日曜学校―福音の教義
第19課:「主……のほかに,だれも彼らを救い出せなかった」


19

「主……のほかに,だれも彼らを救い出せなかった」

モーサヤ18-24章

目的

バプテスマの聖約を敬う決意を新たにし,主を信頼するよう勧める。

準備

  1. 以下の聖句を読み,内容について深く考え,祈る。

    1. モーサヤ18章。アルマ,バプテスマの聖約を教え,人々にバプテスマを施し,人々の中に教会を設立する。

    2. モーサヤ19章。ノア王は自分の民を裏切り,焼き殺される。ノアの息子リムハイが王となる。

    3. モーサヤ20-22章。リムハイの民はレーマン人によって奴隷とされる。奴隷の状態から脱しようと試みた後,悔い改めて主に立ち返る。主は最終的に彼らを奴隷の状態から救い出される。

    4. モーサヤ23-24章。アルマの民はレーマン人によって捕らえられる。ノアの祭司の一人であったアミュロンが彼らを統治する。アルマの民は主に立ち返ったので,主は彼らの重荷を軽くされ,彼らを奴隷の状態から救い出される。

  2. そのほかの読書課題--『聖句ガイド』「バプテスマ」の項,207-209

  3. 「導入」の活動を利用する場合は,「モルモンの泉でバプテスマを施すアルマ」(『福音の視覚資料セット』309)の絵をクラスに持参する。レッスンの間にこの絵を利用してもよい。

レッスンの展開

導入

適切であれば,以下の活動または教師が考えた活動をレッスンの始めに行う。

クラスの生徒に以下の質問をする。

  • 今まで目にした中で最も美しかった場所にはどんな所がありますか。それらの場所をそれほど美しいと感じたのはなぜでしょうか。

「モルモンの泉でバプテスマを施すアルマ」の絵を掲示する。

  • アルマの民にとってこの場所が美しかったのはなぜでしょうか(生徒の一人にモーサヤ18:30を声に出して読んでもらう。生徒の一人または二人に,自分にとって霊的に重要な場所について感じる気持ちを分かち合ってもらう)。

本課では,アルマの民が「モルモンの地」で交わした聖約について話し合うことを説明する。

聖句を使った話し合いと応用

クラスの生徒の必要に最も適した聖句,質問,そのほかの資料を祈りの気持ちで選ぶ。選んだ聖句を日常生活でどのように応用できるかを話し合う。聖句で述べられている原則に関連した適切な経験を分かち合うよう生徒に勧める。

1.アルマはバプテスマの聖約を教え,多くの人々にバプテスマを施す

モーサヤ18章から選んだ箇所を読んで話し合う。ノア王の祭司の一人であったアルマはアビナダイの教えを信じたことを生徒たちに思い起こさせる。彼はノアの召し使いたちから逃れて荒れ野に隠れ,「アビナダイが語った言葉をすべて」書き記した(モーサヤ17:2-4)。その後彼は「自分の罪……を悔い改め……アビナダイの言葉を教え始めた。」(モーサヤ18:1-3)アルマを信じた人々は,彼がモルモンと呼ばれる地で教えるのを聞きに行った(モーサヤ18:4-6)。

  • アルマは「モルモンの地」で何を教えましたか(モーサヤ18:7参照)。アルマが民に教えた後,彼らは何を望みましたか(モーサヤ18:8参照)。「神の羊の群れに入って,神の民と呼ばれ」るとはどういう意味でしょうか(モーサヤ18:16-17参照。へブル8:10アルマ5:60も参照)。

  • 人々は「神の羊の群れ」の一員としてどのような事柄を進んで行いましたか(この質問の答えを見つけるために,モーサヤ18:8-9を生徒たちに読んでもらう。彼らの答えを黒板にまとめる。その後,答えについて以下に示すように話し合う)。

    1. 「互いに重荷を負い合う……。」(モーサヤ18:8)わたしたちはどのように「互いに重荷を負い合う」ことができるでしょうか。互いに重荷を負い合うことによってそれらの重荷はどのように軽くなるでしょうか。ほかの人々が重荷を負うのを助けてくれたとき,あなたはどのような祝福を受けてきましたか。

