2021
キリストを信じ,霊のハリケーンに立ち向かう
2021年11月


キリストを信じ,霊のハリケーンに立ち向かう

キリストを信じ,主の戒めを守ることによって,わたしたちは霊のハリケーンに対して最善の方法で立ち向かいます。

愛する妻のアンとテキサス州のガルフ・コースト近郊に住んで6年になります。この辺り一帯は,これまでに合衆国最大級の大型ハリケーンが直撃し,その際に壊滅的な被害を受け,死者も出たほどでした。悲しいことに,最近の数か月も同じような壊滅的な災害が発生しました。様々な形で被害に遭われた皆さんに愛と祈りを送ります。わたしたちも2017年に150センチという降雨量を記録したハリケーン・ハービーを経験しました。

ハリケーンは自然の法則に従って形成されます。海水の温度は海面下50メートルに至るまで最低でも27℃である必要があります。風がこの温かい海水にぶつかると,水を蒸発させ,大気圏に上昇し,液化します。そして雲が形成され,海面上に渦巻き状の風が発生するのです。

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ハリケーン

ハリケーンの大きさは巨大なもので,大気圏の15,240m以上の高度にまで達し,その直径は最小でも200kmに及びます。興味深いことに,ハリケーンは上陸するとその勢力が弱まります。ハリケーンの勢力を維持するために必要な温かい海上にもはやいないからです。1

皆さんは物理的な壊滅状態をもたらすハリケーンに直面することはないかもしれません。しかしながら,わたしたち一人一人が,平安を脅かし,信仰を試す霊のハリケーンをしのいできたり,これからしのぐことになったりするでしょう。今日の世では,霊のハリケーンの頻度と強さは増しているように思います。感謝すべきことに,主はわたしたちが喜んで乗り越えられるよう確かな方法を用意してくださっています。イエス・キリストの福音に従って生活することにより,わたしたちは「黒雲迫り来て平和を乱すとき明るき希望あり」2という保証を得られるのです。

ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように教えています。

「聖徒とは,あらゆる状況において幸せでいられる人々なのです。ひどい1日や1週間,散々な1年を過ごしながらも,わたしたちは喜びを感じられます。

……わたしたちが感じる幸せは,生活の状況ではなく,生活の中で何に目を向けるかにかかっているのです。

生活の中心を……イエス・キリスト,主の福音に向けるなら,人生で何が起こっても―起こらなかったとしても―喜びを感じることができます。」3

自然の法則が物理的なハリケーンをつかさどるように,神の律法は,霊のハリケーンの只中にあって得る喜びをつかさどります。人生の嵐に勇敢に立ち向かうときに感じる喜びや不幸は,神が定められた律法に結びついています。ネルソン大管長はこのように述べています。「〔永遠の律法は〕戒めと呼ばれていますが,揚力の原理,万有引力の法則,心臓の鼓動をつかさどる原理とまったく同様に真実です。」

ネルソン大管長はこう続けました。「とてもシンプルな公式です。幸せになりたければ,戒めを守ることです。」4

疑いは信仰や喜びの敵です。温かい海水がハリケーンの温床となるように,疑いは霊のハリケーンの温床です。信仰が選択であるのとまったく同様に,疑いもまた選択です。疑うことを選ぶとき,敵対する者に作用される者となり,その結果,わたしたちは弱く無防備になります。5

サタンはわたしたちを疑いの温床へ誘い込もうとします。わたしたちが信じることのないよう,わたしたちの心をかたくなにしようと努めます。6疑いの温床は,魅力的に見えます。なぜなら,穏やかそうに見えるその温かな水は,「神の口から出る一つ一つの言葉に従って」7生きることを求めないからです。そのような水の中で,サタンはわたしたちが霊の警戒を緩めるよう誘惑します。その不注意こそ,「冷たくもなく,熱くもない」8霊的確信の欠如を引き起こすのです。もしわたしたちがキリストに固く結びついていなければ,その霊的確信の欠如が,奇跡も,永続する幸福も,「魂に休み」9も見いだせない無関心へと誘い落とすでしょう。

