2000–2009
今がその時である
脚注

Hide Footnotes

テーマ

今がその時である

「最後の裁きの場で、大きな後侮、やり残したことがないように…生きていきましょう。」

今朝・こうして皆さんの前に立つと、わたしの心に、日曜学校であの美しい賛美歌を歌った若い日々がよみがえります。

「楽し安息の日

世の業休む

楽しきこの朝

よき祈りの日」1

この安息日に皆さんにお話しするに当たり、皆さんの信仰と祈りがともにあるように祈っています。

わたしたちは皆、あの運命の日、2001年9月11日に起こった惨事によって、大変な衝撃を受けました。突然、何の前触れもなく、壊滅的な破壊によってあまりにも多くの男女、そして子どもの命が奪われました。楽しい将来の計画は消え失せ、代わりに残されたのは、傷ついた心からわき上がる悲しみの涙と悲痛な叫びでした。

この3週間半の間、その日の惨事によって直接的に、あるいは間接的に影響を受けた人々から、数え切れないほどの便りが届きました。会員であるレベッカ・シンダーの言葉を皆さんにご紹介したいと思います。彼女は9月11日火曜日の朝、ソルトレーク・シティーからダラスに向かう飛行機に乗っていました。悲劇が起こったとき、すべてのフライトが麻痺まひしたため、彼女の飛行機もテキサス州アマリロに着陸しました。シンダー姉妹は次のようにつづっています。「わたしたちは皆飛行機を降りて空港のテレビを見つけると、状況を伝える報道を見ようとその周囲に集まりました。乗客たちは自分が無事に地上に降りたことを、愛する人々に電話で伝えようと列を成していました。このフライトに同乗し、伝道地に向かう途上にあった12人前後の宣教師たちのことをわたしは決して忘れないでしょう。彼らは電話をした後、空港の隅で輪になってひざまずき、祈りをささげていました。すぐに祈りが必要だと感じた心優しい若い彼らの姿を、そのまま両親に見せられたらどんなに喜ばれるだろうと思いました。」

兄弟姉妹の皆さん、死はすべての人にいつか訪れるものです。よろめく老人にも訪れます。人生の旅路の半分も歩んでいない人に来世への召喚状が届くこともあれば、幼い子どもの笑い声が失われてしまうことも少なくありません。死は、だれも逃れたり、否定したりすることのできない事実なのです。

死は、しばしば侵入者として訪れます。人生の祝宴のさなかに突然姿を現し、その光と快活さを消し去っていきます。死はわたしたちの愛する者のうえにその重い手を乗せ、わたしたちは時折、当惑と疑問の渦中に取り残されます。ひどい苦痛や病気といった特別な状況にある人には、死は、憐あわれみの天使として訪れますが、ほとんどの場合、わたしたちは死を人の幸福の敵と考えます。

回復された真理の光は、死の暗闇くらやみを追いやります。主は言われました。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。」2

墓を超えた命というこの確信、そうです、この神聖な確証こそ、救い主が約束された平安を与えてくれるものです。主は弟子たちに約束されました。「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」3

カルバリの暗闇と恐怖の中に、小羊の声が響きました。「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます。」4すると、もはや暗闇は消えうせました。主は御父のみもとに帰られたのです。主は神のみもとから来られ、神のみもとに帰って行かれました。同じように、この地上における巡礼の旅を神とともに歩む人々も祝福された経験を通して、神を頼る子どもたちを神はお見捨てにならないと知るのです。死の夜にあって、主の存在は「光よりもよく照らし、知った道よりも安全」なのです。5

サウロはダマスコへ行く途中、よみがえられ栄光に満ちたキリストにまみえました。後に、パウロと改名した彼は、真理の擁護者、また主の業に働く勇敢な宣教師として、復活された主を証しました。コリントの聖徒たちに向かってパウロはこう宣言しました。「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死〔に〕 …

…葬られ……聖書に書いてあるとおり、3日目によみがえ〔られ〕

……ケパに現れ、次に、12人に現れ

…そののち、500人以上の兄弟たちに、同時に現れ

…そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、

そして最後に、……わたしにも、現れ〔られ〕たのである。」6

この神権時代に、これと同様の証が預言者ジョセフ・スミスによって雄々しく語られました。彼はシドニー・リグドンとともにこう証しています。

「そして今、小羊についてなされてきた多くの証の後、わたしたちが最後に小羊についてなす証はこれである。すなわち、『小羊は生きておられる。』

わたしたちはまことに神の右に小羊を見たからである。また、わたしたちは証する声を聞いた。すなわち、「彼は御父の独り子であり、

彼によって、彼を通じて、彼から、もろもろの世界が現在創造され、また過去に創造された。そして、それらに住む者は神のもとに生まれた息子や娘となる』と。」7

これこそ、わたしたちを支える知識です。わたしたちを慰める真理です。そして悲しみに打ちひしがれた人を影から光へと導き出す確信なのです。それはすべての人か受けられるものです。