    2. 「悲しむ者とともに悲し〔む。〕」(モーサヤ18:9)「悲しむ者とともに悲し〔む〕」ことはどうして有益なのでしょうか。

    3. 「慰めの要る者を慰める……。」(モーサヤ18:9)人々に対して適切に慰めを与えるにはどうすればよいでしょうか。

    4. 「神の証人になる……。」(モーサヤ18:9)「いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても……神の証人になる」とはどういう意味でしょうか(モーサヤ18:9)。

  • アルマは民に教えを説いた後,彼らに何をするように勧めましたか(モーサヤ18:10参照。彼は民に対し,バプテスマを受け,主との聖約に入るように勧めた)。聖約とは何ですか。

    ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように教えている。「聖約とは少なくとも二者間の契約および同意である。福音の聖約の場合,二者とは天の主と地の人である。人は戒めを守ることに同意し,主はそれによって彼らに報われることを約束される。」(Conference Report,1970年10月,91;Improvement Era1970年12月号,26)

  • モーサヤ18:8-13に言及して,マリオン・G・ロムニー管長は次のように述べている。

    「このバプテスマの聖約を説明するに当たって,〔これ〕ほど良い説明はないと思う。」(「聖約に従いて」『聖徒の道』1976年2月号,104)モーサヤ18:8-13によると,わたしたちはバプテスマを受けるとき,どのようなことを行うと聖約しますか。(モロナイ6:2-3教義と聖約20:37も参照)。わたしたちがバプテスマを受けてバプテスマの聖約を守るとき,主はどのようなことを行うと約束してくださいますか(モーサヤ18:10,12-13参照。2ニーファイ31:17も参照)。

  • バプテスマを受けるようにというアルマの勧めに,民はどのようにこたえましたか(モーサヤ18:11参照。「モルモンの泉でバプテスマを施すアルマ」の絵を使用する場合は,ここで見せる)。ほかの人々がこの大いなる喜びを得られるようにするために,どのようなことができるでしょうか(福音を分かち合うことができる人々について考えるようクラスの生徒に勧めてもよい)。

  • 民がバプテスマを受けた後,アルマは彼らに「互いに和合し,愛し合って結ばれた心を持〔つ〕」ように命じました(モーサヤ18:21)。この戒めに従うために,家庭,ワードまたは支部においてどのようなことができるでしょうか(モーサヤ18:19-21参照)。

2.ノア王は自分の民を裏切り,焼き殺される

モーサヤ19章から選んだ箇所を読んで話し合う。ノア王の民の一部は彼に背き始めていたことを説明する(モーサヤ19:2-3)。これらの人々の一人であったギデオンは,ノアが自分たちに向かって進んで来るレーマン人の軍隊を見ていたとき,まさにノアを殺そうとしていた(モーサヤ19:4-6)。

  • ノア王は進んで来るレーマン人を見たとき何をしましたか(モーサヤ19:7参照)。ノアが最も心配したのはだれでしたか(モーサヤ19:8参照)。これは今日,ノアのようにわたしたちを主と主の預言者から引き離そうとしている人々にどのようになぞらえることができるでしょうか。

  • アビナダイはノア王の死についてどのような預言をしていましたか(モーサヤ12:3参照)。この預言はどのように成就しましたか(モーサヤ19:18-20参照。最終的にノアの命を「熱い炉の中の衣ほど」の値打ちと見なした人々は,モーサヤ11:29にあるように,かつてはノア王の罪悪に目をくらまされていた者であったことを指摘する)。

3.リムハイの民は主に懲らしめられ,ついには救い出される

モーサヤ20-22章から選んだ箇所を読んで話し合う(これらの章には17課で話し合われたようにリムハイの民を見つけたアンモンと兄弟たちの記事が載っていることに注意する)。ノア王が殺された後,彼の息子リムハイが王となった。リムハイはレーマン人に対して,彼と彼の民を殺さないという約束と引き換えに,彼と彼の民が所有するすべてのものの半分をレーマン人の王に納めると誓った(モーサヤ19:25-26)。

  • 2年間の平和の後,レーマン人はリムハイの民に対して戦争を行いました(モーサヤ20:7-10)。なぜレーマン人はリムハイの民を滅ぼそうとしたのですか(モーサヤ20:1-6参照)。

  • レーマン人は,自分たちがリムハイの民を誤解していたことを知ったとき,安らかに自分たちの地へ帰って行きました(モーサヤ20:17-26)。しかし,「多くの日の後,レーマン人はまたニーファイ人に対して怒りをかき立てられ」ました(モーサヤ21:2)。レーマン人は,ニーファイ人を殺さないという彼らの王の誓いを守る代わりに,ニーファイ人に対して何をしましたか(モーサヤ21:3参照)。