上陸後のハリケーンの勢力が弱まるように,わたしたちがキリストの上に基を築くならば,疑いは信仰に取って代わります。そして適切な視点で霊のハリケーンを捉えることができ,それを乗り越えるためのわたしたちの能力が増すのです。「そうすれば,悪魔が大風を,まことに旋風の中に悪魔の矢を送るときにも,……それが不幸と無窮の苦悩の淵に〔わたしたち〕を引きずり落とすことはない。 なぜならば,〔わたしたち〕は堅固な基であるその岩の上に建てられて〔いる〕……からである。」10

ネルソン大管長はこう教えています。

「イエス・キリストを信じる信仰は,すべての信念の基盤であり,神の力を引き出します。……

主は,御自分の完全な力にあずかるために,わたしたちが完全な信仰を持つようにとは要求しておられませんが,信じることを求めておられます。」11

4月の総大会以降,わたしの家族はイエス・キリストとその贖いを信じる信仰を強め,「問題を比類のない成長と機会に変え〔る〕」12助けとなるように努めてきました。

孫娘のルビーは,強い意思と責任感を兼ね備えています。ルビーが生まれたとき,彼女の食道は胃につながっていませんでした。当時乳児でありながらも,ルビーは両親の支えを受け,並外れた決意とともにこの試練と向き合ったのです。ルビーは現在5歳になりました。まだまだ幼いながらも,置かれた状況は幸福を決めるものではないことを力強く体現しています。彼女はいつも幸せです。

今年の5月,ルビーは人生の別のハリケーンに信仰を持って立ち向かいました。彼女の手は生まれつき欠損があり,再建手術が必要でした。このかなり複雑な手術に先立って,わたしたちはルビーを訪ね,救い主の手と優しくつながれた子供の手が見事に描かれた絵をプレゼントしました。緊張しているかと尋ねると,ルビーはこう答えました。「ううん,幸せ!」

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ルビーと救い主の手の絵

続けて質問しました。「どうしたらそういられるんだい?」

ルビーは自信いっぱいに断言しました。「だってイエスさまがわたしの手を握っててくれるって知ってるもん。」

ルビーは奇跡的な回復を見せ,今も変わらず幸せです。子供の信仰の純粋さは,年を重ねるにつれ頻繁にわたしたちを誘惑する疑いの愚かさと比べて,どれほど対照的なものでしょう!13しかしわたしたちは皆,幼子のようになることができ,不信仰を脇へ追いやる選びができます。シンプルな選択です。

ある思いやりのある父親が熱心に救い主に嘆願しました。「できますれば,わたしどもを……お助けください。」14

イエスは父親にこう言われました。

「『もしできれば,と言うのか。信ずる者には,どんな事でもできる。』

その……父親はすぐ叫んで言った,『信じます。不信仰なわたしを,お助けください。』」15

この謙遜な父親は賢明なことに,疑う代わりにキリストを信じる信仰に信頼を寄せることを選びました。ネルソン大管長は,「あなたの人生の山を動かす奇跡を神から祝福として頂くのを妨げるのは,あなたの不信仰だけです」16と述べています。

わたしたちの神はなんと憐れみに満ちておられるのでしょう。知るという域にではなく,信じるという域に基準を設けてくださっています。

アルマはこのように教えています。

「神の御言葉を信じ〔る〕……人は幸いである。」17

「神は御自分の御名を信じるすべての人に憐れみをかけられる〔からである〕。」18

そうです,神はまず初めに,神を信じることを望んでおられます。

キリストを信じ,主の戒めを守ることによって,わたしたちは霊のハリケーンに対して最善の方法で立ち向かいます。わたしたちの信仰と従順はわたしたちの持つ以上の力と連結しています。「人生で何が起こっても―起こらなかったとしても―〔何でも〕」19乗り越える力です。そうです,信じ従うときに神は「すぐに〔わたしたちに〕祝福を授けてくださ」います。20主を信じる信仰を働かせ,主の戒めを守るとき,わたしたちの状態は幸福へと徐々に変化し,「キリストによって生かされる」のです。21

兄弟姉妹の皆さん,「疑〔うのではなく〕,信じ〔ること〕」22を今日選べますように。「正しい道とはキリストを信じること……で〔す〕。」23わたしたちは「主の手のひらに彫り刻まれてい」ます。24キリストはわたしたちの救い主,贖い主であられ,戸の外に立って叩いておられます。25イエス・キリストの御名により,アーメン。