命は何とはかなく、死は何と確かなものなのでしょう。わたしたちは自分がいつこの世を去るように求められるか分かりません。だからこそ、わたしはこう尋ねたいと思います。「わたしたちは今日きょうをどのように過ごしていますか」と。もし明日のためだけに生きるなら、今日という日はすべて、無為に過ごした昨日と化してしまうことでしょう。「自分の人生を見直そうと考えてはいるが、最初の一歩を踏み出すのは明日にしよう」と、ずっと言い続けてはいないでしょうか。そのような考えでは、明日は永遠に訪れません。そのために今日何かを行わないかぎり、そのような明日が来ることはないでしょう。歌い慣れた賛美歌はこのように教えています。

「なすべき業ここにあり

その時は今あり

『いつかなす』と言いて時を

過ごさず、今日なせ」8

自分自身に次のように問いかけてみましょう。「わたしは、今日何か善いことをしただろうか。」「助けを必要としている人に手を差し伸べただろうか。」そのような問いかけは、幸福を得るための原則であり、だれかに感謝の心をもたらすという満足感と内なる平安を得るための処方箋しょほうせんです。

自らをささげる機会は確かに無限にありますか、すぐに失われてしまうものでもあります。わたしたちには、喜ばせるべき心、伝えるべき思いやりの言葉、与えるべき贈り物、なすべき行い、そして救うべき人々が存在します。

「あなたがたが同胞はらからのために務めるのは、とりもなおさず、あなたがたの神のために務めるのである」9ということを心に留めておくならば、ティケンズの不朽の名作『クリスマス・カロル』の中でエブネセル・スクルージに自分が失った機会を悲しげに語りかけたシェイコブ・マーリーの幽霊のように、つらい立場に身を置かなくて済むことでしょう。マーリーはこのように言いました。「いやしくも、それぞれの置かれた小さな範囲中で、いかなることのためであろうと、熱心に力を尽しているキリスト教的精神の持主であるならは、さまざまの有益なことをするためには人間の生命は余りにも短か過ぎると思う筈だということを知らないのか。また、一人の人間が失った機会はいかほど後悔しても取り返しはつかぬということを知らずにいるのだ。だが、私もそうだったのだ。おお!私もそうだったのだ!」

マーリーはさらに次のように言っています。「なぜわたしは気の毒な人たちをかまわずに通り過ぎたのだろう?東の国の博士たちをみすぼらしいあはらやへ導いて行ったあのありがたい星をなぜ見上けなかったのだろう。その星に導かれて訪ねてやるべき貧しい家もあったろうに。」10

皆さんも御存じのように、エブネゼル・スクルージは幸いにも後に良い変化を遂げました。わたしはスクルージのこの言葉が好きです。「わたしは今までのわたしとは違います。」

『クリスマス・カロル』の話はどうしてこれほどまで愛されているのでしょうか。どうして証今日こんにちでもいきいきとした作品なのでしょうか。わたしはこの作品が、神より霊感を受けて書かれたものであると思っています。人の特質のうち、最良のものが引き出されています。そして希望を与えてくれます。そして変わろうという意欲を与えてくれます。わたしたちは、足を引っ張ろうとする道から離れ、心の中で歌いながら、星に従い、光に向かって歩むことができるのです。そして歩みを速め、勇気を増し、真理の光を浴びることができるのです。あるいは子どもたちの笑い声をもっとはっきりと聞くこともできます。さらに嘆き悲しむ人の涙をぬぐうこともできるのです。そして死を迎える人に、永遠の命の約束を分かち合って慰めることもできます。もしわたしたちが垂れている手を上げ、苦しむ人に平安をもたらし、主がなさったように与えるならば、わたしたちは模範によって、迷える者の道案内になることができるのです。

命ははかなく、死は避けられないものなので、一日一日を精いっぱい生きなくてはなりません。

わたしたちはせっかくの機会を台なしにしてしまうことがよくあります。少し前のことですが、わたしはルイス・ディッキンソン・リッチの心温まる小説を読みました。その作品には、この真理がはっきりと描かれています。このように書かれていました。