  • リムハイの民が奴隷の状態となったことは,アビナダイの預言をどのように成就したでしょうか(生徒にモーサヤ21:3-5,14-15モーサヤ11:20-25および12:2,4-5と比較してもらう)。リムハイの民はなぜ奴隷の状態になったのでしょうか(モーサヤ7:25-3220:21参照。彼らはアビナダイの教えと,自分たちの罪深い状態がもたらす結果についての警告を拒んだ)。罪には結果が伴うことを覚えておくのはなぜ大切なのでしょうか。

  • 戦いにおいてレーマン人に3度打ち負かされた後,リムハイの民は最終的に何をしましたか(モーサヤ21:13-14参照)。なぜ主は彼らの嘆願にこたえられるのを遅くされたのでしょうか(モーサヤ21:15参照;教義と聖約101:1-9も参照)。主はすぐに彼らを救い出されはしませんでしたが,主は彼らのために何を行われましたか(モーサヤ21:15-16参照)。主は時々どのようにわたしたちが「次第に栄え」るのをお許しになるでしょうか。

  • リムハイの民はどのようにレーマン人から逃れましたか(モーサヤ22:3-12参照)。彼らはゼラヘムラの民にどのように迎えられましたか(モーサヤ22:13-14参照)。

4.主はアルマの民を奴隷の状態から救い出される

モーサヤ23-24章から選んだ箇所を読んで話し合う。3度自分たちの力で逃れようと試みた後に主に立ち返ったリムハイの民と,完全に主に立ち返っていたアルマの民とに対する主の祝福の与え方の違いを理解できるようにする。

  • アルマと彼の民がモルモンの地にいたとき,ノア王は「アルマと彼に従う人々を滅ぼすために,軍隊を派遣した。」(モーサヤ18:33)主はアルマの民に警告を与え,彼らが逃げることができるように強くされた(モーサヤ18:34-3523:1-5)。これはリムハイの民の経験とどのように異なるでしょうか(モーサヤ19:6参照。最初にレーマン人がこれらの民を攻撃したとき,ノアがまだ王であったが,民は何も警告を受けなかったことに注意する)。

  • 王となるよう民から求められたとき,アルマはどのように答えましたか(モーサヤ23:6-7参照)。アルマは「自分自身をほかの人よりも優れていると考え」ることの危険性をどのように学んでいたでしょうか(モーサヤ23:8-14参照)。この過ちを避けるために,わたしたちはアルマと彼の民からどのようなことが学べるでしょうか(モーサヤ23:15参照)。

  • アルマの指導の下に,彼の民は義にかなった生活をして栄えました(モーサヤ23:15-20)。にもかかわらず,主は彼らがノア王の祭司の一人であったアミュロンの下で奴隷の状態となるのをお許しになりました(モーサヤ23:23-39)。アルマの民が奴隷の状態に陥ったことは,アビナダイの預言をどのように成就したでしょうか(モーサヤ12:2,4-5参照)。わたしたちの劣った選択はどのように,罪の赦しを得た後でさえもなかなか消え去らない影響をもたらすでしょうか。

    マービン・J・アシュトン長老は次のように述べている。「わたしたちは自分の行いを選択する自由があるからといって,その行いの結果から逃れる自由はないのです。わたしたちへの神の愛は常に変わらず,決してなくなることはありませんが,間違った選択が招いた苦痛に満ちた結果からわたしたちを救うことはできないのです。」(「あらゆるものに与えられた規範」『聖徒の道』1991年1月号,21)

主はアルマの民が自らの過去の罪の結果に苦しまずに済むようにはなさらなかったが,彼らが苦難にあるときに彼らを慰め,強められた。本課の残りの部分では,主がどのように彼らを奴隷の状態から救い出されたかについて話し合う。

  • アルマの民が奴隷の状態にあったことに言及したうえで,モルモンは「主は御自分の民を懲らしめるのを,御心にかなうことと見ておられる」と述べています(モーサヤ23:21)。なぜ主は御自分の民を懲らしめられるのでしょうか(モーサヤ23:21教義と聖約95:1-2参照)。主がわたしたちを懲らしめられるとき,わたしたちはどのようにこたえるべきでしょうか(モーサヤ23:22参照)。

