一の律法に喜んで従うことと断食献金を通して、皆さんの証は強められ、それにより主は豊かに祝福してくださいます。証が強まるにつれてサタンからの誘惑も激しさを増します。サタンの攻撃に立ち向かってください。皆さんが強まるにつれ、皆さんに対するサタンの影響力は弱まります。9 世の中においてはサタンの影響力はさらに広がり、利己的な風潮を蔓延させています。しかしサタンが今日、世に大きな混乱を巻き起こそうとも、イエス・キリストの贖いと復活によってサタンのたどる末路は定まっています。サタンに勝利は訪れません。

今日にあってもサタンは主の定められた領域でしかその力を発揮できません。わたしたちが得たいかなる祝福もサタンが奪うことはできません。またサタンは義にかなった数々の決断によって織りなされたわたしたちの人格を変えることもできません。聖なる神殿で交わされた夫と妻、そして子どもたちの永遠のきずなを断ち切ることも、真の信仰を取り去ることも不可能です。わたしたちの証を奪い去ることもできません。これらの祝福はサタンの誘惑に屈服するときに失われることは確かですが、サタン自身は神の祝福に対して何の力も持たず、それらを破壊する力もないのです。

これらの、またそれ以外の真理は確かなものです。しかし、それらの真理が確かであると知るために皆さんは真理を理解する必要があります。そして神の律法に従い、御霊の力によって与えられる確信を心から望む必要があります。わたしたちの証は、主の教えが理にかなっているように思えることから始まるかもしれません。しかし、わたしたちはこれらの神の律法を実践することによって自分の証をはぐくむ必要があります。そのようにして得られる個人的な経験によって、主の教えが真実であることへの確信が与えられ、約束された結果がもたらされます。その確信は一時には与えられません。強い証は、教えに教え、教訓に教訓を加えることによって与えられます。力強い証には、信仰、時間、常に従順であること、そして喜んで犠牲を払うことが求められるのです。

強い証を弱い基の上に築くことはできません。したがって、自分が確信を持っていない事柄について信じているかのように見せかけてはなりません。確かな証を得ることができるよう尋ね求めてください。力強い祈りの中で真剣に取り組み、義にかなった生活を送り、霊的な確信が得られるよう求めてください。主の教えのすばらしい点は、それらが真実であり、自分自身で確かめられることです。静かな細い声によって訪れる御霊の導きに絶えず注意を払い、霊的な感受性を研ぎ澄ましてください。皆さんの気持ち、必要、悩み、望み、そして心に抱いている夢を天の御父に伝えてください。御父が必ずわたしたちの祈りにこたえてくださるという完全な信頼を寄せ、御父に話しかけてください。その後、正しいと思っている事柄を行い、信仰と義によって生まれる確信を胸に歩を進め、主が最もふさわしいと感じられるときに主の方法で与えられる答えを忍耐強く待ちながら、人生において着実に前進しましょう。10

ジョセフ・スミスが自らの能力をはるかに上回る事柄をなし得たのはなぜでしょうか。それは彼の力強い証によるものでした。証により彼は従順になり、主を信じる信仰を持ち、主の御心を行うという揺るぎない決意が生まれました。皆さんの証が強まるにつれ、必要とふさわしさに応じて、行うべき事柄と必要とされる時を知る霊感を受け、物事を成し遂げるうえで神の力や能力を得ることができると証します。11 ジョセフ・スミスは自らを訓練することにより主の導きに従う能力を完全なものとしました。自らの欲求、都合、または導きに従ううえで妨げとなる人々の説得に身をゆだねることはありませんでした。そのようなジョセフの模範に従いましょう。

人生において、尽きることのない平安と守りを感じるときがあります。それらを静かに思い返すとき、わたしたちを愛しておられる天の御父がいらっしゃることをわたしたちは知る必要があります。神はわたしたちを導き、助けてくださいます。その確信こそが力強い証の中核を成すのです。

間もなく、ゴードン・B・ヒンクレー大管長が本大会の閉会に当たってお話をします。今朝わたしたちは、主の預言者である大管長から、直面するチャレンジについて厳粛で、わたしたちに自信を取り戻させる勧告を聞きました。大管長は、わたしたちが天の御父にへりくだって祈り、悪と闘ううえで導きと強さが得られるように求めることを要請しました。御父とその愛子イエス・キリストにより、わたしたちは安全に守られます。救い主は皆さんを愛しておられます。そして自分の証を強めようとする皆さんの努力を確かに認め、その証が人生で善を行うための完全な力となり、必要なときに皆さんを常に支える力となり、不確かなこの世の中にあって常に平安と確信を与える力となるようにしてくださいます。

主に仕える十二使徒として、その証を述べる権限を託された者として、わたしは救い主が確かに生きておられることを厳粛に証します。主はよみがえりであり、栄光を受け、完全な愛を持った御方です。イエス・キリストの御名によって、アーメン。

  1. エテル12:6;ヘプル11:1参照

  2. アルマ26:22;教義と聖約3:1-1;教義と聖約82:10参照

  3. エテル12:6、強調付加

  4. 教義と聖約6:23、36:教義と聖約8:2-3、10;教義と聖約9:9参照

  5. 教義と聖約9:8

  6. スペンサー・W・キンボール、The Teachings of Spencer W. Kimball, エドワード・L・キンボール編(1982年)252参照

  7. アルマ5:45-46

  8. Conference Report, 1949年4月、41

  9. デビッド・O・マッケイ“Let Virtue Garnish Thy Thoughts,” Improvement Era、1969年6月号、28参照

  10. デビッド・O・マッケイ「The Times Call for Courageous Youth and True Manhood,” Improvement Era、1969年6月号、117参照

  11. 教義と聖約43:16参照