「わたしの祖母にはウィルコックス夫人という宿敵がいました。祖母とウィルコックス夫人は、隣同士の家に嫁ぎました。二人の家は、彼女たちがそれから一生住むであろう小さな町の大通りに面していました。二人の間の争いが何によって引き起こされたのか、わたしには分かりませんし、それから30数年を経て、わたしが生まれたころの年代になると、彼女たち自身でさえも、何が発端だったか覚えていなかったことでしょう。二人の争いはちょっとしたいさかいなどという生ぬるいものではありませんでした。まさに戦争そのものでした。… …

町中、影響を受けないものなどありません。独立戦争、南北戦争、米西戦争をくぐり抜けてきた築300年の教会も、祖母とウィルコックス夫人による『婦人会会長職争奪戦』.のため、崩壊寸前となりました。そのときは祖母に軍配が上がりましたが、無意味な勝利でした。ウィルコックス夫人は会長の座を逃したため、憤慨して会を脱退してしまいました。敵を屈服させられないのであれば、その座に着くことに一体何の楽しみがあるでしょうか。そして今度はウィルコックス夫人が『公共図書館の戦い』で白星を上げました。夫人は、わたしのフィリーおばさんではなく、自分のめいのジャートルードを司書に任命することができたのです。ジャートルードが着任したその日から、祖母は図書館の本を読まなくなりました。突然、図書館の本を『汚らしい』と言うようになったのです。そして『高校の戦い』では両者引き分けとなりました。ウィルコックス夫人は校長を解雇しようと奮闘し、祖母は校長に終身在職権を与えようと手を尽くしていましたが、校長は決着が着く前に、転職してしまいました。

子どものとき祖母を訪ねる楽しみの一__つは、ウィルコックス夫人の孫たちにこっけいな顔をして、からかうことでした。忘れもしないあの日、わたしたちはウィルコックス家の雨水用の樽たるに蛇を入れたのです。祖母は口では反対していましたが、内心は暗黙の同意をしていることが分かりました。

まさかわたしたちだけがそんなことをしていたなんて思わないでください。ウィルコックス夫人にも孫がいたのですから。祖母もまた、いたずらの対象にされていました。洗濯日和の日は、決まってなぜか洗濯用ロープが切れて、落ちた洗濯物が泥まみれになっているのです。

もしボストン新聞に家庭欄がなかったのなら、祖母はこんなにも長く続いたもめ事に耐えられたかどうか、わたしには分かりません。この家庭欄は名案でした。よくある料理のアイデアや掃除のアドバイスだけではなく、読者のための手紙コーナーが掲載されていました。問題があったり、ただ愚痴をこぼしたりしたければ、『アービュタス』といったすてきな名前で新聞社に手紙を書くのです。祖母はその名前をペンネームに使っていました。そうすれば、似たような問題を持ったほかの女性が『匿名希望』や『クサンティッペ』などの名前を使って投書し、自分はそのような場合にはどうしたか教えてくれるのです。問題が解決してからも、女性たちはその後何年問も新聞のコラム上に、子どものこと、保存食作りのこと、新調したダイニングセットのことなどを書いて、文通を続けるのです。祖母もそうしていました。祖母と『かもめ』というペンネームの女性は、25年以上文通を続けました。『かもめ』さんは祖母の親友でした。

わたしが16歳ぐらいのとき、ウィルコックス夫人が亡くなりました。小さな町では、どんなに隣の家族を嫌っていようと、遺族のためにどんな手伝いができるか見に行ってあげることが、しきたりになっていました。何でも手伝うと言ったのが本気であることを示すために、祖母はエプロンを着けて、芝生を越えてウィルコックス家へ出向きました。ウィルコックス家の娘たちは祖母に、すでにちり一つない応接間を、葬儀に備えて掃除するようお願いしました。応接間のテーブルの上に、大きなスクラップブックがありました。スクラップブックには、祖母から『かもめ』さんあての、そして『かもめ』さんから祖母あての手紙が、きれいにはられていたのです。二人とも知らなかったとはいえ、祖母の最大の敵が、実は親友だったのです。わたしはそのとき初めて祖母が泣くのを見ました。その当時はどうして泣いていたのか、はっきり分かりませんでしたが、今振り返ると分かります。もう決して取り戻すことのできない、無駄に費やされた年月を思って泣いていたのです。」

兄弟姉妹の皆さん、決心して、今日から愛で心を満たしましょう。孤独な人、気落ちしている人、様々な理由で苦しんでいる人に手を差し伸べるために、2マイル行きましょう。「悲しむ人を励まし、だれかを喜ばせ」11 ましょう。最後の裁きの場で、大きな後悔、やり残したことがないように、そして使徒パウロとともに「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」12と言えるように生きていきましょう。イヱス・キリストの御名みなにより、アーメン。