  • アルマの民は,祈る者は殺すとアミュロンに脅されたときに何をしましたか(モーサヤ24:10-12参照)。主は彼らのひそかな祈りにどのようにこたえられましたか(モーサヤ24:13-16参照)。このことは,彼らがモルモンの泉で聖約したように主の「証人になる」うえでどのような助けとなったでしょうか(モーサヤ24:14参照)。

  • 「心を楽しく忍耐して,主の御心にすべて従った」ときにわたしたちの重荷が負いやすいのはなぜでしょうか(モーサヤ24:15)。あなたが「容易に重荷に耐えられるように」,主はどのようにあなたを強めてこられたでしょうか。そのことは,あなたが神の証人となるうえでどのような助けとなってきましたか。

  • なぜ主はアルマの民が奴隷の状態にあったとき,リムハイの民のときよりも速やかに,また豊かに祝福されたのでしょうか(モーサヤ21:5-15モーサヤ23:26-2724:10-16と比較する)。このことはわたしたちの生活にどのように当てはまるでしょうか。

  • 主によって救い出される前,アルマの民もリムハイの民も邪悪な統治者の下で奴隷の状態にありました。アルマは,ノア王の時代にも人々は「罪悪の縄目をかけられてしまっ〔ていた〕」と言っています(モーサヤ23:12)。罪悪,または罪は,どのような意味で束縛の一種であると言えるでしょうか。リムハイの民およびアルマの民から,罪の束縛から開放されることについて,どのようなことが学べるでしょうか(モーサヤ7:3321:1423:2329:18-20参照。教義と聖約84:49-51も参照。罪の束縛からわたしたちを救い出すことがおできになるのは主だけである。わたしたちは悔い改め,信仰を持ち,へりくだり,常に従順であることを通じて主に立ち返らなければならない)。

結び

バプテスマの聖約における主の約束を簡単に振り返る(モーサヤ18:10,13)。主が約束してくださっている祝福を考慮すれば,「主に仕えて主の戒めを守る」(モーサヤ18:10)という聖約を守ることは難しいはずはないことを指摘する。バプテスマの儀式を受け,悔い改め,イエス・キリストへの信仰を持ち,へりくだり,従順であり続けるとき,わたしたちは罪の束縛から解き放たれ,永遠の命への道を歩んでいることを強調する(2ニーファイ31:17-20)。

本課で話し合われた事柄が真実であることを,御霊に導かれるままに証する。

教えるためのそのほかのアイデア

以下の資料はレッスンの概要を補足するためのものである。この中の幾つかをレッスンに取り入れてもよい。

1.「アルマとヘラムはともに水の中に沈んだ」(モーサヤ18:14

以下の言葉を用いて,アルマはなぜバプテスマを施す権能を持っていたかを説明し,アルマはヘラムにバプテスマを施したときに自身にはバプテスマを施さなかったことを示す。

ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は次のように教えている。「アルマはアビナダイが現れる前にバプテスマを受け,神権を持っていた。しかし悪王ノアの統治下でほかの祭司たちと行動を共にしたので,へラムにバプテスマを施したとき自分自身洗い清める必要を感じ,十分に悔い改めたしるしとして水中に沈んだのであった。」(『救いの教義』ブルース・R・マッコンキー編,2:312)。

2.謙遜に主に仕える

  • アルマは人々にバプテスマを施し始める前に次のように祈りました。「おお,主よ,あなたの僕が聖い心でこの務めを果たせるように,僕にあなたの御霊を注いでください。」(モーサヤ18:12)このような精神で主への奉仕の業に臨むとき,わたしたちはどのような祝福を受けるでしょうか。

3.「安息日を守って聖なる日として保つ」(モーサヤ18:23

  • 安息日を守ることはなぜ大切なのでしょうか(モーサヤ18:23,25参照)。安息日を聖く保つことによってどのように祝福されてきたと感じますか。安息日を聖なる日とするためにどのようなことをしていますか。

4.乏しい人々を助ける

  • アルマは乏しい人々に与えることについてどのような原則を教えていますか(モーサヤ18:27-29参照)。物質的のみならず霊的にも分け与えることはなぜ大切なのでしょうか。寛大に分け与え,喜びをもって受けることはどのような祝福をもたらすでしょうか。